#1106/1336 短編
★タイトル (KSM ) 98/ 9/17 1:23 (169)
お題>『浪漫飛行2』 …… PAPAZ
★内容
『浪漫飛行2』
サンダストリアの東部に宇宙開発事業団の敷地がある。東西12キロ、南北に7キロ、
やや台形の面積の大半は平地で、有人宇宙往還機の滑走路が中央部で交叉している。
中央より、1キロほど北西よりにツインタワーと呼ばれる管制塔がある。タワー1
の最上階は一般の観覧も可能な展望室になっている。広大な敷地を見渡すことのでき
るこの場所は、観光客にも人気が高い。
はるか北にはナンデスの山々がその霊峰をそびえさせているし、白い頂から流れ落
ちる滴は、カマーザス湾へと至る白き川の源流として存在を誇示している。太平洋に
注いだ水は、蒸発し、高みへと昇り、雲となり、頂に雪の結晶となって舞い落ちる。
この場所から、すべてを観察することができる。
今、赤みがかった空に、うっすらと青みを帯びた月が昇りはじめた。
大気汚染によって、肉眼で見ることの叶わなかった月、それがいまや地球浄化計画
によって、はっきりと視認できるのだ。
何度見ても飽きることがない。月はいつ見ても沈黙の光を放っている。
――静かだというならば、この場所も当てはまる。
200平方メートルのフロアーに、私しか存在していない。2ヶ月前、ベクター型
スターシップが飛び立った時は、観客が詰めかけたものだが……。
巨大スクリーンに映し出された人工の尖柱――ベクター型スターシップ一号艦は大
気圏外に設けられた宇宙ステーションから発射した。リビングで見ても、ここで見て
も同じようなものだが、感動を共有しよと沢山の人が詰めかけてくれた。
シグナル音が鳴り、私は背後を振り返った。フロアーの中央に円筒形の柱がある。
機械的に駆動するエレベーターだ。赤いランプが点灯し、誰かが降りてくることを示
している。扉が開く。私が視線を投げかけると、AQのスリットのような瞼がこちら
を向いた。2本の脚、2本の腕、5本の指……スタイルは地球人と変わらない。それ
でも無髪で銀色の皮膚、溝のような目と口だけの顔というのが、地球人と大いに異な
っている。彼が脚を踏み出すと、背後で扉が閉じた。
『こんばんわ。また、あいましたね』
AQから機械翻訳された声が響く。
私は記憶の糸をたどり、酒場であったAQだと推測した。
「笑えるでしょう?」
自虐的につぶやいた。
『……何を笑えばいいのでしょうか?』
聞き逃すかと思ったが、そうではなかった。
「科学力の圧倒的な差ですよ。これが笑える……。
地球が誇るスターシップは、海王星を過ぎたあたりでコンピューターがハングアッ
プ。0.15秒の停止のあと、一度連絡をよこし、あとは音信不通。すでに乗員は冷凍睡
眠に入っているのに……私たちは、彼らを捜し出すこともできやしない! 追いすが
るべき宇宙船は、未だ地にあるのだから」
『残念ながら、その通りです』
「500年後、彼らが目覚めた時に、ベガに到着するのか? それすらも分からない
……」
『地球人の中に、私たちのスターシップで救出すべきだ、という意見があることも知
ってます』
「だが、あなたがたはそれを拒絶した。なぜだ!」
そう、彼らは一顧だにしなかったのだ。
『自分で蒔いた種を、他人が刈ることはないのです』
AQが首をすぼめた。
「助ける力があるというのに、手をさしのべてはもらえないのか!」
怒りとともに、私は宇宙空間に浮かぶ、AQの船を思い出した。正確な計測は船体
が不定形のために不可能だが、およそ500キロの球状と推定されている。どのよう
な駆動エンジンを搭載しているのか、そのメカニズムも皆目わかっていない。
『助ける力はあたたがたの内にあります』
能面のようなAQから表情を読みとることは不可能だろう。
私は、窓ガラス越しに、制作途中のスターシップ2号艦を眺めた。完成まで、あと
1年はかかるだろう。それでも早いくらいだ。だが彼らを見つけるには遅すぎる。
私はAQがメタモールフォーゼを遂げ始めたことに気がついた。女性の形へと変化
していく。無髪な頭部から、若草の毛髪が萌えてくる。憂いを含んだ口元が誰のもの
であるか、すぐに分かった。
「やめてくれ! 妻に変わるのだけはやめてくれ……」
『それを望んでいるのに?』
「私は、……望んでなどいない……」
『そうですか。わかりました』
再び沈黙が世界を支配した。
それを破ったのは私。
「月は、あなたがたのものだ。あなたがたのテクノロジーで、月を居住可能な惑星に
改造している。あの青みを帯びた月……あれはあなたがたのものだ。だが、私の妻は、
私のものだ」
苛立ちと、戸惑いが私を襲っていた。何故なのか? 分からないことがさらに苛立
たしかった。
『それは違います』
「?」
薄青い月を見つめながら、私は口をつぐんだ。
『アステロイドベルトから氷を集め、呼吸可能でかつ低重力の居住惑星を作っている
のは、病弱な、もしくは老齢な地球の方々が楽に暮らせる空間を提供するためです』
AQから表情は読みとれない。
「私たちのため、というのか? 笑わせる。そんな馬鹿げた話を信じろというの
か?」
『私たちがなぜ、この地球に来たのか、動機が分かりますか?』
私は首を振った。
『あなたは、ただ友達に会いたいからと、その家を訪れたことはありませんか?』
隣人に会いたいから、何万光年という距離もいとわず会いに来た、といいたいの
か?
『その通りです。相互理解が成り立って、私は嬉しい』
「――それならば、なぜスターシップの乗員を見殺しにする?」
『地球人は、友達が自分で自分を助けることができるとき、わざわざその邪魔をする
のですか?』
「地球浄化計画は、地球人の手ではクリアーできないから手を貸した。スターシップ
の乗員を助けにいかないのは、地球人がその手で助けにいくことができるから、だか
ら手を貸さないということなのか?」
AQが頷いた。
真実なのだろうか?
嘘をついて如何なる得がある。彼らが地球を支配しようと思うなら、それは可能な
のだ。だが素直に受け取るには抵抗がある。
私は、この件については保留し、根本的な疑問を発した。
「あなたがたは何者なのだ?」
『私から、質問してもいいでしょうか? ――あなたは何者ですか?』
私は、しばらく考え込み、それから小さく笑ってしまった。
答えようがないではないか。
「地球人の中には、オーバーテクノロジーを、そのまま渡してもらいたい、という意
見もある」
『幼稚園から大学にいけといっても、それは無理でしょうね。あなたはどう判断され
ますか?』
「思惟はいらない。私でも、無理だと思う」
例えが面白くて、笑いが漏れてしまった。AQも肩を震わせて笑った。
すでに日は沈みかけていた。月はいっそう高く浮かび上がっている。
地球の唯一の衛星――月は地球から50万キロ離れている。月の重力が増大する度
に、軌道を離れていく。論理的に帰結するならば、その理由は地球の朝夕が狂ってし
まうからに他ならない。月の重力を増加させるのは大気を維持するため。もしAQが
真実を告げているなら、私の思考に誤りはない。
「君の名は?」
私は彼の個人的な名前が知りたかった。彼らの誰もがAQ、ソレ、アナタ、どのよ
うに呼ばれても怒ることはない。だが、私は、また彼と会って話をしてみたいと、心
のどこかで願っていた。
『個体名は不在。もし名前が存在するとしたら、私は『メイ』と呼ばれたい』
私にはAQが微笑んだように見えた。
*
「それが、君と初めて話をしたきっかけだった」
と、老人がいった。
目の前、それでもはるか遠くには、釈迦が地獄に垂らした一本の糸――軌道エレ
ベーターが華奢な姿態を見せている。
月と地球をつなぐ人工のエレベーターも、すでに役目を終え、今では生きた博物館
として、その価値の大半を占めている。
月面はすべて居住空間となり、青い大気に包まれた快適な場と変化した。
「あの時はまだ40過ぎだった。まさか老後を地球化した月で暮らすとは想像もして
いなかった」
老人は、大きく息を吐き出した。
「50を過ぎてメイに求婚するとは、それこそ想像していなかった」
月の重力は地球の半分弱だ。そのぶん心臓に負担がかからない。
「そうですか?」
メイが小首を傾げた。
ブロンドの髪が風にたまたゆ。血色の良い肌が、淡く桃色に染まっている。
老人は自分の顔に手を当て、皺の波をさすった。
「いや、違うかもしれない。そうなる予感があったのかもしれない。それとも、なか
ったのだろうか?」
バルコニーに置かれたロングベンチに老人とメイは腰掛けている。小鳥が一羽、老
人の肩に止まった。老人が震える指を差し出すと、羽ばたき、はるかな高みへとのぼ
っていった。
「高く、高く、どこまでも遠くにいくがよい……」
老人がつぶやいた。
「出発の時間ですわ」
メイが腕時計に目を落とし、それから老人の肩に手を置いた。
老人の背が崩れ、その上半身をメイにもたれかけさせた。
「君は分子間構造を変換させ女性に変容しても年はとらない。昔のまま、美しい。だ
が、私は年をとった」
「素敵に歳を重ねられましたわ」唇を細め目を閉じて、メイが答えた。
「昔、妻がベッドで何を告げようとしたのか、死の淵で何をいいたかったのか? 今
なら、私にも分かる気がする……」
「子供達が、飛んでいく。見えますか? あなた」
「ああ、よく見える。よく見えるとも。彼らなら海岸から一つの砂粒だって見つける
ことができる。インペシリウム級スターシップは私たちの子供が乗っているんだ」
老人は目を伏せたまま、答えた。この場所からは水滴型のスターシップは見ること
ができない。視認できるのは、次元振動が描き出す大気の色彩の変化――7色に輝く
天上のオーロラ現象だけだ。
「本当に子供ができたならよかったのに」
「メイ、星を駆ける者達は、すべて私たちの子供だよ」
老人が枯れ枝の指先で、メイの頬をさすった。
「ええ」メイが小声で頷く。
「これだけは、言わなくては」
「なにかしら」
「君と出会えてよかった。ありがとう……」
そのまま老人は沈黙した。
寡黙な風だけが二人にまとわりつき、何事もなかったように通り過ぎていった。
-- 了 --