#605/1336 短編
★タイトル (KXE ) 96/ 7/16 8:55 ( 97)
CAN NOT FLOAT(1/2) (C)Kazuhide Kirita
★内容
2度と浮かび上がれない(その1)
1996年7月14日 切田 和秀
960714C0.NET
【2年前の事件】
1994年8月4日、「イトーキ」「オカムラ」等の板金塗装を請け負う、
東大阪市の富士電装(株)(宮田和夫社長、電話0729−62−5551)
で、当時社員だった私は、社長の息子の「宮田潔」(韓国人、奈良県奈良市中
登美が丘2−1984−64、電話0722−44−2885)から、30分
以上にわたり暴行された。 工場の塗装ラインは回り続け、社員達の目の前で
暴行は続けられたが、誰一人止めようとはしなかった。 それは富士電装(株)
には暴力団が、からんでいるからだ。 詳細は後に述べる。
私は、救急車で大東中央病院に運ばれ、暴行の証拠の診断書を得て河内警察
署に訴えた。 ところが河内警察署は、暴行事件の受理を拒否。 「宮田潔」
加害者は、起訴はおろか、書類送検さえされていない。
暴行の翌日の8月5日の朝、再び河内警察署に訴えるために出かけようとす
ると、会社の事情を知らない筈の父と母が突然、「ビラをまくなんて頭がおか
しい」と私を精神病院に監禁しようとするのだ。 しかも河内警察署に面会を
約束した午前9時に、病院に行くと言う。
「大事な用事で出かける」と言う私の腕を離そうとしない父を振り払い、車
に乗ったが、トヨタのスターレットがエンスト。 私は無事故・無違反の「ゴ
ールド免許」を所持しているが、こんな事は1度も無く、タイミングのよいエ
ンストは「偶然」では無い。 私はJAFに電話して電車に乗った。
河内警察署は、事件の受理をまた拒否。 しつこく文句を言い、午後にやっ
と受理させ調書を作成した。 一方、自宅に電話すると母が「JAFが来る前
に車は移動した。 どこも異常は無かった」と奇妙な事を言う。 これでエン
ストに両親が関与していた事が判明。
帰宅しても「みうち」の手で「暴行事件に対して泣き寝入りさせられる」か
「精神病院に監禁」のどちらかだと確信し、全ての生活を捨て釜崎へ逃亡した。
【暴力団がらみの富士電装(株)】
当時、富士電装(株)の有能な社員で暴力団の1人の”O”本人から話を聞
いた。 「昔、ある『義理』で宮田親子を助けた。 計画倒産の時、体を張っ
て債権者から宮田親子を守った」と”O”は言った。 また「宮田親子が韓国
人である」事も、”O”と横山工場長代理から聞いた。
その後、私は裏をとった。 富士電装(株)の関連会社で同じく宮田親子が
経営する「(株)ミヤタ」の登記を調べたら(株)ミヤタは、つい最近設立さ
れた事になっているが、(株)ミヤタの工場は、昔から「水走」に有り、今の
(株)ミヤタは同じ社名だが、昔の債権とは、法的に無関係な別法人である。
事実私は、ホコリをかぶった(株)ミヤタの塗装ラインの改造工事に手伝い
としてかり出され、溶接無免許の方々の作業を手伝った。 具体的には、後に
退職した当時の寺西工場長、後に首を切られた三ッ川副工助長、後に実質的工
場長となった横山工場長代理などが、アセチレン溶接で工場を切り刻み、彼ら
の指示で私がバラバラにされた板金・支柱を工場前に積み上げたのだ。
こうして(株)ミヤタは、1994年の2月から4月にかけて、実質的には
富士電装(株)水走工場として生産を再開した。
【救済は無い】
精神病院に監禁される恐怖の中で、住民票も健康保険も無い生活が続いた。
当初、この人権弾圧に対して救済を求めたが、救済など無かった。
とりあえず、住所不定のままで、事実を手書きで書いて、人権を扱っている
と思われる出版社、労働組合、生協に計40通ほど郵送した。
同時に、タウンページを見て人権に関係有りそうな団体に、電話をかけまく
った。 しかし「人権」で飯を食う団体ばかりであった。
私は昔、共産党の新聞や文献を熱心に読み「資本家が雇ったヤクザが襲いか
かり、組合が勇敢に闘った」という記事を何度も見た。 しかし事実は逆だ。
労働組合、暴力団、「民主団体」、政党、公安委員会、宗教団体、すべて大衆
をまとめる商売だ。 庶民の支持は利益になっても、人権は利益にならない。
「革命」さえ商売で、声高に「人権」「良識」を叫ぶマスコミや、政党、民
主団体、人権団体、組合の幹部こそが「世の中で一番たちの悪い商売人」だ。
大阪弁護士会にも行ったが、高額の弁護士料も払えない。 以前あった無料
人権相談の窓口は閉鎖されており、人権委員会への訴えるには「詳細を文書に
して郵送すれば、扱うか否か判断する」と言われた。 当時ホームレスで食う
にも困る私に文書をまとめる余裕など無かった。
【2度と浮かび上がれない嫌がらせ】
不安定な釜崎日雇い生活はもうすぐ2年になるが、今だに「どん底」だ。
それは毎度毎度の嫌がらせで職を追われているからだ。 「生かさず殺さず」
状態にされている。 私は「忍耐強い」かまたは「鈍感」だ。 だから陰湿で
世間から見えにくい筈の嫌がらせも、結局、内容がドギツイものになる。
【「嫌がらせ」の例】
社会党系の人から紹介された創価学会系の「ヤマオ警備保障」(吹田市)で
は、当時、私が「みうち」による精神病院監禁に怯えていたのに、わざわざ弟
の家族が住む生駒市内のすぐ近くの現場へ連日派遣した。 しかし、この業者
は北大阪方面の現場がほとんどで、後にも先にも奈良県の現場は、これ以外に
無い。 さらに、この業者は何日も仕事を回さず、たまに仕事がくれば人が余
っているのに、38時間勤務、48時間勤務の連続勤務だったりして、仮眠は
エンジンを切られた真冬の車の中で、夜明け前の数時間だけだ。
【「嫌がらせ」の例】
難波の「神警警備保障」では、「もうすぐ忙しくなる」と嘘ばっかり。 い
よいよ電話代さえ払えなくなった頃、江坂でビラをまいた翌日に仕事が来たが、
何と交通誘導とは何の関係も無いボディーガードの仕事で、「大阪生コン組合
の会長が、労働組合と裁判沙汰になっているので、組合活動家などやっている
『わけのわからん怪しい奴』から会長を守れ」との仕事だ。
交通誘導の会社で「3時間で1万2千円のボディガードの仕事」など例え願
っても得られる事など、常識では有り得ない。 それがよりによって『わけの
わからん怪しい』この私に来たのだ。 公安が手を回した露骨な嫌がらせだ。
この話は、その後「中止になった」と言い、家賃さえ払いづらくなった私が
他の仕事を見つけると「今、忙しくて人手が足りない」と会社はほざいていた。
(−−続く−−)