AWC お題>誤解A      つきかげ


        
#5453/5495 長編
★タイトル (CWM     )  01/06/18  23:38  (187)
お題>誤解A      つきかげ
★内容
「死体が入っているの、それ?」
 僕の言葉に彼女は少し笑みを見せ、僕を手招いた。
「ここにあるのは世界を救うものだ。見るか?」
 僕は頷くと、彼女が蓋を持ちあげた棺桶を覗き込む。棺桶の内側は血で満たされて
いるように、紅いビロードが内貼されている。
 その棺桶に寝かされているのは、漆黒の闇だ。正確にいえば闇のような漆黒のマン
トを身に纏った死体であった。頭部の上には鐔広の帽子が置かれているのでどんな顔
かは判らない。マントから少しだけ露出している手には包帯が巻かれていて肌の色も
不明だ。
 大人というには少し小振りな身体であり、子供というには少し大きい。おそらく僕
と同い年くらいで死んだのだろう。
「死体が世界を救ったりするわけ?」
 僕の言葉に彼女は少し苦笑のようなものを浮かべる。
「それは死体じゃない。人形だよ」
 人形だとしても、世界を救えないのは同じようなもんだろうと思ったが、僕は口に
ださなかかった。彼女はその思いを読んだように言葉を続ける。
「その人形は大昔の偉大な王、凶悪な王、崇高にして残忍な王、エリウス・ザ・ブラ
ックを模して造られたものだ。今は眠っているが目覚めがくればその身体を巡る水銀
が人形を駆動し、いにしえの王と同じ能力を発揮する」
 僕は少し肩を竦めた。さっきの炎の魔法を見ていなければ、ただの妄想で片付けた
だろうが、それにしても信じがたい話だ。少女は僕のそぶりを気にとめたふうもなく、
棺桶の蓋を閉めると馬車に飛び乗る。
「おまえたちも乗るがいい、さっきの礼だ。おまえたちの行きたいところまで送ろう」
 僕は荷物を拾いあげると、かの子を連れて歩きだす。
「礼はいらないよ。助けてもらったのはお互い様だ」
「ここは危険なところだ。おまえたちだけで、目的地に着くことは適わぬだろう」
 僕は肩を竦める。
「そりゃそうだが、名乗りもせず、どこから来たのか判らない得体のしれない人を信
用するのも、危険なことには変わらないんじゃないの?」
 少女は思ったよりずっと朗らかな笑みを浮かべる。そして、僕に名乗った。
「私の名はスーザン。さっきおまえが見たように魔導師のはしくれだ。アルケミアか
ら王国へ向かうところだった。なぜこの世界に来てしまったのかはよく判らない」
「僕は啓一、こっちは妹のかの子。僕らは四国へ向かうところだ」
 僕はスーザンと名乗った少女の馬に目を向ける。
「ああ、その馬はスプレイニル。魔道で動く鋼鉄の馬だ。おまえたちが荷物に加わっ
たところで、スプレイニルにとってはどうとういうこともない」
「そうみたいだね」
 僕とかの子はそうして、スーザンの馬車に乗ることになった。

 その朝目覚めると私のお母さんは、包丁で喉を突いて死んでいた。自殺の理由はよ
く判らない。もしかしたら、啓一兄さんが殺したのかもしれない。どうでもいいこと
だ。私達家族は、随分前から壊れてしまっていた。
 兄さんは、お父さんがお母さんを殴ったあの日からおかしくなっていた。いわゆる
引きこもりというやつだ。あの日を境にお兄さんにとって世界は、敵意に満ちた破滅
的なものになったらしい。
 兄さんは、部屋にこもって同じテープばかりを繰り返し聞いていたようだ。それは
聖書の黙示録を朗読したテープだった。
 あの日のことは兄さんが高校二年生、私が高校一年生だった年のことだ。あれから
一年がたった。崩壊がおこるのは、遅すぎたような気もする。
 お母さんとお父さんが離婚しなかったのは、多分兄さんのせいだ。お父さんは出張
と称して月に数回家に帰ってくる以外は総て外泊だった。実際エリート商社マンで仕
事中心主義のお父さんに出張が多かったのは確かだろう。
 でも、私のお父さんはあの女の家に泊まっていたんだ。名前も知らないアジアの遠
い国からきた、キャバクラでお父さんと出会った女。
 決して治ることのない性病を、お父さんとお母さんに染した女。
 良家のお嬢さんとして育った私のお母さんはね殆ど分裂症寸前のノイローゼに陥っ
た。それでも崩壊寸前の兄さんの精神を現実に繋ぎとめるため、覚醒剤漬けになりな
がらでもお母さんは家庭を立て直そうとしていたんだ。
 ある日お母さんの心の中で何かが崩壊した。だからお母さんは包丁で喉をついたん
だ。どうせならお父さんの胸を刺してやればいいのに、と私は思った。
 兄さんはお母さんの死体の前で立ち竦んでいる。私は兄さんに声をかけた。
「お兄ちゃん」
 私の声に、兄さんは振り向く。兄さんは後ろ手に寝室のドアを閉めた。
「何しているの?」
 兄さんは首を振る。
「何でもない」
 兄さんは、私がお母さんの死体を見たことに気が付いていないようだ。私も兄さん
に、合わせることにした。
 兄さんは私と一緒に旅に出るという。兄さんは一年間引きこもり続けた部屋からで
て、兄さんにとって凶悪そのものである世界に向かって足を踏み出そうというのだ。
 私は兄さんが好きだった。兄さんと一緒にどこまでもいこうと思う。それが世界の
果てであろうと。
 その日、スーザンと私達が会ったのは、街の繁華街の片すみでだ。私達はいかにも
家出した兄弟のように見えたのだろう。私達は街の不良に絡まれた。
 その時、私は何かを感じて兄さんに囁きかける。
「お兄ちゃん、来るわよ」
 私の言葉と同時に、獰猛な光りの洪水が私達に浴びせられた。それは大きな漆黒の
ワンボックスカーのヘッドライトだ。
 その車から現れたのがスーザンだった。スーザンは、兄さんと同い年らしかったが、
ひどく大人びて見える。きっと放浪生活を続けていたからなのだろう。
 そこからスーザンと私達の放浪生活が始まった。スーザンは自分のワンボックスカ
ーにスプレイニルという奇妙な名をつけ、鋼鉄の馬と呼ぶ。その後部は窓がなく、座
席も取り外されていて、漆黒の頑丈そうな棺桶が置かれていた。
 その棺桶の中には死体が置かれている。スーザンはそれを人形と呼んだ。私には人
形には見えなかったが、漆黒のロングコートと包帯で覆われた身体を、見ただけで死
体かどうか判別するのは不可能だった。
 とりあえず私は、スーザンのいうことを信じることにする。スーザンは炎を使う大
道芸人だ。彼女は自分のことを魔導師と呼ぶ。そういっても不思議はないほど、彼女
の芸は見事なものだ。
 スーザンは、自分の人形を「世界を救うもの」と言っていた。なぜ人形が世界を救
うのかよく判らないが、そういうものらしい。彼女らは救う世界を求めてあちこち放
浪してきたのだ。
 スーザンとその人形が世界を救うかどうかは判らないが、兄さんを救ってくれたの
は間違いない。兄さんとスーザンの語りあっていることは私には全く意味不明だった
が、二人には通じ合っているようだ。
 兄さんはあの日以来、そう、お父さんが「病気」のことを告白し口論の末にお母さ
んを殴ったあの日以来、初めて理解しあえる相手に出会ったようだ。
 二人はどうやら同じ世界の住人らしい。私の知らない世界の住人。

 僕らはスーザンの馬車に乗って、四国へ向かった。高速道路の上は、乗り捨てられ
た車が時折あるだけで、人間も半獣人も姿を見せない。予想通り、高速道路は安全な
ルートらしい。
 スーザンがスプレイニルと呼ぶその鋼鉄の体を持つ馬は、決して疲れることを知ら
ず、餌も水も必要としないようだ。僕らは順調に西へと向かって進む。
 僕は馬車の上でスーザンに、僕らの世界が崩壊していった経緯を説明した。なぜ獣
化病という、奇妙な病が蔓延することになったのか。
「始まりは東京の新宿だった。そこにある生化学研究所が爆発事故を起こした。その
時からなんだよ、奇妙な病気が流行り始めたのは」
 事態は大衆に知られることはなく、静かに進行していった。初期に発病したものは
手際よく国立病院に隔離されている。そしていつのまにか電気、水道、ガスといった
ライフラインは自衛隊の管理化におかれており、機動隊はいつのまにか都市を封鎖し
ていった。
 気がつけば政財界の要人は皆、海外へ脱出した後で、マスコミは全く真相を報道し
なかった。完全に東京の封鎖が完了したころから、一気に崩壊の加速が始まる。
「僕らは何も知らされていなかった。でもある日を境に最低限の情報が公開されるよ
うになった。生化学研究所から漏れた、実験によって造りだされたレトロウィルスが
東京全体を汚染したと。そのレトロウィルスつまり遺伝子情報を書き換えてしまうウ
ィルスは、獣化ウィルスと名づけられたんだ。なぜなら、そのウィルスは人間の身体
を動物に変化させてしまうから」
 スーザンは美しい顔を、少し曇らせる。
「たちの悪い魔道のようなウィルスだな、そいつは」
 僕は苦笑する。
「全くその通りだね。情報が公開された時には機動隊が都市を完全に封鎖していた。
獣化病の病人は、既に病院に収容できないほどの数になっていたので、隔離されるこ
とはなかった。もっとも、空気感染によって広まってゆく獣化ウィルスは、その時に
は東京中を汚染しつくしていたから、あまり隔離には意味がなかったんだけどね」
 今、僕らは獣化ウィルスに汚染されている大気を吸っている。
「では私たちもいずれ発病するということなのか?」
 スーザンのもっともな問いに対して、僕は肩を竦めて答えるしかなかった。
「さあね。ウィルスは僕らの体内に入り込んでも必ず獣化病を発病させる訳ではない
らしい。どうも僕自身理解しきれていないのだけれど、獣化病というのは厳密には病
気とは呼べないらしい」
 スーザンは問い掛けるように、片方の眉をつりあげて見せる。
「ようするに、獣化病は僕らの体内に潜在している記憶を、広げてみせるものらしい
んだ」
 獣化病は厳密には病ではないらしい。むろん、それは人間の身体を死に至らしめる
危険な存在なのだけれど、それはたんに僕らの細胞に潜在している形質を目覚めさせ
ているにすぎないとうことのようだ。
 僕らは受精卵から細胞分裂を繰り返し、人間へと至る。その過程でよくいわれるよ
うに個体発生は系統発生を繰り返すわけだから、様々な動物の形態を経て僕らは人間
へとなるわけだ。僕らは個体発生の過程で魚類となり、両生類、爬虫類を経て、哺乳
類へとなってゆく。
 その別の生き物への進化の可能性は、僕らの細胞内に「記憶」という潜在する形質
として刻まれているらしい。獣化病はその潜在する形質を発現させるにすぎないので
あり、僕らは、僕らの体内に内在している「別の生き物」へ変化しようとする力に耐
えられなくなって、最終的に死に至るそうだ。
 スーザンはその話を聞いてため息をついた。
「それはまさに魔道だな」
「うん、なんなく言ってること判るよ」
 そして僕らの潜在している形質が発動するかどうかは、結局のところ僕らの深層心
理によって決まるらしい。僕ら自身が僕らの体を変化させていくトリッガーを引くの
だ。
 スーザンは訝しげに尋ねる。
「それは獣化病にかかるものは、自分自身が獣になりたいと望んでいるということな
のか?」
「いや、そうじゃないんだ。むしろ、人間であり続けようと思う心が崩れたときに発
病するらしい。普通、僕らは心と体が一致している。獣化ウィルスはその関係を破壊
してしまう。そういうことらしいんだ。眠っているときは、意識の身体に対する支配
が一番薄れる時らしい。そうすると、僕らの潜在する形質が発動する」
 受精卵には最終的に人間の身体へ至るような、潜在的形質が折り畳まれて潜在して
いる。それと同じ理屈で僕らの身体には、他の動物に変化しうる潜在的形質が「折り
畳まれている」。それが発動しないのは、僕らの意識がそれをセーブしているからだ。
 例えば、進化について考えてみればいい。進化はゆるやかなものではあるけれど、
あれもまた「折り畳まれている」潜在的形質が発動するものだ。獣化病はある意味で
狂った進化だといえる。
 やがて日が沈みはじめ、夕暮れが訪れた。僕らは、サービスエリアに入り込み、野
営の支度をする。僕らは完全に日が沈む前に、野営の準備を終え食事を済ませた。
 かの子がポツリという。
「お父さん、今日出張から帰ってくる日だったっけ」
 僕は首を振る。かの子はお父さんが死んだことを知らない。
「いや、今日じゃないよ」
「お父さん、私たちがいなくなったのを知ったら、驚くだろうね」
「大丈夫だよ、お母さんが説明してくれるさ」
 僕の心の中にたまらない切なさが込み上げ、かの子の身体をぎゅっと抱きしめる。
その時、かの子はむしろ僕を慰めるかのような静かな瞳で見つめていた。僕はかの子
を頭を優しく撫でる。
「さあ、心配することは何もないから眠っておいで」
 かの子は頷くと寝袋の中へと入り込んだ。
 僕は、ラジオをつけてみる。
 ラジオやテレビはもう随分前から情報を流すのをやめていた。崩壊が完遂すること
によって、情報を流す意味がなくなったのだろう。
 それでも放送する機能だけは、生きていた。ライフラインが、街が崩壊した後も生
きていたのと同様に、一説によれば自衛隊に配備されていた遠隔操作のロボット兵士
によってライフラインや放送局、電話局は生かされ続けているということらしい。
 僕はそれを信じていなかったが、では放送を流しているのは誰かと聞かれても僕に
は答えられなかった。それは大体、なんのために流されているのか、判らない内容な
のだ。




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