AWC 嘘と疑似感情とココチヨイコト(8/25)  らいと・ひる


        
#5468/5495 長編
★タイトル (NKG     )  01/08/15  23:02  (188)
嘘と疑似感情とココチヨイコト(8/25)  らいと・ひる
★内容
 試験の最終日、僕は井上先生に用事を頼まれた。理科準備室の配置換えだ。
 新たな機材を置く場所を確保するために他の機材の移動を手伝ってくれないかと、
教室を出たところで呼ばれたのだった。人手がいるという事で僕の他にも何人か頼ま
れていたようだ。
 そういえば今日、石崎は図書委員の貸し出し当番だったなぁ、と思い出し、これで
時間が稼げればもしかしたら一緒に帰れるかもしれないと、頭の中で計算する。
 フラれてばかりだというのに、僕もかなり物好きかもしれない。でも、苦労する価
値はある人物だからこそ、会いたくなるのもしょうがないか。と、一人納得。ちょっ
とむなしいとこもあるけどさ。
 そんな事を考えながらようやく片づけ終わった頃には、もう日も暮れかかっていた。
 部屋の中には静かに下校放送が流れてくる。
「悪いな、こんな時間まで」
 井上先生は気を遣ってそんな事を言ってくれるが、自分としては別の意図があった
ので、それほど苦にはなっていなかったはずだ。
 ジュースを奢ってくれるという先生の言葉を断り、僕は昇降口へと向かった。
 うまくいけば、ちょうど帰り際の彼女に会えるだろう。
 そんな期待を込めながら、少しだけ足を早める。
 だが、昇降口には石崎の姿はなかった。
 僕は、下駄箱で彼女の靴を確認する。
 そこには上履きが入っていた。ということは、すでに下校してしまったようだ。
 そんなにうまくタイミングが合うはずもないな、と心の中で苦笑する。
 結局、くたびれもうけってやつかな。
 ちょっとした疲労感を感じながら、僕は夕闇の中を帰途についた。


−「やめて!」
 しばらく歩いていると、女の子の悲鳴が聞こえてくる。
 空耳じゃない。しかも、知った感じの声質だった。
 僕は慌てて声のする方向へと走っていく。
 最近、ここら辺に変質者が出没するって朝礼で校長が言ってたのを思い出す。自分
は男だから関係ないと思ってはいたが、まさか現場に出くわすとは思いもしていなか
った。
 最悪の状態を想定しながら、僕はそれに対応すべく走りながら心の準備をした。
 万が一その変質者と格闘になったとしても、有利に事が運べるようにと鞄の中から
折り畳みの傘を出す。武器として有効かどうかはわからないが、最初の一撃としてな
んとか優位にたてるかもしれない。
 夕闇の中にぽつんと人影が見える。
 シルエットから制服姿の女の子だと確認できた。でも、周りには人影は見えない。
未遂で終わったのかなと、ほっとして速度を落とし近づいていくと、その彼女の足下
に人が倒れているのが見える。
「なんだあんたか」
 再び女の子の方へと視線を移す、そこには石崎の姿があった。
「石崎……?」
 少しだけ肩を上下させながらも、顔だけは落ち着いた雰囲気でそこに立っていたの
だ。
「痴漢の増援が来たかと思った」
 彼女はぼそりと言う。助けに来たのにそう言われるとはちょっと心外だけど……。
「まさか、石崎が倒したの」
 倒れている男と彼女を交互に見ながらそう訪ねる。彼女が武道をやっていたなんて
初耳だからだ。
「どうでもいいでしょ。そんな事より警察呼んできて」
 まるで命令するかのような口調で言われるが、僕はその言葉に素直に従うことにす
る。
 なんだか、また僕の知らない彼女の隠れた部分を見つけたようで楽しくなってきた。



◆石崎 藍


 いくらこの地区の治安が悪いとはいえ、これで3度目。……正確には4度目。何度
も経験したからといって慣れるものではない。
 私の足下でぐったりしている男を見ろしながら、震えてくる身体を必死に抑えよう
とする。
 それでも悪夢は何度でも蘇ってくるものだ。
 襲われる恐怖。身体は硬直し、こみ上げてくる不快感。
 欲望の箍を外し、他人を巻き込み破滅へ向かおうとするケモノ。
 たぶん、そこには人の本来の姿があるのかもしれない。
 そして、強者の前に弱者は為すすべもなく、ただ震えるだけ。この世の不公平は生
を受けた時点でシステムとして組み込まれる。

 だけど、私は偶然から弱者ではいられなくなった。
 そう、あれは私が最初に襲われた時だった。


**


 その日は、泊まりだという母親の連絡を受け、仕事場に着替えをもっていった帰り
のことだった。
 ちょっとした気まぐれから、近道を通ろうと工場跡地の敷地内をショートカットし
て目的地へ向かうつもりだった。今思えばそれが恐怖の始まりだったのだ。
 後ろから付けられている気配を感じ、小走りになった瞬間、アレは襲いかかってき
た。
 折れそうになるくらい腕を掴まれ、そのまま地べたへと叩き付けられる。抵抗なん
かしている余裕なんてなかった。
 頬に冷たい感触がして、それがナイフだとわかった時、さらに恐怖は増していった。
 乱暴に引き裂かれる衣服。遠のきそうな意識の中で、身体の感覚は涙の温かさだけ
しか伝えなかった。
 顔なんてほとんど覚えていない。でも、あのケモノのような表情だけは忘れられな
い。
 矛盾しているかもしれないが、あの表情、あの感覚だけは私の記憶にしっかりと刻
み込まれている。
 だが、ほとんど無抵抗だったのが、アレにとっても私にとっても不幸の始まりだっ
たのかもしれない。
 気を緩めたためだろうか、脅しているナイフを持つ手に力が抜けていた。
 私の右手にわずかに残った感覚に生存本能が働いたのだろう、気付いた時にはナイ
フを奪い取っていた。そして、覆い被さろうとするアレに対し、全力を込めて斬りつ
けた。
 まるで本当の獣のような呻き声をあげて、アレは私の前から飛び退き、途中足下の
突起に引っかかりそのまま倒れてしまった。
 それからは、あまり覚えていない。
 倒れたアレに対し、私は二度三度と斬りつけたような憶えもある。ただ、はっきり
と記憶に残っているのは、家に帰り、風呂場で血を洗い流している時からだった。
 シャワーのお湯ともに、唇に血が流れてくる。私自身の血液なのか、それともアレ
のものなのかはわからない。生々しい鉄の味が記憶に染みついていく。
 私が一番恐れているのは、あの時の私自身の行動。あの時、私は私でなくなってい
た。記憶がぼやけているのもそのためかもしれない。所詮、私だって獣の一種。そう
変わるものではない。
 次の日、恐る恐る新聞を広げる。細かい記事にも心当たりのあるような出来事は書
いていない。朝のニュースでもそうだった。
 あれは夢だったのだろうか?
 そんな疑問はすぐにうち消された。机の引き出しにはハンカチに包まれたナイフが
しっかりと存在していた。体中の至る所にある擦り傷も生々しく残っている。

 ナイフはすぐに捨てたが、もうあんな目に遭うのだけはなんとしても避けたい。護
身術を習っていても、いざというとき身体が動かなくてはどうにもならない。
 威嚇の道具としてのナイフを購入しようかとも考えたが、もうそんなものは見たく
もなかった。そこで私は『お守り』を手に入れた。
 離れて暮らす父の知り合いを通じて、わざわざ取り寄せてもらった。
 けして人を傷つける事はないから安心感がある。正確にいえば、私が気にしている
のは他人を傷つける事ではなく、そのさいに流れる血を見なくて済むということだ。
 スタンガン。
 瞬間的に数万ボルトの電圧をかけて相手を麻痺状態にする。わずかな電流なので死
に至らしめることはない。
 規制を受けているとはいえ、この日本において力のない一般市民が身を守るのに最
適な道具でもあった。ただし、使い方を誤れば効果はない。
 殺傷能力はないに等しいので、躊躇する必要もない。
 一つだけ問題があるとすれば、規制されて入手が困難になったとはいえ、銃の類と
違いまだまだ一般人でも持つことができるということだ。
 逆を言えば、襲う側がもしこれを手に入れることができたのなら、私のこれはなん
の役にもたたない。
 世の中は公平であり、そして不公平になるような仕組みになっているのだ。


**


「訊いていいか?」
 警察で事情を細かに説明した帰り道、送ってくれると言った幾田が急に口を開いた。
 それまで沈黙していた空気が一気に張りつめる。
「訊くだけならいいよ。それに答えるかは保証できないけど」
「答えたくなかったら答えなくていいよ。ただ、一つだけ気になったんだ。警察に行
くの初めてじゃないんじゃない?」
 いきなり核心をついてくる。侮れない奴だな。
「なんで?」
「妙に落ち着いてたし、それに防犯課の刑事さん、石崎の事知ってたみたいだし」
 わりとよく人のことを見ているんだと感心する。
「あんたって観察力だけはあるんだよね」
「そりゃ、いちおう生物部だからね。観察は基本だよ」
 私は野生動物か? ちょっとムっとしつつも、平静を保つことにした。
「あ、そ」
「それで?」
「あんたに答える義務はないっていってるでしょ」
「はいはい。もう訊かないよ」
「あんたってデリカシーってもんに欠けてるよね」
「ほぉー。石崎の口からそんな言葉がこぼれるとは思ってもみなかった」
 幾田は私の弱点を見つけたかのように、得意げにそう言ってくる。抑えていた怒り
のタガが外れそうだ。
「悪い? 私がこんな言葉使うの」
 あんな事があった後だから、少しだけ苛ついているのかもしれない。彼を攻撃対象
にしても意味のない事はわかっているんだけど。
「そういう類の事って気にしないんじゃないの?」
「普段ならね。……もう、あんたって勘がいいのか悪いのかわからなくなってきた。
私がこんな言葉をわざわざ使うのは、それに触れて欲しくないからなんだけどな」
 幾田なら、直接的な説明をしなくてもわかると思っていた私が甘かったのか。
「ごめん」
「謝るくらいなら最初っから触れないでほしかったな」
 彼の方を見ないで、そっと空を見上げる。いちおう傷ついたようなフリをする。私
にあまりかまわないでほしいっていう、ちょっとした演技なんだけど。
「悪かったよ……。でもさ、石崎ってすごいよね。変質者を簡単にやっつけちゃうん
だからさ」
 彼はなにげに話題をすり替えてくる。まったくこいつときたら……。
「別にすごいことじゃないよ」
 観念していちおう反応してやることにした。
「なんか武道やってるわけ?」
「企業秘密」
「なんで? それぐらいなら差し障りないと思ったんだけどな」
「あんたに襲われないって保証はないからね」
 私の武器は、ネタをばらした瞬間にその効果は半減してしまう。
「信用ないのは知ってたけど、そこまで言われるとは」
 幾田は予想通り、ちょっと落ち込んだような口振りになる。だけど、こんなことぐ
らいで立ち直れなくなるような奴であったのなら、私も苦労はしないだろう。
「でもさ、ますます石崎に興味が湧いてきたよ」
 予想通り、好奇心で輝いたような瞳がこちらを向く。


**




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