AWC      憧憬異常 <2>    月境


        
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★タイトル (RDF     )  93/11/10  19:42  (199)
     憧憬異常 <2>    月境
★内容

「おかえりなさい」
車から降りた襲に、真っ先に声をかけたのは史郎だった。
あの後、マスターでもある聡貴の伯父にあの喫茶店を貸切りにしてもらって、彼らは明
日からの旅行のことについて長々と話し合った。もっとも長々といっても正味は1時間
ほどで、あとはもっぱら雑談で3時間を過ごした。だからもう、11時半をまわっている
。
「ずいぶん盛り上がったようですね。襲さんがここを出てから4時間は過ぎましたよ」
わずかに咎めるような調子で史郎がいう。
「ごめん、史郎。茜はもう休んでる?」
「まさか。茜さんは、あなたに会うためだけに毎年帰省してくるんですよ」
「部屋にいる?」
「不貞腐れて」
襲は駆け出した。

茜は襲の妹である。早くに母親をなくし、おまけに父親は滅多に家に帰ってこないこと
も手伝って、兄を誰よりも頼みにしている。 現在は全寮制の女子校に通っていて、長
期休暇以外は帰ってこれない。
「兄さまなんてだいっきらい!」
帰省後の第一声がこれだった。
「悪かったよ、茜の帰省してくる日に出掛けてたのは。ごめん、機嫌なおしてよ」
襲は昔から妹に弱い。
茜はちらっと兄をうかがった。視線がぶつかった。
「茜?」
「どこに行かれるの?」
「え」
「史郎に聞いたわ。明日から5日間、旅行に行かれるんでしょう?」
ああ、と合点がいって襲は口を開いた。
「大山だよ」
「・・ダイセン?」
襲は笑った。
「そう。鳥取県の。中国山地の最高峰だね」
「・・・」
「実は、僕らのなかで誰も行ったことの無いところなものだから、五日間っていうのは
どうも目安ってことになりそうなんだ。なにせ、そろいも揃って・・」
茜はうつむいた。さらさらと長い髪が肩をながれる。
「茜?」
「やっぱりあの人と?お二人で?」
「3人だよ。7月の中頃に季節はずれの転校生がきてね。その人とも一緒に行くことに
なったんだ」
茜はしばらく口を閉ざしていた。それからぽつんと呟くように言った。
「兄さまは、条等の大学に進学なさるんでしょう?」
自分の兄が並はずれた天才であることは知っている。いつもいつも試験は一番をキープ
していることも。一度習ったことは絶対忘れないことも。 だからこれから言うことが
、兄にとって不要なことも。
「お勉強は?旅行なんか行ってて大丈夫なの?」
「あかね」
「私、反対よ。そんな旅行なんて」
襲は黙って妹をみている。彼女は今にも泣きだしそうだった。
「やっと家に帰ってこれたのよ、私。夏休みが終わったらまた当分お会いできないわ。
私、兄さまとたくさんお話したくて、だから帰ってきたのに」
「茜が寮に帰るまでのあいだに、きっと父さまが帰ってくるよ」
「父さまなんてどうだっていい」
とうとう茜は泣きだした。彼女にとって、家族と呼べるくらい身近な存在は兄だけだっ
た。だからその兄が家にいなくなるということが、ひどく茜を不安にさせる。
 ひたすら暗くなる雰囲気のなか、唐突に襲は障子ごしの気配に気がついた。
ついでなんとも気の抜ける声が彼の緊張の糸をぶっつり切った。
「あっかねさあん、冷え冷えのよーかんをお持ちしましたよぉ」
茜は泣きじゃくったまま。返事をしなければいけない相手はおのずと決まってくる。
「入っていいよ」
障子を開けたのは勿論史郎にほかならなかった。住み込みで働く人のなかで、しかも彼
らを『さん』で呼ぶのは史郎しかいない。
「あれ?」
襲は首をかしげた。
「眼鏡は?」
史郎はにっこり笑った。
「コンタクトです」
「ああ、そうか」
彼は眼鏡を外すと殊更幼くみえる。彼は現在27歳だが、眼鏡を外して破顔すると18歳と
いっても十分通る顔だった。
「茜さん、お兄さんが旅行に行かれるのがお嫌なんですか?」
泣いている彼女を覗き込むように史郎は問いかけた。しゃくりをあげながら茜が頷く。
「だって、私には兄さましかいないもの」
彼にはどこか自白剤的な要素がある。
「お兄さんが家にいないと不安?」
またこくんと茜は頷いた。年のわりに幼いのは、幼児期に甘えられる親がいなかったこ
とに対する反動なのかもしれない。彼女は5歳のときからずっと家の外で育てられてい
た。
「だって、兄さまがいなかったら、ここ私の家じゃないわ。私の家族はずっとずっと、
兄さまだけだったもの・・」
『父親』の存在感は、彼女に限らず兄の襲にとってもかぎりなく薄い。よくて半年に一
度会う程度。あとは外国を飛び回っているか、研究所に入り浸っているかのどちらかで
ある。科学者、小説家、医学博士、教育家などなど、つねにご立派な肩書きを全身にま
とわりつかせ、会話も儀礼的な堅苦しいものしかない。そんな人間を身近に感じろとい
っても無理な話だろう。
「やだなあ、茜さん。忘れちゃったんですかぁ」
史郎は茶目っ気たっぷりに「悲しいなあ」とつぶやいた。
「?」
「僕は未来の家族じゃないですか」
「あ」
心当たりがあるのか、襲は真っ赤になった。
「お忘れですか?茜さんのお兄さんは僕の許婚なんですよ」
「ちょ・・ちょっと、史郎!」
襲の動揺をよそに彼はケラケラ笑った。
「茜さんが2つのとき目の前で将来を誓ったんですよねー、襲さん」
「あ・・あれはっ」
「まあ、それはともかく。僕は茜さんを妹のように思ってますよ。あなたのことは生ま
れたときからよく知ってるつもりですし」
こんな繋がり方をされると襲は黙るしかない。もともと史郎の言っていることは嘘では
ないのだから。
「・・しろうが家族?」
茜はぼんやりとした目で史郎をみた。史郎は微笑っている。
「だから、茜さんは不安がることなんかないんですよ。お兄さんが旅行に出掛けられて
も、義理のお兄さんならそばにいるんですから」
史郎の笑顔につられて、茜も思わず笑った。
「そうだ。襲さんが帰ってくるまでの間、僕と一緒にクラシックのコンサートをまわっ
て歩くっていうのはどうですか?」
茜は顔をあげた。
「病院は?」
「僕も休暇もらったんです」
「史郎と・・?」
「茜さん、モーツァルトとかメンデルスゾーンとかお好きでしょう?」
「好きよ」
「この夏は、結構コンサートがあるんですよ。ロンドンからくる名門オーケストラのコ
ンサートもあるそうですし。それに、襲さんの旅行は5日間なんでしょう?」
「目安だっていったわ」
「目安ってことは、5日間前後ってことでしょう。コンサート三昧で過ごしていればす
ぐですよ。夏休みは一ヵ月もあることですし、お戻りになったら思う存分、お兄さんと
お話なさればいいですよ」
茜はすこし考えこんでいる風だったが、すぐに顔をあげた。
「絶対ね?史郎、絶対連れていってくれるわね?」
「絶対、です」
彼はわらって盆を引き寄せた。
「一件落着したところで。よーかんなんかどうですか?」

「史郎はすごいね。いつもきれいに話に決着をつけてしまう」
茜を納得させ、ついでに寝かしつけて、彼らは今、庭に面した渡り廊下を並んで歩いて
いる。
 ちなみに襲の家は一見、寝殿造りを思わせる和式建築である。やたら大きいものだか
ら、一度来たぐらいではとても全体を把握できない。庭には何本もの桜が植えられてい
て、広い公園のなかに家が建っているような錯覚さえ覚える。春になるとなかば恒例の
ようにクラスのほぼ全員が集まって、食べ物を片手に桜見物をする。
「襲さん。正直に言いますと、僕はこの旅行にはあまり賛成していないんですよ」
「どうして?」
襲は意外な告白に眉をあげた。史郎は苦笑を浮かべている。
「襲さんには言えないです」
「そんなふうに言われると尚更気になる」
襲は史郎の前にまわった。ぐっと両腕を掴んで史郎の瞳を見据える。
「どうして?」
「勘ですよ」
しばらく間をおいてから史郎が答えた。
「僕は昔から、勘がよく当たるんです。でも、襲さんはこのテの話はお嫌いだし、信じ
たりはなさらないでしょう?だから言いたくはなかったんですけど」
彼は小さくため息をついた。
「史郎」
「はい」
「お前は疲れてるんだよ。きっと」
「ものごころついた時から、疲れっぱなしだとおっしゃるんですか」
「そうかもしれない」
「目茶苦茶なことをおっしゃるんですね」
史郎は苦々しく笑った。
「史郎」
襲はやりきれないように彼を見た。彼がこんなことを言うのは初めてのことだ。だから
彼も『非現実的』なことは一切信じていないものと、当然のことのように思っていた。
今までは。
「襲さん、さっき言ったことは全部忘れてくださって結構です」
しばらくして、抑揚のない声が言った。襲は唇をかんだ。裏切られたような気がして、
悔しかった。 史郎をみると、彼はわずかに微笑んでいるように見えた。
「・・根拠は?」
「は?」
「史郎がそんなことを信じる根拠は?」
襲はなかば怒鳴りつけるように言った。
「怪しげな宗教にでも入ったわけ?」
史郎はぷっと吹き出した。
「そんなんじゃないですよ」
たしかに。宗教に狂った人間が、精神科医なんてやってられるわけがない。
「じゃあ、どうして?僕にわかるように説明してよ。今までそんな非現実的なことなん
て、一言も言わなかったじゃないか」
「非現実的?」
「そうだよ」
「それを言うなら、襲さんこそ僕にわかるように説明してください。以前のあなたは、
こんなに向きになって『第六感』を否定することはなかった。それがこんなふうに否定
なさるようになったのは、小学校にあがる直前でしたね。あの城から戻ってきてから、
すぐ。あの城のなかで何があったんですか」
史郎のいう『城』とは、大桑城のことである。この城は500年ほど前に建てられたもの
で、襲の先祖の居城だった。現在は特別の場合を除いて、ほぼ封鎖された状態である。
というのも、調査のために城に入った学者達が、全員精神異常をおこした過去があるた
めだ。この城は、今やオカルトブームの波にのって、そのテの雑誌や、テレビやらで恰
好のネタになっている。

「何いってるんだよ」
襲は訳がわからないというように史郎をみた。
「僕は生まれてから一度も城になんて行ったことはないよ。それはずっと僕のそばにい
た、お前が一番よく知ってることだろう?」
まるでどこか確認しているような口調。
史郎はかすかに笑った。そう、襲は自分で自分の記憶を封じている。ほぼ完全に。
「襲さん」
気をとり直して史郎は口を開いた。
「明日は早いのでしょう?」
「え?」
「旅行ですよ」
「あ、ああ。午前4時に条等の寮の前で集まることになってる」
「わかりました。じゃあ、一旦寮へよって、それから駅まで行けばいいですね。とりあ
えず、もうお休みになったほうがいいです。もうすぐ午前0時になりますよ」
襲はどこか釈然としない気分で頷いた。
「そうだね。おやすみ、史郎」
「おやすみなさい、かさねさん」
そこで襲の記憶はとぎれた。どこをどう歩いたものか、彼は翌日、いつものように自室
で目覚めることになる。




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