#294/1336 短編
★タイトル (MNM ) 94/ 8/20 2:20 (133)
川沿いの町から POE
★内容
=意を決して、この町を離れることにしました=
およそ一年振りに届いた彼女からの手紙はこう始まった。こっちへ出て来るのか、
厄介なことになったぞと僕は思った。それでも封を切り、便せんを取り出した時に
は懐かしい香りをかいだ気分になった。
僕が東京で過ごす冬はこれが7回目になる。今までに帰省したのは一度きり、交
通事故で呆気なく短い生涯を終えた親友の葬式に出るためで、四年も前のことだ。
=私、あっちゃんが東京へ行ってからよく散歩するようになったの。あっちゃん
の中にある地元の風景をずっと持っていられるように、しつかり見ておこうと
思って。特にこの二、三年で嘘みたいに変わったよ。大場川に掛かる橋はみん
な新しくなってね、もうすぐ中川の方も全部掛け直すんだって。町並みにも変
化があって、私のうちから駅へ行く途中の電気屋、酒屋の隣りじゃなくて自転
車屋と歯医者さんの間にある方の、あそこレンタル・ビデオの店に替わっちゃ
った。駅前の交番と公衆トイレもお揃いの可愛いペンション風に立て直したし、
駅の反対側 居酒屋が一件つぶれてゲーム・センターになっちゃった。
空き地や畑だった所も今風の家が建ったり、京子ちゃんちの隣りは二階建て
の立体駐車場になったのよ=
定期的に届く彼女からの手紙を読むのは楽しみだったが、ひどい筆不精のぼくと
しては返事を書くのが苦痛だった。だから代わりに電話をすることにしていた。
「いつ帰ってくるの」
手紙には絶対に書いてよこさない言葉を堪え切れずに言う彼女を愛しいと思う。
それでいて、抱きしめたい気持ちと突っ張ねたい気持ちが僕の中で交差する。どち
らに忠実になったらいいのかと決めかねている自分をもて余して、その場しのぎの
適当なことを言ってごまかすと、彼女はそれ以上訊ねてこないので別に期待されて
るわけじゃないんだと僕は解釈していた。
『いつ帰ってくるの』が回数を重ねる毎に明るい望みから絶望のため息へとニュ
アンスを変えてゆき、何回かお座なりに会話の途切れた時に付け足されるようにな
った後、自然と聞かれなくなった。僕の冷たい受け答えに対する大事な信号を見落
としたのは僕の罪であり、それ以上の何ものでもなかった。
金がなかったのもあるが、それとなく感じるかみ合わない二人の気持ちを思うと
心が重く、面倒臭さが先に起って電話をする回数が減っていった。三通届いてやっ
と一度、というとこだろうか。今回のように一年近くも手紙が来なかったことはな
いので、久し振りに電話でもしてみるかという気になった。
=北野さんとこの名物おじいちゃん、九月の始めに亡くなったの。よく二人であ
るいててからかわれたよね。あっちゃんはそれがイヤだったでしょ。私は嬉し
かった。あのおじいちゃん、好きだったなあ。気が若くて、面白くて・・・。
怒られても怒られても、児童公園のベンチの横でノラ猫にエサをやっていた
ね。公園が猫の住処になってしまって、子供が引っ掻かれたとか、砂場がフン
だらけになったとかで問題になったのに、最近までそっとやって来てた。日向
ぼっこしながら、とろけそうな顔して猫たちを眺めてたよ。あの顔が大好きだ
ったのに。それに=
僕は冬が嫌いだ。今はエアコンのある部屋に住めているけれど、つい最近までの
極貧時代に冬がすっかり嫌いになった。気持ちが荒むし、そうなれば何をしてもケ
チがつく。
四年前に地元へ帰った時は悲惨だった。大学を卒業した後、定職につかずにカメ
ラマンをめざし、バイトをしながら細々と食い繋いでいた時期だった。
カメラは金がかかる。自然、バイトも二つ、三つと掛け持ちでこなさなければや
っていけない。勉強したいことは山ほどあるのにバイトに時間を取られるのが何と
も口惜しい。そんな一番苦しい時に親友の死を知らされた。
冬の盛りだった。
何年もかけて少しずつ造ってきた物がやっと形を成した時、手から滑り落ちて粉
々になってしまった。これから丁寧に磨いて素晴らしい艶を出そうという時に、だ。
憎らしいほど澄みわたり、きんきんとした冷たい青空の下で僕は奴のお袋さんに
少し丁寧に頭を下げると、周りを見回す余裕もなく逃げるように東京へ戻って来た。
死ぬ前日にどうだったとか、事故の状況はこんなだったとか、頼みもしないのに話
して聞かせようとする無数のお節介たちを文字どおり振りほどき、列車に飛び乗っ
たのだった。
故郷と僕をつなぐ糸は何本あるのだろうか。どうだっていいけれど、そのうちの
一本が無理矢理引きちぎられた。悲しみではなく、呼吸の仕方を忘れたような苦し
みにもがいた。奴の顔が目に浮かぶ度に暴力的になって見苦しいほどじたばたした。
悲しいと思える方が楽だった。
あいつの思い出話なんか誰がするもんか。
僕は完全に冬が嫌いになった。
=高橋さんが亡くなった時、あっちゃんに会えなかったのはとても残念だった。
いろんな人に、森下さんや矢萩さんや、鹿内さんの弟さんにも、何故会いに行
かなかったの、って言われちゃった。でもね、会ったら自分のことばかり話し
ていたと思う。あっちゃんが落ち着いて聞ける状態じゃなくても、話し始めた
ら止められないと思ったの。あっちゃん、お通夜、間に合わなかったでしょ。
告別式の朝早くにこっちに着いたんだってね。私はその日、お姉ちゃんの結婚
式で高橋さんの方には行けなかった。(前にも書いたよね)皮肉なすれ違いよ
ね。こんなこと、昼メロの設定にもならないよね。
あの日、やっぱりあっちゃんに会っておくべきだったと後悔してる。後悔は
今も引きずっているような気がするな=
彼女の手紙はいつも長い。電話は相手の都合が気になって長く話していられない、
手紙ならいくら長くても相手が好きな時に読めばいいからと言ったことがあった。
それを聞いてから僕は彼女の見方が少しだけ変わった。
しかし、周囲の小さな変化や思い出話が長々と続く手紙に少々飽きて、僕は便せ
んから目を離し、自分の部屋を見回した。こんなに汚い部屋を見せるわけにもいか
ない。掃除か。多少なりとも見栄えのする部屋にするには、かなりの量を捨てなけ
ればならない。他人が見たらガラクタに見えても結構、大事なものばかりだ。これ
を涙を呑んで先ず、捨てる物とそうでない物とに分けよう。僕はため息をついても
う一度部屋を見回した。本気のため息ではないことは自分が一番よく分かっていた。
誰もいない部屋で無意識に『しょうがない』風を装う馬鹿さ加減に気づきもしなか
った。
それにしても彼女がいつ出て来るのか、読んでも読んでも予定が出てこない。決
心しただけで具体的なことはこれからなのかもしれない、ということはまだ暫くは
このままでも構わないということだな。
=橋が新しくなると川の汚れが目立つわよね。石場川も赤部大川も見て分かるほ
ど水の色が変わって魚も少なくなったよ。あっちゃんが高二で私が中三の時、
小さな子達が石場川で水遊びしてるのを見て一緒に川の中へ入って遊んだこと
あったよね。あんな真似、もう出来ないよ、気持ち悪いもん。
話しは変わるけど、長いこと帰って来ないところからすると、東京の水はあ
っちゃんに合っているんだろうね。私はどうなんだろう。鈍臭いからきっと無
理よね。本当は、あっちゃんに会いに行こうと思って時刻表をチェックしたこ
とがあるんだよ。でも行動出来なかった。私って臆病だから。こっちでずっと
待ってようと思った。でもあっちゃんは東京の方がいいみたいね。仕事も忙し
そうだから、こっちのことをあまり思い出すこともないのかな=
今でも彼女は僕の恋人なんだろうか。長いこと放ったらかしていて、確実な約束
も何もない。
働いても働いても、本当にやりたい仕事は回ってくる気配もない。あせる自分に別
なことを考える余裕が、今はまだない。彼女に何も言わなかったのは僕の甘えであ
りずるい面だった。故郷へ帰るはめになった時の言い訳が彼女だったのだ。そして
ずっと僕の最後の切り札でいてくれるような安易な考えがどこかにあった。
丁寧な文字で書かれた恐ろしく長い手紙をベッドへだらしなく寄り掛かり、缶ビ
ールを手に、休み休み読む。これを飲み切ったら今夜は風呂をやめて寝てしまおう、
明日は四時起きか、などと考えてから再び便せんへ目を戻した。
=あっちゃんが一度こっちへ戻って来た時に会えなかったのが、大きな分岐点に
なったの。何年かの間に大きいのや小さいのや、くい違いがいくつかあって、
私が思っていた以上に時間がかかっちゃった。
臆病な私が決めたことなの。私のことだから、間違いはなかったと胸を張っ
て言えるまで十年ぐらいかかるかもしれないけどね。
もうすぐこの町を出ます。あっちゃんの知らない町で、あっちゃんの知らな
い人と新しい生活が始まります。東京のせいにしたくないし、あっちゃんの仕
事のせいにもしたくない。私達が一緒に見たこの町の風景を心に刻んでから行
こうと、私が決めました。もっともっと時間が経って偶然、同じ時に帰って来
たら、笑顔で会えることを=
故郷と僕を繋ぐ糸は何本あるのだろうか。どうだっていいけれど、そのうちの一
本がまた切れた。
僕は半分も飲んでいない缶ビールをテーブルの上に置いて、電気を消すとベッド
へもぐり込んだ。 〔了〕