#716/1336 短編
★タイトル (NFD ) 96/12/ 2 21: 6 ( 74)
怪談 『刺身』(つづき+あとがき) ・峻・
★内容
「神様ですよ」
後ろの助役が小声で言った。
白い薄布を全身にまとわせ、若く端正な顔は男とも女とも見えた。目を薄く開き、
静かに微笑んでいる。
降り立った神様は、確かにそこにいた。
居並んだ島人たちは口々に、おお、という声を上げている。それは異常な事態が起
きたという驚きではなく、約束が果たされた安堵の声だった。
私は夢を見ているのか。
「先生、よかったですね」
助役が背中を突っついてきた。
「ああ」
やっと声を絞り出した。
「もし、降りてこなかったら、面倒なことになったのですが」
「え?」
聞き返そうとしたとき、思いもよらないことが起こった。
今まで壇の裏側に隠れていたのか、突然、白装束の屈強な男たち三人が壇上に駆け
上がり、神様の頭に麻袋をかぶせると、床に引き倒し馬乗りになって押さえつけたの
だ。
私はただ茫然としていた。
横の長老がすくと立ち上がって、壇に上がった。手には包丁と箸が握られている。
長老は男たちの下で身もがく神様の横に膝をつき、深く一礼すると、麻袋の裾から
覗いた細い首に、鈍く光る包丁の刃を当てがった。
何をするんですか!
私の叫びは声にならなかった。
鮮血が噴き上がった。麻袋の中からくぐもった呻きが洩れた。
島人たちは全員が立ち上がって、足を踏みならしている。
「久しぶりに本物が喰える」
「生き造りだ」
そんな声が聞こえたような気がした。
壇上の男たちはすでに血塗れだった。
だめだ。
夢だとしたって、こんな夢はだめだ。
耐えられない−−
私には、耐えられない−−
「夕べは無理にお誘いして、申し訳ありませんでした」
長老の家から港に向かう車の中で、ほとんどしゃべろうとしない私を気にして助役
が言った。
「いえ、私こそ飲み過ぎて、途中で寝込んでしまって、ご迷惑をおかけしました」
声を出すと頭が割れそうになる。
「そんなことは大丈夫です。神事は三年に一度やりますから、先生、またいらしてく
ださいよ」
「ええ」
もう御免だ。刺身も神様も。
◇ ◇ ◇
あれから何年かたった頃、いわゆる離島ブームが起こりました。
何もなかった神降の村にも民宿ができ、八丈島からの定期連絡船も増えて、今、神
降島はすっかり若者向けのマリンリゾートになっています。
もうあの島に神様が降りられる時代ではなくなったのでしょう。
でも、神降島でダイバーやキャンパーが行方不明になったというニュースを聞くた
びに、私はあの神おろしの儀式を思い出します。
今も、私は刺身が苦手です。
(完)
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あとがき
怪談シリーズもこれで5作目になりました。
『沼』『電波』と叙情的なものが続いたので、今回は怪談の原点に立ち
返ってちょと恐いのに挑戦しました。
200行をわずかに越えてしまいましたが、長編というほどのものでは
ないのでこちらに入れました。
・峻・