AWC お題>うみの苦しみ(2)   リーベルG


        
#653/1336 短編
★タイトル (FJM     )  96/ 9/ 9  23:25  (176)
お題>うみの苦しみ(2)   リーベルG
★内容

                  2

 マイと、クリスと名乗った少年との共同生活は、数日の間、何事もなくスムーズ
に流れていった。
 マイは昼まで寝ていて、昼から夕方にかけて管理局に出勤しなければならなかっ
た。前の晩の男が体内に放った精子が、卵子と融合しているか、すなわち受精した
かどうかを検査するためである。ほとんどの場合、精子は卵子までたどりつくこと
もできずに死に絶えているが、ごくまれに受精卵が誕生していることもある。それ
が確認された要員は、ただちに厳重に隔離され、監視装置に囲まれて、妊娠の徴候
を見守られることになる。もっとも今まで、妊娠まで進んだケースはなかったのだ
が。
 受精が失敗したことが確認されると、要員はホルモン調整によって、受精可能な
状態に整えられる。そして、夜の仕事のために帰宅する。
 要員が管理された交配相手以外との性行為を行うことは禁止されていた。一人で
住むことを強制されているわけではないが、管理局の許可を得る必要がある。その
場合、相手の身元は厳重にチェックされるから、マイは何かわけありらしいクリス
の存在を届け出るわけにはいかなかった。管理局もいちいち要員の生活を監視して
いるわけではなかったから、まず発覚する心配はなかったが。
 それでもマイは、クリスに対して、あまり出歩いたりしないようにと言い渡して
おいた。だが、その心配はいらなかった。クリスは、外出したいという素振りすら
みせず、一日中、部屋の中で本を読んでいた。

 二人の生活が始まった7日後。
「今日はなに読んでるの?戦争の歴史?戦争に興味あるの?」
「そういうわけじゃないよ」数日の間に、クリスはかなりマイに打ち解けてきて、
口数も多くなっていた。「人間が、本質的にバカなんだってことがよくわかってお
もしろいよ」
「そんなことはいまさら言うまでもないわよ」
「マイは何で要員なんかやってるのさ?」
「あたしが選んだわけじゃないわよ」マイは悲しそうな素振りすらみせずに答えた。
「そうなるべく生まれてきたんだから」
「いやにならない?」
「そうねえ。セックスそのものはいやじゃないわ。というか、そういう風に思うこ
とは、できないようにコントロールされてるから。いやだとしたら、あたしたちの
やってることが、結局ムダになるんじゃないかって思っちゃったりすることね」
「逃げ出したくならない?」
「そういうことは思わない……ううん、思えないようになってるのよ」
「存続させる価値があると思う?」クリスはマイから目をそらした。「人類を」
「さあね。ないかもしれないわね」
 クリスが何かを言おうとしたとき、ドアのチャイムが鳴った。マイは首を傾げた。
まだ仕事の時間ではない。
「変ね。クリス、ベッドルームに隠れていて」
 クリスが姿を消すのを確認してから、マイはドアを開けた。見たことのない男が
立っていた。
「マイ・SXD15843だね」
「ええ。あなたは?」
「管理局の者だ」男はIDカードを見せた。「仕事の方は順調かね?何か生活で困
ったことなどないか?」
「特に不自由はしてませんけど……。それを訊くためにわざわざ?仕事なら、記録
を参照してもらえば……」
「いやいや。ちょっと訊きたいことがあってね」男は一枚のホロを出した。「この
子供を見かけなかったか?」
 マイはホロを手に取った。クリスが映っていた。病院の患者服のようなシャツを
着ている。表情は暗く、何かに怯えているようだった。
 何とか表情を変えることなく、マイはホロを眺めた。すぐに否定しては、おかし
いので、じっくりと考えているふりをしてから首を横に振る。
「いえ、見たことはありません」
「そうか」男は大して期待もしていなかったらしく、追求もしなかった。「もし、
みかけたら、管理局に連絡してくれないか」
「どうしてあたしのところに?」
「この子は、ある重要な実験の被験者でね。10日ほど前に逃げ出したんだ。要員
と接触をはかると信ずべき理由がある」
「へえ。まだ小さい子みたいなのに」
「そういうわけだ。それでは仕事をがんばってくれたまえ」
「ご苦労さま」
 ドアを閉じたマイはカギをかけた。そして、ドアの外の気配が完全に遠ざかるま
で、その場で耳を澄ましていた。
 振り向くとクリスが立っていた。
「マイ……」
「クリス」マイはホロを見せた。「これ、あんたよね。管理局から逃げ出したって
本当なの?」
「うん」
「よりによって」マイは呻いた。「最初から、あたしと接触するつもりだったの?」
「それは違うよ」クリスはきっぱりと否定した。「マイと会ったのは、あくまで偶
然なんだ」
「でも要員の誰かであればよかったわけね」
「それは否定しない。怒った?」
「怒ってないわよ」そう言いながら、マイの顔には厳しい表情が浮かんでいた。「
でも、説明してくれるんでしょうね?」
「どっちみち、あさってぐらいには、全て話すつもりだったんだ。それが限界だっ
たからね」
「限界って何が?」
「最初から説明するよ。座った方がいいよ」

「ぼくは2002年に生まれた」クリスは話しはじめた。「そんな顔しないで聞い
てよ。嘘はついていないんだから。ぼくは今から90年前に生まれたんだ。
 ぼくが10才になったとき、世界情勢がとても不安定になって戦争が起こりそう
だった。今は廃棄されているけど、そのころはまだ核兵器が残っていたから、もし
全面戦争にでもなれば、それが使用されるかもしれなかったんだ。
 両親は相当な資産家で、地球で最も裕福な家族の一つだった。父は悪い人間じゃ
なかったんだけど、人類の将来に対しては悲観的だった。同時に、怒りを感じても
いたんだ。人類が戦争で死滅するのは勝手だ。だが、どうして我々がそれに付き合
う必要がある?ってね。
 その頃、宇宙旅行技術は、民間企業が手を伸ばせば届くところまで来ていた。父
は、そうした企業を買収すると、有人宇宙船を突貫工事で作らせたんだ。金に糸目
はつけなかったし、優秀な技術者を強引にスカウトしてきた。宇宙船は、ぼくが1
3才になったとき、発進準備が整った。
 父の考えはこうだった。戦争は不可避で、人類は滅びるかもしれない。たとえ絶
滅を免れたとしても、地球の環境は汚染され、何世代にもわたって、文明は後退す
るに違いない。ならば、その間、我々は宇宙に退避していよう。そして、地球の環
境が元に戻り、人々がもう少し賢明になった時、再び地上に戻ってくることにしよ
う。
 宇宙船は父と母とぼくを乗せて発進した。全てはあらかじめ計算されていた。宇
宙船はまっすぐ太陽系の外に向かい、冥王星軌道の外側で大きく弧を描いて、再び
地球に接近することになっていた。計算では、地球と月のラグランジュポイントに
戻ってくるまで、420年かかるはずだった。もちろん、その間、ぼくたちはコー
ルドスリープで眠って。大気圏再突入や着陸の設備はなかったけど、父は心配して
いなかった。その頃まで人類が存続していれば、向こうが何とかしてくれるだろう
ってね」
「でも、どうして、あんたはここにいるの?」マイは驚きに打たれながら訊いた。
「予定より、300年以上早いじゃない」
「管理局のせいさ」
「どういうこと?」
「これは推測でしかないけど、管理局は古い記録を探して、例の小惑星爆発前に地
球を脱出した人間がいることを知ったんだと思う。その頃、宇宙船は火星軌道を越
えていたから、放射線は届かなかったか、地球か火星が遮蔽物となったはずだ。つ
まり、完全なDNAを持った生きた人間が三人もいることがわかったんだ。
 当然、宇宙技術は進歩しているから、ずっと高速の宇宙船も今なら作れるし、も
ともとぼくたちの宇宙船はそれほど速度を重視していなかった。追いつくのは簡単
だっただろうね。
 管理局の誤算は、父の人間不信を過小評価していたことだった。地球に戻るまで
に、誰かに乗ってほしくはなかったから、いくつかの武装も用意されていた。当然、
管理局の宇宙船が接近した途端、それは活性化して、攻撃を開始したんだ。
 管理局は反撃しないで接近してきたんだけど、あまりの被害に耐えかねて、とう
とうミサイルを発射した。武装を排除するだけのつもりだったんだろうけど、爆発
は予想以上に大きく、父と母のカプセルに致命的な損傷を与えてしまった。父と母
の身体は爆発で消滅して、破片すら残らなかったらしいね。きっと管理局は悔しが
っただろう。彼らが一番、欲しがっていたのは、母だっただろうから。
 ぼくのカプセルは別の区画にあったから、かろうじて無事だった。管理局はぼく
の身体だけを回収すると、地球に戻ったってわけ。少なくともぼくのDNAコード
は完全だからね」
「それで?」
「目覚めてから事情を説明された。身体が回復したら、早速セックスしろって言わ
れた。次の日に逃げ出したけどね。ぼくはVIP待遇だったから、結構簡単だった
よ」
「でも……」マイは言葉を探して口ごもった。「でも、どうして逃げたの?」
「戦争は起きなかったわけだけど、人間はこうして絶滅の危機にさらされている。
ゆるやかな死だね。結局、父の考えは間違ってはいなかったんじゃないかな。いず
れにせよ、人類の寿命がそろそろ尽きかけてるってこと。たとえ、ぼくの精子が役
に立って、再び子供が生まれるようになったとしても、それは一時的な現象にすぎ
ないよ。種としてのエネルギーはもう衰退しているんだ。人工呼吸器で生きながら
えている植物人間と同じだよ。そういう世界を父が望んでいたとは思えないからね」
「つまり、人類の存続を望まなかったわけ?あんたのお父さんがじゃない。あんた
自身がよ」
「マイだったら望んだ?」クリスは訊き返した。「すすんで協力した?」
「わからないわ。したかもね。でも、あたしは正確な意味で人間じゃないから」
「うん。わかる」
「さっき言ってた限界って?」
「当時、コールドスリープというのは、まだ未完成の技術でね。かなり実験的な部
分もあったんだ。覚醒の処置を正しく行わないと、身体機能に致命的な損傷をもた
らす。その手順は、カプセルに書いてあったんだけど、管理局のやつらはどうもそ
れを読まなかったらしくてね。父と母のカプセルには書いてあったんだけど、ぼく
のカプセルは規格外だったから、書いてなかったんだ」
「失敗したの?」
「覚醒は成功したけど、ぼくの体内にある種の酵素が残ってしまったらしい。それ
を分解しないうちに起きてしまったら、もう終わりなんだ。このことは、冬眠前に、
父からレクチャーされたから。説明されたのと同じ自覚症状が出た。だから、ぼく
の命は、あさってか、長くてもその次の日ぐらいまでってこと」
「クリス……」
「これもぼくが逃げ出した理由のひとつさ。それが管理局に分かったら、ぼくは自
由を奪われ、強制的に精子を搾り取られるだけで、最後の日々を過ごさなければな
らない。いくらなんでもそんなのはごめんだよ」
「その気持ちはわかるわ」
「でも、まあ、ぼくは死ぬわけだし、人間にも最後のチャンスを上げるのが公平じ
ゃないかって思ってね。それに童貞のまま死ぬのも悔しいしさ。だから、要員の誰
かを探してたってわけ」
「なるほどね。でも、どうして、最初に会ったとき、そう言わなかったの?喜んで
してあげたのに」
「管理局がマイを調べたら、すぐにぼくのことがばれちゃうだろ。そうなったら、
連れ戻される。だから、ぎりぎりまで待ってたんだ」
「今は?」マイは優しく訊いた。「する気になった?」
「まあね」クリスは少し頬を染めた。「うん。したい」
「今日の仕事はキャンセルするわ。ベッドに行きましょ」
「ありがとう、マイ。こういうとき、愛してるとか何とか言うべきかな?」
「言葉なんかいらないわ。黙ってキスすればいいの」




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