#1036/1336 短編
★タイトル (SGH ) 98/ 4/28 3:41 (109)
通勤電車創作日記 その1 沖田
★内容
【誘拐】
男は車を電話ボックスの前に停めると、エンジンをかけたまま電話ボックスに
入った。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け……)
男はゆっくりテレホンカードを差し込むと、震える指でプッシュホンのボタン
を押し始めた。頭の中で手順を確認しながら相手が出るのを待った。
(用件だけ伝える。10秒もあれば充分だ……そしてすぐにこの場から……)
Pururururu…… Pururururu…… Pururururu……
(くそっ早く出ろ!)
『はい、○○です』
「お宅の娘を誘拐した。身代金として五千万用意しろ。警察には知らせるな」
『うちには娘なんていません!』
ぷつっ。
「2時間後にまた……なに!?」
『ぷ〜っぷ〜っぷ〜っ』
男は数秒固まっていたが、受話器をフックに戻した。
(○○? ちっ間違えたか……)
(落ち着け、娘をかっさらってから1時間も経ってない。まだ警察にも通報し
ていないはずだ……)
男は大きく深呼吸すると、テレホンカードを入れ直し、左手のメモを凝視しな
がらボタンを一つ一つ押し始めた。
『はい、☆☆です……』
「お宅の娘を……」
『……ただ今留守にしてます。御用の方は発信音の後にメッセージをどうぞ。
お急ぎの方は050−***−****へお電話ください。ぴぃ〜〜〜』
男は電話のフックを押し下げた。
(あのうちには専業主婦の母親とばばぁが居るはずだが……留守電じゃ声が残っ
ちまう。証拠を残す訳にはいかねぇ。)
(くそっ!)
男は数瞬考えたが、また同じ番号をプッシュした。
『……へお電話ください。ぴぃ〜』
(この番号は携帯、いやPHSか。医者のくせしてケチるんじゃねぇ。携帯く
らい持て、馬鹿野郎……)
男は言葉に出さずに毒突きながら乱暴にボタンを叩いた。
Pururururu…… Pururururu…… Pururururu……
『おかけになった電話は電波の届かない……』
男はフックを殴り付けた。
(仕方ねぇ。親父の病院に直接かけるか。だが、直接本人が出る可能性は低い。
多分受付けから呼び出しになる……まぁ、大丈夫だろう。まだ1時間も経って
ないんだし……)
男はくしゃくしゃになったメモをにらみ付けながら、予め調べておいた父親が
経営する個人病院の番号に電話をかけ始めた。
Puru…
「お……」
『ぴぃ〜ががががが……』
男は受話器をフックに叩き付けた。
(FAXだと!)
(待てよ。電話帳で調べた時にもう一つ電話番号が載ってたな。あっちか!)
男は足元の電話帳を取ると、めくり始めた。
(あった。これだ!)
男は電話帳を片手に、勢い良くボタンを押し込んだ。
Pururururu…… Pururururu…… Pururururu……
『はい、☆☆整形外科です。』
「△△と申しますが、院長先生をお願いします」
男は適当な名前をでっち上げながら言った。
『申し訳ございません。院長は急用で席を外しております』
「……何時頃お戻りでしょうか?」
『今日は戻らないとの事です。よろしければ御用件を承りますが?』
「いえ、結構です」
男は受話器をフックに戻すと、ため息をついた。
(待てよ、急用ってことは……自宅に戻ってるんじゃ……)
(10秒で用件だけ伝える!すぐにこの場から離れる!よっしゃ!)
男は、受話器を取るとテレホンカードが吸い込まれると同時にメモの番号を勢
い良く打ち込んだ。
『はっはいっ。☆☆ですが……』
「お宅の娘を誘拐した。身代金として五千万用意しろ。警察には知らせるな」
『待って下さい!娘は、幸恵は無事なんでしょうね!?』
「2時間後にまた連絡する」
(身代金の受け渡しが一番危険だが、なぁに、俺が考えたあの方法なら完璧だ。
これで借金を叩き返して、海外へ……)
電話ボックスから出ようとした男の動きが凍り付いた。
いつの間にか、目つきの鋭い男が二人、遮るように立っていた。
「ちょっとお話を聞かせてもらえませんか」
男の手にした手帳には、菊の紋章が輝いていた。
「逆探知ってのは今じゃ一瞬で済むんだよ。あとはいかに犯人をその場に留ま
らせるか、でね」
「きったねぇ……」
男はつぶやきは、誰の耳にも届かなかった。
夜のニュースでは、この誘拐事件についてほんの数十秒だけふれた。
『今日午後1時頃、東京都新宿区**で誘拐事件がありましたが、事件発生か
らおよそ70分という短時間で犯人が現行犯逮捕され、被害者の☆☆幸恵ちゃ
ん10歳は無事保護されました。』
『被害者のお子さんが無事だったのは、なによりでした。日本の誘拐事件の検
挙率は世界一だそうです。日本の警察は優秀ですからね……』
−終り−