AWC 魔法についての考察     つきかげ


        
#746/1336 短編
★タイトル (BYB     )  97/ 1/19  14:14  (118)
魔法についての考察     つきかげ
★内容
 魔法についての考察

1.はじめに

 以下の考察は、あくまでも、私の頭の中の魔法についての考察であり、魔法一
般に対する考察ではない。又、実証性を欠いている為、一種のフィクションとい
ってもいいレベルのものであると考えている。以下の文章は、評論というよりも
小説として、とらえていただきたい。

2.西欧近代哲学と魔法

(1)主−客の一致問題について

 魔法というものは、結論からいうと、主−客の一致という西欧近代哲学におけ
る問題を、超言語的に解決するある種の認識のプロセスとして考えている。超言
語的というのは、元々主−客の一致の問題とは、言語によって世界そのものをい
かに叙述するかといった問題であったと考えているが、これは認識論の問題でも
あり、世界の認識をいかに言語の網の目の中でとらまえるかという問題でもある
その問題に対して、言語を超えた、あるいは、言語を放棄したところで世界を認
識しようとするのが、魔法と考えることができる。
  といっても、例えばデカルト、あるいは、スピノザの汎神論のような、信仰に
よって認識を事物と一致させるようなものとも違う。そもそも、信仰自体が言語
によって超越的なものに対する思いを簒奪したものと考えられる為、魔法そのも
のとは、別のものと考えていい。

「この文章は、すべて嘘です」

  この一文を付け加えることにより、この文章の真偽を論理的に判定することは
不可能になる。これは、古典的な自己語及のパラドックスといえる。言語それ自
体では、我々の認識と一致させる事は不可能だ。つまり生きることのリアリティ
を言語は補足できない。
 魔法的認識は、リアルである事を要請される。リアルな生を生きることによっ
て魔法的な認識が、可能となる。

(2)魔法とは何か

  では、魔法的に事物を認識するというのは、どういうことであるか、以下に説
明する。例えば、私の友人が喫茶店でテーブルクロスを差し「このテーブルクロ
スの模様は、私に対してある警告を発している」といったことがある。その時彼
女は精神分裂病を発病していたと考えられるが、ここでは、テーブルクロスと彼
女の関係は意味連関を超えたところで成立している。
  又、心理学者の河合隼雄氏は精神分裂病患者との対話の中で、精神分裂病を発
病した時に、机が机ではなく、物そのものとして私に迫ってくると患者が話して
いたとしている。ここでも、机という意味連関の中で位置づけられている事物が
その意味連関の網の目からこぼれ落ちている事象がみられる。
  意味連関とは、ある目的に対して事物が従目的的に編成される事を指す。すな
わち、机であれば、作業する為の台であり、そこで書き物をするといった目的に
従属する事になる。こうした論理的に叙述できうる事物によって通常の世界は構
築される。魔法的な世界は、この論理の構成からはずれてしまう。
 セシュエーは分裂病の少女の手記の中で、事物との魔法的連関といった表現を
用いている。分裂病を発病した少女ルネは、猿のぬいぐるみについて記述してい
る。猿の手が上がっている状態は彼女にとって脅威を持った状態であり、彼女の
中の心理的観念と結びつき彼女の罪を告発する存在となる。セシュエーが猿の手
を降ろしてやる事により、彼女は罪の意識から開放される。
  魔法的世界とは前述のように、事物と精神の深層が直接つながることにより、
成立すると考えられる。その魔法的世界の中で行われる行為は、精神の動きと共
振状態を持つ。
  これが発展した状態がユング心理学のいうシンクロニシティではないかと、考
えられる。そして、精神の深層の世界では、容易にユング心理学におけるアーキ
タイプの概念が出現する。魔法的世界においては、集合無意識レベルでの象徴的
存在(神話的存在)と容易に結びついていくものと推定される。

3.魔法の歴史的考察について

(1)魔法的世界の終焉

  ミシェル・フーコーが狂気の歴史の中で述べているように、資本主義社会の成
立していく過程の中で、狂人たちがいわゆるルナティック・アサイラムに収容さ
れ、隔離されていった。資本主義社会に適応できない人間を、除外していくプロ
セスが歴史的にあったものと考えられる。
  トランス・パーソナル学派のK・ウィルバーは意識のスペクトルという著書の
中で、人間の意識が光がプリズムにより分光され様々な色彩を見せるように、人
間の意識にも、様々レベルがあるとしている。つまり、通常の意識、魔法的意識
といった形で意識のスペクトルとして分光することが、考えられる。
 世界を、精神内に生起する現象として捉えるのならば、意識の階層(スペクト
ル)に応じた世界がありうると考える。とすれれば、かつては、魔法的世界と我
々の通常の生活空間が重なり合って存在した時代があったと想定できる。それが
資本主義の成立過程において、精神病院の発明とともに終焉していった。精神病
院は元々(おそらく現在も)別の世界(つまり魔法的世界)を隔離する為に発明
されたものであり、治療の場ではない。
  では、魔法的世界と、通常の生活世界が重なりあった世界があった時代はどの
ようなものであっただろうか。山口昌夫の中心と周縁理論によりいわゆる未開社
会のモデルを想定すれば、魔法的世界は周縁的世界となり、祝祭の場で世界の甦
りに関わっていたといえる。
  ミルチャ・エリアーデの宗教についての論文からすれば、聖と俗の分節により
神話的世界は形成されていった。聖性は周縁的なるものと、見えない回路で繋が
っていると考えられる。精神病院により隔離される前の狂人は、祝祭の場におい
て、聖的な属性を獲得したものと考えられる。そしてそれは、魔法的世界が生活
世界を覆い尽くす瞬間でもあった。

(2)魔法と神話性

  前章にて述べたように、魔法的意識というものは、ユング心理学における集合
無意識と関連していったと思われる。深層意識は魔法的認識を通じて、世界の中
に神話的な死と再生のプロセスを実現する。
  そして、シンクロニシティを想定すれば、魔法的意識と世界との関係は、イン
タラクティブなものであったと考えられる。つまり、深層意識を通じて意識の現
象界へ世界で起こった事象が生起してくる。又、深層意識で起こった事象が、世
界の中で発現する。こうした事象を総体として魔法と呼ぶ。
 具体的に想定してみると、前者のように世界が精神に発現するのは、精霊の憑
依による実存の神話化であり、後者のように世界への精神の発現は、精霊の召還
として考えられる。
  再度整理すると、魔法とは、神話的世界の中で生きられる認識である。又、神
話的世界とは、魔法的意識の具現化である。

4.現代における魔法

  すでに周知の通り、魔法的世界は死滅し、聖なる者たちは、患者へと転落し、
隔離された。誰にもその権利がないにも関わらず、かの強制収容は実施された。
我々の生活世界とは、意識の階層の中で任意に選択された一つのレベルにすぎな
い。これは、精神病院という名の強制収容所によって、暴力的に特権的地位を獲
得したものである。
  ただ、その暴力的な専制支配自体が万全とは言い難い部分もあり、あらゆる局
面において、神話的(魔法的)世界は噴出しようとしている。圧殺された生の多
様性は、再度復活の機会を窺っている。

  以上





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