#767/1336 短編
★タイトル (RAD ) 97/ 4/ 6 23:34 (200)
お題>花畑 悠歩
★内容
身を低くして、森の茂みに隠れながら男は周囲の様子を窺った。
男は昨日まで、無敵と謳われた黒龍騎士団の小隊長を務めていた。しかしその黒龍
騎士団も、いまは無い。無敵故の油断………先日夜半の敵襲。
現れる筈のない時間、現れる筈のない場所から、現れる筈のない数の敵を受け、黒
龍騎士団は一夜にして、壊滅してしまった。仲間や部下たちがどうなったか、分から
ない。混乱した中、降り注ぐ矢羽を受け倒れる者、闇に隠れ現れた敵兵に斬り捨てら
れる者、それが誰であったか、確認する余裕などなかった。 ひたすら剣を振るい、
矢を払い落とし、敵兵を斬り、自らも傷を受け戦場から逃れるのがやっとだった。
茂みから見えるのは、小さな畑のような場所。畑には何もない。森を切り開いて、
作られたばかりの土地なのだろうか。誰か人が居るなら、傷の手当が受けられるかも
知れない。食べ物にもありつける。敵の人間であったらどうする?幸い、ここは街か
ら遠く離れている。他に畑らしい物もない。住んでいるのは、この畑の所有者だけだ
ろう。敵に通じた者なら斬り殺し、薬と食べ物を奪ってしまえばいい。男は息を殺し、
用心深く観察を続けた。
女が現れた、一人だ。遠くから見た感じでは、若そうだ。女一人なら、どうにでも
なる。気持ちが急くのをぐっと押さえ、しばらく観察を続けた。女は黙々と畑に水を
撒いている。他に人の現れる様子もない。出来るだけ、茂みに隠れたまま男は接近を
始める。女の後方に、小屋を確認した。
ここからは、身を隠して進むことが出来ない。後は真っ直ぐ畑を突っ切るしかない。
出来ることなら、女を斬りたくはないが………もしもの時は、我が身に代えるつも
りもない。
男は立ち上がって、歩き出す。本当は走って行くつもりだった。しかし傷の痛みに
加え、思った以上に体力を失い、走ることが出来ない。もしもの場合は、一太刀で決
めなければ。
一歩一歩、女に近づきながら、男の緊張は高まる。しゃがみ込んだまま、じっとこ
ちらを見る女と距離が縮まる。女の顔立ちが、はっきり見て取れた。やはり若い……
…いや幼い。そばかすの残る顔で、男を不思議そうに見つめている。
男は立ち止まり、口を開く。のどが渇き、思うように声がでない。
「おまえは………」
掠れた声でそれだけ言い、もう一歩、前に進もうとした。
「あっ、だめ。踏んでしまいます」
驚いたような声を上げ、娘が立ち上がった。何事かと思い、男は己の足許に視線を
落とした。が、バランスを崩し、そのまま地に倒れ込んでしまった。倒れて行くなか、
男は小さな何かが芽吹いているのを見た。そのまま、男は意識を失った。
それは男にとって、息をする事と、何の違いもなかった。目の前に立つ敵を斬り捨
てる。 相手の喉から発せられる断末魔の叫びこそ、己の存在する意味を示すように
思っていた。目の前には、数万の敵。後ろには男が斬り捨てた、幾つもの屍。負ける
と思わなかった。己が、後ろに転がる者達の仲間になるなどと、考えたことはなかっ
た。常に勝利は己に有ると信じていた。その手にした勝利の数だけ、斬り捨てた屍の
数だけ、地位と名誉と金がついてくる。いまは小隊長だが、目の前の敵を斬れば中隊
長、その後ろにいる敵を斬れば大隊長になれる。そうだ、斬り続けていけばすぐ騎士
団長まで登りつめる事が出来る。男は歓喜し、敵を斬る。なんと手応えの無い事か。
全身を濡らす、返り血が男を更に昂揚させる。全ての敵を斬り捨て脚を止める。
『なんだ?』
いつまでも止まない断末魔。もう動く者は、男以外存在しないと言うのに。耳を澄
まし、声の出所を探る。
『これは………』
声は、男自身の喉から出ていた。
『ばかな!』
いつの間に………男は全身に矢を受け、ハリネズミと化していた。流れる血は、返
り血ではない。己の血だった。激しい痛みに襲われる。人ごとであった死が、己の身
にふりかかる。
『ばかな! ばかな! ばかな!』
「ばかな!」
男は叫び、身体を起こした。
「くっ」
全身に痛み。矢を抜き取ろうと、己の身体を見る。だか、矢など刺さってはいない。
その代わり、鎧が外され包帯が巻かれていた。
「夢か………俺はいったい」
周囲を見回す。男は小さく粗末なベッドの上にいた。どこかの小屋の中。壁板には
節穴と、隙間が目立つ。隅には、男の纏っていた鎧と剣があった。ベッドとテーブル
以外、調度品らしい物はない。
そして男の横には、ベッドにもたれるように眠る、見知らぬ娘がいた。14、5歳、
いやもう少し下かも知れない。身なりは悪いが、将来は美人になりそうだ。
「ああ、そうか」
次第に記憶が蘇る。この娘が傷の手当をしてくれたのだろう。敵ではなかったらし
い。男は包帯に手を宛て、傷を確認した。痛みは有るが、適切な処置が施されている。
動くことに、問題は無さそうだ。そっとベッドを抜け、立ち上がろうとした。
「つうっ!」
やはり傷が痛む。
「騎士さま」
目を醒ました娘が、慌てて男の身体を支えた。
「まだ起きあがるのは無理です。騎士さまは、二日も寝込まれていたのですよ」
娘の手を借りて、男はベッドに戻る。
「戦局は……戦局は、どうなっている」
「分かりません。騎士さまが来られてから、この近くで戦争が行われた様子は、あり
ません」
「そうか………」
あの奇襲で、男の居た軍は壊滅的なダメージを受けたが、敵軍とて状況はそれほど
いいものではないはず。その前までは、男の軍の方が圧倒的に有利だったのだから。
両軍とも大きく戦力を喪失し、互いに手が出せなくなっているのだろう。すぐには大
きな戦いは無い。いま軍と合流しても、この身体では満足に剣も振るう事も出来ない。
傷を癒してからでも、遅くはないだろう。にわかに空腹感を覚えた。
「何か、食べ物をもらえないか」
「はい。どうか少しの間、お待ち下さい」
しばらくして、娘は木製の器を持って戻ってきた。
「このような物しか、ございませんが」
男は黙って、娘から器を受け取った。色の薄いスープに、僅かばかりの具。
空腹の男は、さじを使うのももどかしく、直接器に口を着け、スープを飲んだ。
殆ど味がしない。微かに塩が使われているだけだ。
「旨くないな」
不躾に男は言った。娘はただ、悲しそうに顔を伏せる。
空腹も、そのスープには最高の調味料とはならなかった。それほどまでに、貧しい
スープだった。
しかし男は、最期の一滴までを飲み干した。不味いものとて、喰わぬよりはマシで
ある。喰わねば戦う事も出来ない。
「まだあるか?」
器を娘に渡し、男は訊ねた。
「申し分けございません」
娘は頭を下げた。
「そうか、仕方ない」
満腹にはほど遠いが、いくらかでも口に出来た。男は横になり、寝ることにした。
数日が過ぎ、男の身体はだいぶ回復してきた。これなら戦に出ても、味方の足手ま
といにはならないだろう。毎日同じ、あの不味いスープにもうんざりしていたところ
だ。堅いベッドに、すきま風の入り放題の小屋にも飽き飽きした。早く国に戻り、旨
い物を腹一杯喰いたい。ふかふかのベッドで眠りたい。
だがどこに敵が潜んでいるか、分からない。暗くなってから、出発した方がいい。
それにあの娘に、一言礼を言ってもバチはあたらないだろう。
やがて陽も暮れ、娘が畑仕事から帰って来た。
毎日毎日、何を作っているのか知らないが、あんな粗末なスープ一杯で、よく働け
るものだと男は思った。
「世話になったな。俺は国に、軍に戻る」
「そうですか………お気をつけて」
どこか寂しげな娘の瞳を見た途端、男は己がたかぶって行くのを感じた。
それは戦場で敵を斬り捨てた時に感じる、昂揚感。抑え切れぬ欲望。
この娘を抱きたい。
「騎士さま………?」
男の様子に何か感じたのか、娘は怯え、じりと後ずさりする。それがかえって男の
嗜虐をそそる。男は力尽くで娘を抱いた。
不思議な気分だった。
戦いの後、占領した街の女を陵辱したことは数知れない。軍律で禁じられていたが、
上官たちもそれを黙認していた。
その事に罪を感じたこともない。破瓜の血を見たのも一度や二度ではない。それど
ころか乙女を見つけた時には、それこそ歓喜して抱いた。戦うことと女を抱くことは、
男にとって飯を喰うこととたいして違いない事だった。だが、この娘の純潔の証を見
たとき、これまで感じたことのない、不思議な気分になった。
「俺と来い。俺の屋敷に来い」
背を向けたまま、女は首を横に振った。
「出来ません………私には、やるべき仕事がありますから」
「仕事? この畑の事か? 朝早くから陽が暮れるまで働き、喰うや喰わずで何を作っ
ているのだ」
「花です、花を育てています………」
「花! やるべき仕事とは、花を育てる事か。なんと馬鹿馬鹿しい。この争いの世に、
花など何の役に立つ。そんな腹の足しにもならぬ物を作り、誰の役に立つ」
「花は人の心を、安らかにします。そう、母が教えてくれました。街の方々を、そし
て騎士さまをも」
「愚かな母親だ………そうだお前、その母はどうしたのだ? 父は?」
「死にました。父は戦に出て………母は街を占領した騎士さまに………」
「ふん、なるほど。俺が憎いのだな? 俺は騎士だ、お前の母を殺した奴と同じ。そ
してお前を陵辱した」
「いいえ、私が嫌いなのは戦です。戦が人の心を、荒ませるのです。でなければ、騎
士さまを手当したりしません」
「分からぬ。戦を憎み、なぜ騎士を憎まないと言うのか。自分が喰うものを喰わず、
金にもならぬ花など育てるのか。俺には分からぬ。が、これだけは分かる。お前は、
まともではない。気が触れているのだと」
男は唾を吐き捨て、小屋を出た。
「よく勝てたものだ」
破壊され尽くした街を眺めながら、男は呟いた。
「ふっ、こちら以上に向こうの軍も、よほど人材不足なのだろう」
自嘲気味に笑う。男はいまでは、大隊長の肩書きを持っていた。手柄が認められて
の出世では無かった。長引く戦で、上の人間がいなくなり自動的に肩書きが上がった
だけの事。黒龍騎士団も、その殆どがあちらこちらからかき集めた、ならず者がその
大半を占めていた。無敵という言葉も、もはや疑わしい。街では既に勝利者による、
略奪と陵辱が行われていた。いつもなら、先陣を切ってその騒ぎに参加しているとこ
ろだが、役目がら出遅れてしまった。しかもならず者たちは、戦いの時以上にこうし
た事には素早く、後から来た男に出る幕は残されていなかった。そこかしこで行われ
ている騒ぎを横目に、男は占領地を見回った。ふと、道端に落ちている、踏みにじら
れた花束を見つける。
『花………まさか』
男はその時、近くの家から略奪を終えて出てきた兵を捕まえる。
「貴様、この花を持っていた者が、何処へ行ったか知らぬか!」
「なに、あっ…大隊長殿。花売りの娘は、二人の兵士に追われて向こうに」
男は兵士を突き飛ばすようにして、指さした先へと駆け出した。
見覚えのある場所。あの娘の畑と小屋。だがあの時と、男の見ている光景は大きく
変わっていた。
色とりどりに咲き誇る、名も知らぬ花々。そして………
真紅の炎に包まれた小屋。その前で、二人の兵に組み敷かれたあの娘。
「貴様等、何をしている」
男は駆け出していた。
振り向き唖然とするならず者たちは、何かを言おうとして口を開いた。しかし、そ
れが発せられるのを待たず、男は二人を斬り捨てた。
「おい、しっかりしろ」
白い肌を露にした娘を抱き起こす。その身体には、無数の切り傷。抵抗する女を斬
り刻み、陵辱する。男自身が、幾度となくしてきた行為だ。
「花が………私の花が………」
虫の息で、娘は花を心配している。
「こんな時にも花か………大丈夫だ。いくらかは踏まれてしまったが、お前の育てた
花は、しっかり咲いている」
娘の瞳が、男の顔を捉える。
「私を………心配して……来て…下さったの、ですか」
「分からぬ………が、そうなのだろう。道端で踏みにじられた花を見て、お前を思い
だした。お前のことが、気になった」
「やはり、母が言ったことは………正しかったの…ですね」
娘は弱々しく、微笑んだ。
「ああ、たぶん。そうだな」
「よ…かった」
静かに娘の目が閉じられ、二度と開かれる事はなかった。
それからしばらくして、戦争を続けていた二つの国は、共に疲弊し幾つもの小さな
国に分かれた。勝者のないまま、こうして戦争は終結した。
その後、あの花畑は一人の男に引き継がれた。口数少ないその男が、それまで何処
で何をしていたのか知る者は無かった。だが昼も夜もなく働く男の周りには、やがて
少しずつ人か集まり仕事を手伝うようになって行った。
【終わり】