#972/1336 短編
★タイトル (AZA ) 97/12/31 18:55 (152)
鬼が笑う話 永山
★内容
一九九八年二月十三日。
有原はチョコレート専門店の前で、その少女を見つけた。金持ちの家の一人
娘だけあって、着ている服や靴は言うに及ばず、赤いランドセルまで上品に見
える。
店の前は小学生女子の人だかりができていた。バレンタインセールとやらで、
子供でも買える手頃な物も売っているようだ。
変装用の眼鏡をわずかに押し上げ、有原は待った。
ターゲット−−伊藤早苗が一人になるのを。
完璧な計画だと有原は自負していた。
(研究のため、実際の事件、小説を問わずにありとあらゆる誘拐についての文
献を読み漁ったが、俺の思い付いた計画ほど完璧な物はなかった)
有原の誘拐計画は、ほとんど危険性がないと言えた。伊藤早苗をさらうのに
さえ無事成功すれば、あとは左団扇でことが進行する。子供も余計な真似をし
ないで大人しくしてくれれば、無事に帰らせるだろう。
身代金目的の誘拐において犯人が最も危険なのは、金を受け取るときだと言
われる。が、有原はこの点も絶対確実な方法を考案し、クリアしていた。
ついでに付け足しておくと、彼の計画では絶対に電話を逆探知されないよう、
家族とのやり取りを一分以内に終わらせる脚本まで作ってあった。今日まで猛
練習を重ね、今や有原は一言一句間違えることなく空で言える。練習しすぎて、
普段人前で口走ってしまわないよう注意するのに努力を要したほどである。
車のハンドルを握る有原は、ほくそ笑むのを我慢できなかった。まるで顔面
の筋肉が意識のコントロール下にない感じだ。
それも無理ないだろう。
彼の計画で最難関であった子供の誘拐に、いともたやすく成功したのである
から。
周囲に誰もいなかったのはもちろん、伊藤早苗には騒がれるどころか疑われ
もしなかった。現在、早苗は後部座席ですやすや眠っている。
このまま安全運転をして、自宅に戻るのだ。
有原の自宅は大きいとは言えないが一戸建てである。しかも四ヶ月前に離婚
して以来の独り暮らし。窓ガラスを全て不透明度の高い磨りガラスにし、ほん
の少し防音設備を強化してやると、誘拐の被害者を監禁しておくのにはもって
こいの根城となった。
有原は車庫に車を入れ、シャッターを下ろすと、眠ったままの早苗を毛布に
くるみ、抱き上げた。
「念には念を入れないとな」
思わずつぶやく。
車庫の後方にある扉を抜け出て、素早く家に駆け込んだ。ドアをぴしゃりと
閉め、施錠すると安堵の息をついた。
もう安心だ。これで子供の姿を近所の人間に目撃される危険性もなくなった。
「−−ん?」
有原は額に手を当て、自分が汗をかいている事実に気付かされた。
(これだけ立派な計画を立てたというのに、俺は汗をかいているのか。何をび
びっているんだ? しっかりしろ! ……いや、この汗は緊張の結果ではない。
この子を家に運んだとき、息が上がってしまったんだ。ふふふ、俺も歳だな)
自分を納得させると、深呼吸をし、大げさな動作から腕時計を見た。
「よし、タイムテーブル通りだ」
自信を完全に取り戻した有原は、早苗を肩に担ぐと、あらかじめ用意してお
いた奥の部屋に向かった。
有原は、犯罪は単独でやるべしという信条の持ち主である。共犯がいればや
りやすい点も出て来るだろうが、反面、裏切りや仲間割れ、あるいは警察に捕
まった共犯者が口を割ってしまう恐れが出て来る。
そんなリスクを負うぐらいなら、最初から一人でやるのがいい。単独犯なら
自分の意志一つで自分の運命を決められる。分け前も考えずにすむ。
有原はだから誘拐実行中の現在、家を空けられない訳である。早苗一人をお
いて外出するのはとてつもない危険のように思えてならないのだ。
そういう理由もあって、彼は身代金要求の電話を逆探知されないよう万全の
シナリオを構築した。計画通りに進められるなら、自宅から座して電話をかけ
ても何ら問題ない。
有原はコップ一杯の水を飲み干し、喉の渇きを消し去った。わずかでも舌が
うまく回らないと焦ってしまい、失敗する恐れがある。もちろん、今からかけ
るのは第一回目の電話だから、警察が逆探知の装置を備えているはずもないの
だが、有原にとっても一度目は、これから何回か繰り返されるに違いない緊迫
したやり取りのリハーサルの意味合いがある。ここでとちるようでは、勝利は
おぼつかない。
彼は大きく息を吸い込み、そして吐き出すと、電話機を引き寄せた。
「−−よしっ」
頬を自ら両手で叩き、気合いを入れる。
「普段の実力を発揮できれば、失敗しない。俺は成功するんだ!」
自己暗示のあと、送受器を取り上げるとボタンを押し始めた。番号はあらか
じめ調べてある。
呼び出し音が起こるが、もはや平常心を乱さない有原。
程なくして相手側−−伊藤家の電話の送受器が持ち上がる音がした。
「もしもし、伊藤でございます」
「伊藤さん、お宅の娘の早苗ちゃんを誘拐しました。身代金を要求します−−」
有原は淀みなく始めた。
一度目の電話を終え、有原は満足していた。
(問題なしだ。練習の成果が出ている。この調子なら成功確実だな)
にんまりしながら、時計のアラームをセットする。次に電話を入れると約束
した時刻まで二時間ほど。
(旦那が会社から急いで帰って来るまで、それぐらいの余裕がいるだろう。金
を握ってるのは旦那だからな。この待ちは仕方がない)
警察に通報するしないについては触れなかった。たとえ「警察に報せるな」
と言ったとしても、守るかどうか分からないのが現実だ。いちいち伊藤家まで
出向き、不審な男達が出入りしないか否かを見届けるのも煩雑だし、この家を
空けることになってしまう。それなら最初から考慮しない方がよほど気楽だ。
(さて。貴重な時間を利用して、少しでも眠っておこう。これからは戦争のよ
うなもんだからな。時計は正常に動いているし、乾電池も新品に取り換えたば
かりだ。寝過ごしやしないさ)
元々の計画にもあった通り、有原は床に就いた。
興奮していたものの、やがて眠りに落ち、大金を手にする夢を彼は見た。
次に有原が目覚めたのは、アラームの音によってではなかった。
乱暴なノックの音に飛び起きた彼は、計画に狂いの生じることがないよう念
じながら応対に出る。
「どなた? 忙しいんですがね」
「宅配便です」
穏やかな声が、ドア越しに届いた。
念のために覗き窓から見ると、宅配業者の制服らしき衣装の男二人が、何や
ら小包を手に立っている。
「ちょっと待ってください」
印鑑を持ってくると、有原は鍵を開けた。早く終わらせて、誘拐計画の進行
に専心したかった。
扉を押し開けると、二人の男は笑みを浮かべてすぐ中に入ってきた。
「有原さん、ですか?」
「ええ、そうです」
早く判子を押したいのだが、何故か相手は書類を出してくれない。有原は苛
立ちをどうにか押さえつけていた。
「靴が一つですね。お一人でお暮らしですか?」
玄関を見渡しながら、二人の内の背の低い方が言った。
「ええ、そうですよっ。関係ないでしょう。早く荷物をください」
とうとう声に怒気を含ませた有原は、これではいかんと気を引き締め直す。
(まずい。計画完遂後、まかり間違って俺に容疑がかかったとき、こいつらが
証言すれば心証を悪くしてしまう)
笑顔を取り繕った。
「待ち遠しい荷物があるんですよ。それかもしれない」
「ああ、そうでしたか。では、こちらに認め印を」
縦長の紙片をやっと取り出した相手に、有原は手を伸ばした。
「え?」
次の瞬間、有原は床に組み伏せられていた。
利き腕をねじり上げられ、身動き取れないばかりか、痛みで悲鳴が勝手に出
てしまう。
「おい! あんたら、何をする?」
「やかましい! 伊藤早苗はどこだ? 言えっ!」
有原の怒声以上の音量で、男は恫喝してきた。
ほんの数秒、混乱を来した有原だったが、とにもかくにも警察が踏み込んで
きたのだけは理解した。
「いました! 被害者発見! 無事です!」
奥に飛び込んだもう一人の男が伊藤早苗を抱きかかえ、走り出てくる。
有原の頭上では、身代金目的誘拐の現行犯で逮捕するとかどうとか、男がえ
らく意気込みの溢れた口調で喋っている。
しかし当の有原は、ほとんど聞いていなかった。
彼の頭の中を渦巻くのは、たった一つの疑問である。
(何故ばれたんだ?)
有原は新聞もテレビも好きな方ではない。
ダイレクトメール及びそれに類似した郵便物の類に至っては、大嫌いである。
開封もせずに捨ててしまうことも、たまにある。
だから知らなかった。
この年の二月一日から発信電話番号表示サービス(ナンバー・ディスプレイ)
が始まっていることを。相手側の番号をダイヤルする前に一八四を付せば表示
されなくなるのだが、それさえも当然知らない。
さらにもう一つ。
NTTへ事前に意志表示しておかないと、番号表示を了解したものと見なさ
れる場合があることも全く知らなかった。
これにより有原の自宅の電話番号は、伊藤家の電話(無論、電話番号表示機
能付きの機種だ)にしっかり表示されていた次第である。
−−終わり