AWC お題>『ノックの音がした/落ちない物語(禁断加筆)』……武闘


        
#865/1336 短編
★タイトル (FWG     )  97/ 8/15   3:45  (173)
お題>『ノックの音がした/落ちない物語(禁断加筆)』……武闘
★内容
 ノックの音がした。
 で、書き始めなければならないのか……。
 「お題」を自分で選んだわりには、書く段になって悩んでいる。武闘は、そんな男
だった。
 パソコンのディスプレーには新規作成のテキストファイルが開いている。書き出さ
れた文字はわずかな分量しかない。
 書き出しの言葉――「ノックの音がした」の一くだりしか書かれていない。
 ひとつ溜め息をつき、ファイルを閉じた。
 武闘はプルタブを空けた缶ジュースに手を伸ばし、枯れかけた喉に流し込んだ。
 時間は午前1時を回ったばかり。パソコンラックの横で、防音処理の不完全なモー
ターが唸っている。
 熱帯魚も寝付かれないだろう、そう思って横を向くとディスカスが丸い身体を水平
にして漂っていた。
「ちぇっ」と、舌打ちする。
 一三階建てのマンションに暮らしている武闘は、二階の左端が住居となっている。
書斎から、丘を見上げることができるが、この時間帯であれば、闇に包まれた多数の
葉のざわめきしか見ることが叶わない。
「仕方ないな……」
 武闘は描きかけのCGを完成させるため、ファイルを開いた。
「素晴らしい!」
 誉めてくれる人がいないので、とりあえず自分で誉めてみる。
 完成したばかりの「闇の左手」、主人公ともいえる如月紗具女を描いたものだ。
 ――ノックの音がした。
 続いてチャイムが鳴る。稀人の来訪に不安がよぎる。
「ぼくです。悠歩ですう」
 ドアチェーンを掛けたまま、ドアロックを解除して、ドアを開けてみる。
「はーい、遊びに来ました。武闘さん、いつでも遊びにおいでって、メールくれたで
しょう?」
 悠歩が、満面の笑みを浮かべた。
「ああ、昔ね。じゃあ、そういうわけで」と、いって武闘はドアを閉めた。
 ノックの音がする。音がどんどん高くなる。
「こらー! あけんかい、わりゃあ!!」
「……」
 無視することにして、マウスを手に取る。CGの完成が待ち遠しい。
「うーむ、なんていうか、紗具女の表情がいいんだよね。不安げで、それでいて断固
たる決意を秘めた揺れる瞳……俺って、なにやらせても巧いなあ」
「あにいってんだ! 開けろったら、開けろ! ネタは割れてるんだぞ」
「それに肌の質感なんか、人間みたいだよね。描いたの誰だろう? プロじゃないか
な……あっ、俺か」
「いい加減にしろ、開けないなら、ぼくにも考えがある!」
「細い指先から漂う妖しげな雰囲気といい、行くとこまで行っちゃった、といえる画
風だねえ。言ってる本人も意味が分かんないけど」
 ドアを叩きつける音が止んだ。
 悠歩さん、帰ったのか、と「ほっ」としたのも一刹那だった。急に静かになると、
人間はかえって気になるものだ。武闘はドアに近づいていった。
 ドン! という音でフロアーが震えた。
 ドアが弾け飛び、武闘は身体を右に捌いてかわした。身体の横をドアが通り過ぎた。
ドアは派手な音をたて本棚に衝突する。本が崩れていく。
「見たか、これが鉄山靠(てつざんこう)だ!」
 埃の舞った影から悠歩の背中が見えた。
「それは八極拳の技じゃ……」
「ふふふっ、我が武技の神髄を喰らえ!」
 悠歩の目に妖しい輝きが点り、武闘は顔面を覆い隠すように両腕を交差した。
 悠歩の掌が武闘の腕に接触した、その瞬間、悠歩の身体が振動した。波紋が武闘の
腕を通して、内臓へと突き進んでいく。
(透し、ではないか!)
 武闘は後ろに飛んだ。内臓を傷つける波紋が体液を駆けめぐる前に、逃げるつもり
だった。だが、跳躍した武闘は、後ろが壁だということを忘れていたのだ。
 後頭部に強い衝撃を受け、武闘の意識は小さくなっていった。

 武闘の意識が回復したとき、悠歩は椅子に座りパソコンのキーボードを操っていた。
「あった、あったぞー。この極秘ファイルという名前が怪しいと思ったが、本当に怪
しかったな。ふっ、武闘もまだまだ甘い……」
 なにが「ふっ」だ。あっかんべー、と武闘は心の中で叫んでいた。今は気絶してい
る振りを続けたほうが得だと判断している。
「これだよ、これ。『悠歩の純愛日記』ゆうほのじゅんあいにっきだあああ。なめと
んのか、われえ!」
 どちらかといえば、舐めるのは女性が好みの武闘だった。
「おー、しかもタイトルの次は『完』というのは、どういう意味じゃい。しばいたろ
うか。まさか一生女性と縁が無い、なんちゅうギャグじゃねえだろうな」
 やばい、なぜ書き始めたことがばれたんだろう? 武闘は不思議だった。
 話しは永山さんとつきかげさんと、オークフリーさんと、ルーさんと、亜有さんと、
以下略にしかメールで流していないのに、なぜ悠歩さんに分かったのだろうか? 武
闘は不思議だった。
 とにかく、頃合いだと武闘は思った。目覚めるタイミングが遅ければ命がない、そ
れが決断の根拠になっている。それほど悠歩の殺気は鋭かったのだ。
「ふっ、まさか……。そんな低俗なギャグとは無縁の男ですよ、武闘は。それとも悠
歩さんは、自分に自信がないのですか?」
「あんだって!」悠歩が中指を立てた。
「ぼくはね、思うんですよ。悠歩さんの素晴らしい恋愛模様は、人に話したり、書い
たりするんじゃくて、悠歩さんのね、心の中に大事にしまっておいたほうがいいって。
だから中身がなくて『完』で終わっているんです」
 武闘は膝をついて立ち上がった。もちろん『悠歩の純愛日記』は『説明書』という
名前で保存している。万が一の場合を考えておとりファイルを作っていた。今、それ
が功をそうしている。
「いやあ、そうかなあ。えへへへへっ……」悠歩が顔を赤らめた。とても素直でナ
イーブ、それがシグでも好かれている彼の性格だった。また正義感が強い側面もあり、
時には強い発言をする場合もある。
「そうですよ。『格好いい』悠歩さんの恋愛物語を、『冴えない』武闘に書ける訳、
ないじゃないですか」
「えー、そうかな。武闘さんも、まあまあいい線いってると思うよ。悲観しなくても
いいよ。文章の才能、ないけどね」
「はあ?」
「いや、間違った。才能じゃなくて、能力っちゅうか、文才というか、実力というか
……あはははははっ」
 武闘もつられて笑った。
「そうだ。凄いファイル名があるねえ。『絶対見なきゃ損!_超過激ファイル.lzh』
だよ。ぼくにも見せてね」
 と、悠歩がいった。
「あっ、それは……」武闘が止めるのも聞かず、悠歩はファイルを右クリックした。
プルダウンメニューから「その場で解凍」を選んだ。
「ああああっ、そのファイルは……」
「そのファイルは?」悠歩がオウム返しに尋ねる。
「ビットマップ・ボムなんです。AWCのみんなに配ろうと思っていたんです。もち
ろん匿名メールを使ってですよ、当然」
 ディスプレーには、待ちを示すアニメーションカーソールが動いている。
「ビットマップ・ボムって何?」
「巨大な画像ファイルを単一色で作るんです。それを圧縮すると27バイトになりま
す」
「ふむふむ、で解凍すると」
「2ギガバイトですー。これを作った時はハードディスク空いていたけど、今は一杯
なんです。空いている余裕たって1ギガもないですう」
「げっ! もしかして初期化しないと起動できなくなるんじゃないの」
「うっ、もしかしなくても、そうかもしれない」涙目の武闘だった。
 ハードディスクはカリカリとノイズを立てていたが、その音も止まった。

 実はお題で最高傑作を書いたのです。スリル満点、本格推理小説、かつ戦慄のホ
ラー、という素晴らしい作品でした。でも悠歩さんが消しちゃったんです。ええ、そ
うです。結局、ハードディスクを初期化して Windowsをインストールしなおしたんで
す。 いやー、残念だなあ。あははははっ。

 という言い訳を書いても仕方ないしなあ。内輪受けじゃ底が浅いしなあ。そう考え
た武闘は新しいテキストファイルを作り、最初の一行目を入力した。
 今回のお題は、書き出し固定だ。当然、出だしは……ノックの音がした、だ。
 おや? 武闘は耳を疑った。キーを打つ音以外にノックが聞こえたからだ。
 再度、ノックの音がする。
「ぼくです。悠歩ですう」
 武闘はドアチェーンを外し、ドアを開けた。
「はーい、遊びに来ました。武闘さん、いつでも遊びにおいでって、メールくれたで
しょう?」
 悠歩が、穏やかな笑みを浮かべた。武闘は共時性(意味のある偶然)に驚きつつも、
「どうぞ」と、招き入れた。
 悠歩の後ろから、長い髪の少女が姿を見せた。腰を折り頭を下げると、艶やかな髪
がサラリと揺れた。顔を上げつぶらな瞳を輝かせながら「琴音」です、といった。
「あのお、もしかして恋人とか?」武闘がドアを閉めながら尋ねた。
 二人の頬に紅が差し、武闘は全てを理解した。
「つきあい始めたばかりなんですけど……」悠歩が頬に手を当て、目線を琴音に向け
た。
 武闘の心中には「リベンジ(復讐)」という言葉が浮かんだ。悠歩の純愛日記は別
名『悠歩の失恋日記』だったのだ。その計画が全ておじゃんになってしまう。許せる
だろうか、いや許せない。とくに可愛い恋人がいるというのは言語道断である。
 だが武闘は満面の笑みを浮かべ、二人と語り合いの時間を過ごした。小一時間で悠
歩と琴音は帰っていった。悠歩が運転する国産車で帰るそうだ。
 いま、一本のロウソクだけが灯りとなっていた。
 武闘は着物に着替え、真言を唱えている。脂汗が浮かび、瞳孔が開いた。体が床に
倒れ、魂は肉体から離脱した。通称OOBE――体外離脱といわれる現象である。 
 武闘は天空から夜の街を眺めた。高速で国道を移動する車に視点を合わせると、滑
るように駆け下りた。
「それでね、琴音ちゃん」ハンドルを握った悠歩の顔がほころんでいた。
「はい」琴音は酒に弱いらしく、わずかばかりのビールで顔がほてっている。
 ハンドルがぶれ、車が蛇行する。琴音は小さな悲鳴をあげた。
「ごめん、ごめん、猫がいたものだから、避けたんだよ。驚かしてごめん」
 この言葉を発したのは悠歩であって、悠歩ではない。武闘は悠歩の体に潜り込み、
居着いている魂を怨念のロープで縛り上げたのだ。
(やめろ!)悠歩の魂が叫び声をあげる。その声は琴音には届かない。武闘は無視し
たままハンドルを操る。
 モーテルの派手なネオンを見かけると、間髪を入れずにウインカーを上げた。
「あっ」琴音が小さな声を漏らしたが、武闘は無視してガレージに乗り入れた。
「悠歩さん」琴音は震えている。つきあいが浅いというのはまんざら嘘でもないらし
い。武闘はエンジンを止め、キーを抜き取りドアを開けた。
「ぼくは本気だよ」真顔で言ってみる。だが琴音は動かない。武闘は運転席から飛び
出ると助手席に回り込み、ドアを開けた。琴音と視線がぶつかる。武闘が手を差し出
すと、琴音はその手に触れた。二人の指は絡み合い、琴音の腰が浮き、足がコンク
リートを踏みしめた。
(やめろ!)悠歩の魂が悲痛な叫び声をあげている。だが琴音は気が付かない。
 武闘の操る悠歩の顔が蒼白な笑みを浮かべ、「行こうか」といった。
 琴音は無言で頷いた。

 危うし琴音、危うし悠歩! 武闘の魔の手が琴音に迫っている。二人の行方はどう
なるのか? 悠歩は純愛を貫けるのか? それとも……。
 次回、禁断のノック、悠歩さんが続きを書けば続くかもよ。

                         すでに人間を捨てた/武闘




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