#5476/5495 長編
★タイトル (NKG ) 01/08/15 23:10 (199)
嘘と疑似感情とココチヨイコト(16/25) らいと・ひる
★内容
「お喋りはこれまでにしよう。さあ、そのままドアを開けて隣の建物に移るんだ。下
手なことをしたら、怪我をすることになるよ。運が悪ければそのまま死ぬかもしれな
い」
饒舌な彼に対し、不思議と怒りは治まってしまった。もうわたしの心には、哀れみ
しか感じられない。
◆石崎 藍
担任の笹原先生の言いつけで私と幾田は、授業で使われた教材を社会科準備室に返
した帰りだった。
ふいに名前を呼ばれる。
「石崎さん!」
聞き慣れない声で振り返ると、そこには息を切らせた女生徒が立っていた。背は隣
にいる幾田より少し低いくらい、顔はまったく見たことがないというわけでもなかっ
た。
「なに?」
そういえば、2年生の時同じクラスだったような気がする。そうだ、茜と一緒にい
るところを何回か見かけたことがあった。たしか名前は河合美咲。
「井伊倉さんが行きそうなトコ知らない?」
何か重大な事で焦っているかのような感じ。
「知らないよ。私はあの子と遊び回ってるわけじゃないから」
「手がかりになりそうな事ならなんでもいいの。お願い」
「何があったの?」
「さっき茜のピッチから私のケータイに電話があったの。もちろん、それが普通の会
話だったらこうまで焦らないんだけど、あの子、『助けて』って一言だけ言って切れ
ちゃったの。イタズラなんかするような子じゃないし、こっちからかけても繋がらな
いし……繋がらないってのは呼び出し音は聞こえるんだけど電話に出ないの。だから、
私心配になってきちゃって」
「茜の家には電話したの?」
「うん。でも誰も出ない。留守電のままだから、家に帰ってるってことはないと思う。
……もしかしたら何かの事件に巻き込まれたんじゃないかって」
事件? そういえば前に会ったとき様子がおかしかった。
でも、私は干渉すべきではないと答えを出している。
「もしそうだとしても、私には何もできないよ。こういう時はケーサツに任すのが一
番だよ」
「110番通報はしたよ。でも、はっきりした証拠があるわけじゃないから動けない
って……だから、こうしてみんなんとこ聞いてまわってるの」
「たしかに、それこそイタズラって可能性もあるわけだからあたりまえか」
「なにそんな冷静になってられるのよ! あんたあの子の幼なじみなんでしょ。茜の
身が心配じゃないの」
そんなに興奮したところで状況が変わるわけじゃない。
「河合さん、もっと冷静になったほうがいいよ。焦れば焦るほど自分の方が追いつめ
られるだけだから」
「あんたのそういうトコが気にくわない。もういい! あんたに声かけた私がバカだ
ったよ」
彼女は私を睨み付ける。怒りを向ける相手が違うと思うけど。
「とりあえず茜の行きそうな所は考えてみるよ」
河合さんに私のその言葉は伝わらなかったようだ。そのまま、またどこかへ走り去
っていく。
「冷たいね」
となりの幾田がぼそりと呟いた。
「しょうがないじゃない。私はあの子の居場所なんて見当がつかないんだから」
本当にそれだけだろうか。私は何かの回路を遮断しているかのように、どこかで思
考を停止しているだけなのかもしれない。
「ま、そりゃそうだけどさ。気にならないのか、井伊倉さんは自分のピッチで必死に
助けを……」
何かを話そうとしていた幾田の言葉が途中で途切れる。
「どうした?」
「井伊倉さんのピッチってどこのやつ?」
「たしかN**だけど」
「番号わかる?」
「うん。とりあえずもう一回かけてみろっていうの?」
「それもあるけどさ。うまく行けば井伊倉さんの居場所がわかるかも」
「どういうこと?」
「彼女が『いまどこサービス』を受けていた場合はそれを利用できるってこと」
「『いまどこサービス』って、ああ、PHSの中継アンテナを利用した『位置情報サ
ービス』ね。たぶん、あの子の親、心配性だから十中八九利用できる可能性は高いよ
」
「井伊倉さんがピッチを身につけていてそれで電話に出られない状況でなおかつ中継
アンテナの近くにいる場合は、確か300メートル圏内で居場所が特定できる。ただ
し、彼女がピッチをどこかに落としてしまった場合はアウト」
「それでも、最後に通った場所だけでも特定できるかもしれないってわけ。わかった、
やれることはやってみることにする」
方法が提示されていれば私はそれを拒む理由が思いつかない。
「それはいいんだけど、もう一つ問題が」
「何?」
「井伊倉さんが思いつきそうな暗証番号わかる? 4ケタの数字の組み合わせなんだ
けどさ」
4ケタの数字? 私は頭の中で茜に関するあらゆる情報を引き出す。
サービスを受けるのにはFAXまたはインターネット上でという事なので、私たち
は第二理科室へと急いだ。あそこにはプライベートで使えるパソコンがある。湊に事
情を話せば容易く借りることはできるはずだ。
もちろん、事情を話して職員室でという手もあったが、状況のわからない今、あま
り大げさにはしたくなかった。
インターネット接続は、学校自体で常時接続を使っているため、接続に制限がない。
さっそく『いまどこサービス』のWebページに接続し、目的のPHSの位置情報を
引き出そうとする。
が、肝心の暗証番号の所でひっかかってしまった。
「電話番号も彼女の誕生日もダメ、名字の井伊倉<1195>を数字に入れ替えても
ダメ。あと、石崎先輩の言ってた4ケタになりそうな彼女に関係している数字もダメ
ってことは、やっぱり適当な数字をつけたんじゃないですか?」
「今までの言ってた数字の中に正解があって、それを並べ替えているだけかもしれん」
「そんな事いったらですね。組み合わせの方法だけで何通りあるか、考えるだけでも
頭痛くなりますよ」
初対面だというのに、幾田と湊は何十年来の相棒のように、お互いに意識せずに意
見をどんどん交換し会っている。なんだか見ていて微笑ましい。
「石崎。他にないのか? 家族がダメなら親戚の誕生日とか」
わたしは苦笑いする。
「あの子は親戚付き合いはあんまりいい方じゃないからね。同年代のイトコとかいる
らしいけど、話すらしないよ」
「せんぱーい。あきらめないでくださいよ」
「そうだ。石崎、おまえの誕生日は?」
「違うと思うけどやってみる」
そう言って、パスワードの箇所に『1130』とテンキーで入力し、『実行』をマウス
でクリックする。
結果はエラー。暗証番号はこれではないらしい。
「茜の家の人に連絡がつけば暗証番号を教えてもらえるんだけどな」
そう考えてふと思考が停止する。
−『……ちゃん』
しばらくの沈黙。
「石崎、どうした? フリーズしてるぞ」
ふいに浮かんできた少女の笑顔。もう、私はだいぶ忘れてしまっている。
「まさかね……まだこだわってるのかな?」
その少女の誕生日を私は入力する。
『0403』。桜の咲く季節に生まれたあの少女。
数秒の間の後、モニタにはゆっくりと地図が表示されていく。
「ビンゴですよ、せんぱい! この番号はなんなんですか?」
瞳の奥に記憶がじんわりと蘇ってくる。ぼやけていた映像がだんだんとくっきりと
描き出されるようだ。
「これは茜のもう一つの誕生日。そうあの子が思いこんでいる日付」
そうだよね。茜はずっと私のことを恨んでいたはず。あの少女……そう、少女のま
ま時を止めてしまった茜の姉、『さくらちゃん』は、私とばかり遊んでいたから。
バカだよね。あの子は今でも姉の影を引きずっているんだ。
だから、あんなに無理をして『いい子』でいようとするのか。
そんなのはくだらない事。
だからといって私には茜に干渉する資格はない。いや、干渉してもしょうがない。
わたしはわたし、あの子はあの子。OSもプログラムもすべて違うんだから。
でも……。
「湊! プリントアウトして」
私はいつものように思考を停止させた。
□幾田 明生
僕たち三人は、タクシーを使ってベイエリアの倉庫街までやってきた。位置特定圏
内のほぼ中心、つまり井伊倉さんPHSの電波を拾っているアンテナのある真下に降ろ
してもらう。
ただ、300メートル圏内というのは、位置を特定するには少しアバウトすぎるの
かもしれない。しかもこのデータは今から30分前のものである。
そのうえ、日も沈んでしまった現在、どんどん探しにくい状況にもなりつつある。
「倉庫内にいた場合は特定が難しそうですね」
寺脇の弟、湊は事情を知っているということと石崎と親しいということもあって一
緒についてきた。彼女はついてくるのを嫌がってはいたのだが、この緊急時に言い争
ってる場合ではないと、自分の方から身を引いたのだった。彼女にしては……いや、
彼女が石崎藍であるがゆえに賢明な判断ともいえるだろう。
それにしても、湊の言うとおり倉庫内であった場合、片っ端から中を覗いていくし
か手はないだろう。倉庫街だけあって、ひとけは少ない。井伊倉さんがどこかにいれ
ばすぐに見つかるはずではある。もちろん外にいればだ。
立ち止まって辺りを見回していた石崎が、僕らに指示を出す。
「もしかしたらどっかにピッチ本体が落ちてるかもしれないから、そこらへんも気を
つけて探して」
いまのところ、彼女はそれほど取り乱しているというわけではない。友人の心配と
いうより、与えられた仕事を必死でこなそうとしているようにも思える。
電話機が落ちていた場合はさらにやっかいだ。懐中電灯が欲しいかもな。
ぐるりとあたりを見回して何もないので少し歩いていくと、ざざっと地面をこする
ような音が聞こえてきた。
倉庫と倉庫の間の細い隙間を通り抜けて、少し広い通りに出る直前で僕は足を止め
る。
「幾田。急に止まらないでよ」
背中に石崎がぶつかってきた。
僕は後ろを向くと「しー」と指にあてて、後続の二人を黙らせる。
ちょっと大きな倉庫の前の広場でスケボーをしている3人組がいる。一人はたぶん
男でスケートボードで遊んでいる。もう一人は性別不明、段差に腰掛けて缶ジュース
を飲みながら見学をしているようだ。そして残りの一人は他の者より少し年上っぽい
感じで、煙草を吸いながらなにやらあたりをきょろきょろと見渡してる。これも男か
な?
「なんなんですか?」
湊が興味津々に覗いてくる。
「なんだと思う?」
「どっかのスケボーマニアですか?」
そんな湊のボケ(天然かもしれないが)を無視して石崎がぼそりと呟く。
「見張り?」
「そうそう。もしあの倉庫の中で何かが行われるとしたら、やっぱり見張りを付ける
よね」
「けーさつに連絡できれば楽なんだけど、やっぱ証拠がないとね」
石崎の言う通り、僕もその方が楽だとは思う。
「とりあえず踏み込むしか手はないだろうね」
あまり建設的ではないけどね。
「もし、踏み込んで3人とも捕まった場合どうするんです?」
湊が心配そうに呟く。
「そうだ、幾田。あんたんち今親いるだろ? 家に電話してこの場所の住所を言って
1時間後に連絡がなければけーさつに届けてくれ、って頼めないかな?」
彼女にしては詰めの甘い提案だな。
「ふつーそういう電話したら、1時間たたないうちに保護者が心配して駆けつけるぞ。
でも、まあなんとか考えてみるよ。連絡がなかった場合に警察がここへ来るように
仕掛けとけばいいわけなんでしょ」
「悪いね、幾田」
言葉の上だけとはいえ、謝ってくる彼女を見たのは初めてだった。
「いいさ、石崎の為ならパシリだって苦にはならないさ。わかった。すぐ戻ってくる
からちゃんと待ってろよ。抜け駆けは許さないからね」
おどけて笑ってみせる。これで「きみの笑顔が見られれば十分なんだけどな」、と
か言ったらまたバカにされそうな気がするな。
僕は片手をあげると、そのままもとの道へと引き返した。