#468/1336 短編
★タイトル (RTG ) 95/ 6/25 3:30 ( 48)
お題>やもり>赤と青 珈琲
★内容
鍵を差し込んで、初めて男は気づいた。
午後6時、真昼の暑すぎた日差しはその猛威をひそめ、陸からの最後の風が、乾い
た空気を運んでくる。遠く、夕日が空を染めていた。
放電管が音を立て、頭上の外灯に明かりがともる。男は表札に目をやった。
鍵を抜くと確かめるようにノブを回す。勢いで少し開いたドアに男は驚きながらも、
思い切って開く。
薄暗い空間に、キッチンと奥の8畳が見える。男は軽く息をついた。
部屋に入って後ろ手にドアを閉めると、靴を脱いだ。ふと、足元に転がっている赤
いパンプスに気づく。
スリッパを履いてキッチンを通り抜けと、女は部屋のすみに座り込んで、水槽を見
つめていた。
「来てたのか……」
男の問いかけに女は、振り返りもせず一度だけ頷いた。
水槽の照明に映しだされた細い線。ショートカットにシンプルな髪飾りの小さな頭。
白のワンピースが水面に青く揺れている。
「……コーヒー入れるから」
男は、そう言うとキッチンに戻った。肩に掛けた鞄を床に降ろすと、システムキッ
チンの戸棚からスチールの缶を取りだす。
「驚いたよ。いつもは電話くれるのに。どうかしたの?」
男の問いかけに返事はない。
缶の蓋を取ると、微かに豆が香る。カップと水、それから豆をコーヒーメーカーに
セットする。数秒間ミルの豆を砕く音がキッチンに広がった。
「え? 何かいった?」
スイッチをドリップに戻すと、男はキッチンから顔を出した。
振り返った女の視線は男を避けるように、再び水槽に向けられる。青く深い波が薄
暗い空間を渡り、ポンプの低い振動と、コーヒーメーカーの淀んだ音が、時を刻んで
いた。
「怒りと憎しみは何も生み出さない。……聞いた事あるだろ?」
男はふと、話だした。
女は振り返らない。
「だけど、それは違うと思う。例えば、そう……怒りはつまりストレスなんだ」
水槽の中で、鮮やかな赤がひらめく。
「ストレス発散で割られる安物の皿。あれなんて需要と供給の関係だ。怒りがあるか
ら、大量生産される皿がある」
血のような、毒々しいほどの赤。
「憎しみだってそうだ。愛が正のエネルギーならば、憎しみは負のエネルギーになる。
愛が大きいほど、反動で憎しみは大きくなる」
青い空に炎がたちのぼる。
「で、一線を越えると無理心中なんてことになる。死体が生み出されるってことさ。
死体があれば、葬式屋は儲かるし、坊さんだって飛んでくる。花屋も菊が売れるって
ものだろ。火葬場の職員は金歯が手に入だろうし、石屋も、墓の分譲業者も……」
男が、不意に黙り込む。女は、いつのまにか男に抱かれていた。
強く、ちぎれるほどに抱きしめる腕。
涙を流す女。
広がる赤。
揺れる青。
終