AWC 春夏秋冬… 秋               聖 紫


        
#508/1336 短編
★タイトル (ALN     )  95/ 9/16  23: 7  (105)
春夏秋冬… 秋               聖 紫
★内容

  春は雪が解けて桜の若芽が膨らみ始める頃に始まり、やがて桜の花が満開にな
 って散り行く頃に終わる。 夏は桜の花が散り行き初め、やわらかい青葉の開き
 始める頃から始まり、やがてその葉も赤くなり、散り始める頃に終わる。 秋は
 桜の葉の舞落ちる頃に始まり、総ての葉を失った桜の梢がすっかり凍えて見える
 頃には終わっている。 冬はもう始まって居て、嘘では無い証に、白い雪が舞い
 始めるのだ。 その雪も解けて、桜の梢に霜の化粧も無くなる頃、やがて朝夕の
 冷たさにも薄氷のはらなくなるまで、水の温みを覚える頃に… また春は巡って
 来るのだ。

  如何様にも、斯くの如く是在りて… 庭先の四季也。


  桜の木は未だ、その家に居る頃には無く、春は山野の草花に覚え、夏は焦げ付
 く様な陽射しが教えてくれた。 秋は知らない中にも心の中で芽生えて小春日和
 の陽射しすら寂しく肩に射し来たものだ… 冬は一面真っ白となり、夜は何処ま
 でも蒼く透明で、遠くからやって来る春を迎えに旅立つ明日を思い巡らす様に、
 ときめきながら過ごして居たのだ。

  春は心地よく温みの微睡みに心を預け、夏は灼熱に萌ゆる緑に心を放ち、秋に
 は静かに静寂の色に遊んだ。 冬の寒さなど終ぞ一度も感じた事も無く、雪の肌
 さえ心地よく冷たさを教えてくれた。

  如何様にも、斯くの如く是在りて… 遠き時代也。


  都会の生活に疲れ、恋しくなり始めた田舎での暮らしを決心した頃、季節は冬
 から春へと向かって居た。 由子は、引っ越しの荷物を纏めながら、今まで狭い
 と思って居た二間のアパートが斯くも広くなった事に寂しさを覚えた。 総ての
 荷物を積み終えて、なお未だ最も大切なものを忘れている様で、何度も繰り返し
 由子のアパートへと引き返した。 忘れてはならないもの… しかし、連れては
 行けない… 分かりすぎて居た事が斯様にも心に痛い。

  懐かしい田舎の家には、いつの間にか桜の木が植えて在った。
 そこそこに大きくなって居る初めて見る桜の木が、如何に永い時の流れであった
 かを教えてくれて居る様だった。

  桜の花も散り、青く葉の茂る頃、山吹の黄色が雨に濡れて鮮やかに映える頃、
 由子を一度尋ねてみた。 其れまで毎日の様に電話で話、何通もの手紙を書いて
 来たが、一度として、寂しさも涙すらも見せた事の無かった由子が突然泣き出し
 た。 堪えても堪えても、止めどなく後から後からこみ上げてくるその涙は、間
 違いなく懐かしさ等で在ろう筈もなく、確かに怨みで在ったに違い無い。 抱き
 留めて背中をさすってやる手にすら既に遠い他人の様な頑なな距たりを感じた時
 振り返った所で引き返す事など出来ない痛みに初めて触れた様な気がした。

  いつの間にか、電話も手紙すらも途絶えた頃、庭の桜は既に冬支度を初めて居
 た。 やがて梅の花の芽が形になり始める頃、その痛みは毎夜襲ってきた。 二
 階の屋根も越えようかと云う桜の梢を渡る風は雪でも運んでいそうな程、寒い吠
 え声で通り過ぎて行く。 痛みの余り幾度も夜中に目覚めては、独り夜の闇を見
 据えて、是で終わりになるのかと苦笑いをする。 やがて痛みに負けて遠ざかる
 意識が何事もなかったかの様な朝へと続く日々に終止符を打つが如く、赴いた先
 の医師は緊急に入院を勧めたが、其れは医師としての薦めでは無く命令では無か
 ったか。 有無を云う術もなく午後には白いシーツにくるまった病人となって居
 た。 幾日か食事も絶たれ、意思もなく生きながらえる事に飽きた頃、由子が突
 然見舞ってくれた。 誰に聴いたのか等、思い煩うでもなく、極自然な事では無
 かったかと思えたのが未だに不思議でならない。

  頼りなくなった足で、それでもやっと歩く事が出来る様になった頃、生きなが
 らえる事への執着が、朽ち果てる事への恐怖を教えてくれた。 初めて見る病院
 の中庭に降り積もる雪は、春間近な暖かい雪だった。 もう二度と観る事など無
 いかも知れないと諦めていた雪の白さ故に、如何にも美しく暖かいものであった
 に違いあるまい。

  緩やかに微睡む様に見えて、激流の如く一刻を待たぬ時の中で、内科の看護婦
 達は何処までも優しく、外科医達は緊張を隠さない。 そして、由子は最後まで
 騙し続ける事がせめてもの優しさだと信じて疑わなかった。 雪は春の陽射しに
 絶えかねて、日毎に薄く、小さく融けては、涙の様に消えて行った。

  幾日もの検査は生き抜く為への試練か、或いは諦めへの偽りか、痛みすら感じ
 得ぬ躰に不思議なものを感じながら、唯一、毎日訪れては取り留めのない時を過
 ごして行く由子だけが確かな生への証だった。

  やがて雪も解けて、濡れた庭の乾く頃、僅かな希望に縋る様に最後の試みの時
 は訪れた。

  絶対安静面会謝絶の札に閉ざされた個室に付き添うのは由子ただ独り。 薬に
 縋る様に安らかに眠る傍らで永遠の時を如何に思い、過ごして居たのか知る術も
 ない。

  空はどんよりと重たく、春間近にも未だ冬の如く。
 だがしかし、こうして幾たびもの騙日和と寒の戻りを繰り返しながらも、季節は
 ゆったりと春へと向かって居るのだ。 草木の命は確実にその中に目覚め始めて
 居たに違いない。 梅の蕾は日毎に膨らみ、桜の枯れ枝も間違いなく新しい芽を
 息吹始めていよう、緩やかな朝、目覚めた時より何時も以上に落ちついて居たの
 は、既に先に進む道の無い事を悟っての事であったのか、有りとあらゆるものへ
 の執着と拘りとへの喪失からか、今となっては蘇る由もない。

  此の日の午後遅く、出頭医の期待は僅か数分で裏切られた。 幾たびも繰り返
 された四季の歌は静かに幕を下ろし、二度と再び季節を旅する事も無かろう証の
 塊は静かに眠り続ける事になった。 切り開かれた躯は冷たくなりながら縫合さ
 れて行く。 由子は生けとし年月には決して添い遂げる事の出来なかった悲しみ
 から解き放され、愛しさの募る余りの憎しみは何処とも無く消え去り、憎悪の念
 すら再び安らかな愛情に変わった事に気付いた時、愛しきその人の魂が永久に朽
 ちる事のない風となって由子の元へと戻って来た事を確信した。


  春。 誰1人として観る者も居ない庭の桜は間違いなく花開き、満開の末散っ
 て行ったに違いない。 そして夏、青々と茂った桜の幹で喧しいほどに鳴き響く
 蝉の声も、誰1人として聴く者も居ないまま、それでも確かに、蝉は鳴き続けた
 に違いない。

  如何様にも、斯くの如く是在りて… 何れ庭には桜の落ち葉の舞遊ぶ初秋也。


                                  聖 紫




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