AWC そばにいるだけで 57−5   寺嶋公香


        
#5417/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/02/27  23:01  (200)
そばにいるだけで 57−5   寺嶋公香
★内容
(相羽君と相談してみよう)
 純子は思い立つと、予定よりも早く、出掛ける支度をした。
(タイミングがうまく見つかれば、告白できるかも。ううん、エリオットさん
の家から帰るときにした方がいいかしら。相羽君は今日、エリオットさんの家
を訪ねるというだけで、緊張してるかもしれない)
 その点はひとまず棚上げにし、服で悩む。フォーマルでなくていいと言われ
たものの、それならカジュアルの中でもよい服にしよう。毛織りのポロシャツ
は、緑地に黄色やえんじや赤などで細い格子が意匠的に描かれた物、スカート
はそれに合わせた色合いの、膝小僧が隠れるかどうかといった丈の物を選んで
組み合わせた。これにハイソックスを履き、ダッフルコートを羽織って、ベレ
ー帽をちょこんと被る。
「……少し、子供っぽく見えるかしら」
 鏡の前で感想を述べる純子。もう少しコーディネートを考えてみたいところ
だが、早く相羽に会って、持って行くクリスマスプレゼントの相談もしたい。
(久住になったとき、年齢より上に見られることが多いから、これでいいわ)
 強引に自らを説き伏せて、この格好で行くと決める。
「行って来まーす!」
「気を付けて行くのよ。失礼のないようにね」
 いつまでも子供扱いだわと苦笑混じりに閉口する一方、今日のお呼ばれは本
当に失礼がないようにしなければという思いも強いから、素直に耳をかたむけ
られるという、不思議な状態。
 自転車に跨り、漕ぎ始めると、冷たい空気が風になって、吹き付けてくる。
昼もだいぶ過ぎたというのに、寒さを改めて実感する。
(鼻の頭や頬の感覚が、なくなりそうっ)
 急ぐ気持ちから、早く漕ぐ。漕げば漕ぐほど、体感気温が下がる。その代わ
り、運動したおかげで徐々に身体が暖まってきた。着込んでいたせいで、相羽
のマンションに着いた頃には、うっすら汗ばむほどになっていた。
 いつものことながら、相羽の家に上がる前は、ちょっぴり緊張する。呼吸を
整え、純子はエレベーターに乗り込む。箱の中は、少しばかり、冬の湿り気を
ため込んでいた。
 ノンストップで五階に到着。扉が開くと、心が弾んできた。人目がなければ、
スキップかハミングでもしたいくらい。
 すっかり通い慣れた五〇三の部屋までの廊下を、急ぎ足で行く。
 ドアの前に立つと、また一つ深呼吸をして気持ちを落ち着け、インターフォ
ンのボタンを押した。「はい?」と相羽の声が応じる。相羽の母は仕事があっ
て留守にすると、前夜に聞いていた。
「相羽君、私よ。だいぶ早いけれど、来ちゃった」
「分かった。ちょっと待ってて」
 会話が途絶えて、数秒としない内に、鍵が解かれてドアが開く。純子は遅れ
ばせながら、帽子を取った。
「ようこそ。……凄く、いい感じの服」
「あは、ありがと。早く来てしまって、ごめんね。実は、家に帰ってからお母
さんに話をしたら、エリオットさんに何かクリスマスプレゼントというか、お
土産を持っていった方がいいだろうってことになったの。それで、考えたんだ
けれど、私一人じゃ決められなくて、相羽君に相談に乗ってもらおうと思って」
「歌だけでいいって、言ったのに」
 嘆息して、困ったような笑みを浮かべる相羽。
「それとこれとは別だと思うの。やっぱり、初めて行くわけだから、きちんと
しておこうよ」
「うん、賛成。ただ……」
 急に歯切れの悪くなる相羽。肩越しに、後ろを振り返る。純子も心持ち背伸
びして、中を覗き込んだ。
 そして、すぐに気が付いた。土間に、見慣れないブーツがあるのを。
「どなたか、いらしてるのね?」
「ああ。小学校のときの、いや、前の小学校のときの友達で――」
 相羽の返事が全て終わらない内に、奥から女の人の声がした。
「まだぁ? 冷めちゃうよ、折角温めたのに」
 ややかすれ気味だったが、同じ年頃の女の子の声。純子は思わず、相羽の顔
をまじまじと見返す。
「天童さんて言うんだ。昔、中二の夏休みに、純子ちゃんも街で偶然見かけた
って言ってた、あのときの子」
 純子は覚えていた。だけど今、そんな昔の記憶はどうでもよくて、何故、そ
の彼女が相羽の家に来ているのかという一点のみが気になる。
 だが、それを尋ねる前に、純子は思い直した。
(私がとやかく言うことじゃないわ)
 くるりと一八〇度、身体の向きを換え、遅れてきびすも返す。回った勢いで、
帽子が多少ずれたようだから、手をやって直す。
「純子ちゃん?」
 相羽の声に、目だけ振り返って、
「出直してくる。ごめん、本当に早く来すぎちゃった」
 と言い残すや、エレベーターのところまで行こうとした。
「え、待ってよ」
 相羽が呼び止める。音量が小さいのは、近所迷惑を考えたのか、それとも天
童に気を回したのか……。
 純子がかまわず行こうとすると、声が大きくなった。
「帰らなくてもいいだろ。二度手間だよ。待っていればいい」
 それでも立ち止まらないで、エレベーターの前まで来た純子。ボタンを押そ
うとした。
 その手を強く掴んだのは、あっという間に追い付いた相羽。
「待てと言ってるだろうに」
「だって……お邪魔しちゃ悪いわ」
 力無く、手を引っ込める純子。顔だけ相羽の方に向けると、平板な調子で答
える。そして帽子を被って、またエレベーターへと向き直った。
 相羽は、強引な感じで、純子の右手を再度取った。
「いいんだ。行こう」
 強く引かれた。純子はでも、されるがまま着いていく。ベレー帽がずり落ち
ないよう、左手で押さえながら。
「あ」
 純子と相羽、どちらからともなく、声が出た。
 五〇三室のドアが開いて、そこから天童が上半身を覗かせていたのだ。目を
まん丸に、大きく見開いている。口の方も半開きで、恐らく、何かを言おうと
していたのだが、相羽と純子の様子を目にしたために、そのまま固まってしま
ったのだろう。
 純子は気まずいものを感じて、視線を逸らし、唇を結んだ。話すべき言葉が、
全くない。
「中に入ってて。食べていていいよ」
 相羽が言った。理解不能の唐突な台詞に、純子の頭の中を疑問符が駆けめぐ
ったが、やがてこれは天童への台詞だと気付く。
 天童は聞こえたはずなのに、ドアを閉めて引っ込むことはなく、むしろ逆に、
廊下に完全に出た。
 彼女の前に二人がたどり着き、しばし沈黙があった。ほんの数秒だろう。
「ど……どなた?」
 天童が沈黙を破る。相羽と純子のどちらを見ていいのか迷う風に、両眼が忙
しなく動いた。
 相羽は純子を横目で見て、それから思い出したように慌てて手を離すと、一
度、しっかりうなずいた。天童に対し、彼自ら話し掛ける。
「涼原純子さん。同じ学校に通っている。小六のときからの友達なんだ」
 言い終わると、相羽は立ち位置を若干斜めにずらし、今度は純子に紹介する。
「彼女は、前に話に出たことがあった、天童和美さん。転校してくる前、同じ
小学校のクラスメートだったんだよ」
「へ、へえー。――初めまして、天童さん」
 依然として戸惑いながらも、いくらか落ち着きを取り戻し、ぎこちない笑顔
で挨拶する純子。軽く頭を下げてから、相手の様子を見た。
(随分、お洒落しているように見える。ブーツのせいもあるかもしれないけれ
ど。それよりも、何か怒ってるような、不安がっているような……)
 やはり昔の恋人なのではないだろうかという思いが、頭の中をよぎる。
(あのとき……二年前は、相羽君、否定したけれども。転校したあとも、一人
で会いに来るなんて。それに、こんなに心配げな顔をしてる。私がもし相羽君
の恋人の立場だったら――やっぱりそうする)
 胸の痛む仮定だった。
「は、初めまして」
 天童が、やっとのことで挨拶を返した。口調が固い。
「それで、今日は、どんな用事があって……」
 天童の質問は、純子の聞きたかったことでもある。困惑したけれども、問わ
れたからには先に答えよう。
「私は……相羽君のピアノの先生の家に、一緒に招かれて、これから行こうか
なって……」
 多少途切れながら答えた。意味は伝わったはず。さらに相羽が付け加えた。
「純子ちゃんは、僕の母さんの仕事と関係していてね。モデルの他に、歌や踊
りのレッスンも受けている。今日の招待は、そのつながりで」
 相羽の言い方に嘘はなかったが、省略がある。純子自らがそれを明らかにす
るわけにもいかず、肩を小さくして、ひきつるような笑みをこしらえた。
(何を言い出すかと思ったら……そんな説明をしたら、逆効果なんじゃないの)
 恐る恐る、天童の反応が現れるのを待つ。
「モデル……」
 そうつぶやくと、天童は純子の全身を、上から下までゆっくりと視線でなぞ
った。一度では不足だったか、今度は下から上へと戻っていった。
「あ、あの」
 気恥ずかしさを覚え、顔を伏せ加減にする純子。
 その刹那、天童が「ああっ」と大声を上げた。びくりとして首をすくめ、片
目を瞑って、様子を窺う。
 天童の表情が明るくなっていた。
「見たことあるわ! 最初から、どっかで見たことあるような気がしてたのよ。
思い出せなかったけれど、相羽君に言ってもらって、やっと分かったわ。あな
た――涼原さんて、口紅のポスターに出てた。あ、あと、ジュースのコマーシ
ャルとかにも!」
「そ、そうです」
「でしょ? やっぱり!」
 戸惑いを隠せない純子に天童が歩み寄った。両手で両手をぎゅ、と握る。天
童の方は案外ミーハーらしく、かなり興奮しているようだ。
「ということは、ドラマにも出てたはずだよね」
「はい、だいぶ昔ですが……」
 よく覚えてるわと感心しつつ、これは喜ぶべき事態なのかどうか、判断しか
ねていた。あの何とも言えない空気が、今は別のものに塗り替えられていたか
ら、よしとしよう。
「いいなあ、カムリンや星崎譲と共演だったでしょう? どんな感じだったの
か、詳しく聞きたい!」
 天童が楽しさに身震いする仕種を見せると、相羽がすかさず割って入った。
「外では何だし、中で、弁当を食べながらにしよう」

「ふうん、あの髪型、近未来的って感じで、素敵だと思ったんだけどな」
「全然だめ。重たくて、日常生活ではとても耐えられない」
 純子の体験談は、二人の食事が終わって、相羽が湯飲みを洗っている最中も、
まだ続いていた。天童が熱心に聞いてくるから、純子も嬉しくなる。今は、モ
デルとしてファッション雑誌に載った件で、撮影時のエピソードを色々と話し
ていたところ。
「風を前から受けたら、押されて、ひっくり返りそうなヘアスタイルもあった」
「あははは、たーいへん」
 何度も天童が笑うのを目の当たりにして、純子はほっとしていた。少なくと
も今日は、修羅場になることはなさそうだ。
「盛り上がっているところを、悪いんですが」
 手を拭き、脱衣所へのルートを辿る相羽、顔だけ覗かせていった。
「そろそろ時間だから、天童さん、頼むね」
「え、あ、そうか。そうだったわ」
 腕時計を見て、残念そうに表情をしかめる天童。
「着替えたら、みんな一緒に出よう。天童さんも駅までだろ?」
 天童がこくりと首肯すると、相羽は「送っていくから」と言い残し、脱衣所
に引っ込んだ。天童の顔がほころぶのが分かった。
 と、純子が見守っていると、不意に相手が振り返る。
「ねえ、涼原さん。肝心なことを聞いてなかったから、最後に教えてほしんだ
けどなぁ……」
 すっかり親しくなって、純子も気易く請け負う。
「何なりと、どうぞ」
 言って、頭を傾けた。
 天童は今年の春先だったと思うけれど、と前置きをして始めた。
「写真週刊誌に、カムリンに恋人がいたとかどうとかって、載ったけれど、あ
れってもしかして……」
 語尾は曖昧だったが、天童の意図は充分理解できる。純子はしかし、すぐに
返事することはできなかった。
(ここで、イエスと答えておけば、天童さん、今日のところは安心して帰れる
んじゃないかなあ)
 あやふやになっていた問題が、今また鎌首をもたげる。思考をまとめようと、
気が急いた。
(あの写真に写っていたのは私なんだから、イエスと返事すること自体、嘘に
ならないわけだし)
 これで自分自身を納得させたつもりの純子だったが、そのままストレートに
台詞に変化しない。抵抗感がある。その正体は、容易に掴めた。二つの事柄が、
脳裏に浮かぶ。

――つづく




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