AWC お題>彼女の笑顔で世界がかわる―暗黒神の誕生―  青木無常


        
#740/1336 短編
★タイトル (GVJ     )  96/12/30  12:53  (191)
お題>彼女の笑顔で世界がかわる―暗黒神の誕生―  青木無常
★内容
 その者の名をとなえてはならぬ。その者の名をとなえてはならぬ。その者の名を
となえてはならぬ。その者の深き眠りをさまたげるがゆえに。その者の深き眠りを
さまたげ、暗黒の深淵の底から、おそるべき注視をなんじにもたらすがゆえに。死
してなおとらわれた呪われた亡者どもの、腐臭にみちた朽ちた肉体を間近に呼びよ
せるがゆえに。なんじの四囲に、悪夢と混沌と絶望とを屍衣のごとくまとわせるが
ゆえに。その者の名をとなえてはならぬ。その者の名をとなえてはならぬ。その者
の名をとなえてはならぬ。その者の名をとなえてはならぬ。口にせしときはまちが
いなく、このことばをくりかえし、ラッハイの印を二十と二度、その胸とこうべに
結ぶべし。それでもその者の眠りは、四周をくねりとぶ羽虫に悩まされるがごとく
さまたげられ、保留された世界の破滅と崩壊にまたひとつ、われわれは近づかねば
ならぬだろう。その者の名はゼル・ジュナス。かつて英雄神とあがめられた大いな
る者。千の目の魔神。銀色の獣。絶望を、その閉じたまぶたの裏にひそめたる者。
この世界の所有者。その者の名をとなえてはならぬ。その者の名をとなえてはなら
ぬ。その者の名をとなえてはならぬ。

 かつて、英雄神ウル・ジュナスの威光は世界のすみずみにまでいきとどいていた。
そこにはいかなる悪も悲惨も存在を許されぬまま、ひとびとと神々はともに大いな
る慈悲の心もつ英雄神の庇護のもと、生きることのよろこびを存分に謳歌していた。
 ウル・ジュナスの身にまとう光輝は太陽神ティグル・ファンドラのかがやきをも
凌駕し、その英知はひろき目をもつ者イームレスをも圧倒した。空にみちたる悪鬼
ガッジャ・バッガは駆逐され、炎にやどる貪欲なるヴァルドゥの悪しきみたまもう
ち砕かれた。ディエガとウル・パニスとエソは地の底深き淵に封じられ、ただ死界
の支配者マージュのみが死すべきさだめを課せられたひとびとから、その魂をおの
が領土へとみちびくことを許されていた。だがそれもまた、大いなる英雄神ウル・
ジュナスの威光により、ゆめゆめ粗略にあつかわれることはなかった。世界にはや
すらぎとよろこびがあふれかえり、宝石のようなかがやきを放つ歌がみちみちてい
た。
 ある日、風の神イア・イア・トオラがいう。「大いなる英雄神ウル・ジュナスよ。
われらはそなたの大いなる力と慈悲とにより、かぎりなき平安を謳歌しているが、
それは永遠につづくのか」
 英雄神はかがやくような微笑をそのかんばせにうかばせながら、静かにこたえた。
「風の神イア・イア・トオラよ、それはつづく。永遠に。われの心が、悪にゆらが
ぬかぎり」
 それをきいて神々は安堵し、また驚愕し、また苦虫をかみつぶした。大いなるウ
ル・ジュナスの威光があまりにも深くひろきゆえに、そのかがやきにおのが影をう
すくさせられたことをうらんでいたからである。
 そこで時をつかさどる神ガルガ・ルインが問いかけた。「大いなる英雄神ウル・
ジュナスよ。そなたの心をゆるがす悪というのは、いかなるものか」
 英雄神は、かがやくような微笑をそのかんばせにうかばせながら静かにこたえた。
「われはそれを知らぬ。なぜならばわれは、絶えてそのようなものに出会うたこと
がないゆえに」
 そこで神々はこうべをつきあわせて話しあった。われらを、不滅の存在たる神々
をまどわせるものはなにか。それは恐怖である、とイームレスがいった。それは悲
哀である、とアフォルがいった。それは怒りである、とユール・イーリアがいった。
それは愛である、とウル・シャフラがいった。
 そこでイームレスはウル・ジュナスのもとへとおもむき、この世界のおわりを告
げるべき者、超越せし者、歩み去る者ヴィエラス・パトラの話を語ってきかせた。
「それはおそるべき者だ」とウル・ジュナスはいったが、そのかんばせにうかんだ
おだやかな笑みがゆらぐことはなかった。
 そこでアフォルはウル・ジュナスのもとへとおもむき、バレエスがまだ神々にで
はなく悪鬼に支配されていた時代、そこにあまねく存在し、くりかえされた幾多の
悲恋、惨劇、不幸と絶望とを、とうとうとうたってきかせた。
「それはなげかわしい時代であった」とウル・ジュナスはいったが、そのかんばせ
にうかんだおだやかな笑みがゆらぐことはやはりなかった。
 そこでユール・イーリアはウル・ジュナスのもとへおもむき、この世界を創造せ
し者ジェガ・ジェガ・ニグリアとその眷属が、いかにひとびとを苦しめてきたかを
舞にうつして演じてみせた。
「それは許せぬ所業であった」とウル・ジュナスはいったが、そのかんばせにうか
んだおだやかな笑みがゆらぐことはやはりなかった。
 そこでウル・シャフラがウル・ジュナスのもとをおとずれ、情熱のかぎりをつく
して英雄神の光輝をたたえ、おのれの思慕をうったえ、その愛をうけいれるように
かきくどいた。
 情の女神のうるわしきかんばせと肢体とを前にしてウル・ジュナスは「そなたは
まこと美しく、愛すべきものである」といったが、そのかんばせにうかんだおだや
かな笑みに情熱の炎がやどることはついになかった。
 神々はゆるがぬ英雄神の威光に安堵しながらも地団駄をふんでくやしがり、ゆる
がぬウル・ジュナスの宝石のような心をくもらせるものはほかにないのかと相談を
かわしたが、よい知恵はうかばなかった。
 そのとき、死界の支配者マージュの駆る二匹の猟犬、タジャとフラッバがあらわ
れて神々の耳もとにささやきかけた。
「冥界のさらに彼方、ティグル・ファンドラの光さえとどかぬ暗黒のむこうがわの
玉座にまします、夜の女神レレバ・セレセをお呼びなさい。その黒髪にかこまれた
真白きかんばせは、底なしの深淵のごとくうるわしく、その暗黒の衣につつまれた
肢体は、はてしなき絶望のごとく官能的だといいます。暗黒の女神レレバ・セレセ
の美しさを前にすれば、大いなる英雄神ウル・ジュナスといえども、その心をゆる
がせぬわけにはいかぬかもしれませぬ」
 おのれの美と情熱とを前にして、大いなる神がこゆるぎもしなかったことにいた
く傷つけられていたウル・シャフラただひとりが、その言葉に眉をひそめた。だが、
ほかの十の神々は口々にそれはよい意見だとうなずきあい、死神の猟犬どもにレレ
バ・セレセを招来するよう言葉くだされたのであった。
 神々の命をうけて二匹の猟犬は、前になりうしろになりして冥界をぬけ、闇より
もなお深き暗黒の奥深くふみこんだ。そして無量の時をふみこえてようやくのこと
で、夜の玉座にけだるく腰をおろした暗黒の女神、レレバ・セレセのもとへとたど
りついた。
「暗黒の女神よ、われらは天上の十の神々の命をうけて、あなたさまをむかえにあ
がりました。どうかわれらとともにバレエスの大地へとおもむき、大いなる英雄神
ウル・ジュナスの心をゆるがせたまえ」
 二匹の猟犬タジャとフラッバの口上に、夜の女神はいささかも心ひかれたふうも
なく、ただけだるげにその腕をふって口にしただけだった。
「わたくしの心やすらぐ場所はただ暗黒。地上には、わたくしをめくらますまばゆ
い光輝があふれているがゆえに、そこはわたくしには無縁の場所です。とく、立ち
去るがよい」
 タジャとフラッバは顔を見あわせて困惑したが、なおもいいつのった。
「暗黒の女神よ、われらは大いなる英雄神の威光に、いささかへきえきしているの
です。そのかがやきをくもらせることができるのは、あなたさまのその底知れぬう
るわしさと神秘のかげり、ただそればかり。どうかわれらとともにバレエスの大地
へとおもむき、ウル・ジュナスの心をゆるがせたまえ」
「そのウル・ジュナスはどこにいる」
 女神はそのかんばせを両の手でおおったまま、静かにきいた。
 二匹の猟犬が指さすさきを見て、夜の女神は音もなく首を左右にふり、いった。
「あの光輝こそ、わたくしをこの暗黒の奥底深くおしこめているもの。あれはわた
くしにはあまりにもまばゆすぎる」
 タジャとフラッバは、招来をことわられたものとひどく落胆した。だが、そんな
二匹の猟犬の落胆したようすを見て、女神レレバ・セレセは声高く笑ったのであっ
た。
「あの光輝をくもらせれば、バレエスはわたくしの世界にもなりましょう。猟犬ど
も、案内するがよい」
 タジャとフラッバはよろこびいさんで小踊りしながら暗黒の女神を先導し、こう
してレレバ・セレセは大いなる光輝放つウル・ジュナスのみまえに立ったのだった。
 目前に立つ見なれぬ女神を目にしてウル・ジュナスはほほえみながら問いかけた。
「黒き衣まとう女神よ。そなたはなぜそのかんばせをその両手でおおう? 白きう
るわしきかんばせにかがやく、その両の瞳はさぞ美しかろうに」
 暗黒の女神はその両の手で顔をおおったまま、ウル・ジュナスにいった。
「あなたさまの光輝があまりにもまばゆすぎるがゆえに、わたくしには目をひらく
ことさえもできませぬ。大いなる英雄神よ、どうかそのつきせぬかがやきを、わた
くしのためにすこしだけでもやわらげたまえ」
「これでどうか」
 とウル・ジュナスは、すこしだけその光輝をやわらげてみせた。だがレレバ・セ
レセは、その両の手で顔をおおったまま首を左右にふるうだけだった。
「それでは、これではどうか」
 とウル・ジュナスは、さらにすこしだけその光輝をやわらげてみせた。だがレレ
バ・セレセは、その両の手で顔をおおったまま、またしても首を左右にふった。
「それでは、これではどうか」
 とウル・ジュナスは、さらにすこしだけその光輝をやわらげてみせた。だがそれ
でもレレバ・セレセは、やはりその両の手で顔をおおったまま、首を左右にふるう
だけだった。ウル・ジュナスはいった。
「これでは、われはいつまで経ってもそなたのうるわしき姿を目にすることはでき
ぬ。そなたの、その両の手をどけさせるために、いったいわれはなにをなせばよい
のか」
 すると女神はその手で顔をおおったまま、いった。
「それでは大いなるジュナスよ。わたくしのためにあの天空にかがやくおそるべき
光明神を、闇のヴェールでおかくしください」
 レレバ・セレセの懇願にしたがって、ウル・ジュナスは天をめぐる太陽神ティグ
ル・ファンドラをわしづかみ、暗黒のヴェールでそれをおおってみせた。
「これでどうか」
 とウル・ジュナスは問うた。夜の女神はまだそのかんばせを両の手でおおったま
ま、いやいやをするように首を左右にふってみせた。
「まだまぶしすぎます」
「それでは、さらにわれはなにをなせばよいのか」
「ではウル・ジュナスよ。世界を経めぐりつきせぬ笛の音でわれの耳を悩ます風の
神をひとつところにおとどめください」
 レレバ・セレセの懇願にしたがって、ウル・ジュナスは世界を経めぐる風の神イ
ア・イア・トオラをわしづかみ、ひとつところにおしこめて身動きできぬようにし
た。めぐることをやめたイア・イア・トオラは絶望のうめきをあげてかすかに身を
ふるわせることしかできなくなった。両の手の下で夜の女神は、かすかにくちびる
をふるわせて笑った。
「これでどうか」
 とウル・ジュナスは問うたが、またも夜の女神は首を左右にふった。
「まだまぶしすぎます。今度は、その身もだえとともに大地をふるわす、磐石の神
を討ちしずめてください」
 そこでウル・ジュナスは、世界をふるわす大地の神ヴォールの四肢をひきさき、
その五体をバレエス中にばらまいた。
 だがレレバ・セレセは、まだまぶしすぎるといった。
「大いなる神よ、わたくしはこのバレエスにあふれかえるがごとく繁殖した、人間
なる者のかわす言葉の声音がおぞましくてたまりませぬ。かれらのよろこびはわた
くしのかなしみ、かれらの平穏はわたくしの失望」
「では見知らぬ女神よ」とジュナスは問うた。「われはそなたのために、なにをな
せばよいのか」
 暗黒の女神は声もなく笑い、そしていう。
「ひとびとの苦しみもだえる声を、わたくしはききたい。底なしの絶望に身もだえ、
つきせぬ地獄の業苦にうめき呪詛する、うるわしき暗黒の歌声をわたくしは、きき
とうございます」と。
 大いなる神はうなずき、天の玉座を立って地上へと来臨し、暴虐のかぎりをつく
してあまねくバレエスの大地を蹂躙してまわった。天に光はなく風はめぐらぬまま、
海はさかまき大地はひきさけ、ひとびとは希望を喪って泣き叫びながら逃げまどい、
世界は荒廃し果てて絶望ばかりがそのおもてをおおいつくした。
 十一の神々は怒り嘆き、大いなるジュナスの変心をなじったが、光輪を喪い、そ
のかわりに絶望の黒き衣をまとった力ある者は、もはや移り気な神々の言葉になど、
きく耳をもたなかった。
 このときよりウル・ジュナスは、ウル・ジュナスであることをやめ、ゼル・ジュ
ナスとなったのである。世界に闇をもたらす者、破滅を内包せし者、暗黒神の誕生
である。
 やがて疲れはてた世界を背に、暗黒神と化したジュナスは、大地の果てでレレバ
・セレセのひざにやすらぎ、深き眠りについた。
 神々はぼろぼろのからだをひきずって、ようやくのことでバレエスへと帰還し、
ずたずたにひきさかれた世界を形ばかりととのえた。だがそこには、かつての威光
も歓喜ももはや二度と存在することはなかった。そして、ただただかりそめにまぬ
かれただけの破滅と終末をうちにして眠る、ゼル・ジュナスの眠りをさまたげぬよ
う、神々と生き残ったひとびととは息をひそめて生きねばならぬようになった。
 こうしてバレエスは、暗黒と絶望の時代をむかえたのである。きたるべき終末を
待って、ただただおそれ嘆きつつ暮らされるばかりの、希望なき保留のいまをむか
えたのである。

 それゆえに、その者の名をとなえてはならぬ。その者の名をとなえてはならぬ。
その者の名をとなえてはならぬ。その者の深き眠りをさまたげるがゆえに。口にせ
しときはまちがいなく、この呪句をくりかえし、ラッハイの印をその胸とこうべに
結ぶべし。その者の名はゼル・ジュナス。絶望を、その閉じたまぶたの裏にひそめ
たる者。この世界の所有者。その者の名をとなえてはならぬ。その者の名をとなえ
てはならぬ。その者の名をとなえてはならぬ。となえれば、夜の女神の笑いをまね
くであろう。それは破滅のつつぎのはじまりなれば。
                                  ――了




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