#559/1336 短編
★タイトル (PXG ) 96/ 3/ 5 20:14 ( 46)
浪速のジョー 3.3横浜アリーナ 哲也
★内容
3.3 横浜アリーナ 作 哲也
ダニエル・サラゴサ VS 辰吉丈一郎
壮絶な試合だった。辰吉の真っ白なトランクスは生温かい赤に染った。いつもの
辰吉らしさは影を潜め一方的に打ちのめされた。今から思えば1R最初にもらっ
たパンチが最大の伏線だった。一瞬の隙、顔を打たれバランスを崩す。あの一発
が悔やまれる。「流れ」がたちまちチャンピオンに味方した。落ち着かなければ
ならない辰吉は重くて速い左フックの前になすすべがない。「流れ」とは目に見
えない巨大な空気でつかみどころのないものだ。見つけようとすればかえって不
利になる。無視すればなお不利になる。成り行きに任せるほか仕方がない。リン
グの上は無情の空間。目に映るものはサウスポーの凄絶な左フック
辰吉自慢の連打はチャンピオンの前に完全に封じられていた。元々辰吉のスタイ
ルは素早い踏み込みで威嚇し敵が反射で上体を反らした瞬間に連打、コンビネー
ションを浴びせかける。見事な足さばきで上体の軸を安定させ体のひねりを生か
し切る形で繰り出されたパンチは世界一であろう。一方チャンピオンは軸の安定
は二の次にして体ごと預ける形で重たいパンチを繰り出してくる。たとえパンチ
が空を切っても軸をつくって待ちかまえている辰吉の間合いをくぐり抜けて決定
的なパンチは食うことはほとんどない。おまけに辰吉は左瞼をカットしておびた
だしい出血で死角が増すばかり。また強烈な左をもらう。
悲鳴に近い声援、執念の辰吉、ますます真っ赤に染まるトランクス、今や辰吉の
両瞼が切れ更に滴る鮮血。チャンピオンは返り血を浴びてもなお非情の形相。
メキシコの家族、日本での興業に懸ける意気込み。
きっと辰吉は倒すか倒されるか、半端な結果は望んでいないはず。「もし負ける
ならノックアウトでリング上で死なせてくれ!」そう言わんばかりの気迫。しか
し一方的に打たれても立ち続ける執念。潔さを求めると同時に手を抜かない精神
との狭間で苦悩しそれでも立ち続ける。「もうよくやった、もうKOされてくれ!」
見ているものにそんな気持ちを起こさせてもまだ倒れない。
たとえ廃人になったとしてもなお戦い続けたかも知れない、辰吉にドクターのチ
ェックが何度もはいる。
11R とうとう彼の精神は肉体を上回った。ドクターの判断は辰吉の魂に背いたが
辰吉の肉体には正しかった。その瞬間、辰吉はドクターに「まだやれる」と真っ
赤な顔面で要求したがもう仕方なかった。悔しさのあまり両グローブでロープを
叩く仕草は悲壮に満ちていた。
両手を高々と上げるチャンピオン。同じリングで辰吉は両膝をおり両手をつき、
何度も何度も観客に頭を下げた。負けてもなお、鳴りやまぬ辰吉コールの中リン
グを降りる階段の途中、立ち止まり両手を合わせなおも頭を下げた。そして目に
焼きつる様にゆっくり会場を見回して、ヒーローは合掌した手を解き、スポット
ライトの中、手を振りながらリングをあとにした。
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