#389/1336 短編
★タイトル (ARJ ) 95/ 2/ 5 11:55 ( 59)
お題>劇場 みのうら
★内容
:ミルクホールワルツ
どんな未来を予想したにせよ、誰がこんな未来を想像し得ただろうか。
男は……いや、彼の年齢から言えば、まだ少年といってもかまわないだろう。少年は
、カウンターの隅に腰をかけ、壁のTVに目をやった。
『……以上、19:30のニュースでした。なお、このニュースは1時間おきにお伝え
しております。それでは、しばらくクラシックをお楽しみ下さい。演奏は』
事務的なと言うより機械的な台詞を並べているのは、ロボット・アナウンサーだろう
。
誰もが感傷に浸る今日、冷静にニュースを伝えられるなど。
「お客さん、なんにします」
初老のバーテンダーが無愛想に言う。
機械のように毎日毎日、正確に仕事をする習慣上来てしまったのだろう。
誰だってこんな日はロボットたちに仕事をまかせ、パーソナルシアターにでも隠る。
そうでなければ少年のように、懐古趣味のバーのカウンターに席を占め、こう言うの
だ。
「ミルクを。あっためすぎないで」
決して広くないホールの中に、ちらほらと見える客は、申し合わせたようにミルクを
飲んでいた。
普段なら、アイスクリーム・ソーダやチョコレート・サンデー、カラフルなジェリー
ビーンズとポップコーンを楽しむ人々であふれている。
楽しむ?いや、今日は何者をも楽しませない出来事がある日だ。避けられない破滅の
予感、とでもいうものが。
希望があればアルコール飲料も出る。あくまで希望があれば、だが。
少々大きめのパーソナル2Dシアターは、ひっきりなしにホームコメディを流してい
る。
大昔にあったという映画館の、小型版だ。5、6人の客が、口を開けて画面に見入っ
ている。
白黒だったりカラーだったり。大柄の金髪美人が、大きな口を開けて笑っていた。
蜂蜜とバニラで味を付けた、なつかしいミルクがビスケットと一緒に出される。
くるくる回って溶ける金色の蜂蜜を眺めていると、涙がこぼれそうになった。
「おかあさん」
彼の母親は保育ロボットで、卵子提供者は250年も前に死んでいたのだが。
なぜ、見たこともない「母親」という存在に涙しなければならないのだろう。
あたりさわりのない音楽を流し続けていたTVが、ぽつりと止まった。
誰もがおしゃべりをやめる。バーテンダーは溜息ひとつ、ざわめき続ける2Dシアタ
ーを切りに……
『ここで臨時ニュースを申し上げます』
足が止まった。明るく騒がしい音楽と、合成された笑い声。
遥か昔のホームコメディ。調子の狂った忙しいワルツ。
楽しく豊かだった古き良き時代。
『……臨時ニュースを申し上げます。先ほど19:58に、人類最後の女性アマリア・
グリーンさんが心不全のため、入院先の病院で亡くなりました。89歳でした。
政府ではこの若すぎる死を悼み、本番今晩23:00よりウーマンズ・メモリアル・
ホールで追悼式を行います。アマリアさんの葬儀その他の決定は、この後、20:30
より記者会見を行い、発表されます。さて、アマリアさんの死にあたりまして国連では
……』
「おかあさん」
誰ともなくつぶやき、店内は力ないすすり泣きで満たされる。
遥か昔、未来の幻想が様々に描かれた時代。どんな物語でも先に滅亡するのは男だっ
た。
人類の寿命が延び、出生率が下がり、そして……
『みなさん、それでも人類は繁栄して行かねばなりません!我々を生み出した母は死に
ました、しかし、これは人類という種の一つの脱皮、進化と考えて良いのではないでし
ょうか。母よさらば、われわれ、あなた方の子供達は……』
街頭宣伝車の男は最後までしゃべれず、群衆の無気力な怒りに飲み込まれていった。
ロボットが動かすカメラだけが無感動に、だが感傷的なふりをして悲しげに働く。
今日42歳になった少年は。
西暦2178年。人類の平均年齢は230歳を越えようとしていた。