AWC 「新しいメッセージは、ありません」・4-1……武闘


        
#787/1336 短編
★タイトル (FWG     )  97/ 5/26   3:27  (186)
「新しいメッセージは、ありません」・4-1……武闘
★内容

1・海ハラ

「やられたな」
 力の失せた言葉だけが、内側から漏れていく。海ハラは罵詈雑言を並べ立てたログ
を見返しながら、深いため息をついた。
「打つ手がない……『もなか』に、いや山サキだ! あの野郎にしてやられた。ちっ
きしょう。本当に手はないのか……考えろ、考えろ、海ハラ」
 自分に檄を飛ばす。
「いい考えはないか? 野郎に復讐できるような、何かいい手はないのか」
 拳を幾ら握りしめたところで、対策など浮かばない。
 頭を一振りしてから、キッチンへと歩み、水道のカランを捻った。水流に頭部をさ
らし熱した頭脳を冷やしていく。カランを閉じ、濡れた髪をタオルで拭きながら、知
らず知らずの内に部屋の中を歩き回りはじめた。
「第一に、海ハラで出されたメッセージが偽りであること――パスワードが盗まれ、
IDが盗用された旨を告げれば、ボードのアクティブメンバーは信じてくれるだろう。
普段のオフで、その程度の繋がりは築いてきたはずだ」
 理由が分かれば信じてくれる。この点については自信がある。もう二度と文芸ボー
ドに顔出しできない、と頑なだった自分がおかしくて笑えてくる。
 海ハラの思考は次の段階へと進む。
「第二に、『もなか』が山サキであることを証明しなければならない」
 これは難しい問題ではない。会員の登録情報にアクセスすれば済む話だ。システム
管理者の一員として、越権行為ではあるが、可能だ。一般エンドユーザーなら、個人
が登録したプロフィルにしかアクセスできないが、サーバーを管理している自分には
十分な睡眠をとることより簡単である。会員の住所や本名、クレジットカードの番号
ですら調べあげられる。自分のように銀行振込でなければ、山サキはクレジットカー
ドを使うしかない。その場合、インターネットで高価な商品を買いあさればいい。幾
ら使っても、問題はない、支払いは山サキなのだから。
「第三に、パスワードを盗んだのが山サキだという確証を得ること」
 一拍子おいてから、海ハラはうなり声をあげた。
 山サキの使用しているパソコンを調べ上げれば、分かるかもしれないが、それは不
可能だろう。山サキが許可するわけもないし、不法侵入する以外の手段が考えられな
い。しかし、第三の条件がクリアできなければ、山サキを糾弾する手はずが存在しな
いことになる。
「どうする? ……決まってるさ。できることからするんだよ」
 海ハラの心は決まった。
 しかし、本当に『もなか』は山サキなのか? 
「他に該当者はいない。それに……忘年会オフの時に感じた、あいつに対する警戒感。
帰り際に見せた、『もなか』の刺すような視線。奴は俺に恨みを持っていたんだ。す
ぐに気がつかない俺は糞野郎よ。畜生! 酔って口が滑った、俺が間抜けだったんだ。
何が正義の味方だ。あきれちまうぜ」
 モニターを見つめる目から迷いが消えた。一心にキーボードを叩く。指先からシス
テム管理用のスペシャルIDが、次いで個別サーバー管理システムのアクセスキーが吐
き出されていく。後は会員情報を検索するだけ。
「ふーん、『もなか』の本名は桂木美枝子か。性別は女。クレジットカードを使用し
ているから、この情報に間違いはないだろう。山サキが騙っているのか? 何にせよ、
何がどうなっているのかは、桂木美枝子の家に行けば分かる。どうせ、あの野郎が俺
のパスワードを盗んだに決まっている」
 午前三時。自然とあくびがついて出る。
 後は証拠をつかむだけだ。それは明日でいい。日曜日のデートに遅れなければ、な
おのこと好ましい。
 蜘蛛の子を散らすように集中力が消えていく。海ハラはベッドに転がり込んだ。

 日曜日、空は澄み渡った。透明な大気は人間の心をどこまでも高く、高くと誘う。
海ハラは両手を大きく広げ、深呼吸をする。肺に新鮮な空気が満たされ、生きている
という実感が懐に生まれた。反面、緊張感はまだ消え去らない。目の前には、桂木の
家があり、白い壁面に刻まれた汚れが、人の顔のように見えて、微かな怯えを感じさ
せている。だが、怯えているだけでは何も始まらない。海ハラはチャイムを押した。
「はーい」玄関に出たのは若い女性だった。
 海ハラは「あの……」と、言ったきり、口をつぐんだ。家族構成からいって彼女が
桂木美枝子にちがいない。海ハラが抱いた第一印象は「清楚で可憐」。山サキとどの
ような関係にあるのだろうか? 山サキの恋人だろうか、それなら彼女は重大な過ち
をおかしていることになる。
「何か、ご用ですか?」鈴を転がすような声。
「あっ、あのお、失礼ですが、もなかさんでしょうか? 私、ディスカルトサーブの
者で……」背広の内ポケットから名刺を取り出し、彼女に手渡す。
「ええ、もなかです。今日はアンケートですか?」
 桂木美枝子はわずかに首を傾げて尋ねる。白いブラウスが舞っている、と海ハラに
錯覚させるほど、優雅さが動作の節々に及んでいる。
「はい、どのようなボードに関心があるかなど、調査しています。ご協力頂ければ幸
いなのですが」美枝子の話に海ハラが合わせる。
「構いませんが」眉を上げ、微笑みを浮かべた。
「文筆創作コーナーって知っていますか?」
「いえ」頬杖をつくような姿勢で、考え込んだ。
「でも、聞いたことがあるような……」
「それはそうだろう、俺が美枝子に話したんだから」
 海ハラは声のする方向に顔を向けた。つまり、正面に向かって、前方よりさらに上
だ。山サキが階段を下りてくる。海ハラが最初に目にしたのは、白い靴下だった。そ
してブルージーンズ、真っ新のTシャツが姿を現し、最後に山サキが困惑した表情を
見せた。
(突き止められた事を怒っているのか、それとも驚きを隠そうとしぶい表情を繕って
いるのか、あるいは両方かもしれない)海ハラは困惑した表情を、そう分析した。

2・山サキ

「文筆創作コーナーって知っていますか?」
 聞いた記憶があると思っていたが、これで分かった。声の主は、海ハラだ。
 山サキは2階の部屋でパソコンをいじっていた。美枝子に壊れたファイルを修復す
るよう頼まれていたからだ。
 山サキは、よく聞こえるようにとドアをあけ、階下をのぞき込んだ。
「いえ。でも、見たことがあるような……」戸惑いを含んだ美枝子の声。いつ聞いて
も愛おしい。
「それはそうだろう、俺が美枝子に話したんだから」山サキが宣言した。
 階段を下りると、山サキは海ハラを前にして、笑みを浮かべた。次いで眉をしかめ
るという複雑な表情を浮かべる。美枝子に迷惑がかからなければいいが……心配事が
山サキの表情を曇らせたのだ。
「よお、詐欺師」海ハラがいった。
「詐欺? おたくには負けるよ。また越権行為かい? 自分の立場をとことん利用す
る。まるで官僚だねえ。あざといとこは」
「何を言っている。ここをつきとめたのは匿名メールがあったからさ」
「ふーん。まあ真実は分からないがね。ところで、最近書いてる記事はひどいねえ、
海ハラ君。誹謗中傷の羅列。人間性を疑うよ」
「俺の名を騙って、書いている野郎がいるんだよ。俺はあんなひどい事は書かない」
「書かないけど、ボードから閉め出すんだろう? ひどい男だねえ、君は」
 山サキは両拳を腰に当て、仁王立ちになって迫る。
「いやあ、嫌がらせでは山サキには勝てないよ。今回も君がやったんだろう」
「一つ、呼び捨てにされるいわれはない。二つ、君の名を騙ったのが俺だと思うなら、
まず証拠を見せろ。三つ、確証なしに批判するなら、名誉毀損で訴えてやる。以上」
「上等じゃないか! 絶対に証拠を掴んでやるからな。吠え面をかくなよ」
「吠え面って、君が今、見せた態度のことかい。ああ、失礼。今の態度は負け犬の遠
吠えが正解だよね」
 激しくドアが震え、海ハラが姿を消した。最後に見せた海ハラの表情を思い出すと、
山サキは笑うしかなかった。海ハラは怒り心頭の余り、声を出せなくなったようだ。
白面の顔に朱が差し、健康的に見えるが、こめかみに浮かんだ血管は単に怒っている
ということを告げていた。面白い事に右手と右足を同時に動かし去っていったのだ。
ドアを開け、後ろ姿を見送りながら、笑うことを止められなかった。もちろん、山サ
キに笑いを止めるつもりなどない。
 腹を押さえながら玄関に戻ると、冷ややかな笑みを浮かべた美枝子がいた。玄関に
立ったまま、一言も口をきかず、黙って山サキを見つめていた。山サキはどうしてい
いか分からず、靴を脱ぐこともできない。
「どういうことか、一から説明してちょうだい。事と次第によっては、私、許せなく
てよ」
 始めてみせる美枝子の強い口調に山サキは「はい」としか答えられなかった。

 二階の窓を開けると、涼しげな風が部屋を舞う。レースのカーテンはプリーツス
カートのように淫らな動きを見せ、風鈴の音はまだ来ない夏を待ちわびるように寂し
げな音を奏でる。夏がくるまで、あと一月くらいだろうか?
 山サキは美枝子に事の次第を話した。美枝子は海ハラの事を怒ったり、忘年会オフ
の件では笑ったり、そして山サキがパスワードを盗んだことに対して、本気で怒りを
みせ、怒鳴り声をあげた。
 なぜ? なぜ、怒鳴り声から、愛撫に移行したのだろうか? 俺は謝る約束を美枝
子と交わし、そして口づけを交わした。自分が服を脱ぐことをまどろっこしいと感じ
たのは生まれて初めてだった。美枝子の服を脱がせるのは、逆に夢のように楽しかっ
た。いや。夢じゃないかと何度も頬をつねった。結局、二人が愛し合うのに、ちょっ
としたきっかけがあればよかったことに気がついた。
 山サキはシーツにくるまりながら、海ハラに謝ろう、そう決心を固めていた。
 美枝子は、上気した顔のまま、俺の腕の中で眠っている。いや、目を閉じているだ
けだろう。強く抱きしめると、華奢な躯が壊れてしまいそうだ。
「いたい……」美枝子の小さな呟き。山サキは一度力を抜き、また抱きしめた。愛し
くて身も心も一つにとろけたい、強い衝動をおさえるには、山サキは若すぎた。

 午後9時、仕事の早い父はすでに床についている。山サキは自室にこもり、夢の続
きを見ようとした。
 夢――美枝子を抱くことが夢だった。……違う、違う。身も心も一つになることが
夢だったのだ。愛を伝えるのに言葉は邪魔だった。心を通わせるのに、この肉体です
ら余計なものに感じられた。
 幸福な眠りが訪れる。優しい美枝子の声。その声が悲鳴に変わる。耳元までさけた
口で海ハラが咆吼をあげる。
「ひっひっひ、獲物はお前だ」月光に煌めく爪が、美枝子の服を切り裂き、赤い筋を
肌に刻み込む。山サキは助けようと手を伸ばすが、動かない。しびれるような感覚が
全身を包み、山サキを縛り上げる。
 目を開けると、既に日は昇り、昼をこえていた。久しぶりの連休で起こす者は誰も
いない。妹は学校に行っているし、父は仕事だ。母は文芸サークルに出かけ、その後
ボランティアに駆けつけるので夕方までは帰ってこない。
 汗を吸い尽くしたパジャマを脱ぎ、新しいTシャツに着替え、いつものジーンズを
はく。
 考えてみれば、海ハラが仕返しをするのは、自分でなくてもいいわけだ。美枝子に
刃が向かう可能性もある。結果的に、俺が苦しめばいいのだから。
 海ハラに謝るのはいいが、一つ釘を差しておく必要がある。
 山サキはパソコンの電源ボタンを押した。ウィンドウズが起動すると、「禁」と書
かれたフォルダーから実行ファイルを選択し、立ち上げる。
「ヴイルス・ウイザードか……」人ごとのように呟く。山サキは面白いと思い、イン
ターネットから拾ってきたが、未だ使ったことはない。いつか使うだろう、そんな予
感がしたのでダウンロードしておいたものだ。
 最初にメッセージが現れた。
「ヴィルスの作者名は?」しばらく考えた後に「海ハラ」と打つ。
「メモリーに常駐しますか?」もちろん「はい」だ。
「ファイルに感染しますか?」これも「はい」だ。
 次々に質問が浴びせられ、山サキは順番に答えていく。
「アドレスを記入してください」もちろん、海ハラのアドレスを記入する。
「ダイアルアップを立ち上げ、接続してください。『OK』ボタンを押せば電子メー
ル爆弾が送られます」
 電子メール爆弾? ドキュメントが無かったため、使ってみるまで分からなかった
が、電子メール爆弾ねえ。そうすると千通ぐらいメールを送るわけだ。しかもヴィル
ス入りの……もちろん『OK』だ!
 インターネットに接続してから、気合いを込めてクリックする。作業終えると、後
はパソコン任せればいい。接続と切断を繰り返すパソコンにも見飽きた山サキに空腹
が訪れた。台所に何かないかとドアを開け、階段を下りていく。
 1時間たって部屋に戻り、山サキはモニターを見た。
「サーバーEEJ2ダウン。サーバーEEJ3ダウン……。ホストコンピューター隠し番号ア
クセス。コールアタック完了。ホスト1、2、3、4ダウン。全ての作業終了」
 首を捻ったところで、何が行われたのか検討がつかない。分かるのは、自分の想像
を超えた事態が進行したということ。
 もしや、と思った山サキは美枝子のパスワードを使いディスカルトサーブへのアク
セスを試みた。だが、接続することはできない。繰り返しても、画面は動かない。通
信ソフトはアクセスの時間切れを告げ、山サキは沈黙した。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「短編」一覧 武闘の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE