#742/1336 短編
★タイトル (PZN ) 97/ 1/ 6 10:43 (200)
冒険世界・振り子――それは幸せの一部 神無月 光季
★内容
走るのは、嫌いではない。いや、むしろ好きなほうだ。
自慢じゃないが、脚は速いほうだし、実際、人間以外の者とは競争して一度
も負けたことがない。
しかし、しかし、しかし――逃げるのは苦手だ!
「はあ、ひい、ふう、へえ……」
リューは、逃げていた。そこは薄暗い洞窟の中。後ろから追いかけてくるの
は、大きな岩のような姿をした怪獣だ。怒れるそいつは、まるで闘牛のような
勢いで、どたどたと走ってくる。あんな太い四本の脚でどうやって、と思いた
くなる速さだ。
曲がり角にさしかかった。リューはすばやく曲がると、手頃な岩陰に隠れた。
少年に三歩遅れて角を曲がった岩の怪物は、豚のようにフゴフゴと鳴きなが
らそのまま駆け去っていった。リューのすぐ脇をすり抜けていったが、気づか
なかった。
「……ほおー」
胸を撫で下ろすリュー。
遠ざかっていく、どたどた……。しかし突然、壮絶な早さで音は逆戻りし始
めた。
……たどたどたどたどたど!
「まみむ!」
気を緩めた鼻先に、悪夢の生物が再び姿を現す。リューは思わずわけ分から
ない悲鳴をあげる。涎がかかってきそうな距離で、そいつは大きく口を開いた。
ジグザグに尖って、乱杭だらけの凶器が迫る。
「め!」
すんでのところで、リューは避けた。上へ飛び上がり、怪物の背中を乗り越
えまた逃げ出す。勢い余って、岩壁を噛み砕いた怪物は「ブキー!」と咆哮を
あげつつ、また後を追ってきた。
「もおー、こんなのばっかじゃないか! ぜったい……ぜーったい辞めてやる!」
最近、口癖となってきたセリフを叫びながら、少年は全力で走ってゆく。
それより、少し前のこと――
「戦闘陣形を取れ!」
冒険隊〈荒鷲の誇り〉の隊長ローエンが叫んだ。声と同時に、後衛について
いたサムが、前へと走り込んでくる。ターヴはすばやく右へ動いた。ターヴの
左横に突っ立ったまま、リューは瞬時に事態を飲み込むことができずぼおっと
していた。その彼を押しのけるようにして、左横で大剣を構えるサム。リュー
はターヴとサムに挟まれた形になる。狭い穴道の中、三人が並ぶ。すぐ後ろに
ローエンがいて、そのまた後ろに魔道師ヴェイドとラエナがいるのだが、二人
はすでに呪文の詠唱に入っていた。
ほどなくして、前方からやって来たのは小鬼族(トロル)の集団だった。身
の丈は人間の半分くらい。しかし、知能は猿の二倍はある賢い生き物で、主に
洞窟や平原に生息している。かつて世界を滅ぼさんとした魔人の末裔だとか云
われていて、やたらと人間に対し、敵対的なことで有名だ。あのオークでさえ、
トロルほどには狂暴ではない。武器は、主として棍棒や原始的な槍。たまには、
何処かで拾ってきたらしい錆びた剣や腐った皮鎧などを使用している場合もあ
る。
騒々しい奇声を発しながら、トロルどもは飛びかかってきた。ターヴは、小
剣を抜き放ちざま、先頭の一匹に斬りつける。絶叫を上げ、そのトロルは絶命
した。サムは、大きな剣を振り上げ、一度に二匹斬り捨てていた。彼らの間に
挟まれているリューも、それなりに頑張っていた。剣術は小さい頃に、正規の
ものを一応基本だけ会得している。他の者の剣技は我流だ。だから言うなれば
彼は、六人の中でもっともまっとうな「剣士」なのだ。が、そんな理屈は現実
に際して何の意味も持たない。「実戦」と「試合」の違いを、リューは痛感し
た。
苦戦しているリュー。ローエンが、その背後から援護してくれている。その
また後ろからはラエナが、小さな蛍のごとき火の玉を飛ばし、敵の額などに当
てて怯ませている。彼女の呪文はおそろしく威力がないが、精度は高い。効果
的な場所や目標に術を飛ばし、前の三人を的確に援護していた……でも、効き
目はあまりない。その逆に、ヴェイドの呪文は威力が大きい。しかし、戦闘中
に唱え終わった試しがないどころか、しばしば失敗するのだった。
結論――妖しの術など、あまり当てには出来ない。
そうだ、魔道の呪文なんて、たいして役に立たないんだ。岩の怪物から必死
に逃げながら、リューは心の中で呟く。だいたい、彼にしてみれば、今こんな
トコロであんなヤツから追いかけ回されているのも、ヴェイドの呪文が原因な
のだ。
……仲間の大半が倒されると、生き残ったトロルたちは退却した。
「終わった……」
リューは大きく息を吐き、緊張をほぐした。その場に座り込みたかったが、
トロルの死体が気持ち悪い。少し先に手頃な岩があった。あれに腰掛けること
にしよう。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
「え?」
振り返る。「しまった!」という顔をしたヴェイドの姿が見えた。他の四人
はすでに、彼の後ろへ避難している。
突如、リューの足元が発光を始めた。光は、地面に魔法陣を描き出し、なお
もまぶしく輝きを放つ。そして、消失した。その地面とともに。ぱっくり開い
たまん丸い大きな穴は、不運な少年を飲みこんでしまうのだった。
「ええー!?」
ヴェイドの作り出した縦穴は、下にあった別の縦穴に繋がっていた。少年は
そこをさらに転がり落ちてゆき、そして岩の怪物に体当たりしてどうにか止ま
った、という訳なのだ。
リューは、ため息をついた。僕って、鈍くさいのかなあ……などと思ったり
もする。
しかし、逃げるということは、何と大変なことなのだろうか。走るだけなら
自信があるリューも、逃げるとなるといつもビリだった。他の隊員たちが持つ
逃げ足の速さには感動を覚える。嫌みではない。心底、そう思うのだ。何があ
るかも分からない、見知らぬ場所を進むというのは、それだけでかなり不安な
ものだ。その上走りながら、しかも後ろからとんでもないヤツに追いかけられ
ているのだから、精神的な負担はあまりあるものがある。重い荷物も担いでい
ることだし。
……疲れて、ぼんやりとしてきた、頭の芯。
ああ、何やっているんだろうな、僕は。
リューは、そう思わずにはいられなかった。魔道師、盗賊、僧侶、狩人……
幾度となく職を変えてきたが、「何やってるんだろう」とは、その度に思って
きたことだった。
最初の感動と、やがて訪れる退屈。見た目と実際、大変さの違い。忍耐の限
界。職を変えるきっかけは、様々あった。しかし、それら以前に、「自分は今、
本当に幸せなんだろうか?」という疑問が湧いてきて、彼の心を苛むのだ。
幸せなのか? ――いや、こんなことで満足しちゃいけないんだ!
転職を決意させるものは、決まってこれだった。そして転職、また転職の繰
り返し。本当の幸福を探すために。そんな理由、他人の目から見ればただ単に
こらえ性がないようにしか映らない、てことも理解しているつもりだった。
そうなのかな? 僕は、やはり我侭で甘ったれているだけなんだろうか。「本当の幸
せ」などと、ありもしない幻を追いかけているだけなのだろうか?
――脚が、痛い。そろそろ限界だった。それにしても、しつこい怪物だ。ま
だ追いかけてくる。
頭もきりきり痛い。こんな時には、沢山いる兄弟たちの声が、聞こえてくる。
ああ、結局こうなるしかないんだ。我慢するさ。無駄な努力ほど、馬鹿馬鹿
しいことはない。つまらないなあ、つまらない、つまらない……。
「うるさーい!」
リューは、叫んでいた。頭を、激しく何度も振った。
つまらない人生なんて、送ってたまるか! 誰が何と言おうと、僕は自分の
道を行くんだ。誰にも頼らず、誰にもすがらず、救いも求めず、自分自身の手
で、自分だけの幸せを掴むんだ。人並みのなんかじゃない。もっと大きな、も
っと大切な、〈世界の創造主〉だって知らないような何か。そう、まだはっき
り分からないけど、どこかにあるんだ。きっと!
「ちっくしょおお!」
腰の剣を抜く。反撃に出ることにした。リューは、すばやく呪文を唱えると、
左手の内に拳大の光る球体を作り出す。〈光球〉の術だ。殺傷力は全くないが、
使い道さえ無いわけではない。
リューが身構えたのを見るや、岩の怪獣は足を止めた。対峙する少年と怪物。
先に動いたのは、怪物だった。「フゴー!」と吠えながら飛びかかってくる。リューは
それを慎重に避けると、〈光球〉を放ち、怪物の顔面にぶつける。〈球〉は弾け、一瞬
雷光のように煌めくと、そのまま消えた。怪物は案の定目
が眩んだらしく動きが止まった。魔道も意外と役に立つ。
「よし!」
リューは、今しがた〈光球〉を飛ばした方の手を剣の柄頭に添える。そして
思い切り、怪物の首筋を突いた。
がちん! と、おそろしく硬い手応え……剣は、切先すらも食い込んでいな
かった。目を開き、ぎょろりとリューを睨む岩の怪物。
飛び離れ、リューは再度構えた。岩の怪物が走ってくる。どたどたと。だが
かなり速い。ダメだ、殻が硬すぎる。
……こうなれば、いちかばちかだ!
リューは、もう一度「突き」を試みることにした。しかし、今度の狙いは首
筋ではない。身体の外側からではダメなのだ。硬い外皮に護られている。なら
ば、身体の内側から攻めるまでだ。
一直線に突っ込んでくる怪物。
まだだ……。
リューは、機会を見計らった。
怪物が、大きく口を開けた。そして地面を蹴り、跳躍した。文字通り飛びか
かって来るつもりだ。
今だ!
渾身の力を奮い、剣を突き出す。狙いは――怪物の口。
「グ!」
見事、狙い通りの場所に剣は突き立った。しかし、勢いがついていた怪物の
身体は止まらず、リューは追突され、はね飛ばされてしまった。
地面に叩きつけられたリュー。背中を襲う凄まじい衝撃。激痛で、リューは
しばらく身動きも出来なかった。
痛いところをかばいながら、やがて起き上がる。そして、怪物を見た。這い
つくばったままほとんど動かないが、まだ時折もぞもぞする。痙攣しているよ
うだった。死にかけているのだろう。
リューは、荒く息をしながら、じっと見守っていた。不可思議な生き物が、
動かなくなる瞬間を待っていた。しかし、それは動いた!
「……ああー!」
ぐりっと振り返り、怪物は噛み砕いた剣の、木でできた柄の部分をぺっと吐
き出した。
リューはあわてて、きびすを返した。逃げる、逃げる。怪物は追いかけてく
る。
もう嫌だ!
リューはいい加減、嘆かずにはいられなかった。この追いかけっこは、いつ
になったら終わるのだろう? その答えは見当がついていた。おそらく、自分
が冒険者な限り、ずうっと続くに違いない。
新米の少年冒険者を捜し、あてどもなく彷徨っていたが、やがて一行は地上
に出ていた。外は、見渡す限りの熱帯雨林だ。じめじめした熱い空気が穴の外
から吹いてくる。
「ありゃりゃ……とうとう外に出ちまったぜ」
前衛を務めるターヴは、自分たちが穴道の終点に到着したことを告げた。
「だから、上に昇ってどーすんの、て言ったじゃないのよ。リューは下に落ち
たんだよ」
サムはいささか呆れ顔だった。
「しょうがねえだろ? 下に降りる道なんぞなかったんだからよ」
リューが落っこちた穴に縄を垂らし、何人かが降りてもよかった。しかし、
トロルに襲われたばかりだ。隊を分ける危険は避けたい。だからと言って全員
で降りたりすると、やはりトロルに縄をほどかれたりして一層危険だ。二度と
地上へ出られなくなるかもしれない。ローエンは、まず比較的安全に降りられ
る道を見つけることが先決だ、と判断したのだった。
「まじめに捜してるんでしょうね」
「当たり前だろが。見捨てるつもりで不真面目に捜してんのなら、もっと早め
にここへたどり着いてる、ての」
その口振り自体がかなり不真面目に聞こえるのだが、サムは鼻を鳴らしただ
けで、口には出さなかった。ターヴが、こんな時までウケを狙い、馬鹿げた行
動を取ったりはしない、ということぐらい理解してやってるつもりだった。
しかし、それでもサムは確信する――ターヴという男は、根っからの詐欺師
かつ根性腐った悪党で、しばしば無意識のうちに自分自身すら欺き、嘲ってい
るということを。
「とにかく――」
サムは後ろを向いた。
「隊長、こっちの道は外に出てしまいます。すぐ中へ引き返しましょう」
サムの言葉に、ローエンは少し思案する。それから、彼女の言葉を拒否した。
「……ダメだ。全員しばらく休憩し、それから次の行動を決めることにする」
「た、隊長! ちょっと、仲間を見殺しにするわけ!?」
サムの非難に、ローエンは淡々と答えた。
「みんな捜し疲れて疲労が溜まっている。少し休まなければ、いざという時危