AWC ノルマ    千秋


        
#693/1336 短編
★タイトル (PAN     )  96/11/16  11:50  ( 61)
ノルマ    千秋
★内容
 「ばかやろう!」
 佐藤部長の怒鳴り声。我が新日本生命の一日は、必ずこれから始まる。
 「秋山!貴様、また昨日も契約とれなかったのか!おまえ、無契約の日が何日続い
ているのか自分で分かっているのか!十日だぞ十日!十日も新規の契約がとれなくて、
よくそれで生命保険の営業マン、やってられるな!会社はおまえを遊ばせるために給
料払ってんじゃねーぞ!やる気ねーなら、辞めちまえ!!」
 「しかし、昨今の不景気で、なかなか生命保険の掛け金を増やそうと言うお客様が
少なく……」
 「おい、秋山。不景気ってのは世の中の誰にも平等に降りかかっているものじゃな
いのか?。それともおまえの周りだけ不景気なのか?契約をとってくるおまえの同僚
は、不景気とは縁がないって言うのか?え?どうなんだ、秋山!答えてみろ!!」

 新日本生命は同業他社に較べ、ノルマがめっぽう厳しい。それも当然のことで、給
料の方も他社に較べて格段に高いのだ。しかし高いといっても、それはノルマを達成
したものだけの特権である。自分に与えられたノルマを達成できないものは、それは
それは雀の涙ほどのはした金しかもらえない。しかもこのノルマ、いわゆる達成目標
というやつは、上がることはあっても下がることは決してない。つまり、新人のうち
は低いノルマを与えられ、それを達成し高給取りでいられるが、年を経るごとにノル
マが上がり、達成困難になり安月給になってしまう。達成困難になるのは、人によっ
て多少の違いはあるが、およそ入社15年目頃にあたる。大学卒の社員だと37〜8
歳といったところ。結婚して子供ができて家を買って、一番お金のかかる時期に一転
安月給となることが多い。転職をしようにも特殊技術もなく、30代後半という年齢
もネックになって、なかなか思うようにはいかない。実はこの新日本生命、業界一ノ
ルマが厳しく、業界一給料が高いだけではない。業界一社員の死亡率が高いことでも
有名なのである。厳しいノルマに悩み自殺するものもいれば、ノルマ達成を目指すあ
まりに過労死するものも少なくないからだ。

 佐藤部長の檄も終わり、営業部員は今日も厳しいノルマに少しでも近付くために、
会社を飛び出していった。朝礼で怒鳴り通しだった佐藤部長も席に着き、喉を潤すた
めにお茶をすすっていた。つい先ほどまで罵声と緊張感で満ちあふれていた社内の空
気は和らぎ、数人の事務社員が何事もなかったような顔で仕事を始めている。
 「佐藤部長。社長がお呼びです」
 社長秘書の声に佐藤部長はすっと背筋を伸ばした。来たか。決算の日を近くにして
ノルマ達成に未だ至らぬ理由を述べよ、というところだな。佐藤部長は顔をこわばら
せながら社長室へと向かった。

 「佐藤君。話というのは他でもない。ノルマのことだ」
 佐藤部長が部屋に入るなり、社長はいきなりこう切り出した。
 「私としても努力はしているのですが……。なかなか数字が伴いませんで」
 「私は言い訳を聞くために君を呼び出したわけではない。ノルマ達成のためにどう
いう方策を採っているか、それが聞きたいんだ。どうなんだ。会社の今期のノルマを
達成するためには、個々のノルマをもう少し増やした方がいいんじゃないか」
 「いえ。これ以上個人のノルマを増やしますと、会社を辞める人間が出てくるおそ
れがありますので……」
 額の汗をハンカチで拭いながら話す佐藤部長を無視して、社長は追求を続けた。
 「では、どうすると言うんだ?もしノルマが達成されないときは、君に責任をとっ
て貰ってもいいんだぞ」
 「そ、そんな滅相もない……。近日中には一人、今朝の朝礼でもかなり激しく叱っ
た秋山君あたりが、もう少しでやってくれるのではないかと思われます。それと、予
備軍としては高橋君の顔色もかなり悪くなってきていますし、木崎君も先日の健康診
断で肝臓がかなりやられていたという報告を受けています」
 必死の形相で弁明する佐藤部長を社長は冷たく見やった。
 「決算の日まであと二ヶ月。それまでには、少なくとも二人は死んで貰わなくちゃ
ならん。分かっているな。だいたい君は、なんのために会社が社員に生命保険を掛け
ていると思っているんだ。社員には内緒で契約し、受取人を我が社にしているのは、
まさかの時の保険というわけではないんだぞ。資金運用の一つなんだ。若いうちに死
んで貰わなければ、会社の利益が減ってしまうじゃないか。佐藤君。君なんかは資金
運用の失敗例だな。そんなに長生きされては、掛け金が増える一方じゃないか。丁度
いい。ノルマ達成に一役買ってみないか?」
 
                             96/11/16  千秋




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