#1285/1336 短編
★タイトル (PRN ) 00/ 9/ 9 21:40 (111)
お題>行列のできる店 ジョッシュ
★内容
「ねえママ、あれがそうじゃないの」
娘の由実のほうが先に見付けた。スーパーの入り口脇に、テントが張ってあ
り、どうやら野菜らしきものが陳列されている。
「そうみたいね。でも誰もお客さんがいないわね」
田川京子は左手に買い物籠、右手に今朝の新聞に入っていたチラシを握りし
めている。
手持ちぶたさそうに、青い帽子をかぶった男の店員がひとり、テントの中に
立っていた。彼の手前には段ボール箱をうまく組み合わせた陳列棚ができてお
り、緑濃い野菜が並んでいる。
「ねえ、ほうれん草、ちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
男の店員は、深々とお辞儀をしてから、緑濃い野菜を手にした。
「産地直送のほうれん草、一束九九円でございます」
「え?」京子の口がとんがった。「ちょっと待ってよ。六六円じゃないの」
「いえ、九九円ですけど」
「だけど、今朝のチラシには六六円って書いてあったわよ、ほら」
京子は手にしたチラシを店員に見せた。ほうれん草の束が中央にでんと居座
っていて、その上から大きく「66」とある。
「お客さん、チラシが上下逆ですよ」
「えー?」
チラシをひっくり返してみると・・・。
「わあー、99になっちゃった」と由実。
「じゃ、いらないわ」
京子はあっさり言い捨てた。慌てたのは店員のほう。
「ちょちょっと待ってくださいよ」
「なによ。66円で売ってくれる気になったの?」
「いえ、そのう、66円でお売りできるかどうか、店長と相談してまいります
ので、ちょっとここで待っておいていただけませんか?」
「えーっ、私、忙しいんですけど」
「いえ、そうおっしゃらずにすぐですから。なんでしたら、このコーンを食べ
ていてください」
店員は裏で焼いていたトウモロコシを差し出した。醤油の焦げた匂いが食欲
をそそる。
「あら、悪いわ」
「いいえ、どうぞどうぞ」
店員はそう言い残すと、小走りでスーパーの中に入っていった。
京子はトウモロコシを半分におり、さっそくかぶりついた。
確かにうまい。と・・・
「あら田川の奥様、そのトウモロコシ、いかがなされました」
振り返ると同じアパートの竹下夫人の細い目が光っていた。
「ここにきたら、いただけたんです」
竹下夫人の目がつり上がった。
「いただいたって、あの、その、それはロハ、いやその、只(ただ)っていう
ことですか」
「ええ、まあ」
竹下夫人の眉がさらにつり上がる。
「ここに並んでいれば、もらえるわけですね」
「ははあ」
竹下夫人は大きな買い物袋を地面に下ろすと、京子の後ろにぴったりとくっ
ついた。
「あら、竹下の奥様、そんなところに並んで何していらっしゃるの」
今度はやはり同じアパートに住む新婚の山上夫人だ。
竹下夫人はにっこりして
「ここに並んでると、いいものを貰えるみたいですわ」
「ええ、いいものって、あのその・・・」
その目は竹下夫人が地面においた大きな買い物袋を見つめている。
「そんな袋いっぱいの・・・」
ちょっとした誤解がここで生まれた。
そういうわけで、山上夫人もぴたりとその場を動かなくなった。
京子はトウモロコシをかじる。今さら「ほうれん草を買いに来た」とも言え
ない雰囲気だ。それに肝心の店員はなかなか帰ってこない・・・。
そうこうする内に、小1時間。
「ねえ、ママ、あれを見て」
由美が先に気づいた。
テントの向こうになにやら行列らしいものが見える。行列の尻に次々と人が
加わり、みるみるうちに列が伸びている。
「なんかxxがもらえるんだって」
そんな声も聞こえてくる。
京子の後ろにいた竹下夫人も山上夫人もすぐに異変に気づいた。
「あらあ、あれはきっとこの先のスーパーの行列ね。なにかしら」
「ずいぶんと長い行列みたい。きっとスゴイものがあるのね」
京子は「スゴイもの」ってなんだろうと尋ねてみたかったけれど、口走った
竹下夫人の顔を見て思いとどまった。なにしろ目がぎらぎらと光っている。
「ね、田川さま、申し訳ないけど、もし店員が帰ってきたら、トウモロコシ、
もらっておいてくださる?」
もう足を向こうのスーパーの行列の方へ踏み出しながらも、しっかりと竹下
夫人はそう釘を差す。京子はうなずく他はない。
竹下夫人と山上夫人は駆け出した。たったった、と二人の足音。
すると間髪入れずに、後を追う、たくさんの足音。
「あれれれ・・・」
由美がびっくりする。
いつの間にか、京子たちの後ろ、竹下夫人や山上夫人の後にも何人かが並び
はじめていたらしい。
そして、それらの人がいっせいに向こうのスーパーの行列に移動し始めたか
ら、さあたいへん。
後ろに並んだ人たちがそれに続く。
次から次へと続く。次から次から次から次から・・・。
「ねえ、ママ。ひょっとしたら」
由美が京子のスカートを引っ張った。
「うん、そうかもね」
京子も恐る恐るうなづく。
「トウモロコシも食べ終わったし、今のうちにに帰ろうか」
幾分、声が震えている。
「ほうれん草は、買えなかったけどしょうがないね」由美も声を落とした。
「うかうかしてると、竹下のおばさまたちが戻って来るかも」
「あーら、向こうのスーパーに並んでた田川さまが、どうしてこちらの行列の
先頭にいらっしゃるのかしら」なんて難癖つけられてはたまらない。
そう。
どうやら、京子たちの行列にどんどん人が集まり、そのまま伸びていって、
お尻がとうとうお隣のスーパーにまで来てしまったというのが真相らしいのだ。
京子は由美の手を引いて、動いている人の波を乱さないように、慎重かつ速
やかにスーパーの前を離れた。
今や、どこが先頭でどこが尻だか分からない行列は、相変わらず、スーパー
のまわりをぐるぐる回り続けていた・・・。
(了)