#654/1336 短編
★タイトル (FJM ) 96/ 9/ 9 23:25 ( 53)
お題>うみの苦しみ(3) リーベルG
★内容
3
マイにとっても、それは初めての体験だった。つまり、仕事としての義務感抜き
で、誰かと身体を重ねることは。要員は、情欲に溺れてしまわないように、常に少
し離れた場所に醒めた感情を残しておくよう訓練されている。だが、マイは今夜だ
けは訓練を忘れ、純粋にクリスの若い身体を楽しんだ。
「はじめてにしちゃ、なかなか上手だったわよ、クリス」
「そりゃあ、90年もたまってたんだから」さすがにクリスは薄い胸板を上下させ
ていた。
「そうね」マイはくすくす笑って、クリスの肩に頭を乗せた。「たっぷり出してく
れちゃったわね。まさか、5回もやれるとは思わなかったわ」
「ぼくも驚いた。自分でやったときは、そんなにできなかったからさ」
「これで思い残すことはない?」
「そう言ったら嘘になるなあ」クリスはマイの髪をいじりながら答えた。「本音を
言うなら、やっぱり死にたくない。だけど、重荷を降ろしたって感じがする」
「文字通りじゃない。あたしの中にいっぱい」
「エッチだなあ。そうじゃなくて、正直いって、人類の未来が君にかかっている、
なんて言われて、結構責任感じてたんだ」
「もういいのよ」マイは優しくクリスを胸に抱いた。「後は、あたしの問題だから」
「子供……できたかな?」
「わからないわ。妊娠したのは間違いないと思うけど。検査してみないと」
「できてたら、やっぱり産むの?」
「そうね。クリスの言うとおり、人類なんてこのまま滅びてしまった方がいいのか
もしれない。一介の娼婦がえらそうに口にすることじゃないけどね」
「マイは娼婦なんかじゃないよ」
「だけど、クリスが言ったじゃない。もう一度チャンスを与えてやってもいいんじ
ゃないかって」
「90才のガキがえらそうに口にするセリフじゃなかったね」
「クリスはもう立派な大人よ。ま、それはともかく」
「最後のチャンス」
「そう。この子が生まれることで、人間も反省して、少しだけ賢明になるかもしれ
ない」マイはクリスの手を自分のお腹の上に導いた。「クリスのお父さんが望んだ
ようにね。逆に、人類にはツキがある、なんて勘違いして、ますます増長するかも
ね。そう考えると、産まない方がいいかもしれないわ」
「産みの苦しみ、産まない苦しみ。どっちにしても、マイには迷惑をかけることに
なったね」
「クリスが気にすることはないわ」
「人類最後の希望か」クリスはつぶやくとマイにキスした。「でも、そんなことは
もうどうでもいいや。なんか、またやりたくなってきちゃったんだけど、不謹慎か
な?深刻な話をしてるときに」
マイは微笑んでキスを返した。
二人の身体が、闇の中で重なり、溶けあった。このささやかな至福の時が、いつ
までも続くはずのないことは、どちらにもわかっている。片方は新たな生に、片方
は不可避の死に向かって着実に進んでいる。すでに別れは始まっていた。しかし、
今、愛と呼べるかもしれない素晴らしい想いを共有した二人は、先のことなど少し
も気にしていなかった。
夜が静かに深まっていく。
The End
1996.09.09