#692/1336 短編
★タイトル (PAN ) 96/11/13 12:43 ( 77)
優しい少年 千秋
★内容
「ぼくのかぞく」 1ねん2くみ こにし けんた
ぼくのおとうさんは、ぼくがうまれてすぐにしんでしまったそうです。だからぼく
のうちは、おじいちゃんとおかあさんとぼくの3にんかぞくでした。ぼくのおかあさ
んはかんごふさんでした。でもいまはけいさつにたいほされて、「けいむしょ」とい
うところにいます。なぜなら、おかあさんはわるいことをしたからです。おかあさん
はおじいちゃんにどくをのませたので、おじいちゃんはしんでしまいました。ひとを
ころすのはわるいことです。だからおかあさんはけいむしょにいきました。いまぼく
は、おとうさんのいもうとのたえこおばさんのいえにすんでいます。たえこおばさん
がぼくのあたらしいおかあさんになりました。たえこおばさんのだんなさんのよしお
おじさんが、ぼくのあたらしいおとうさんです。だからぼくのうちはまた3にんかぞ
くになりました。
「健太くん。どうしてお母さんがおじいちゃんに毒を飲ませたって思うの?」
僕の顔をのぞき込むようにして、千尋先生が聞きました。千尋先生は僕のクラスの
担任の先生です。千尋先生は僕たちと一緒にどろんこになるまで遊んでくれる、楽し
い先生です。僕たちがいたずらをして校長先生に怒られたときも、一緒になって怒ら
れてくれた優しい先生です。千尋先生は僕のクラスの人気者です。僕も千尋先生のこ
とが大好きです。その千尋先生が、今日の国語の時間に書いた「ぼくのかぞく」とい
う作文について教えて欲しいことがあると言って、放課後、僕を職員室に呼びました。
職員室には千尋先生と僕のふたりっきりでした。千尋先生と僕は窓際のお客様用のソ
ファに並んで座りました。
「だって僕知ってるもん。お母さんはおじいちゃんに悪いお薬をあげてたんだよ」
「悪いお薬って?」
僕は千尋先生に、僕の一番の秘密を話そうかどうしようか迷いました。僕はこの秘
密をまだ誰にも話したことがありませんでした。どうしようかなぁ。千尋先生になら
話してもいいかなぁ。
「おじいちゃんはね、お母さんのお薬で心臓が悪くなったの。狭心症っていう病気
だったんだって。お母さん看護婦さんだったでしょ。だから病院で貰った良いお薬と
悪いお薬を取り替えておじいちゃんにあげてたの。だからおじいちゃん、心臓が悪く
なって死んじゃったの」
千尋先生は僕の言葉に驚いていました。
「健太くんはどうしてそのことを知っているの?誰かに聞いたの?」
「う〜んとねぇ……」
おじいちゃんが死ぬ1週間くらい前かなぁ。お母さんと台所でお話ししてたんだ。
今でもちゃんと覚えてるよ。その時お母さんは、僕の大好きなカレーを作るためにジ
ャガイモをむいていたんだ。
「お母さん。おじいちゃんの心臓、全然良くならないね」
「そうねぇ。心臓の病気はお薬じゃなかなか治らないからねぇ」
僕はお母さんの言葉にびっくりしたんだ。だって、おじいちゃんは薬のおかげで長
生きできるって、大事に大事に飲んでいることを僕は知っていたんだもん。
「でも、おじいちゃんは魔法のお薬だっていって、いつも大切に持ち歩いているお
薬があるよ。大切だからって僕にも触らせてくれないよ。あれ、魔法のお薬じゃない
の?」
「あぁ、あのお薬ね。あれはね、病気を治すお薬じゃないのよ。それにね、とって
も危ないお薬だから、健ちゃんは絶対に触っちゃ駄目よ」
「でね。僕、おじいちゃんの魔法の薬が悪い薬だって気が付いちゃったんだ。それ
でね、お母さんからその薬の名前をなんとか聞き出したんだ。ニトログリセリンって
言うんだって。お母さん、僕が何も知らないと思って教えてくれたんだと思うけど、
僕、辞書で調べてみたんだ。難しい漢字がいっぱい書いてあってよく分からなかった
けど、その中にダイナマイトって書いてあったのは分かったよ。ダイナマイトだった
ら知ってる。爆発するやつでしょ。お母さん、そんな危険なものをおじいちゃんに魔
法の薬だって騙して飲ませてたんだよ。そんな薬を飲んでたら、心臓だって病気にな
るよね。だから僕ね、このままじゃいけないと思って他のお薬と取り替えたの。お母
さんが美容と健康のためにって飲んでる薬の中から、似ているの探して。でもね、お
じいちゃん、胸が苦しいって死んじゃったの。きっとお母さんの悪い薬をずっと飲ん
でたから、間に合わなかったんだね。もっと早く取り替えてあげれば良かったね。そ
うすれば、おじいちゃんもまだ元気で生きていたし、お母さんも悪い人になって刑務
所に入ることもなかったのにね。そうしたら、今だってお母さんとおじいちゃんと3
人で仲良く暮らせたのにね。僕がもっと早く気づいていれば、こんなことにはならな
かったのにね」
<宮前千尋の独り言>
私はこの彼の告白をどうしたらいいのだろうか。彼はおそらく本当のことを話して
いるんだろう。なぜなら、狭心症の患者からニトログリセリンを取り上げることがど
んなに恐ろしいことか、彼は知らないから。彼は自分が祖父を殺してしまったことも、
もちろん分かっていないから。しかし少年の母親は彼の行為に気づいて、自分がやっ
たと言い張っているのだろう。このあどけない少年は祖父と母を守るために薬をすり
替え、母は我が子を守るために罪をかぶった。彼があと五つも年上で、辞書の漢字を
すべて読むことができれば、この悲劇は起こらなかったのだろう。
そう。あと五年も経てば、彼は辞書の漢字を読むことができるようになり、自分が
あのときに何をしたのか知ってしまう。そして祖父の苦しみと、母の愛に気づき、苦
しみ悩むことだろう。
真実を聞いてしまった今、私には一体なにができるのだろうか……
96/11/13 千秋