#136/1336 短編
★タイトル (TEM ) 93/ 9/14 21:56 ( 84)
夜から うちだ
★内容
1
同じ学校出身の同期生の集まり。仕事帰りの夜、誰もつかまらない夜、仲間
内でのこじれた恋愛の数々と些細な喧嘩を経て、私とあの人だけがそこに残っ
た。あの人は私の友達の友達で、もともとちっとも関わりのある人ではなかっ
たけれど。「ま、こんなもんだよな」ともろい絆をあざ笑う、わたしたちの距
離は縮まない。
2
事務所のカギをかけて非常ドアを開けた。金曜だというのに定時であがれな
かったから急がないと。ここは雑居ビルの5階。コートの下の暖房で緩んだ体
に、冷たい風が吹きつける。日はとうに沈んでしまった。今夜もあの人と会お
う。走って降りてく非常階段。空がおちてく。となりの中華飯店のにおいやつ
めたい空気。いろいろなものがぐるぐるとらせんを画いてまわってついてくる。
昼間には忘れていた細かなひとつひとつがよみがえる。地上では同じビルの一
階のブティック、ショーウィンドゥの明かりの向こうで帰り支度をする売り子、
カラオケ屋の前でたむろする人々、信号待ちのタクシー、そのそばを走り抜け
て。
3
あの人にどう思われてるのかなとか、今頃何をしてるのかなとか、全然考え
なかった。長い夜を過ごすため、薄暗い照明の下に私を待つ人が欲しかった。
どんな嘘も平気だった。“わたしたち”でいる短い夜のあいだ、あの人がそこ
にいれば良かった。心がそこになくっても平気だった。もしかしたらあの人じゃ
なくても平気だった。ないものは無くならないから。
4
そういえばわたしたちが会うのはいつも夜だ。まるで何か悪いことをするよ
うに、人の目を避けるように、暗くなってからわたしたちは動きはじめる。
大画面の中で金髪碧眼女が何かすごい勢いで喋っている。私はもう字幕を追
うのをあきらめてとなりのあの人を見ると、彼ももう眼鏡を外してぼんやりと
していた。あの人は私の視線に気付くとこちらを向いてほんのり苦笑みたいな
ものを浮かべた。その夜、わたしたちはオールナイト映画に行った。どうでも
いい三流映画で、私もあの人も時々うとうととしては目を覚ますことを繰り返
した。イスの足元から暖かい空気が大量に流れ出る。外の寒さを考えて、わた
したちはおっくうになったからそのまま座り続けていた。ひとりじゃ動けない。
私にはきっと体内に温度を調節する機能がない、ちょうど爬虫類のように寒い
と動けない。だから身を寄せあって暖をとる。この人はこの先も私のとなりに
いるだろうか。こんなことさえいつかは思い出したりするのだろうか。館内で
はどこにも行くことが出来なかったアベックやよっぱらいが座りの悪いイスの
うえで思い思いのかっこうをしている。
映画が何回目かのTHE ENDを迎え、ロビーがうす明るくなる。ぞろぞろと眠
たい目をした人達が映画館から路上に吐き出される。わたしたちもその中の一
組だ。明るくなった座席を通りロビーを通り、心底寒い通りに出て手をつなぐ。
私の手もあの人の手も冷たいけれど、つなげば温もりに似たものになるような
気がするから。まだ日の昇りきらない朝。早く早く、暗いうちに早く帰りたい。
暖かい布団に、こじんまりした部屋に。寒さや眠たいせいだと思っていられる
うちに。その手の温もりもせつなさも、みんな夜のせい。こうして線を引いて、
かっきりとそれぞれの日常へ帰るのだ。
「じゃあね」
「さよなら」
そこでわたしたちはどちらからともなく手を放す。私は地下鉄の始発がすぐ来
るといいのにとばかり思い巡らす。早く帰ってぐっすりと眠ろう。
5
虫の声を聞きながら夜の校庭をふたり歩いた。話し相手が欲しくて夜11時
過ぎに呼び出した。なりゆきでキスした。雨の夜峠をドライブした。何も期待
しない何も望まない私とあの人は、油断して思い出を作りすぎた。変わってし
まった。私の中では、誰とでも作れるうすっぺらな数々の出来事も重ね重ねて
光を放つようになった。あの人の姿は日常の汚濁にまみれない夜の中で佇んで
いる。
6
なんとなく、昼間に会うことにした。晴れわたる空の下、よりによって海で
会う。夢のようなきれいな景色を背景に「何だか勝手が違うねえ」と私はぎこ
ちなく、笑う。「目を綴じたら夜と同じだよ」と言われても、潮の音がする。
どんな明るい照明の下も夜は夜だし、たとえば雨戸を閉めきって真っ暗にし
ても昼間は昼間だ。同じものを瞳に映しても、心で広がる景色はたぶん幾分違
う。どれもこれも自分のこと以外はたぶんでしかなくて、ほんとうはすべてが
幻や思い込みだけなのかもしれない、それでも私は。私は私の中で勝手にあの
人の像を結び、あの人はあの人の中で勝手な私の像を見ていることだろう、た
ぶん。かけがえのないものにもクズのようにもなりそうな、不安定な思い出と
未来。
砂をけって歩く。短い影がふたりの足元で揺れる。近づき離れ繰り返す、私
とあの人が海辺を行く姿はどこにでもいるカップルのそれ。壊れていくのか築
いているのか分からない途中の姿。目を綴じても夜とは違う。きっかけなんか
なんだってよかった。さあ何をどう言おうと目を綴じた一瞬、私は太陽が透か
すまぶたの血の色を見た。
おわり