#5488/5495 長編
★タイトル (VBN ) 01/10/24 00:10 (195)
鼻親父と豆腐の美女(2) 時 貴斗
★内容
美女と豆腐
馴染みのバー、「フランソワ」に入ると、サラリーマンらしき男がビー
ルを飲んでいるだけで、他に客はいなかった。私はカウンターに行き、
ブランディーを注文した。テーブルの上で腕を組み、沈思黙考している
と、私の前にグラスが置かれた。
氷のかわりに、さいの目に切った豆腐が三つ、浮かんでいる。私は用
心深くまろやかな液をのどに流し込んだ。
決して豆腐を口に入れてはならない。酒と混ざると異次元世界とでも
形容すべき味がするのだ。もしもの場合にそなえ、魚の形をしたプラス
チックの容器に入った醤油をポケットにしのばせてある。コンビニで売
っているそばについている、おろし生姜の小袋があれば完璧だが、残念
ながら今ストックがない。
扉が開き、金髪で、瞳の青い美女が入ってきた。アメリカ人だろうか。
フランス人のようにも見える。彼女は私から椅子二つ分、離れた位置に
すわった。
「ワイン、ヲ、クダサーイ」長い髪をかきあげる。「アカデース」
すぐに胃が温まってきた。ブランディーを半分ほど飲み干した頃、彼
女の前に赤ワインが置かれた。驚いたことに、それにも豆腐が三つ浮か
んでいた。
ワインに氷を入れるというのは、聞いたことがない。いかんいかん、
と自分に警告する。これはあくまでも豆腐なのだ。氷に鰹節とねぎをの
せ、醤油をかけて食うか? そんなバカな話はない。味噌汁に氷が入っ
ていたら、どうリアクションせよと言うのだ。すぐにとけて水になって
しまうぞ。
「うーん、ちょっと薄いな」でいいのか? それとも、「うーん、ちょっ
とぬるいな」か?
やわらかな白い面が、女の唇に当たる。
いけない。見とれてしまった。胸ポケットから煙草とライターを取り
出し、一本抜き出して火をつける。そんな私を見て、彼女は微笑んだ。
「オヒマ、デスカ?」
水商売なのか? そんなふうには見えない。
通じなかったと勘違いしたらしく、彼女は眉を八の字にして言いなお
した。
「ヒマジン、デスカ?」
「ノー、ノー。アイ、アム、ア」すっかり慌ててしまった。「ペン」
「アー、アナタハ、ペンサンデスカ」
彼女は再びグラスを口につけた。驚愕すべきことに、豆腐がするりと
中に流れ込んだ。
私に向かって微笑んだまま、くちゃくちゃと噛む。異次元世界の味が
広がって、何とも思わないのか?
よく見ると、下唇の付近に、豆腐の小さなかけらがついていた。
「あのう」私は指を自分のあごに当て、二度軽くたたいた。
しまった! 人差し指ではなく、中指を立てていた。
「オー、ガッデム!」彼女はグラスの中身を私にぶっかけた。
驚いて口を開いたひょうしに煙草は落ち、かわりにワインと豆腐が飛
び込んだ。
奇怪な味が私を襲った。
「うぐ!」
慌ててポケットから醤油を出し、ふたを開け、急いで吸った。
早口ラップ
(できるだけ速く読んで下さい。)
「お前な、高校生がこんな所で遊んでていいのか」
私は甥に説教していた。いわゆるクラブと呼ばれる店で、たまたま彼
が入るのを見かけたので、来てしまった。
「勉強しなきゃだめじゃないか」
色とりどりの光が乱舞する中、若い男女が踊っている。私達は隅のテ
ーブルで向かい合っていた。
騒々しい音楽が鳴っている。ラップとかいうやつだろうか。
「生麦生米生卵なーま麦生米生卵」
変な曲だ。こういうのが流行っているのか?
「来年受験だろ? こんなことしてる場合じゃないぞ」
「赤巻き紙青巻き紙黄巻き紙、まーいて巻いて黄巻き紙」
徐々にテンポが速くなっていく。
「だいたい、その髪の色はなんだ。学校で許されているのか」
「お綾や親にお謝りさあさあお綾やお謝り悪いことしたんだからお謝
り」
猛スピードだ。よく舌がもつれないものだ。
「隣りの客はよく柿食う客とーなりの客はよく柿食う客とーなりの客は
よく柿食う客、だあー!」
ドンドンドン、ドド、ドン、ドドドドドン。
「このこの竹竹竹竹垣に竹立て掛けたのは竹立て掛けたかったから竹立
て掛けたかったから竹立て掛けたの、さあっ!」
「そのイヤリングはなんだ。姉さんはなんとも言わないのかいや姉さん
というのは母さんのことでいやいや俺の母さんじゃないつまりはお前の
お母さんのことで何も言わないのか」
いかんいかん。私の口調までおかしくなってきた。
「坊主坊主ぼぼ坊主が上手に坊主が上手にびょうぶびょうぶびょびょ上
手にびょうぶに坊主の絵をかい、たあーっ!」
「先生が注意しないのか先生は何をやっているせんせせんせ何やってん
だ」
「武具馬具武具馬具ぶぐぶぐぶぐぶぐ武具馬具武具馬具三武具馬具あー
わせて武具馬具六武具馬具あーわせて武具馬具むぶぐむぶぐむぶぐむぶ
ぐばぐばぐ」
「お前が俺をお前と言うないつからお前はお前お前と言うようになった
ああ分かったよお前をお前と呼ばないからお前も俺をお前と呼ぶな」
「この竹たたたた竹竹垣に竹立て掛けたのは竹立て掛けたのは竹立て掛
けたかったから竹立て掛けたのは竹立て掛けたかったから竹立て掛けた
の、さあーっ!」
ああ、耳がもつれる!
「ハーイ、ペンサーン」
声のした方を見ると、豆腐の美女が手を振りながら歩み寄ってきた。
相手が外国人の時、どうするのだろうか。握手でもするのか? そう
思った私は、立ち上がった。
「コンナミセ、ヨクキマース!」
え? 「あなたのような歳の人が、よくこんな店に来ますね」の意味
だろうか。それとも、「私もこの店にはよく来ます」と言いたいのだろう
か。
「やあ、この間はどうも」私は手を差し出した。
「ピーターパイパーピッペッピッペパー! (Peter Piper picked a peck
of pickled peppers!)」
「はい?」私はいきなり呪文のような文句を言われて、とまどった。
彼女は音楽にあわせて腰をふっている。
「ハウマッチウッドウダウッドチャックチャックイファウッドチャック
クチャックウッ? (How much wood would a woodchuck chuck if a
woodchuck could chuck wood?)」
「……」私は石像のように固まってしまった。
彼女の目がつり上がった。
「オーウ、ワタシ、ニホンノブンカ、リカイシヨウトスル。ナゼニホン
ジン、アメリカヤヨーロッパノブンカ、リカイシヨウトシナーイ」
「いや、そう言われても」
「シット! (Shit!)」
私はすわった。
「オウ、ガッデメッ!」
彼女はすたすたと歩み去った。
怒りっぽい人なんだなあ、と私は思った。
たこ焼き君
いい匂いがした。見ると、露店でおばちゃんがたこ焼きを売っていた。
つい足がその方に向いた。
「いらっしゃい」
職人の手さばきで、あざやかに引っくり返していく。
「一つ、もらおうか」
「あい。有難うございます」
私は紙でくるまれたたこ焼きを受け取り、金を払い、立ち去ろうとし
た。
「たこ焼き君が入っているかもしれないから、気をつけて」
「はい?」
振り返ると、おばちゃんは何事もなかったようにうつむいて、手を動
かしていた。
何と言ったのだ? 「たこ焼き君」というふうに聞こえたが。怪しく
思いながらも家に帰りつき、流し台の横を通り過ぎようとした時、やか
んの中から声がした。
「お、いい匂いだねえ」
鼻親父だ。彼は時々現れる。たいていはやかんの中だ。
「やらないよ」
彼は気力がすべて消失しているかのようなため息をついた。
「心配しなさんな。食べやしない」
居間に行き、紙包みを開けた。透明なプラスチックの箱の、セロテー
プをはずす。
「たこ焼きから触手が生える」また変な歌をうたいだした。「一本、二本、
三本」
「やめてくれ」
うまそうな丸い食い物達と対面した。と、突然そのうちの一つが浮か
んだのでびっくりした。
「たーこ焼ーきくーん!」
よく見ると、そいつには胴体があった。鼻親父と同じ構造をしている。
「な、なんだ?」
「だから、たこ焼き君だっつってんだろ。あ?」
「あんた一人だけだろうな。他のは大丈夫……」
「ふああっ!」
彼はその小さな両腕を私に向けて突き出した。一瞬、風景がゆがんだ
ような気がした。
私は立ち上がり、やかんの前まで歩いて行った。ふたを開けると、相
変わらず鼻親父が水につかっていた。
「おや、どうした。目がうつろだよ」
「ラーメンを食うんだよ」
「ラーメンって……たこ焼きはどうした?」
「たこ焼き? そんなものはないよ」
「嘘だね。鼻だけは自慢できるぞ。あれはたこ焼きの匂いだ」
「変な歌うたうな!」
私は水を足し、ふたをし、火をつけた。
「会話として成立していないだろう。まあ、別にどうだっていい」
私は居間に戻った。台所から鼻親父がまだぶつぶつ言っているのが聞
こえる。
「たこ焼き君がいるのか? あいつにはあまり関わらない方が……まあ
わしには別に……」
テレビの上からカレー味のカップ麺を取り上げ、袋を破りふたを開け、
粉末スープをふりかける。卓上になにか丸いものが並んでいて、そのう
ちの一つに体がついていて、腕組みしてじっとしているが、まあいい。
気にしない。壁のしみに人の顔を見出しながら待つ。
「ピーッ!」
鼻親父はなげやりに一回だけ合図をした。歩いていきやかんをつかみ
居間に戻り湯をかけガスコンロの上にもどした。
「あまり乱暴に扱わないでくれ」と鼻親父は言った。
腕時計を見てトイレに入りすっきりし手を洗い卓の前に行き座布団に
すわり……
「ああっ!」
ふたは取り去られ、麺の上に丸いものがこんもりと盛られていた。た
った今思い出した。それはたこ焼きだ。
「お前、私に術をかけたのか。これは、お前がやったのか」
「ふふふ、さあどうする。ラーメンから食うのかい? それともたこ焼
きから食うのかい?」彼は意地の悪い口調で言った。
なんという奴だ。このままではスープがたこ焼きにしみこんでしまう。
慌ててつまようじを探すが、おばちゃんはつけてくれていなかった。立
ち上がり、冷蔵庫の横の、棚の前に行く。急げ! 箸かつまようじが必
要だ。
「やれやれ、変な奴が来てしまったな」鼻親父が気だるく言った。
「お前が言うな!」私は激しい口調で突っ込んだ。