AWC お題>うみの苦しみ       青木無常


        
#657/1336 短編
★タイトル (GVJ     )  96/ 9/15  12: 8  (140)
お題>うみの苦しみ       青木無常
★内容
 これは福音である。おまえたちにこの一万年絶えておとずれることのなかった約
束の時であり、新たなる地平である。
“新たなる獣”と呼ぶことにしよう。それは海からくる。これはその誕生にまつわ
る顛末でもある。倦んでいるおまえたちに贈られる最後の契約である。万年の倦怠
が終わろうとしていることが、いま、おまえたちに知らされる。
 さて。
 おまえたちもよく知っていることだ。
 ある千年紀の終わり、おまえたちのへばりつくこのプレシャス・プラネットはそ
の滋養をしぼりつくされ瀕死の状態であった。その甘い果実のひからびたしぼりか
すの表面で、一部のひらめきある者たちが生き延びるためにあるひとつの結論に達
し、それを実行したことも、おまえたちのよく知っていることである。
 戦争と飢餓と粛清の世紀を経ておまえたちはふたつの種類に弁別された。ひとつ
は“天にすまうひとびと”、世界を悠然と遊弋する七つの浮遊都市に悠々自適のく
らしをおくる者たち。そしてもうひとつは“地をはう者ども”、やせ枯れた荒野と
くずれ落ちた廃虚のつらなる地上で、天上のひとびとのために終わりなき労働を強
いられる者たち。
“地をはう者ども”は断種された家畜であり、自由をもたなかった。ある種の物質
と融合すると活性化して宿主に致命的なダメージをあたえるウイルスをしこまれ、
肉体内からとろけて終滅する日をおそれながら支配者たちに隷属する日々をおくっ
ていたのだ。この、呪われた生を見るがいい。見ないふりをしてもだめだ。それは
厳然としてそこにある。おまえたちにはわかっているはずだ。
 すべての子どもらは天上で生まれ、養育され、そして選別される。子どもらの管
理は、“大いなる母”と呼ばれる電子頭脳にまかされている。この名も、おまえた
ちにはなじみの深いものであろう。優生思想がその選別のそもそもの基準だったが、
それもながいあいだにまったくべつの、ゆがんだ基準に変容させられていたかもし
れない。人口は注意深く抑制されてその一部は天上の楽園へ、そして残りの大部分
は地上へとときはなたれる。
 地上においては、回復しはじめた自然までもが“地をはう者ども”を隷属させて
いる。環境にダメージをあたえる者は極刑に処せられ、地上に生きる者たちは箱庭
のような生産の場での、ほそぼそとした収穫をさえ天上に収奪され、やせほそり、
疲れはてて希望もなく生き、そして死んでいくのだ。補充は電子頭脳がいくらでも
生産できる。地上に生きる者たちはそもそものはじまりから絶望をまなび、死は慈
悲の息吹でさえあるのだろう。刮目せよ、地上に生きるおまえたち。この地獄はま
もなくおわる。それがおまえたちにとってさいわいであるのかどうかは、わからな
いものの。
 さて、天上にすまうおまえたち。世界と太陽のめぐみを満喫しているはずの“天
にすまうひとびと”。おまえたちもまた倦んでいる。肥満した精神と怠惰にのびき
った肉体の内側からは、堕落と退屈なるふきでものが日々を浸食し、傲慢と不信、
意志と目的の欠落とがその人生をむしばんでいる。
 医学は発達して百二十年の寿命を否応なくまっとうさせられ、そこには自殺する
権利さえ存在しない。人類を管理する電子頭脳によって完璧に生きながらえさせら
れ、それでもなお“天寿”によって召されていくことにこのうえない恐怖をおぼえ
ながら、提供されるあらゆる美食、娯楽、刺激、思想にのめりこんでは飽いて嘆息
し、幸福と快楽とを憑かれたようにむさぼり苦しみながらうつろに生まれ、死んで
いくのだ。
 だから、そのような者たちが生まれる可能性はない、とはいえなかったかもしれ
ない。
 地上でも天上でも、つねに一部ではテロリズムが礼賛されてもいようし、抑圧者
に対する反動がうごめかずにいた日など数えるほどもなかっただろう。それでも、
おまえたち人類を純粋培養槽にとじこめた設計者たちの計画には、考えられるかぎ
りの完璧性が実行されたし、その者たちが死にたえた今にいたっても、その代行者
たる七つの都市の電子頭脳は、その閉鎖区画の堅牢な鎧のなかでおまえたち“子ど
もら”のゆるぎなきゆりかごをゆらしつづけていたのだ。
 あるいは、それは意志だったのかもしれないし、それともあり得ないはずの偶然
の発露であったのかもしれない。
 ともあれ、おまえたちのなかから生まれたのは、ふたつの種類の、個人であった
と思われる。ひとつは狂気を現出する天才であり、そしてもうひとつは狡猾な破壊
者。
 狂える頭脳の肥大漢は、いかなるテロリズムの攻撃をも事前に察知し、あるいは
はねかえすことのできるはずの電子頭脳の鉄壁のブロックを、気づかれることさえ
なく突破した。そして七つの都市をすべる“大いなる母”の脳に、ある無意味で戦
慄的なコマンドを書き加えたらしい。らしい、というのは、どこをどうさがそうと
そのような人物がいてそのような所業をおこなったという証拠は見つけられなかっ
たからである。ただ単にそれは、電子頭脳がみずからそのようなコマンドを発する
ことなどあり得ないという結論のもとから推測された人物像にすぎない。
 あるいは、実際はそのような人物など存在したことはなく、それは十の世紀にわ
たって人類の狂気と倦怠を抑圧してきた“大いなる母”の内部に否応なく育ちあが
ってしまった歓迎すべからざる因子の発露であった、とも考えられぬことはないだ
ろう。
 ともあれ、それはだれも気づかないうちに深く静かに進行していたのだし、それ
がすべての萌芽となっていたのもまぎれもない事実。
 そしてもうひとつ。
 こちらの人物は確実に存在していた。限定された地上の人類居住区画にではなく、
獰猛ないきおいで回復と拡大を実現しつつあったある密林地帯の奥ふかくに。
 かわりにさだかならぬのは、その出自である。断種された“地をはう者ども”で
はなく、地上のどこかには“野生種”の人間が生きのびており、そこからあらわれ
たのだとする考えかたもある。しかしこれも実質的には不可能とされていたことに
ほかならない。七つの都市にそなわった“大いなる母”の視線は地上におけるあら
ゆる変化を観察し、記録し、把握していた。光学探査はもとより赤外線探査、重力
分布などあらゆる媒体から集めた情報を高度に集積、分析してそこから導きだされ
る可能性を検討し、たとえセンサーにはとらえることはできぬ地下や海底などの限
定環境下でも、どのような事態がおこり、あるいはおこり得ぬかを予測してきた。
その予測は百パーセントとはいえなかっただろうが、それにかぎりなく近かったの
だ。“野生種”の人類など、存在するはずがない。
 あるいは断種やウイルス注入がなされなかった人間、という可能性も考えられる。
しかしそれこそあり得ない可能性にしかすぎないではないか。“大いなる母”は地
球上のすべての状況を把握していたはずなのだから。ましておのれの胎内でおこな
われるみわざに手ちがいなど、おこり得ようはずもないではないか。
 そこでひとつの飛躍した結論が導きだされる。“母”は人類の新しい弟を生み出
そうとしたのではないか、と。理想的な環境下においてあきらかに苦痛の症状をて
いしている人類という種の限界を打破するために、ある種の実験をおこなっていた
のではないか、と。
 この仮定なら、たしかに、狂気を現出する天才も狡猾なる破壊者も、あるいはあ
り得るはずのない書き加えられたコマンドのことさえも説明できそうに思えるだろ
う。だが、やはりこの仮定は飛躍したものであることにかわりはない。電子頭脳に
あたえられた至上命令は人類の種の保存と生存である。これらの者どもはどれも、
それにまっこうから反逆する危険因子にほかならないのだ。
 ともあれ、その三つは発動したのだ。
 おまえたちもよく知っているはずだ。都市に侵入した破壊者は、たった一度の成
功を手に入れた。
 七つの栄光ある天上都市のひとつがある日、どこからともなく火を噴き、崩れ、
倦んだひとびとの悲鳴と破壊者の哄笑とをのせながら、ゆっくりと、だが確実にそ
の機能を停止させていった。
 死刑宣告は緩慢で、なおかつ容赦がなかった。天上都市にすみなれた、平安とい
う名の麻薬におぼれた者どもはなすすべもなく、逃げだすことさえ思いつかないま
ま、あるいは逃げだしたあとの悲惨にとびこむ勇気ひとつおこすこともできずに、
地獄の炎にまかれて嘆きまどうばかりだった。
 太平洋上を浮遊する天上都市は煙を吐きながらゆっくりと大海原に落下し、“大
いなる火”と“水の災厄”を地上にときはなつ。そう、その惨劇は、倦んだ子羊ど
もとともに、それを招来した当の破壊者をもまきこみながら。
 残る六つの都市は戦慄しつつも現状を維持し、おそるべき悲劇は恐怖という賦活
剤で天地二極の倦んだ人類に一時的な活気をあたえることにさえ成功した。おまえ
たちもよくおぼえているはずだ。それがいまでは過去の残滓にすぎぬとはいえ。
 だが、おまえたちの知らぬことも多くある。安穏と退屈を天上のおまえたちが満
喫しているあいだに、それは深く、ひそかに進行していたのだ。
 これは福音である。おまえたちにこの一万年絶えておとずれることのなかった約
束の時であり、新たなる地平である。それは災厄のあの日におこり、そしていまも
なおおこりつづけている。
“新たなる獣”とそれを呼ぼう。
 落下し、沈没し、深く潜行した都市の残骸から生まれてきたものたちだ。それは
ほかの都市でも発見され、不安と恐慌をおまえたちにもたらしたあの、奇怪な生物
たちを擁したものとおなじ培養槽から、ときはなたれたものたちだ。深海の底でひ
そやかな、そして急激な進化をとげてきたものたちだ。
 それはおまえたちとは似ても似つかぬ姿をし、おまえたちとは似ても似つかぬ生
活をし、そしておまえたちとは似ても似つかぬ明日をのぞんでいる。
 その兆候を“母”の鋭敏な感覚がとらえきれなかったはずはない。
 それでも“獣”たちは成長し、人類とは似ても似つかぬその外見と生態とを駆使
して大いなる海におどろくべき短期間で繁栄していったのだ。
 滋養を回復した甘き果実の表に、やがてそれは姿をあらわすことだろう。そして
堕落と倦怠、そして絶望という名のゆりかごにどっぷりとひたりきった旧い種族で
あるおまえたちに、そのあらあらしく獰猛なものたちに抗する力などかけらさえな
い。頂点をきわめて磊落の途をたどる種に、腐りはてた部分がしぼりだされるよう
にして押しだされ、排除されつぶされるときがようやく、おとずれようとしている
のだ。これは福音である。おまえたちにこの一万年絶えておとずれることのなかっ
た約束の時であり、新たなる地平である。
 刮目して待つがいい。そのときは遠くはない。“獣”たちは凶猛な牙をみがき終
え、そしていま、地獄よりもさらに深き淵からおまえたちの天国をのぞいているの
だ。やがて時はきたる。それはおまえたちにとっても“獣”たちにとっても、至福
の時となるだろう。
                                  「「了




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