#467/1336 短編
★タイトル (ARJ ) 95/ 6/ 7 18: 1 (178)
お題>歌 世界が終わる、夜のように。(行抜け修正版)みのうら
★内容
世界に、まだ、昼と夜がなかったころ。
光と、闇が、繰り返すことも、交じり合うこともなく、永遠の暁、永遠の夕暮れ、
永遠の塊のなかで、生命がたゆたっていたころ。
少女は、彼の背中を見つめていた。
思えばいつでも見ていたような気がする。初めて会ったその日から。
遥かに遠い、この、背中を。
そのなつかしい背中に手をそえる。けれど、触れることは出来ない。厚い氷が、
彼と少女の間を阻んでいた。
薄明るい洞窟の中。光を放つものは、彼の掲げた剣のみ。巨大な氷柱に封じられ
た、かつての救世の英雄の持つ剣の光。なつかしい、あたたかい輝き。
世界が闇の一族に奪われた今、純粋な光を見ることが出来るのはここだけだろう。
彼の背を、見上げる。遠い背中。
洞窟の床に深く根を張る、氷の巨木。その胎内に納められた、彼女の彼。
彼に、別れを告げに来たのだった。今日は。
涙が一粒、少女の頬をつたって大地に吸われた。
冷たい玉座に腰を掛け、女は、思い出している。
かつて救世の女神と、暁の乙女と歌われた、美しい少女のことを。
軽い金髪と、緑の瞳。光の魔法に長け、大魔法使いと言われた光の塔の長よりも
優れた力で、伝説の英雄を助けともに戦った、勇敢な少女。
この、闇の玉座の前に身を投げ出して、英雄を救うためなら何でもすると泣いた、
可憐な少女。今も覚えている。鏡のごとく磨かれた、この黒い床に、投げ出された
黄金の小さな頭。散らばる金髪。涙に潤むエメラルドの瞳。
闇の女主人である自分とは、全く違う少女。光の織物のような、純粋な少女。
闇の召使たちが、今も変わらず磨き上げている床に、目を落とす。
一人の、闇の女がこちらを見ている。暗黒の髪と、女王の威厳をたたえる暗黒の
瞳。美しい姿だったが、あの、ちっぽけな光の小娘、黄金とエメラルドの姫君を思
うと、何故か苦い思いがこみ上げる。
闇の女主人、全ての夜の支配者を夫に持ち、彼の右に座る、光の敵対者、真実の
破壊者たる女が。
光の最大の擁護者を氷柱に封じ、もう、闇に逆らうものは誰もいない。彼女こそ
が、この世で二番目に強力な権力を行使するもの、誰も彼女に逆らうことは出来な
いはずなのに。もちろん彼女の夫を除いてはだが。
道化が吹き鳴らす笛の音に、女はいつになく苛立ちを覚える。
そうだ。あの小娘が歌った歌。あの小娘が、あの男と歌ったのだった。知ってい
る。あのメロディを。
女は玉座を立ち、戦場へ向かう。誓は果たされていない。敵が、まだ生き残って
いる。ささやかだが、熱い抵抗を続けている。
彼らを全て討ち果たし、彼女の望みが叶うとき。そう遠くはないだろう。苦い思
いで剣を抜き放つ。
転がる道化の首と、踏み砕かれた笛が、冷たい床に残された。
母親は、我が子を抱かなかった。熱く熔けた黄金を思わせる髪。深い、青とも緑
ともつかない、美しい瞳の、可愛らしい子供。若い母親の、小さな子供。
母のかわりに父親が、力強い腕に赤ん坊を抱き取り、有能な乳母である使い魔に
預けた。
父にも母にも似ていない子。黒い髪、黒い瞳の母にも、黒い髪、青い瞳の父にも、
似ても似つかない。ただ、天に向かいピンと立った耳だけが、闇の一族の血を伺わ
せた。
子供は、育った。闇の王の息子にふさわしい、高貴さと美しさと傲慢さを持って、
ただ育った。心は空虚だった。父がその空白を埋めるように、彼を傍らから離さな
かった。何人もの妃との、何十人もの子供の中から、彼を世継ぎに選んだ。彼は、
母のように強く、父のように恐怖そのものに愛されていた。外見は、いつまでも優
げで可憐な少女に見えたが。
王と、その妻が征服した、たった一つの国しかない世界。彼はその支配者となる
べく時を重ね、成長する。若木の勢いでではなく、老木の確実さで。
彼の父と、彼の母の上にも時は流れる。母親は、子供を見ないまま。自分にも、
夫にも似ていない、少女のように可憐な息子。見たくないまま、そう、老いてゆく。
最後に老婆が見たのは、光のきらめきだった。まぶしい。浄化の光。救済の光。
ああ。それでは、とうとう私も、救われるのですね。私の行いを、償う人が、よ
みがえるのですね。ああ、神よ、光よ、感謝します。
老婆の声を聞いたのは、ただ一人。
長い間、頑固に根を張っていた氷柱はとうとう溶け去り、かの英雄がよみがえっ
たのだ。彼は、目覚めるなり目の前の闇の老婆を切り捨てた。なにごとか、呪文を
つぶやいていた闇の者を。
彼の心は、氷柱に封じられた瞬間のまま。闇の王を倒すため、闘志に満ち溢れて
敵に向かう。
「貴様の魔術も私には効かなかったようだな、闇の王」
闇の王は立っていた。剣を抜くこともなく、床の、こときれて動かない、枯木の
ようにやせ衰えた醜い骸を眺めていた。
「貴様を倒して、世界に光を取り戻すのだ」
老婆の、艶のない黒い髪。白髪まじりの、長い髪。かつては輝いていた美しい黒
い瞳は、かさぶたのような瞼に閉ざされ、二度と開かない。開いても、とうの昔に、
真っ白に濁っていた。
光の勇者は闇の王に光り輝く剣をふるう。闇の王は無関心に、剣の柄で受け流す。
青い瞳は、まだ老婆の骸に向けられている。
「私を軽く見ると後悔するぞ闇の王!!」
王は答えない。勇者を相手にもせず、ふい、と老婆のもとへ膝をついた。勇者は
空を切る剣を、慌てて立て直す。どうも、身体の調子がおかしいようだ。そう解釈
し、握る右手に力を込めた。
「王よ!多くの民を無意味に殺し、戦に戦を重ねてきた貴様が、一人の老婆の死を
悼むのか。その老婆は、貴様の母か? それでは、母を悼む気持ちが貴様等にも……」
黄金が、勇者の台詞を止めた。
流れる黄金。生きた黄金。なつかしい、と何故か感じた。この部屋に入る、かな
り前にはぐれてしまい、もはや生きてはいまいと覚悟していた。思わず叫ぶ。
「無事だったか、暁の乙女!!あなたさえ生きていれば」
「その女は死んだ」
流れる黄金を贅沢に、背に負った者が答えた。鈴を振るような声。少し低いが、
彼女と同じ声。赤い唇、光の髪。
閉ざされていた瞼が、ゆっくりと開き、瞳が勇者を見る。
深い、青とも緑ともつかない、美しい瞳があった。
「あなたは……」
「我が世継ぎよ」
勇者の驚きに、砂粒ほどの興味も見せず、闇の王とその息子は在った。老婆の骸
の前に。
「はい、父上。私はここに」
可憐な少女の尖った耳に勇者はようやく気付いた。彼の乙女より、少しばかり大
柄だったことにも。
「そなたの欲しがったものがここにある。即位の祝いに取らせよう」
「父上」
「我は少々疲れた。この女との誓いも果たされた。眠りに入ることとしよう。世界
はそなたの物だ。好きにするがよい」
抱き上げた老婆を、乙女の顔の息子に渡す。からからに乾いた老婆の身体は、彼
の細腕にも、何の負担ともならなかった。
闇の王、いや、闇の前王は、剣を引きずるように、肩をこころもち落とし、勇者
の前から去ろうとした。
「ま、まて、闇の王」
「ああ、おまえか。そういえば、封印から開放されたのだったな。……今の話を聞
いていなかったのか。闇の王はもはや我ではない」
うろたえ、慌て、それでも剣を構える哀れな男に、もと敵の男は、剣をぬく価値
もないと見たのか、無防備に相対した。
「知りたいことがあらば、今の王に聞くがよい。我はこれから永い眠りに入る」
消えた。
気配も、姿も、その存在すらも、一瞬で。
二人は、長い間、うずくまっていた。ただ、黙って。
一人は剣を、一人は骸を抱いて、ただ黙って座っていた。
「闇の王よ」
先に沈黙を破ったのは、勇者だった。
「私はこれからあなたを倒す。それが私の使命であり、私と……彼女の運命でもあ
った。暁の乙女の。
ただ、その前に、知っていれば聞かせて欲しい。かの乙女の運命を。生きている
のか、死んでいるのかだけでも。あなたは何故か、彼女に生き写しだ」
「その女は死んだと言った」
ぽつりと、答える。
「我を倒すのがおまえの運命なら、おまえを倒すのが我の運命なのだろうな。我が
母を殺した男」
「その老婆はあなたの母だったのか。何か、邪悪な呪文を唱えていたのだ。私とは
所詮相容れない世界の住人。すまなくは思うが、後悔はない。我々は敵同士なのだ
から」
黄金の少女の顔をした闇の王は、水晶の笑みを浮かべた。何の感情も見えない、
美しいだけの微笑み。
「そうか。邪悪な呪文だったか。我もそう思う。自らの死を、その手で招いた愚か
な母よ。ただひとつの、人生と生命を、それに値しない男に与えたばかな母だ。そ
の魂は、男よ、おまえの中にある」
わけがわからず、男は戸惑いも露に王を見た。青よりも緑に、緑よりも青に近い、
深い瞳に、嘲りさえ浮かべず、王はただ事実を述べた。
「この老婆の骸は、かつては我が母と呼ばれていた。そして、闇の女王と。そして、
その以前には、暁の乙女と、呼ばれていたのだ。昼世界の英雄よ。
おまえが、我が父の放った魔力により、100年の眠りについているあいだ、世界
は我が父母の支配の元にあった。母は、すべての闇の恐怖、光の敵対者、真実の破
壊者、闇の女主人と呼ばれていたのだ。おまえのために」
「……ばかな。100年だと?」
「我が父母の取り交わした契約で、100年の間、母は、父の治世に協力することを
誓った。100年の後に、自らの魂を、氷柱に封じられし英雄に与えることを条件に。
愚かな母だ。が、その力は強大だった。光側最大の魔法使いが、光だけでなく闇の
力も手にしたのだ。あっけなく、昼世界は闇の軍門に下った」
昼世界の英雄は、茫然と我と我が手を見つめた。顔を撫でまわしても、なんの変
化も感じられない。あの、黒き闇の王と向かい合った時から、一日たりとも過ぎて
はいない。少なくとも、彼の時間の中では。
死せる老婆の安らかな表情。汚れた黒い髪、黒い皮膚。暁の乙女とは、違いすぎ
る。
闇の王は、立ち上がった。母の骸を抱き、剣より鋭い瞳で、男を見据えて。
「我を殺すか、光の男。我が母と同じ様に」
理解は、できなかった。出来るわけがない。100年眠っていた、その心で。
「できなかろう。命をわけ与えてくれた恋人を切り捨てた同じ剣で、その子を殺す
などは。光の者よ、我もおまえを殺さない。愚かで哀れな母のために」
「100年。眠り続けていたのか、私は」
「魂を我が父に滅ぼされていたのだから、眠っていたというより、死んでいたのだ」
無防備なまでに幼い闇の王は、視線で闇の終りをを指し示した。
「行くがいい。大いなる絶望と、大いなる後悔をもって、我が母の魂とともに。我
は、おまえにこの事を告げるために、母から生命をわけ与えられたのだ。母の生は
今終り、ここから先は父から与えられたこの身体で、我は闇を支配する。男よ、た
だ一人で闇に立ち向かうのなら、いつかまた会うこともあろう」
男が、最後の一人となった光の継承者が、再び現れたのかどうか、冷たい石の下
で朽ちてゆく身体は知ることがない。
男とともにあるはずの、かの乙女の、闇の女主人の、一人の母の、闇の老婆の魂
はそれを知っているのだろうが、誰に伝える術もない。
ただ、いま、世界には昼があり、また夜がある。
繰り返すいとなみの、その始まりに、女が、ひとり。