AWC 『企業戦士の独り言』 すみこ


        
#558/1336 短編
★タイトル (AUD     )  96/ 3/ 4  14:31  (163)
『企業戦士の独り言』                          すみこ
★内容
 朝。
 俺は珍しく、カーテンの隙間からの日差しで、目を覚した。
 まぶしいなぁ・・・ん・・・?変だな・・・
 いつも5時にセットしている目覚しが、今朝は鳴らなかった。
 何時だ・・・あれ・・・?時計がない・・・
 手探りしたが、ベッドの枕元にある筈の目覚しがない。
 何気なく目をやった壁の、掛け時計を見た瞬間、俺は飛び起きた。
 9時?!
 うそだろーっ!やっべぇ!今日は10時から会議が入ってんだぞ。早めに行って準
備しねえといかんのに。ったく美佐子の奴、どうして起してくれねぇんだ。
 俺は、勢い余ってベッドから転げ落ちた。その拍子に、むこうずねを、ベッドのタ
ナに思いっきりぶつけてしまった。だが、痛いなんて感じてる時間は無い。
 足をさすりながら、スーツとネクタイを捜す。
 なんで、いつもの場所に背広、掛かってないんだよ。美佐子の仕業か。比処に掛け
といてくれって、いつも言ってたろうが。
 タンスから、ネクタイとスーツを掴み出し、脇に抱えたまま、引出しからYシャツ
を引張り出す。
 必要ないシャツまで、出てきたが、そんなもん拾ってる暇はない。
 くそお。なんで、クリーニングから帰ったシャツを、袋に入れたままにしとくんだ
よ。あせってる俺は、無造作にビニールの袋を破る。ご丁寧な、紙の蝶ネクタイを引
抜いて、着ようとした。
 が、ああもう、なんでご丁寧にいちいちボタン止めてんだ。
 イライラしながら、ボタンを外しバッサバッサ振って着る。
 パジャマのズボンを脱ごうとして、片足を引っかけて、俺はまた転けた。腰をした
たかぶつけた。痛くない。今は、それどころじゃない。
 ああ、なんか、身体が重たいぞ。昨日の残業の疲れが残ってるのかな。
 おーい!美佐子?!
 スラックスのファスナーを上げながら、女房を呼ぶ。
 呼んでも返事はない。まぁ、あいつが実家に勝手に帰るのは、いつもの事だ。
 会社と家族とどっちが大事なの、とかなんとか言って、なんて、こないだも大喧嘩
をやったばっかだった。
 ええい、こんな急いでる時に限って、ネクタイがうまく結べない。
 えっと、靴下。
 あれ?靴下、何処の引出しだった?昨日のでもいいか。昨日のはどこだ?
  靴下を捜すついでに、家族も捜す。
 女房と二人の娘達の名を、替るがわる呼びながら、俺は家中を徘徊する。
 リビングにも、ダイニングにも、子供達の部屋にも、女房と子供はいなかった。
 やっぱり実家に帰りやがったな。そんなに、あの喧嘩を根に持ってたのか。
 脱衣所に小走りで行く。脱衣篭を覗いても、靴下はない。弱ったな。
 どうせズボンと靴で見えねえんだ、いっそ素足で・・・あ、あった!ラッキー。
 ベランダの取込み残した洗濯物の中に、靴下がぶら下がっていた。
 片足で立って、よたよたしながら、靴下を履く。
 いかんな。やっぱり、身体がやけに重い。
 俺ももう、40越えたしな。今度人間ドックにでも・・・いや、そんな暇はないか。
 今、一番の追込みなんだ。
 おっと!肝心のカバンは何処に置いたろう。あれには今日の会議で使う大事な資料
が詰っている。俺の出世を掛けた、一大イベントがな。
 その、大事なカバン様が、所定の位置のクローゼットの中にない。
  えっと・・・俺は、あれを何処に置いた?
 いままで、苦労に苦労を重ねて、仕上げた大事な書類。
 仕事の虫だの、企業戦士だの、休みの日くらい家に居ろだの、女房に言われながら
も必死に頑張ってきた、俺の血と汗と涙の結晶なんだ。
 大体だよ、俺がこんなに頑張ってんのは、お前ら家族のためなんだ。
 買ったばかりのこのマンションの、ローンもたんまりあるし、2人いる子供の学費
も、塾の月謝も、女房のカルチャースクールの月謝も、俺が寝る間も惜しんで、必死
で働いて稼いでんだ。
  趣味の釣りも、ここ何年かずっと我慢した。酒も付合いで呑むくらいだ。だが、さ
さやかな楽しみの喫煙は、教育上良くないとか言って、蛍族にさせれてしまった。
 俺の出世はお前らの為だ。なのに企業戦士なんて言いぐさはないよな。
 娘達も娘達だ。この頃、俺を見ても寄って来もしない。
 たまたま早く帰って一緒に飯を食ってても、俺の顔色ばかり伺っている。
 もしかして、俺が父親だって忘れてないか?誰のおかげでお前ら、大きくなったと
思ってんだ。わかってんのかよ、お前ら!
 俺がいなきゃなぁ、お前ら3人とも困るんだぞ!少しは感謝しろ!
 怒涛のように、誰も居ない部屋に向って、俺は叫んだ。
 胸の中が、怒りでむかむかしていた。
 今まで、こんなに怒りまくった事あったろうか。いや、それどころじゃない。
 カバン何処にやったんだよ!おい!美佐子!
 やっぱり女房の返事はない。
 俺は、マジに顔色を無くしてしまった。遅刻した上に、大事な書類がない・・・
 こんな大馬鹿なミスは、あの会社に入って18年にもなるが、初めてだ!
 俺は、子供の部屋までも、カバンを求めて探る。クローゼットの中の物を、ひっく
り返して探る。
 本当にない!ああ、どうしたらいいんだ。大事な会議が・・・
 俺は、リビングの真ん中のに座り込んで、頭を抱えてしまった。
 何処に置いた?冷静に思い出せ。まさか、昨日乗ったタクシーの中か。
 違う。
 いや、違うというより、思い出せない。ちくしょう。
 死んでも死にきれないミスだ!
 壁の時計は、俺を見おろして、無情に時を刻む。
 ふっと頭を上げた俺は、やけに家の中の空気が、どんよりしているのに気付く。
 そういえば、部屋中のカーテンがみんな、閉切ってある。リビングのベランダの方
のカーテンは、いつも開いたままじゃなかったっけ?
 ダイニングテーブルの上の、女房のお気に入りの観葉植物が枯れている。
 まるで、何日も水をやっていないように・・・
 え、じゃ何日もあいつ、帰ってきてないってことか?
 まさか俺、とうとう女房に本気で愛想つかされたのか・・・
  今の状況を、必死で把握する。
 それに・・・
 それに、女房が居ないのに、昨日帰って脱いだ服が無いなんて妙だよな。
  リビングの真ん中に座り込んだまま、俺は困惑した。何か、大事な事が思い出せな
い。言い様の無い不安にかられ、背筋が冷たくなった。
 ガチャン。
 玄関のドアが開く音がした。
 ほっとした。
 ほらみろ。あいつら、ちゃんと帰ってきたじゃないか。おい、美佐子か?俺のカバ
ンどうした?
 振返って開口一番、俺はカバンの行方を訊いた。
 返事はなく、ひたひたといくつかの足音が、リビングに入ってきた。
 そして・・・女房と娘達は、俺の横を素通りして行った。
 ちょっと待て、シカトか。何だその態度は。それが一家の主に対する態度か?!
 美佐子は、どっと、ソファに倒れるように座り込んだ。その両わきに、娘達が座っ
た。
 「お母さん」
 今年10才になる下の娘が、泣きそうな声で美佐子に話し掛けた。
 「お父さん、本当にもう、帰ってこないの?」
 ?俺が、帰ってこない?何言ってるんだ。俺は今から出かけるとこなんだ。
 「おばあちゃん達が言ってたけど、お父さん、仕事のし過ぎで、死んじゃったって
ほんとなの?お母さんがあんなに、お父さん、働き過ぎよって言ってたのに」
 高校1年になったばかりの、上の娘が泣きながら訊いた。
  え・・・?
 「お父さん、貴方達やお母さんの為に、お仕事一生懸命してくれてたのよ。でも、
これでお父さん、やっとたくさん眠れて、楽になれるの」
 美佐子は、ソファから崩れる落ちるように、床に座り込んだ。そんな母親に、娘達
が両側からすがりつく。
 美佐子が、床につっぷして、わっと泣いた。
  俺は、呆然としたまま、家族の側に立ち尽した。
 こんなに大泣きをする家族を初めて見て、どうしたらいいもんか、わからずにうろ
たえてしまった。
 うろたえながら、俺は、女房があの大事なカバンを抱いてるのに気付く。
 お前、そのカバン!
 俺は、俺の一生を掛けた書類の入った、そのカバンに飛びついた。
 だが、俺は、彼女を通り抜けて、床に蛙のように這いつくばってしまった。
  何?
 這いつくばって、そのまま固まった。頭をフル稼働して、この状況を把握する。
 間近に見える床の木目が、ぐにゃっとして不気味に感じた。きっと、今の俺の頭の
中も同じだろう。
  俺は確かにここに居る。でも、俺は死んでいるって?でも、確かにここに・・・
  俺の思考は、収拾が付かなくなった。
  女房は、古ぼけたカバンを愛おしそうに撫でながら言った。
  「お父さんの形見になっちゃったね。これ・・・」
  カバン・・・俺の書類・・・俺は・・・
  思い出した!
  頭の中のピントが合った気がした。
 あの日、今日のように俺は、寝過して、全力疾走して会社に駆込んだ。その甲斐あ
って、会議は無事に終った。俺の実力は、上役達に認められた。そして俺は・・・
 あの会議の直後に倒れた・・・
 病院で、俺の手を握り、泣き叫んでいた女房と娘達。
 仕事よりも、家族の行く末だけが心配だった。こいつらを残しては、死ぬに死にき
れないと思った。
  そして・・・俺はいつの間にかここへ帰ってしまった。どうやら、俺の葬儀は俺の
実家であったらしいな。実家の周辺の、懐かしい畑や田圃がありありと浮んだ。
 もしかすると、死ぬとこうやって、思い浮べるだけでその場所に行けるのかも知れ
ない。
 「これから大変だけど、みんなで頑張ろうね。くよくよしてちゃ、お父さん心配で
天国に行けないいけないわ」
 その女房の言葉に、俺は田舎からここへ引戻された。
 目の前に、抱合う3人の姿が映った。
 母親にすがりついたまま、健気に娘達がうなずく。
 「お父さん、天国でたくさんお休みできるんだね」
  もっと、ずっと、親父らしい事してやればよかった。ここ何年も、俺は仕事に明け
暮れてたもんなぁ。最後に家族で出かけたの、いつだったろう。
 お前らは知らないだろう。そのカバンの中にさ、お前らの写真、ずっと入れてあっ
た事。いや、でももう、知ってるかもな。ああ、金ならきっと、大丈夫だ。労災、降
りるからさ。
  「お父さん、ゆっくりおやすみなさい・・・」
  見えない筈の俺に向って、3人が手を合わせた。
  俺の胸の中に、安堵感が満ちた。
 頑張れよ、お前ら・・・
  俺はまた、誰にも聞えない独り言を呟く。
 安堵の後、「意識」だけの俺は、足元からゆっくりと消えて行った。       
 
                                 (・・・完・・・)




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