AWC 花筏                    聖 紫


        
#425/1336 短編
★タイトル (ALN     )  95/ 3/24  23:42  (160)
花筏                    聖 紫
★内容

  梅も終わりね。
 そう云いながら、典子が、大きな梅の枝を抱える様にして、部屋に入って来
 ました。

  私の部屋では、既にひと月前に散って仕舞ったのに… もう梅はとっくに
 終わって居るのだろうと思っていた頃、本当は今が開花時期なのだと知らさ
 れても、何の感情も抱かない… それを悲しいことだとすらも思わなくなっ
 ているのです。幾たびも幾たびも、繰り返してきた季節の中で、その度に、
 新鮮だったなにかを奪いとられて来た様な気がしてなりません。

  そう云えば… 毎年、その果実を穫る梅の木を毎日見ていながら、白い花
 が満開になって居ても「梅が咲いている」等と思わなくなって仕舞ったのだ
 と、今更の様に考えるのです。それどころか、その木から、今年も果実を穫
 るのだと云う事すら思いつかないで… 時期が来て初めてそうする事に気が
 つき、そして、繰り返しなのだと思うのでしょうか… いや、今年は、その
 「繰り返し」と云うことにすら、気づかないで、唯黙々と果実の収穫だけが
 現実と受けとめて仕舞うのでは無いだろうかとも思えてくるのです。

  「何を考えているんですか?」

  典子が、先程の梅を生けながら、答えを求めるでもなく問いかけます。
 彼女は何時もそうで、決して私に話しかけたりはしません。仮に話しかけて
 来ても、返事も… 相槌すらも求めてはいないのです。それは、私がそう思
 うだけで、彼女自身は、もっと、私と色々なことを話したいと思っているの
 かも知れません。唯、私が話すことが億劫だから、それを煩わしく思うから
 自然と、受け答えもしない私の前では、独り言の様になるのかも知れません。

  そんな、典子を可哀想だと思うことも最近は無くなって居ました。
 私は、唯、彼女の方をぼんやりと眺めるように見つめ、再び自分の世界へと
 帰って行くのです。

  ひと通りの形が整えられた花を飾り終えると、珈琲を入れてきて私の側に
 座ります。

  「お茶の方が良かった?」

  「いやぁ、珈琲が良いよ」

  典子は、嬉しそうに微笑ました。
 彼女は、今日此処へ来る途中で買ったと云う小冊子を開き、読み始めていま
 す。

  典子は、何時でも朝早く訪ねてきて、夜まで過ごして行きます。
 休みの日には、私はほとんど食事もとらず机につきっきりと云うことが珍し
 く在りませんから、彼女が訪ねてくれると助かるのですが… 不思議な事な
 のか、普通の事なのかは分かりませんが、典子が私の家を訪ねる理由が私に
 は分かりません。

  彼女は、休日になると決まってやって来ると云う分けでもありません。
 時々、突然来て、庭に花のある季節にはその花を、勝手に切ってきて生けた
 り、台所を掃除したり、まるで自分の家に居るようにして過ごします。

  私の側に居ても、とりわけて話をするわけでもなく、本を読んだり、編み
 物をして、静かに時を過ごして居るのです。

  「先月、梅を生けていたでしょう?」

  典子がぽつりと、はにかむように微笑みながら云います。

  「あぁ… 何故? 生けていたけど… 」

  そうなのです。
 私は、咲いた花を生けるより、咲くかどうか分からない、まだ蕾の堅い花を
 生ける癖が在ります。

  「もう、梅の季節は終わったよって… 顔に書いてあります」

  嬉しそうに、私の顔を見つめながら、典子が話します。
 私も少し照れくさそうに微笑んで見せると、また典子は本を読み始めます。
 読み始めながら、また独り言の様に、ぽつりと云いました。

  「咲いたんですか?」

  「咲いたよ… 一週間で散ったけどね…」

  そうなのです。
 季節外れに花を生けると、花が弱って枯れる前に咲かせようとする為に、部
 屋の中を、何時も以上に暖かくし続けますから、開花した花もあっと云う間
 に散ってしまいます。花の方も、真冬の寒さの中から急に初夏の様な暖かい
 所にいれられて、慌てて開花して散って行くのだと思います。

  「私は、咲かせないで下さいね…」

  そうなのです。典子も、そのことを知っているのです。
 去年も、その前の年も… まだ時折雪の降る時期に、私の部屋で蕾を膨らま
 せ、開き… 散って行った梅の花のことを…

  初めて、典子が私の家を訪れたのは、何時だったのでしょうか… そんな
 事まで忘れて終い、思い出そうともしないのは、いけない事でも無いような
 気がしますが… 初めて、彼女が私の部屋で梅の蕾を見た時は、まだ堅い、
 枝だけのような梅蕾と、熟れて明日にも落ちそうな深紅の山茶花の取り合わ
 せが、唯の作風だと思った様です。

  山茶花を三、四回生け替えてやる頃には、梅も咲くのだと話してやると、
 嘘ですよ… と、云いながらも、咲き始めると、朝、蕾の膨らみに気づき、
 昼、開く気配を感じ、夕刻には咲いて来るのだと話してやると、信じ難いな
 がらにも、深く感心した様子で、それから数日の間は、毎日の様に、電話を
 掛けてきては、まだ咲かないのですか?と、訪ねていましたが、咲き始めた
 事を聞くと、次の日にはそれを見に来たのでした… そう、開きそうに膨ら
 んだ蕾を不思議そうに見つめていましたが… 三日くらい側に付いて見て居
 ました… 夕刻、私が家に帰ると、忘れかけていたような家庭の香りが家中
 に満ちていて、夕飯の善が準備されて居たり、朝、味噌汁の香りに目がさめ
 る等と、新しい不思議なのか、懐かしい不思議なのか… 自然な事の様で、
 なにか冒険をしている様な興奮めいた三日間… 彼女にしても、目の前で蕾
 から開花までの梅の花を、まるで駒送りの写真でも見るような感覚で、観れ
 た事は、形容しがたい感動だった様です。

  普通に咲かせると、部屋の中に置いていても、こんな風には観れないもの
 なのです。と、同時に、朝から夜まで、花を見続ける… この感覚には、彼
 女自信、それまでは、思いも寄らなかった事の様でした。

  「花にもよるよ… 散らない花もある…」

  私が云った花とは、ドライフラワーの事でした。
 私の部屋を飾る薔薇のそれは、蕾が開く前に斬り、天井から逆さまに吊り下
 げて、そこで開花させたものでした。

  この時も、典子は随分な関心を持った様子でした。
 枯れて行く直前の薔薇の花は、形容しがたい程の甘酸っぱい強芳を放ちます
 から… まさしく、香りに噎せると云っても過大な表現では無いと思うので
 す。天井から逆さまに咲いた一抱え以上の薔薇の花と、かつて嗅いだことの
 ない強芳は、典子を虜にした様子でした。

  「どちらも嫌です…」

  相変わらず本を読みながら、独り言のように呟きましたが… 少しして、
 何かを思い出したように、私を見つめると、やはり、何時もの様にはにかん
 だ様な微笑みを見せ、また静かに本を読み始めるのです。

  「もうすぐ、桜の季節だね」

  私は、典子の生けた梅を眺めながら、ぼそっと呟きました。
 典子は、黙ったままで振り返り、「そうですね」と云うように微笑んだ後、
 一瞬うつむき… 心の何処かで、「駄目ですよ」と云いたそうに、私の目を
 見つめて居ましたが、静かにその瞳を閉じるのでした。

  今朝咲き始めたのかと思えば、昼下がりの微睡みの中にも既に散り始める
 花弁も可憐に、まるで散るために開いた花の様に淋しいのかと思えば、束の
 間の瞬きすらあざ笑う様に、花はひと息に咲き乱れて、むせぶ様に淡い色に
 酔うのです。

  気高く咲き誇った後で、風に吹かれるのでも、梢に揺り落とされるのでも
 なく、花弁は自ら、その時を知り得る様に、静かに旅立とうとするのです。

  わが身の重みを頼りに、急ぎもせず、風に縋る事も逆らう事もせず、落ち
 ると云う事に意思もなく与えられるままに任せて、鏡の様な水面に舞降りる
 花弁は、目の前を行く様には感じられず、瞳に映る様な幾重にも重なった空
 間の中の一部となり、前にも後ろにも限りなく深い遠近の一点に、うっすら
 と、灯された雪洞の様に、心を引き込むのではなく、まるで心の中に舞遊ん
 で魅せるかの様な、錯覚を与えるのです。

  海に向かい、流れて行く様な期待も、時めきも、抱かせはしないのです。
 細波に揺られながら、何れは湖底に深く沈み、眠りの後に朽ち行く事も…
 ましてや、何時までも永遠に鏡の様な水面のうえに、その美しさを残したい
 等、何一つとして願ってはいけない事の様に、何一つ望みもしないのです。
 ただ、今… 水面に浮かびながら春の穏やかな陽射しの中で、緩やかな時の
 流れに漂う花弁が、何にもまして美しいと、それだけを感じているのです。

                                聖 紫




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