#5414/5495 長編
★タイトル (AZA ) 01/02/27 23:01 (200)
そばにいるだけで 57−2 寺嶋公香
★内容
「純子ちゃんは、あんまりお腹空いてないわよねえ」
「え、ええ、まあ」
自然と手がお腹に行く。意外と張っているのが分かった。
「デザートなら入る?」
そう問われても、どう答えたものか、困ってしまった。
(相羽君のいる前で『はい』と言いにくいし、だけど、相羽君はお腹空いてる
んだし……)
女の子らしさが覗く。暗い車内、純子の頬がほんのり、色づいた。
「頼む!」
急に大きな声で言ったのは、相羽。何故か、手を拝み合わせている。
「家に帰り着くまで、保ちそうにないんだ。悪いけど、付き合ってくれー」
と、頭を下げまでする。そこまでされては、純子も嫌とは言えない。
「しょうがないわねえ」
苦笑を織りまぜ、そう応じた。相羽は助かったと言わんばかりに、明るい表
情になった面を起こす。
「サンクス」
「どういたしまして」
純子は答えてから、相手を相羽の母に移す。
「あの、家に連絡していいですか」
「もちろんよ」
「じゃあ、どこかの公衆電話に……」
「携帯電話を持たされたんじゃなかったかしら?」
「あ」
言われてから思い出す。仕事用として使っているから、普段の所用となると
ぴんと来ないのだ。
純子は服やバッグのあちこちを探って、ようやく電話を見つけた。念のため、
相羽の方に背を向ける形に座り直し、電話をする。
通話を終えて、正面を向く。相羽の視線を感じたが、彼の口からは何の言葉
も出て来ない。代わりのように、その母が問うてきた。
「お許しは出たみたいね?」
「はい。母が出たんですが、父がそれを強引に替わって、何を言ったと思いま
す? 迷惑にならないように、ですって。いつまでも子供扱いするんだから」
「全然迷惑なんかじゃない」
相羽が前をぼんやり見つめたまま、ぼそりとつぶやく。純子はつい、微笑を
なした。
「行きたい店のリクエストはない?」
母の問い掛けに、息子が答えた。レジェンド――昔、この三人で行ったこと
のある店の名前だった。
かなり遅めの夕食とあって、駐車場には車がぽつんぽつんとあるだけで、店
内も空いていた。思い出の席に座ると、相羽はエビの料理を、相羽の母は貝の
リゾットを注文する。
純子はと言うと、メニューの一面を飾る多彩なデザートを前に、迷ってしま
っていた。ウェイターを待たせるのも気が引ける。ちょうどいい時間つぶしに
なると思って、一旦、下がってもらった。
「気にしなくていいのよ、どれでもどうぞ。何だったら、二つでも三つでも」
「い、いえ、そうじゃなくて」
今度はメニューを立てて、顔を隠すように振る舞う。すると隣に座る相羽の
母が、椅子から身体を斜めにして、耳打ちしてきた。
「体重のこと?」
「はあ。大丈夫だと思うんですけど」
非常に幸いなことに自分は太りにくい体質らしい……という意識はある。か
と言って、油断してもしも今のスタイルを崩すような事態になれば、仕事をさ
せてもらえなくなる。どの辺りにリミットがあるのか、自分自身、分からない
から厄介だ。
(星崎さんにごちそうになったとき、凄くたくさん食べたけれど、まるで変化
なかったから、今日の量くらい何ともないわよね)
料理の写真の傍らに、ご親切にもカロリーを付記した店があるが、ああいう
のは食欲をいくらかでも減退させるという点において、余計なお世話だと思う。
無論、今来ているレジェンドは、そんなことしていないのだが――好きな男の
子と、モデルの仕事を取ってきてくれる人がいる前では、体重を気にせざるを
得ない。
「時間がもったいない。喋りながらでも、決められるでしょ」
相羽がやや素気なく言って、お冷やを口に運ぶ。
「どうせ、余っても僕が片付けてやるから、心配無用だよ」
「何を言ってるの、この子は」
相羽の母が呆れたように息を漏らす。そんなやり取りに、純子は目を細めた。
「うん、それがいいわね。お喋りしている間に考えるから、相羽君が話し役に
なってね」
「いきなりだね」
言いながら、今はぼんやりとした目線を、店内に巡らせる相羽。やがて試す
かのように聞いてきた。
「何かが変わったことに、気付かない?」
「何かって……」
先ほどの相羽を真似て、店の中を見渡した。ほの暗い中、四角く太い柱や壁
の上方にはランプが灯り、オレンジ色に輝いている。内装は変わっていないよ
うだ。しかし、どことはなしに雰囲気が違う。
「ひょっとして」
一つ、思い付いたことがあった。自信はあるが、確証はない。昔のイメージ
だけが頼り。
「化石が、別の物になった……?」
「当たり。さすがだね」
嬉しそうに微笑する相羽。親指で、すぐ近くの柱を示した。
「ここ、前に来たときは何だったか覚えてる?」
「オウム貝に……海サソリだった」
「凄い、よく覚えてるね」
純子は照れつつ、目を凝らす。今の柱には、海ユリらしき化石が認められた。
「いつの間にか、取り替えたのね。でも、また化石の入った大理石が使われる
なんて、素敵な偶然だわ」
「それは残念ながら、違うんだ。偶然じゃなく、必然」
「え?」
「ここのオーナーだかマスターだかが、化石のことに気付いて、新しい壁にす
るときも、手配して化石入りの石を注文したそうだよ」
「わざわざ聞いたの?」
まじまじと相羽を見返す純子。そっちの方に驚いてしまう。
相羽は当然のごとくうなずき、「前以上に、化石が増えただろ? 気になっ
てたまらなくてさ」と腕を広げた。
その言葉の通り、店の壁や柱には、太古の生物達で溢れていた。
「オウム貝と海サソリが入ったあの柱は、学術的価値が高くて、大学の研究室
がぜひ引き取りたいと申し出てきたそうだよ。最初は迷ったオーナーも、研究
のためならばと喜んで承知したって」
「そうなの……それだけ珍しい状態の化石を、気軽に見られなくなったのは惜
しいけれど、種類が増えたんだし、喜ばないとね」
純子はそう言って、嬉しさ一杯の笑顔でぐるりと見回す。鳥か何かの足跡の
化石を、遠くに見つけた。特に気になる。帰るまでに、じっくり見ておこうと
心のメモに刻む。
それから正面に向き直ると、相羽親子が、ともに楽しげな表情をしていた。
純子が振り返るのを待っていたかのように、目配せをした風に見えた。
「ど、どうかしました?」
相羽の母に合わせて、丁寧な言葉遣いになる純子。
「本当に化石が好きなのね。見ているだけで、よく分かるわ」
「え、まあ。思わず、駆け寄りたくなったほどですから。あはは」
照れつつも応じる純子に、今度は相羽が尋ねる。
「化石採掘の体験ツアーに参加してみたいって、昔言っていたけれど、あれ、
どうしたの?」
「忘れてるわけじゃないわ。色々忙しくて、実行できないのよ」
「あらら、それは申し訳ないことをしてしまったわね」
再び相羽の母。弱り切った風に、眉の両端を下げている。
「仕事のせいね? どうしたらいいのかしら」
「い、いえ。それだけじゃないんです、忙しいのは……」
慌ててした返事に、嘘はない。友達付き合いに心を割いていると、自分の楽
しみだけのためにあれこれしようという気になれなかったのだ。
「まとめて休みを取りたいのなら、早めに言ってもらえれば、何とか調整して
みるから。遠慮しないで」
「で、でも、モデルのスケジュールが空いたら、市川さん達が埋めようとする
んですよ〜」
分かり易い泣き真似ポーズをしながら、冗談半分に訴える。相羽の母は、真
剣に受け取ってくれた。
「だったら、私から市川さん達に言っておくわ。たまには休ませてあげてって。
純子ちゃんて、頼まれると弱い方だから、どうせ何も言えずに引き受けちゃう
んでしょう?」
「はあ……当たってます」
肩身の狭い感じが何故かした。未だに惰性でやっている部分が抜け切れてい
ない、という自覚があるからかもしれない。
「仕事の話なんか、やめようよ」
相羽が高めのトーンで言って、テーブルの端を指先で叩いた。軽く二度、と
んとん、と。
「そうね。ここでもこんな話をしていたら、一日中、仕事漬けってことになっ
てしまうわね、純子ちゃん?」
「は、はい」
相羽の方を見ながら答える純子。思いやりに直接触れた気がした。折角だか
ら、厚意に甘えて話題を探す。
「明日は、エリオットさんのところに招かれているんだよね」
「う、うん。一緒に行かないか?」
「え?」
「暇があれば、だけど。だめかな」
目の下、両頬の辺りを片手で触りながら、持ち掛ける相羽。ひょっとしたら、
赤面するのを隠そうとしているのかもしれなかった。
「行ってもいいの?」
「僕の言葉だけじゃ、信用できないってか」
「ううん、ごめんなさい。そうじゃなくて」
相羽の冗談めかした言い回しに、純子は真剣に応じた。身を乗り出し加減に
し、テーブルに両手を添え置き、拳を握る。
「私はエリオットさんからお招きいただいていないのに、行っては、お邪魔に
なるだけじゃないかと思ったから」
「そんなこと心配してたの。気にしなくていいよ」
相羽は顔から手を離して、微苦笑を浮かべた。
「エリオット先生に言われたんだ。直訳すると……『あのボーイッシュでガー
リッシュな子に、またぜひ会いたい。都合がつくようであれば、引っ張って来
られないものだろうか』ってね」
「ガーリッシュ? そんな言葉、あるの?」
まさかガーリックの言い間違いじゃないでしょうね、なんて妙な心配を純子
がしていると。
「あるわよ」
黙って聞いていた相羽の母が、我慢できなかったみたいにくすくす笑いなが
ら、言い添える。
「言わずもがなと思うけれど、少女らしいという意味よ。少年らしくて少女ら
しいなんて、エリオット先生は純子ちゃんが久住淳だと、ちゃんと見抜いてら
してたわけね」
「それは薄々感づいてましたから、いいんですけど……」
相羽に視線を戻す。
「ほんとに大丈夫かなぁ? ピアノの先生の家での集まりって、音楽に関係あ
る人ばかりっていうイメージがあるわ。音楽学校に行っているような」
「僕も音楽学校には行ってないよ」
「あなたは行ってるようなものでしょうが」
「君だって、歌を唄ってるから、音楽に関係あるじゃないか」
「それは……そっか」
反論の余地がない。素直に受け止めた。
(まあ、これで行きやすくなったと言えなくもない。だけど)
まだ気掛かりはある。口に出そうとすると、ちょうど料理ができあがったら
しく、ウェイターが運んできたので、済むのを待った。
「まだ決まらない?」
相羽の母に促され、純子はメニューをちらと一瞥した。心に引っかかってい
た数品の内、“胡桃のケーキキャラメルソースがけ”と紅茶を注文した。
ウェイターが「かしこまりました」と言って退がった直後に、相羽がフォー
クを持った左手甲を口元にやって、笑いをこらえる様子を見せた。
「何よ」
「胡桃好きは変わってないね、と思ったもので」
「人の好みが、そう簡単に変わってたまるもんですか」
言って、澄まし顔を作ると、お冷やを飲む。
相羽はナイフに伸ばしかけていた右手の動きを止め、感じ入ったような口調
で応じた。
「そうだね。僕も、一緒だ」
言い終わると、純子に向けていた視線を外し、一旦、フォークを置いた。
「いただきますをしてなかったな」
わざわざそうつぶやいて、手を合わせると、改めて「いただきます」と唱え
る。母の方も、微苦笑を浮かべながらも、同じようにした。
「悪いわね、純子ちゃん。先に食べるけれど」
「いいえ、どうぞおかまいなく」
――つづく