AWC 花 火     叙 朱


        
#1284/1336 短編
★タイトル (PRN     )  00/ 8/20  11: 4  ( 64)
花 火     叙 朱
★内容

 ぼくたちを乗せたバスは古びた温泉街にはいった。
 夏の行楽シーズンだというのに、閑散としている。まるで海辺の喧噪からは
取り残されたような川沿いの小さな集落だった。運転手が聞き覚えのない地名
をアナウンスした。
 「ここで降りよう」
 ぼくは章子にささやいた。
 僕たち以外には誰も降りる気配はなかった。バス停のすぐ前に小さな案内所
があり、日焼けした中年女がひとりでテレビを見ていた。色落ちした看板の文
字はなんとか「観光案内所」と読める。
 「ごめんください」
 店先に並んだ土産物の箱は、夏の陽射しに変色していた。
 「旅館を紹介してもらえませんか」
 「はいはい」中年女はちらりとぼくたちの身なりを一瞥した。
 「ご予算は、いくらぐらいですか?」
 「安いところをお願いします」
 章子が間髪入れずに答える。
 「はいはい」中年女は電話を取り上げた。「1泊ですよね」
 「はあ」

 「あ、花火だよ」
 ぼくの肩を章子がつついた。
 章子のいうとおり、店先に花火が置いてあった。商売ものらしい。ビニール
袋に入れられた色とりどりの花火の束。しかしパッケージはまるで雨に当たっ
たかのように歪んでしわになっている。中の花火も色があせていた。
 「ね、ね、花火しよう」
 章子がせがんだ。今にも花火を手にとりそうだ。
 「だめだよ。これじゃ、しっけちゃって火がつかないよ」
 ぼくは花火からも章子からも視線を避けて、頭を振った。
 「なんだか、この花火、わたしたちみたいじゃない? しおれて、疲れて、
絶望的で」
 低い章子の呟きを聞き流す。
 「お客さん、宿が取れましたよ」

 中年女が地図をくれた。歩いていける距離だ。章子はまだ花火に未練があり
そうだった。
 「お客さん。欲しかったらその花火を持っていっていいよ。どうせ売り物に
はならないし、もっとも使いものになるかどうか、わからんけどね」
 「え、あ、ありがとう」
 章子は飛び上がって喜んだ。

 それほどのものでもあるまいに・・・、ぼくは地図を片手にさっさと歩き出
した。
 「ねえ、この花火ってわたしたちみたいだよね。ほんとうに」
 章子はいとおしそうにくしゃくしゃの花火のパックを胸に抱いている。
 ああ、そうだ。つかの間の美しい花を咲かせて、あっさりと死に絶える。

 でも、とぼくは気づく。
 さっきまでは、ぼんやりと空気とに溶けてしまいそうな章子だった。それが、
坂道をくだる章子の後ろ姿が、夕闇にはっきりと弾んでいる。
 たったひとつかみの花火のせいで。
 つかの間の、花火の時間への期待で。

「夕飯前に、花火もいいか」
「うん、楽しみ」

 ぼくはあっけなく、ほっとしていた。
 ほんの少しだけ、幕引きを先送りできる口実ができたような気がして。
 でも、そうやってもう何回、日めくりをしてきたろう。
 ため息。

(了)

 




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