AWC お題>ノックの音がした>そばに来て   寺嶋公香


        
#850/1336 短編
★タイトル (AZA     )  97/ 8/10   1:42  (128)
お題>ノックの音がした>そばに来て   寺嶋公香
★内容
 ノックの音がした。
 冬の昼下がり。小さな、小さな、ノックだった。
 小さいけれど、何度も続くと、気付くもの。
 一人、家にいた純子は編み棒を置いて立ち上がると、音の源を探した。
 かりかり、かりりと引っかくような音が続いている。それは、台所にある、
目の高さの窓から聞こえてきていた。
「−−また、おまえなのね」
 磨りガラス越しに、そのシルエットを認めた純子は、息をついて微笑んだ。
 静かに窓を引くと、冷たい風が気まぐれに吹く中、子猫がいた。手の平一つ
に乗りそうな、三毛の猫。人間を前にして、きょとんと首を傾げているような
仕種は、猫と言うよりも犬に近い気がする。
「入りたいんでしょ? おいで」
 手を差し出し、待つ。何度も姿を見せるものだから、この子猫相手に話しか
ける癖が付いてしまっている。
 子猫は、何のためらいも見せず、純子の手の平に跳ぶと、その勢いのまま、
カーディガンの裾を伝って、二の腕か、その先の肩口辺りまでとことこ歩いて
いく。
 この動作もいつものことなので、驚かなくなった。
(初めてのときは、びっくりして、悲鳴上げちゃったっけ)
 窓を閉めながら、半月ほど前の「出会い」を思い出し、くすっと笑う純子。
 子猫はやがて器用にUターンし、来たときと同じように腕の上を歩いていく。
何故だか理由は分からないけれど、“腕渡り”をしているときだけ、この猫は
四肢をしゃんと伸ばし、ちょっと顎を突き出し加減に、お高くとまったような
歩き方をする。
 純子の手の平まで戻って来ると、子猫は不意に飛び降り、床に座り込む。そ
して「みゃあ、みゃあ」と鳴いた。目をぱっちり開けたまま、舌なめずりをし
て、ミルクの催促だ。
「はいはい、待ってなさいよ」
 小さな訪問者を見下ろし、言い付けると、純子は戸棚に向かった。すでに子
猫専用と化したプラスチックの皿を取り出し、ついで、冷蔵庫へ。まだ開封し
ていない牛乳瓶を、キッチンの流し台に置いた。
 蓋を取った牛乳瓶と皿を持って、猫の前に引き返し、先に食器を置いてやる。
待ちかねた風に見上げてくる子猫をなでながら、牛乳を皿一杯に注いだ。以前
は、様子を見ながら、少しずつ与えていたのだが、経験した結果、このぐらい
の量は軽く干すと分かっている。
「はい。よく味わって飲みなさいよ」
 という純子の言葉が終わらぬ内から、ぴちゃぴちゃとやり始めた子猫。小さ
くても、その舌はざらっとしている。
「もう。当たり前みたいな顔して、飲んで……」
 呆れるやら、苦笑いがこぼれるやら。
「こんなにも食欲あるのに、おまえは、なかなか大きくならないね。私もミル
ク、好きだけど、なかなか大きくならなくて。ミルクは成長にいいって、どこ
まで当てにできるのかしら」
 しゃがみ込み、両手で頬を包むようにしながら、独り言。
 そんな純子を見返してくる子猫は、早々と一皿目を飲み干し、お代わりをね
だってきた。
 注いでやりながら、ふと考える。
(物怖じしないと言うか……人に慣れてるわね、この猫。身体もほとんど汚れ
てないし、誰か近所の人が飼ってるんだろうけど)
「ニコーっ。ニコー! どこに行ったんだよお」
 純子の思考に反応したわけではないだろう。偶然にも、その声は聞こえてき
た。小学生低学年ぐらいだろうか。男の子か女の子かも判然としない、幼い、
しかしよく通る声だ。
(ニコって、この子猫の名前じゃないかな?)
 想像して、猫に目を向けた純子。
 見れば、子猫自身も子供の声に反応してか、食事を中断し、背筋を伸ばした
姿勢で、きょろきょろ、頭を巡らせている。
「心配させたら、だめよ。だから、ミルクはお預け」
 確信した純子は、子猫をそっと抱き上げた。
 声の主が、ちょうど自分の家の裏手を行く気配だったので、純子はサンダル
を突っかけ、庭へ出た。やや肌寒かったが、我慢できないほどでない。
 格子の塀越しに上半身を出し、少年(あるいは少女かもしれない)の姿を確
認した。
 極端に遅い足取りで、不安げな目を右へ左へ動かしている。そして思い出し
たように、「ニコー!」と叫ぶ。
 純子は少しだけ考えてから、その子に声を掛けた。
「ね、ね。『ニコ』って、この子のこと?」
 子供は、呼びかけに最初、びくっとして足を止めたが、純子の胸元に抱かれ
る子猫の姿を見つけたか、途端に表情を崩して駆け寄ってきた。
「ニコ!」
 返事もそこそこに、両手を伸ばしてきた相手に、純子は子猫を抱いた両手を
同じように差し出す。
 と、子猫は−−ニコは、さも当然のごとく、子供の腕の中に飛び移った。そ
してその子の身体に自らをなすり付けるように、無邪気に振る舞い始める。
「やっぱり、君の飼ってる猫なのね」
「う、うん。その……ありがとう、おねえちゃん」
 早口で答えた子供。目は、一瞬だけ純子に向き、恥ずかしげにうつむくと、
また猫へと注がれる。
 純子は「あはは」と短く笑ってから、子供に尋ねた。
「心配させちゃった? ごめんなさいね。ニコちゃん、私の家にいたのよ」
「え、えっと、あの、前の前の週から?」
 舌足らずな言い回しだが、純子にはすぐ理解できた。
「うん。二週間くらい前から、ちょくちょく来てたわ。ミルクを飲みにね」
「そうだったの、よかった」
 子供はほっとしたように息をつくと、殊更に猫の背をなでた。
「前の前の週から、急にいなくなっちゃって、急に戻って来て。それが何度も
起こるから、心配してた。おねえちゃんが見てくれてたんだね。ほんと、あり
がとうございます」
 往来で、深々とお辞儀してきた子供。純子は慌てて、手を振った。
「そんなに感謝されても……。ニコちゃんが、気まぐれに立ち寄っただけだか
ら。−−よく懐いてるね。仲いいんだ?」
「うん! 飼うの、許してもらいたくって、家出しかけたぐらい!」
 穏やかでない単語が子供の口から飛び出して、ちょっと驚く純子。
「そうなんだ。よかったね、行き先が分かって」
「あ、これからはめ、めい、迷惑、かけないようにします」
「ううん」
 笑って、首を水平方向に振る。
「あなたのお家からここまで、危ないところはあるの?」
 純子の質問に、子供はしばらく考え、答えた。
「……いや、ない。塀を歩いてきたと思う」
「じゃ、ニコちゃん、自由にさせても安全じゃないかな? 私の方は大歓迎だ
から、気にしなくていいのよ」
「……おねえちゃん、猫、好き?」
「特別に好きというわけじゃないけど、ニコちゃんと会ってたら、好きになっ
てきた感じ」
「だったら、ニコに会わせてあげるよ。たまにだけどね」
「あはは、ありがとね」
 それから、相手の名前を聞こうとした矢先−−。
「あ? 誰か来たみたい」
 玄関で呼び鈴が鳴ったようだ。
「ごめんね。今、私一人なの。行かなきゃ」
「分かった。おねえちゃん、またね!」
「ええ。−−気をつけてね」
 子供、それに子猫のニコと別れた純子は、急いで家の中に駆け込み、部屋を
いくつか通り抜けて、玄関前に駆けつけた。
「宅急便でーす!」
 待たせ過ぎたか、来客は呼び鈴をやめ、ドアを軽くノックしている。
「はい、今、行きます」
 叫ぶように応じながら、靴を引っかけ、覗き窓のレンズで確認してから、戸
を開けた。
 柔らかな系統の色を配したユニフォーム姿の配達員が、びっくりしたような
顔で見返してくる。
「えっと、こちらの−−純子さん?」
「はい」
 首を小さく振る純子。
「相羽純子は、私です」

−−『そばに来て 〜 そばにいるだけで 番外編 〜』おわり




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