#319/1336 短編
★タイトル (YPF ) 94/10/10 1:52 (196)
お題>あやつり人形・その一 不知間
★内容
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あやつり人形・その一
不知間 貴志
むつかしいことは、みんなノイがやってく
れる。だから、ぼおっとして午後の日ざしや、
暖かい秋の香りを、わたしは楽しめばよい。
晴れたので、今日は紅茶を入れる。
白い缶に紫色の文字。お湯は三回沸騰させ
る。火を消してから、気にいらないので、も
う一度火をつける。その後で食器棚にむかっ
て考え込む。ティーカップとお皿のたてる、
かちゃり、という音にびくりとして、手をひっ
こめる。
ふりかえる。キッチンでは誰もいない。
「あああ」と、椅子に沈みこんで、天井を見
つめて、小さく声をあげる。
天井はわたしの心臓をつかみだそうと、常
に邪悪な陰謀をめぐらせている。いつか白い
壁に、わたしの胸から吹き出すもので、べた
べたべたと湿った赤い文字を描こうと画策し
ている。
だけど、天井は、はっきりいって自分に手
が無いことに自覚がない・・・
『エルさん。私が天井に味方して、手伝いま
しょうか?』
ホーム・オートメの”ノイ”が意地悪くわ
たしの思考を読む。
テレビの画面が、ぶにゃ、とひしゃげて、
たくましい筋肉をもった、大理石風のテクス
チャーを表面に貼りつけた二本の腕を生やす。
「じょ、冗談、冗談よお。やめて」
しゅん、と、とってつけたような効果音と
ともに、腕は消える。ノイのいたずらは、ハ
リウッドのSFX程度には陳腐だ。
わたしは戦闘ヘリの出てくる連続ドラマの、
主人公のマッチョな女優のマネをして、テレ
ビの画面をゆびさしてポーズをとる。
「あとで、おぼえときなさいよ」
*
夜中にハッと起きだすと、ゲタゲタと下品
な笑い声で部屋がいっぱい。目をあけたくな
い、目をあけたくない、目を・・・諦めてあ
ける。
ベッドのまわりで、いろいろな顔が笑って
いる。本だ。大好きな映画の雑誌の表紙や、
読み散らかした文庫本の表紙やイラスト、夕
刊の一面の、番号札を両手で胸の前にもった
テロリストの写真、女も男も、それがみいん
なアニメみたく動いて、笑い声をたてている。
「ノイっ! あなたもう我慢できないわ。い
たずらにもほどがある。メーカーへコピー送っ
て、徹底検査させるわよ」
『いいえ。私ではありません』
ノイは、せっかく時間をたっぷりかけてカ
スタマイズしてあげたデコレーションをつけ
ずに、すっぴんの工場出荷状態のスタイルで、
テレビの画面でアイコンになっている。
前にもあった。これはなにか悪いことがお
こったシルシだ。
「だあって、こんなことができるのは」
『断じて、私ではありません』
「じゃ、誰が?」
『天井です。大変残念ですが、私が負けまし
た』
「・・・うあ。ほんと?! 最悪っ」
わたしは口に手をあてて、古典的な驚きの
恰好をする。ノイはどこからパラメータを入
手したのだか、見事にすすり泣く声をたてる。
『私とエルさんとのインタラクティブ層は、
すっかり天井にフックされています』
「つまり、簡単にいえば、完全に乗っ取られ
たというわけ?」
『はい』
”乗っ取り”とは、つまり・・・
そこで突然、わたしの腕が、自分の意志に
反して動きだす。なにかにひっぱられている。
ヒジのところがゆっくりもちあがる。次に首。
肩。うわわわわわっ。
あっというまに、わたしはベッドの上に、
立ち上がってしまう。見えない糸で、まるで
(なんだっけ、あああそうかあれだ)”子宮”
のような形で吊り下げられる。
・・・吊るされる、というのは、本当は正し
くない。憎むべき天井は、わたしの神経に働
きかけて、わたしの身体を操っているのだ。
わたしは屈辱感に、ギリギリと健康な奥歯
を噛みしめた。
天井の暴走は続いていた。部屋中の本の顔
という顔が、口の無い天井にかわって耳をひ
きちぎりたくなるほど嫌な笑い声をたて続け
た。
「ノイ、いったい、どうするの、これ。わた
しは、あっ、あやつり人形じゃないのよ」
狂った天井によるわたしの声の翻訳と解釈
が完了したらしいタイミングで、わたしの首
が、ぐりんと左に回る。
本からの笑い声が、陳腐なバラエティ番組
の観客風の調子で、一瞬大きくなった。
『既に保安はコールしています。お待ちくだ
さい。そのままお待ちください』
ノイが今度は無用な頼もしさで、冷静に応
えた。
しばらく吊されたままでいると、どしゃっ、
と爆音とともに寝室のドアがふっとんだ。黒
い軍服を着た男が、くるりと一回床に前転し
て、銃を構える。大きなマシンガンだ。よく
ニュースでみるゲリラとかがもっているよう
な、おおげさなやつ。実物の漆黒の存在感は、
わたしをひどく圧倒した。
かっこいい。
「おおお」と叫びながら、男は天井に向けて
銃を乱射した。なるほどああやって壁に、ひ
とつひとつ順番に痕がつくのだな、とわたし
はどうせ動けないので呑気に考える。硝煙の
臭いが鼻をツンとさせる。
さすがの天井も、これにはこたえたのだろ
う。わたしの身体をとらえていた力が急に弱
まって、結果わたしはベッドの上に落下する
ようにしゃがみこむ(糸が、切れた)。
「きみ、大丈夫かっ!」男が吠えた。わたし
と天井を交互にみて、男はさらに銃を撃った。
ガッ、ガがガン、ガがガがガ。
「ありがとうございました」
わたしはか弱いヒロインの表情をつくって
男のひとみをじっとみつめた。
「たいしたこと、ないさ」
男は、さりげなく胸ポケットから煙草を一
本出し、すかさずジッポのライターで火をつ
ける。この男、照れている。
「あなたのようなヒトが、町をまもってくだ
さってると・・・ほんと安心だわ」
天井には男がダメ押しで、というかサービ
スで撃ったミサイルで大穴があいていて、と
ころどころチップやケーブルがはみ出ている。
穴から夜空が見える。月が明るい。
「寝室を(男はベッドや家具をなめまわすよ
うにみつめて、唾をごくりと飲み込んで)、
だいなしにしちまって」
「ううん」わたしはゆっくり首をふる「いい
のよ」
「・・・じゃ、これで」男は帰ろうというそ
ぶりだけみせる。
「あ、もうすこしいて。お礼になにかつくる
わ」
わたしはキッチンへのドア(の痕跡)を越
えた・・・そこでわたしは、おもわず叫びだ
しそうになる。大切にしていた陶器のコレク
ションが、あとかたもなく棚の中で砕けてい
たのだ。頭のなかからザッと音を立てて血が
ひいた。
男は、つまりは派手にやりすぎた。
「ノイッ!」
わたしはキッチンで押さえた声でノイを呼
ぶ。
『はい、エルさん。終わったようですね?』
「まだ終わってないわ・・・あの保安の係の
男の素性、ぜんぶ調べられる?」
『もちろん可能ですが、目的は何ですか?』
「もちろん・・・そう、パージ(抹殺)する
のよ。それも、それも徹底的にっ!」
ぶるぶるっと、自分の頬の筋肉が怒りの感
情の波動で震えるのがわかった。
『はい。わかりました』
ノイは従順だった。いつもと違って業界標
準の、仕様どおりの道徳的反論もなかった。
やっぱり、たかが天井に負けた失点を、ここ
でいっきにとりもどしたいのだろう。
むつかしいことは、みんなノイがやってく
れる。うまくノイをつかえば、退屈しないで
生きていける。あの男は、銃によらない暴力
が、どれだけ素晴らしく悲惨な状況をまねく
か、ああいう仕事だ、知らないにちがいない。
わたしのかわいいティーカップたちの弔いの
ために、後でそれを徹底的に教えてあげよう。
わたしはヒビの入った姿見に向かって数回
表情をつくってから、なにごともなかったよ
うに、ぼろぼろの寝室で待つ男のところへ、
ちょっと不自然なニコニコ顔で戻る・・・
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1994.10/9