AWC 無責任随想・今様女大学   夢幻亭衒学


        
#1112/1336 短編
★タイトル (ZBF     )  98/ 9/27   3: 1  (186)
無責任随想・今様女大学   夢幻亭衒学
★内容
思う所あって、インターネットでレズビアンのページを検索、幾つか行ってみた。
案の定、そう「大したことはない」。いや、素晴らしい絵や文章が掲載されている
ページもあったが、「単なる常人の発想」である。常民ではない。常人である。常
民とは……長くなるから止めた。
私がレズビアンとかサッフォーの末裔とかブッチとかダイクとか、それ系の語彙を
初めて知ったのはずいぶんと以前だが、当時は其等の語彙を、少なからぬ性的興奮
をもって眺めていた。何せ、私はカナリの女好きであったから、女と名が付くモノ
は女体山にさえ興味を向けた。「変態」である。しかし、何時の頃からか、静的興
味でしか眺められなくなった。結局、男も女も、ヤル事ぁさほど変わりはない。何
だか「当たり前」に思えて、性的興味は喪った。だいたい、カーマ・スートラでも、
レズビアンは奨励されこそすれ、禁じられてはいない。理由は、「女性が、より女
性らしくなるから」だそうだ。

ならば、義務教育課程で、しっかり仕込まねばなるまい。公立の小・中学校は、す
べて全寮制女子校とし、ソレ系の女性で教職員を固める。男の子は如何するかって?
男の学問は自ら為すべきであって、教育は免除する。当たり前の話だ。……ふと思
ったのだが、よく全寮制男子校だかギムナジウムだかパブリック・スクールだかを
舞台に、禁断の愛が如何のとかいう創作があるやに聞くが、さて、もしもソレらを
男性の創作家が全寮制女子校に置き換えて書くと、「単なるスケベェ」と言われる
かもしれないが、女性が男性同性愛者の話を書くと耽美だか何だかと言われるらし
い。不思議な話だ。スケベェはスケベェなのに。何時から耽美は、(或る種の)男
性同性愛の隠語になったのであろうか。また、全寮制共学校で、男女の相姦を描け
ば……やっぱり、単なるスケベェだ。
私は待望する。耽美と呼び得る異性愛物語もしくは女性同性愛物語を。薔薇の花背
負って愛し合う男女もしくは女女。……いや、女女の場合は、薔薇ではなく、百合
かもしれぬ。……いや、そんな事言うんだったら、男男は菊花だろう。……やっぱ
り、薔薇で良いや。

上記の如く、「女性らしさ」を育むに、同性愛に如くはない(らしい)。ならば、
義務教育課程を全寮制女子校にするのは金や手間がかかるとしても、国語の教科書
に、ソレ系の物語を必ず載せてジックリ教え込むぐらいは、即日にも実行すべきで
あろう。ちゃんと、宿題もだす。今の世の中、「女性らしさ」をもつ女性が、余り
にも少なくなっていると嘆く声を、よく聞く。私ぁそぉとは思わんが、まぁ、問題
があるなら改善せねばならない。

「女性らしさ」は、時代によって変わるかもしれない。が、短い期間の時の流れな
んぞでは、簡単に変わらない。変わるなら、ソレを、「らしさ」とは言わん。単な
る「流行」か何かだろう。抑も「らしさ」とは、本性から滲み出るものであり、一
種の「理想」でもある。そして、例えば、神話は、「理想」を語っている。

日本神話に於ける重要な女性は、イザナミ、ヒルメノムチ、ウズメの三人だろう。
説明を要しない程に有名だが、此処でも少しく紹介しよう。

イザナミとイザナギ、二人は協力して国産みをする。性交である。このとき、二人
は言葉を交わす。まず、何も考えないで、イザナミの方が「へっへっへっ、ニィち
ゃん、良ぇ男やんけ。一発やろうや」と曰う。受動的にイザナギが「あぁ、何て素
敵な女性でしょう。えぇ、ヤリましょう」と答える。で、失敗する。そんで言葉を
発する順番を逆にする。今度は、うまくいく。
さて、此処で重要なことは、「何も考えないで」、まず最初に行った方法が、イザ
ナミのリードによる性交だった点だ。妙な智恵を付ける前、始源の、白紙の状態で、
<自然>に行えば、イザナミがリードしちゃうのである。「らしさ」とは、本性に
対立しない「理想」だ。<当たり前の理想>なのだ。即ち、「へっへっへっ、ニィ
ちゃん、良ぇ男やんけ。一発やろうや」と先に声を掛け、あろうことか、のし掛か
り、嫌がる男を無理矢理、と迄は紀記も書いてないが、とにかく如此き性交じゃな
かった性向こそ、「女性らしさ」なのである。おそれおおくもかしこくも、紀記に
載せてあるのだから、間違いはない。
このように目出度く結婚した二人だったが、神も死ぬ日が来る。イザナミは、死ん
だ。イザナギは後家さんになっちゃうのだが、イザナミに会いたくて逢いたくて堪
らなくなる。死んだ妻をウジウジ思い詰める事こそ、「男らしい」態度だと知れる。
黄泉の国にイザナギはイザナミに会いに行く。其処で、醜く変貌したイザナミを見
てしまう。見られたイザナミは怒り狂い、イザナギを殺そうとする。逃げるイザナ
ギ。何と「女性らしい」イザナミであろうか。イザナギは、ひたすら逃げる。とて
も「男らしい」。イザナミ配下の鬼女は、イザナギが投げ付けた果物を貪り食うに
忙しくて遂にイザナギを逃がしてしまう。食い物に釣られることも、如何やら「女
性らしさ」のようだ。イザナギは安全な場所に辿り着き、「日に千人の人間を殺し
てやる」と猛々しく呪うイザナミに対し、「へへん、日に千五百人生んじゃうもん
ね」と言い返す。今まで逃げていたクセに、安全な場所に来ると途端に元気になっ
て罵声を返す。嗚呼、何て「男らしい」のだろうか、イザナギは。因みに、イザナ
ギが鬼女に投げた果物は、<魔除け>の効力があるとされるが、はて、果物は、鬼
を追い払ったのではなく、鬼を惹き付けたんだが……、まぁ、如何でも良いことだ。

続いてヒルメノムチとウズメだ。ヒルメノムチ……ムチである。ムチムチの女神だ
っただろう。土偶ぐらいムチムチだったかもしれない。何せ、原始農耕時代の「理
想」たる女性だ。痩せ形ではなかっただろう。ポッチャリして可愛いに違いない。
フックリ頬っぺなんか、リンゴみたいに真っ赤だったりするんだ。うひょぉ。抱き
心地も良さそうだ。でも、下手に寝て火遊びすると、火傷を負いかねない。何せ彼
女、太陽神なのだから。紀記では、太陽神になっている。それ以前の事は知らぬ。
噂では、オミズのオネェさんだったとも言うが、止そうじゃないか、過去の詮索は。
彼女は、遅くとも紀記の時代には、最高神・太陽として幸せになってるんだから。
ソッとしておこう。いや、ヒルメノムチ、水の神を出自とするとの説もあるんだが、
此処では無視する。

……幸せ、か。彼女は、本当に幸せだったのだろうか?

ヒルメノムチ、別名、天照皇大神は、最高神だから周りの男にチヤホヤされていた。
「フックラして可愛いっす」とか何とか。ソレは当時の美意識からして正直な感想
だったのだけれども、天照皇大神は「なんか、ちょっと違う」と疑っていた。男ど
もが、自分が最高神だからこそオベッカを遣っていると考えたのだ。疑い深いのも
「女性らしさ」かもしれない。思えば、最高神って、不幸な立場だ。
天照皇大神は、気が付くと或る女神の姿を追っていた。天鈿女(アメノウズメ)だ。
引き締まった肢体に仇っぽい表情、でも笑うと子猫の如くイジマシイばかりにキュ
ート。いつも周りに男を侍らせ、一緒になってギャハギャハはしゃいでいる。そん
な野を駆ける鹿の如く奔放な天鈿女に、天照皇大神は、何時しか惹かれていたのだ。
いや、天照皇大神は、日本を創造したイザナギ・イザナミの長女(?)であり、天
国を統治するため厳格に教育された姫様なのだ。帝王たることは、「女性らしさ」
に抵触しないことが明らかとなる。また、彼女はシッカリ者として成長せざるを得
なかった。でも、そんな自分に、ちょっぴり不満を抱いてもいた。上昇志向も「女
性らしさ」のうちらしい。ただ、彼女は嘘が嫌いだから、それも「女性らしさ」だ
ろう。紀記神代や伝説的天皇の時代、女性は嘘を吐かない。兄の陰謀に加担したは
良いが、嘘を言えずに謀反を事前に告白した女性までいる。翻って男といえば、嘘
吐きだらけだ。嘘とは「男らしさ」に属するらしい。余談である。
天鈿女のステージがあると聞けば、天照皇大神、ストリップ劇場へとお忍びで通っ
た。シッカリ者の筈なんだけど、興奮してテープは投げるは、おヒネリは投げるは、
熱狂して天鈿女の肉体へ手を伸ばし、用心棒の手力雄(タヂカラオ)に、「踊り子
さんに、触らないでください」と窘められたこともあった。興奮すると何をしでか
すか分からないのは、母・イザナミから受け継いでいる「女性らしさ」だ。
帰りには、オッカケ仲間の機織女(全員フックラ型)と喫茶店に寄って、「格好良
かったよねぇ」と溜息混じりにパフェをパクつくのであった(だから太るんじゃな
いか?)。とても、「女性らしい」。
天照皇大神は、同性のオッカケをしていたのだ。同性愛傾向である。やはり、レズ
ビアンは「女性らしさ」と不可分なのだ。そして、この「女性らしさ」は、世の中
うまく出来ている、「男らしさ」と密接な関係にある。それは、男らしい筈の、彼
女の弟たちを見れば了解される。弟は生まれて三年間足腰が立たず、可哀相なこと
に海に流され捨てられてしまった。「男らしさ」とは、役に立たぬことだ。その次
の弟はスサノオだから、言わずもがな。マッチョな髭親父になっても、ワンワン泣
きじゃくっていた泣き虫毛虫、これを「男らしさ」と表現するのだ。彼女は男兄弟
を頼りに出来なかった。男になんて頼らないのが、「女性らしさ」なのである。弟
たちだけではない。彼女の周りの男どもときたら、いつも玉を磨いている天児屋命、
まるで夏目漱石の坊ちゃんに登場する「うらなり君」みたいに陰性だったり、其の
磨いた石を使ってブツブツ呪文を唱えている天太玉命の如く何考えてるか分からな
い奴だとか、まったくデリカシーのない手力雄だったりしたのだ。皆、「男らしさ」
の代表だ。こんな「男らしい」奴らに囲まれていたら、女性に興味が向かない方こ
そ不自然、それこそ「変態」だろう。
天照皇大神は、天鈿女に恋していた。だからこそ、不肖の弟・スサノオの悪行に業
を煮やし、拗ねて岩戸に籠もったときにも、外で天鈿女がストリップを演じたら、
我慢できずに覗き見て、結局、引きずり出されてしまったなどという、可愛くも間
抜けなエピソードが残っている。気の強い天照皇大神が拗ねてたんだから、その後、
機嫌を直すにも<秘術>が必要だったろう。簡単なことじゃない。紀記には書かれ
ていないが多分、<慰め役>は天鈿女に決まっている。但し、如何に「慰め」たか
は、筆者の関知する所ではない。が、論理として考え得るのは、拗ねて無理にソッ
ポを向く天照皇大神をソノ気にさせるため、まずは天鈿女がリード、そのまま役割
を固定したか、機嫌を直し即ち外界へ働きかける積極性を取り戻した天照皇大神が
上に乗った……か、其処までは判らない。何連にせよ、天鈿女なら、巧く対応した
だろう。
天鈿女、このバイ・セクシャル、男女ともに魅了するストリップ・ティーズは、し
かし、ちょっとした変態性も有っている。「女性らしさ」とは、変態をも含意する
のだ。彼女は、性的に強力な存在であるだけでなく、いや、もしかしたら其れ故に、
対面した相手を引き込む力を持っていた。女王様タイプだったのだ。「女王様」が
「男らしい」とは誰も思うまう。女性だから、「女王様」なのだ。故に、「女王様」
は、「女性らしい」。天鈿女、実はアテネの如き軍神の雰囲気もある。軍神は、古
代ギリシアでも日本でも、女性の機能のうちである。まぁ、戦争なんて女でも男で
も出来るから、男がやっても良いんだけど。因みに、神武天皇の軍団には「女兵
(オンナイクサ)」も組織されていた。軍事は、「女性らしさ」と対立しない。ま
ぁ、ストリップ・ティーズだから体の線はシッカリしてて綺麗だから、天鈿女、武
装も似合ったことだろう。
ところで猿田彦という男神が地上にはいた。巨大でグロテスクな姿であったが、そ
の実、ちょっぴり臆病な、お人好しだった。「男らしい」奴だったのだ。猿田彦は、
いつものように暢気な顔をして散歩をしていた。ちょうど、其処に天鈿女が降りて
きた。天鈿女は、けっこう面食いだったので、グロテスクな猿田彦を悪役だと決め
つけた。他の神々は、猿田彦を恐れて後ろの方に縮こまっていた。
「ほえぇ、今日も良い天気だなぁ。そうそう、布団、干さなきゃ」と猿田彦が家に
戻ろうとすると、コツコツコツコツ。振り返ると、15センチのハイヒールを音高
く鳴らし、一人の女が近づいてきた。コートの襟を掻き合わせ、やや上目遣いに凄
みを帯びた笑みを浮かべていた。「わぁ、綺麗な人だなぁ」と見とれる猿田彦の眼
前で、女は立ち止まった。「アンタ、名前は?」居丈高に女が訊いた。「へ、ボク?
ボク、猿田彦っていいます」「そう、アタシは天鈿女」「は? はぁ」「ふふふっ」
「え?」「ふははははははっ」「え、なになに?」「へっへっへっへっへっ」「う
わあぁ」猿田彦は驚き後ずさった。女がイキナリ、コートの前をはだけたのだ。肌
も露わなボンデージ・ファッション、いや、其れは良い、露わ過ぎる、パンティー
も穿かずに、陰部を剥き出しにしているのだ! 「ひっ、ひいいいいっっ」痴女の
突然なる出現に恐れ戦く猿田彦、「ぐへへへへっ、そぉら、おマ●コだぞぉ、ほぉ
れ、ほぉれ」甲高く哄笑し、コートをバタつかせ、猿田彦の周囲を跳び回り、踊り
狂う天鈿女。「あぅあぅ、ご、ごめんなさいいいっ、ごめんなさああぃぃぃ」巨体
を縮めガチガチと震える猿田彦は、ワケも分からず謝り啜り泣いた。ひれ伏した猿
田彦の後頭部をピン・ヒールでグリグリと踏みにじる天鈿女、「お前はアタシの下
僕だよ」、「は、はい、私は下僕でございますぅ」「女王様と、お・呼・び」「じ
ょ、女王様ぁ」。かくして猿田彦は天鈿女に服従し、天孫が地上を支配する道筋が
つくのであった。男が男らしく、女が女らしかった神話時代の一齣である。

長々と書いて申し訳ないが、天照皇大神と天鈿女は大略、上記の如き女神である。
ちょっとだけ(?)膨らませはしたが、現代人たる私のイメージに合わせただけの
ことであって、根幹は変えていない。即ち、天鈿女は妙に天照皇大神と親和性が高
く、かつ女陰を晒す事によって多分は強大な神としてイメージされた猿田彦を服従
させてしまう。また、岩戸に隠れた天照皇大神を誘い出すために、スッポンポン、
陰部を晒して踊った。ぐらいの要約なら、穏当か。

此処に於いて、世に通用している所謂「女性らしさ」「男らしさ」の大部分は、我
々日本人の本来の姿とは、まったく懸け離れたモノであると言わねばならない。何
処で間違ったのであろうか。このままでは、<日本民族>が、光輝ある国体が、消
滅してしまう。別に構わんが……。
……あ、いや、イカン、断じてイカン。日本撫子の「女性らしさ」を取り戻すため
に、やはり、根本的な教育改革が断然必要だ。そのためには、まず手始めに、上記
の如く、レズビアン小説を義務教育の国語教科書に掲載すること、また、其のため
には教科書に掲載すべき傑作を生み出すことが急務になっているのではなかろうか!
って、んなワケぁねぇだろ。
(お粗末様)




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