#5409/5495 長編
★タイトル (AZA ) 01/02/05 02:02 (198)
川ヨ1:1 その2 永山
★内容
「あなたが西林美沙さんですね」
男は、藤木暮人と名乗った。若く、上背があって、頭の切れのよさそうな自
信に満ちた目つきをしていた。
「お忙しいところを、すみません。三山平次さんのことで動いていまして、西
林さんからもお話を伺わせていただきたく、足を運びました」
「と言うと……弁護士さん?」
「いえ、自分は弁護士でなく、事件の裾野を歩き回って、材料集めを役目とし
ています。平たく言えば調査員、ですね。彼がもしも起訴されたとしても、私
の働きが裁判にいずれ役立てられるでしょう」
「三山さん、裁判にかけられそうですの?」
「現時点では、濃厚ですね」
「そうですか。私にできることであれば、喜んで協力します」
「感謝します。昼食はお済みですか? まだでしたら、ささやかな物をごちそ
うさせてください。食べながら、お話を」
「まだですけど……そういうの、許されているのですか」
「問題ありません。それよりも、お時間はどのくらい余裕がありますか」
藤木はモデルルームを振り返った。呆れるくらいに青い空の下、のぼりがい
くつも立てられ、「見学会実施中」と黒い文字で染め抜かれた布が、そよ風に
翻る。客足は、なかなか好調のようだ。
「一時間までなら。それ以上は、主任に連絡を入れて許可を得ないと」
「分かりました」
隣接する分譲予定地を横目に過ぎ行き、大きな通りに出てから、右に折れる。
百メートルも歩かない内に、ファミリーレストランが見えてきた。
「あちらでよろしいのですか」
「ええ。他にも食べる店はありますけれど、慣れた物が一番だと分かって」
中に入ると、席の半分方が埋まっていた。通常の昼食時間を大きく過ぎてい
ることを思えば、盛況と言えよう。
案内しようとするウェイトレスに、藤木は他の客から離れた席を頼んだ。奥
まった位置にある、衝立に囲われた一角に通される。どうやら喫煙座席らしい。
最近では、禁煙スペースの方が、ずっと広く取られる傾向にある。
「私は済ませたから、コーヒーを」
藤木に促され、西林は海の幸のパエリヤとスープスパゲティを注文した。お
腹いっぱい食べたいが、ステーキ類ではボリューム・カロリーともが多すぎる、
ここは合わせ技で行こう……そんな気分の働いた組み合わせだ。
「まず、西林さんが小城さん、三山さんそれぞれと知り合ったきっかけを、教
えていただけますか」
ウェイトレスが去ると、早速始めた藤木。
「かまいませんが、そんなことまで調べるのですか」
「いきなり核心に触れるよりも、この方が、西林さんも話を始めやすいのでは
と思いましてね。それに、食事前ということも考えませんと」
合点した西林は、昔を思い出しながら答えた。
パソコン一式を購入する際にアドバイスをしてくれた家電販売店の人間が、
小城だった。その後もよくしてもらうことで、親しくなった。衛星テレビ受像
セットを購入したときは、小城が西林の家まで来てくれた。
図書館へベストセラー本を探しに行ったとき、男が書架からその本をタッチ
の差で取り出した。西林を見てその男、三山は本を譲ってくれた。本の趣味が
合いそうだったし、作家を目指しているという三山に興味を持った。
西林はほぼ同時期に、彼らと出会った。小城と三山が同じ高校・大学を出て
いることは、程なくして気付いたが、まさか彼らが友人同士だとは思いも寄ら
なかった。
「三山さんの話では、なかなか親密なお付き合いだったそうですね」
「ええ、まあ」
すでに食事が来ていた。死体の話ではなくても、所詮、食べにくいことに変
わりない。
「小城さんとも、同程度の関係だったとお聞きしています。そして……今日か
らだと二ヶ月足らずほど前になりますか。小城さんと三山さんが、互いの存在
に気付いた」
「仰る通りですわ」
「嫌なことを聞いてすみません。二股を掛けられていたと知った二人の反応は、
どうでしたか」
「それは私も、二人も大人ですから。少なくとも表面上は、平穏な関係が続い
たと言って差し支えないと思います」
「ふむ。三山さんの話と一致していますね」
知ってるんじゃないの、と心中で警戒を強める西林。
「結果、三山さんと小城さんの関係が、ぎくしゃくし出したとも言っています。
そのことについては」
「私に責任ないでしょう? 二人が友達同士だったなんて、知らなかったんで
すから。三山さん達の問題です」
「同感です。気になるのは、あなたがどちらかに肩入れをしていなかったかと
いう点ですね。警察の主張では、西林さんが小城さんを選び、三山さんは逆上
して小城さんを殺害した、ということになっている。作家の卵と店長じゃあ、
後者を選んで当然だともね。いかがですか」
「……それは、事件が起こったのは私のせい、という意味でしょうか?」
「とんでもない。違います。事件の背景を調べているだけです」
「刑事に事情を聴かれているみたいで、あまりいい気分じゃない……」
「お許しください。立場こそ違えど、似たような仕事ですから。失礼は、あと
でいかようにもお詫びしたいと、個人的に考えております」
「ああ、もういいわ」
昼食がおいしくなくなる。西林はフォークを振って、先を促した。第一印象
でちょっといい男と思ったのが、現時点では嫌みったらしい奴という感想が多
くを占める。
藤木は西林の表情の微妙な変化に気付いたのかどうか、さっさと質問を片付
けていった。途中、手帳を取り出し、何やら入力し始める。それが一段落する
と、付け足しのように尋ねてきた。
「ところで、西林さんは小城さんが死んだと聞いたとき、さぞかしショックだ
ったでしょうね」
「ええ。電話があって、信じられなくて、何度も聞き返したわ」
「どちらでその知らせを受けましたか」
「家よ。出勤前、朝早くに掛かってきて、その日は一日中、仕事が手に着かな
かったのを覚えてる」
「マンションで独り暮らしでしたよね。電話はどなたから」
「小城さんのお姉さんから。私のことを知ってくださっていました」
「寺崎則子さんのことですね。彼女の話では、携帯電話に掛けたそうですが」
まただわと西林は嫌になった。すでに調べて知っていることを隠し、知らぬ
ふりをして問い掛けてくる藤木に、いい感情を抱けそうにない。
「それがどうかしましたか」
ぶっきらぼうに問い返すと、当の藤木は息を吐き、首を振った。
「大した話ではありません。少し気になるだけです」
言うだけ言って、今度は首を捻る。尻切れとんぼにされて、西林も気になっ
てきた。
「あの、どういうことか、言っていただけないでしょうか。はっきりと」
「ん? いやいや、本当に大したことではありませんので」
芝居っ気たっぷりの仕種、言い種で、もったいぶる様子の藤木。西林は、つ
んつんした物言いになった。
「こちらの質問に、答えてくださってもいいんじゃありませんか」
「ふむ、しょうがない。つまんないことなんですけどね、我々の仲間内には、
些細な点にこだわる者がいまして、厄介です。要するに、西林さん、あなたが
電話を受けたのは、真実、ご自宅だったのかどうか……」
「仰る意味が……よく分かりません」
「分からないのも無理ない。私の言い方が、大雑把なんですよね。要するに、
遺体発見後のことなんて、どうでもよい訳です。単刀直入に申し上げて、あな
たのアリバイが知りたい」
藤木の語調が若干、鋭くなったような気がした。それとともに、目つきも厳
しくなったかもしれない。ベールを被されたナイフのごとく、その鋭さは隠し
きれず、傍からでも容易に想像できた。
「あなたは、私をお疑いですの?」
「私ではありません。一部の者が勘ぐっているだけです。……と言っても、西
林さんにはそんな事情は、関係ありませんね。そう、一つのケースとして、あ
なたを疑ってみているところです」
言い切ると、にこにこと笑んで、コーヒーをすする藤木。正直さを前面に出
した振る舞いに、西林は戸惑った。最前の悪印象が、中和される。
「アリバイも何も、自宅にいたとしか言い様がないわね。ただし、私は独り暮
らしよ。そんな夜中に、誰かと会っていた訳でもなし、証人はいないわ。恋人
の一人でもいれば、話は違って来るんでしょうけれど」
「いるじゃありませんか。三山さんと小城さんが、そうだったんでしょう?
恋人が一人、二人といても、アリバイ証人にはならなかった訳だ」
「……皮肉がお上手ですこと」
掴みどころのない相手に、西林は最初から、翻弄されていたようだ。
「皮肉ではありません。交際範囲がいかに広かろうと、人間、所詮は孤独だと
申し上げたかったまでです」
「その格言が、事件と関係ありまして?」
「少なくとも、直接にはないでしょうね」
その返事に、西林は小首を傾げ、髪に手を当てた。水を一口飲み、フォーク
類を皿に置いてから、疑問を呈する。
「正直言って、あなた方は何を調べているのですか。三山さんが犯人でないと
いう証拠をお探しなのは分かりますけど、それでも何か理由がありますでしょ。
真犯人が別にいると考える理由が」
「三山さんが否認している、とこれだけでは、納得してくださらない? ああ、
やはり」
藤木はコーヒーを干すと、口の周りを拭いた。その仕種は、もったいをつけ
たいように見えなくもない。
「まず、小城さんは背後から襲われた」
「……それが、何か?」
「背後から襲われた小城さんは、恐らく、犯人の顔や姿を見ないまま絶命した。
そんな被害者が、犯人が誰だか分かるものでしょうか?」
「それは、もみ合っている内に、ちらっと見えたのかも」
「犯行当時、現場は、かなり暗かったそうです。生死に関わる危機に陥り、必
死の精神状態である小城さんが、たとえ犯人の顔を一瞥できたとしても、誰な
のか判別できた可能性は、非常に薄いと思いますよ」
「……三山さんが、声を上げてしまったんじゃない? 襲いかかるときに、思
わず、『小城、この野郎!』なんて」
「それなら、背後――真後ろから襲われたというのが、少しおかしくありませ
んか。叫び声を聞き、振り返り掛けたところを襲われたという状況であったな
ら、まだ理解できるのですが」
「……」
「第一、わざわざ暗い場所に連れ出しておきながら、相手の名を叫びながら襲
いかかるなんて、馬鹿げている。そう思いませんか?」
「あの。三山さんが、小城さんをゼネラルスタジオパークに連れ出したのです
か。三山さんの車で……」
「三山さんではありません。あくまで想定ですが、犯人が小城さんを車に乗せ
て現場に運んだと考えるのが自然でしょう。小城さんは運転免許証を所有して
いなかったそうですから。物事は大概、自然な方、自然な方へと向き、流れ、
あるいは収束してきます。私の思考は、この考え方に沿っているんですよ」
「あら。自然な方を目指すのでしたら、三山さんが犯人であるという結論が、
一番自然じゃありませんか。あなたの言う通りなら、小城さんは誰に襲われた
か、分かっていたはずなんだし……」
「残念ながら、見解の相違があるようです。私からすれば、三山さん犯人説は、
不自然です」
「言いたいことは分かりますが、でも、小城さんが書き遺したメッセージが、
最重要証拠になるんじゃありません? それを無視するのは、自然でも何でも
ないと思いますけど」
いつの間にやら、西林の胸の内には、藤木への対抗心が芽生えていた。議論
好きというわけでもないのだが、この男を言い負かしてみたい、そんな誘惑に
少々駆られたのかもしれない。
「その点を無視するつもりは、毛頭ありません」
「それはつまり、藤木さんなりの解釈がある、という意味に受け取ってよろし
いんですか」
「かまいません。ただ、心苦しくも、現時点で発表できるほどではない、と」
「逃げたんじゃないですの?」
訝しげな視線を作ってみせた西林に対し、藤木は余裕しゃくしゃくで応じた。
「そう仰るのなら、私の考えを、ほんの一部ですが、ご披露しましょう。なに、
誇れるような指摘じゃありません。極単純。あのメッセージを遺したのは、小
城さんではなかったという考えは、いかがです」
「……あ、真犯人が、三山さんに罪を着せるために、っていうやつね」
「察しがよくて、結構ですね。話が早い」
「でも、仮にそうだとして、どうして真犯人は三山さんの名前全部を書かなか
ったのかしら」
「その方が、死に際の伝言らしいと考えたのかもしれません。あるいはフルネ
ームを記すつもりだったが、三山平と書きかけた時点で、『じ』にどんな漢字
を当てはめるのか、度忘れしたのかも。次の他に、二や治、司といったところ
があり得ますからね」
西林は、藤木の発想を面白いと感じた。と言うのも、彼女自身、他人のフル
ネームを書くに当たって、すぐに思い出せなかった経験が何度かあったからだ。
ただし、三山平次の名前を間違えたことはない。
その話をしようとした西林は、しかし黙った。言い逃れに聞こえるに違いな
いと判断したのである。
――続く