AWC お題>ノックの音がした>ノックアウト   WM


        
#851/1336 短編
★タイトル (AZA     )  97/ 8/10   1:44  (156)
お題>ノックの音がした>ノックアウト   WM
★内容
 ノックの音がした。
 全く同時に、目の前のテレビからは、ゴングの音色が。
 いいところを邪魔されて、柳多は舌打ちをした。
 柳多高助、三十歳。独身で、このマンション七階の部屋で、さして不自由を
感じることなく暮らしている。
 本人は自分のことを平凡なサラリーマンだと思っているが、彼にはちょっと
した特技があった。
 格闘技オタクなのだ。それも、観るとやる、両方の。
 学生時代から数えると、経験した格闘技はちょうど十。柔道、剣道はもちろ
んのこと、少林寺拳法、空手、相撲、レスリング、ボクシング、テコンドー、
キックボクシング、サンボ。
 これらの内、最も短い期間でやめてしまったのは相撲。まわし姿になるのが
恥ずかしくて、どうしても嫌だったから。
 キックボクシングはプロテストにも合格し、三試合こなして、一勝一敗一引
き分けの戦績を残したまま、しばらく、いや、相当長い間、遠ざかっている。
 他には、柔道、ボクシング、空手の大会で、そこそこの成績を収めていた。
 そんな彼が最近傾倒しているのは、いわゆる総合格闘技。様々な格闘技を経
験した結果、立ち技も寝技も強くなりたいという考えに柳多がたどり着いたの
も、ある意味で当然かもしれない。
 かといって、他の格闘技に目をくれない訳ではなく、たった今も、ボクシン
グの世界タイトルマッチを今か今かと、手酌しながら期待に胸膨らませていた
ところである。
「押し売りやセールス、宗教ならいらんよ」
 玄関の間口に立ち、聞こえてくる中継を気にしつつ、訪問者に警告する柳多。
「そういう者ではありません。道場破りです」
 ドアの向こうの男が、野太い声で、丁寧に言い返してきた。
「道場破り?」
 途端に興味を覚えた柳多は、後先考えず、ノブにしがみつくようにしてドア
を開けた。
 夜八時前と言うのに、やって来た男は、薄く紫がかった丸サングラスをかけ
ていた。体格は柳多と互角。年齢は、多分、柳多の方が上だろう。
「あんたは?」
 開けてから、一瞬、強盗かもしれないという考えが浮かんだ。
 が、それをすぐに打ち消す柳多。
 客の姿が、二昔ほど前のハワイ帰りの人間がする格好にそっくりだったから
だ。アロハシャツに短パン。頭の上には、やけに白い帽子。これで強盗をやっ
ていては、あまりにも目立つだろう。
「名前ですか? 片木竜児と申します。あいにく、名刺を切らしておりまして
……ごめんください」
「い、いや。いいけど。で、何者なの? 道場破りとか言ってたようだが」
「道場破りは方便でして、要するに」
 右手を差し出してきた片木。
「自分と闘っていただきたい」
「……はあ」
 じっとその手の平を見つめる柳多。
「どうしました?」
「あんたは、僕を知っているらしいが、どこでどうやって?」
「調べれば簡単です。それに柳多さんは、プロのキックボクサーでもある。他
のアマチュア格闘家よりも、よほど調べやすいです」
「キックで食える訳じゃないんだから、プロとは言えないが……」
「ご謙遜を」
「ふむ。受けなければどうなる?」
「嫌なんですか? でしたら、はっきり言ってください。気にしませんから」
 澄まし顔で告げられたが、柳多の不審の念は、さらに募った。
「断ると決まった訳ではないが……いつ、どこで、とか。ルールや、あんたが
何の格闘技をやっているのか、ぐらいは知りたいものだ」
「道場破りは、そういう事前情報を相手に教えたりしないでしょう。名乗った
のは、自分の名を売るのが目的ですからね。いつ、どこかとなると、できれば
今すぐ、この場でお手合わせ願いたいのですが、それはあまりに無礼というも
の。柳多さんに一任します」
 片木の憑かれたような口調に、柳多は興味を急速に失った。手で追い払うよ
うな仕種をし、背を向ける。
「待った待った。話が見えないなあ。僕はボクシングを観たいんだ。対戦は断
るよ」
「逃げるんですか?」
 その声は、挑発のごとく響いた。
 足を止めるや、柳多はきびすを返し、にらみを利かす。
「何?」
「対戦拒否は、敵前逃亡と見なします。つまり、柳多さん、あなたは私に負け
を認めたとなりますよ」
「−−ふん、プロレスもどきのくさい台詞、吐きやがって」
「何とでも非難してくださっていいですよ。ただ、一言だけ言っておきますと、
柳多さんたら、勝ったときのことを全く聞いてくれないから、こういう険悪な
空気になるのです」
「ほう。僕が勝ったら、どんな得があるのかねえ?」
「賞金マッチをご存知でしょう。勝者が莫大なマネーを得られる」
「無論」
「それと同じと考えてくださって、結構です。あなたが私に勝ちましたら、こ
れを差し上げます」
 片木は忙しない態度で尻ポケットから何かを取り出した。預金通帳だ。表紙
は何故か漫画絵であるが、間違いなく正規の通帳。
「一番最後の数字を見てください」
「どれどれ。一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億!」
 端数はない。ぴったり、一億。プロボクシングメジャー団体の世界ヘビー級
タイトルマッチには及ばないものの、驚くのに充分すぎる額だ。
 どうにか冷静さを保ちながら、柳多は言った。
「えっと、片木さんだっけ? これは凄い……が、怪しいぞ」
「と言いますと?」
「失礼を承知で言わせてもらうと、とても一億を持つ身なりじゃない。どうや
って手に入れたんだ?」
「そんなことは、どうでもいいじゃないですか。やりましょう」
「あのねえ……。そうだ、僕が負けたときは、どうすればいい? 何やら、飛
んでもないペナルティがありそうだぜ」
「明白な根拠もなしに、疑わないでください。私は、あなたから勝利を奪った
という名誉をいただくまでです。それで充分」
「何か怪しいな」
 腕組みする柳多は、すでにボクシング中継のことを失念していた。
「僕に勝って、名誉なんかになるかな。とてもそうは思えない」
「あなた自身によるあなたの価値判断は、関係ありませんよ。私は世界最強の
男になるのが夢でして。そのためには、世界中の格闘家を一人ずつ潰していく
のが絶対確実な方法でしょう」
「……」
 柳多は開いた口が塞がらなくなった。
 地球上に一体何人の格闘家がいるのか、その正確な数を、柳多は知る由もな
いが、少なくとも一つ、分かることがある。全格闘家と闘うこと自体、生きて
いる内には不可能だという、証明の必要ないであろう厳然たる「事実」。
 それを、目の前の人物は、理解できないらしい。
 柳多は、最後の優しさを見せた。
「一つ、質問するが……君はこれまでに何人の格闘家と対戦してきたのだね?」
「数え切れないほどです。そして、その全てに勝利してきました」
「……ふむ。その対戦相手の中に、有名な選手はいるだろうか? 私でも知っ
ているような」
「そうですねえ」
 片木はいくつかの名前を列挙したが、いずれも(恐らく)外国人名であり、
柳多の知らない人物ばかりであった。
「知らないなあ」
「いいから。やりましょう。契約書を用意しましたから、対戦の確約だけでも
していただきたいのです」
「その前に……本当に、勝ったら一億円をくれるのか?」
「誰がそんなことを言いました?」
 片木は真面目な口調で言った。
 それを見て柳多は、ああ、やっぱりこいつは……と思ったが、腹立たしさも
あったので、つい応じてしまう。
「言ったじゃないか。さっき、通帳を見せて、『これを差し上げます』と」
「その通りですよ」
「……訳が分からん」
「ですから、私は通帳を差し上げると言ったのです」
「−−あほか!」
 頭に来て、考えるより先にパンチが出ていた。
 が、片木は予想外の身のこなしを見せ、柳多の拳をかわす。
「落ち着いてください。私は嘘は申しません」
 柳多は攻撃をやめた。片木の言葉を受け入れたのではなく、その素早さに目
を見張ったからだ。
 片木は涼しい顔をしたまま、契約書らしき紙切れをひらりと取り出すと、柳
多に示した。やけに黄色っぽい紙だ。
「再度、ご説明申し上げましょう。契約書の文面をご覧ください。甲、つまり
私が負ければ、乙−−あなたにこの預金通帳のみをお渡しします。そして、こ
こが肝心なのですよ」
 片木が、長い爪を持つ指で、紙の上のある一行を示す。
 そこにはこうあった。
『甲が乙に勝利した場合、甲は乙に一億円を支払う』
 柳多は最初、さらっと読み流したが、次第に訳が分からなくなり、何度も読
み返した。片木の顔を見上げもした。が、内容に間違いはないらしい。
「つまり……これは……あんたが勝ったら、僕は一億円をもらえるという……」
「そうですよ」
 にこにこ笑いながら、片木は胸を張った。
「ここまで来たのだから、お教えしましょうか。私の得意技を」
「……聞こう」
 教えてもらわなくても充分に想像ついたが、柳多はため息混じりに聞いてや
った。
 片木は、さも重大な秘密を打ち明けるかのように、サングラスの奥でウィン
クすると、囁き声で短く答えた。
「お・か・ね」
 柳多の背中の向こうで、テレビが大歓声を伝えていた。

−−終了のゴング




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