AWC ベルタ おいで (盲導犬と共に)   / 竹木 貝石


        
#5390/5495 長編
★タイトル (GSC     )  01/01/05  22:55  (181)
ベルタ おいで (盲導犬と共に)   / 竹木 貝石
★内容
ベルタ おいで (盲導犬と共に) NO.9  柏木 保行 (竹木 貝石)

   31 この一時

 私の子どもがバイオリンを習いに行っていて、夕方遅くなると、千種駅から
電話が掛かります。
「6時35分に乗るよ」
 と言うので、ベルタを連れて新守山駅まで迎えに出ます。
 列車が停まると程なく二人の子どもがバタバタと出札口を走り出てきます。
「ベルタ、ベルタ、グーッド、グーッド」
 ベルタは頭をなでてもらって、契れんばかりに尻尾を振ります。
「さあ帰ろう」
 夕暮れの田舎道を歌を歌いながら歩きます。
「今日ねえ、音階とクロイツェルが進んだよ!」
 と娘が言い、
「お父さん、シリウスがあんなに光ってる。あれが夏の大三角かな?」
 と息子が言います。
 ベルタはただ黙々と足を運びます。
 晴れた日曜日には、庄内川の河原へ遊びに行きます。
 家族揃ってキャッチボールやバレーボールや縄跳びをしているそばで、ハー
ネスを外したベルタが走り回って喜びます。私もボールを転がしてもらっては
投げ返すのですが、暑くなると、木陰でベルタのブラシを掛けます。
 堤防をずっと遠くまで行くこともあります。踏切を越え、ビニール工場の裏
を過ぎて、走ったり歩いたりしながら川に沿って上ります。山羊がつないであ
って、ベルタが近づくと懐かしそうに寄ってきます。触ってみると、ベルタの
倍はあって、立派な角も生えています。
 さらに暫く進むと、流れの音が高くなり、それがまた聞こえなくなる辺り、
河原に5〜6メートルほど土を盛り上げた山が二つあります。誰も居ません。
子どもやベルタと山に登ったり下りたりして遊んでいるうちに、昼のサイレン
が鳴り、私どもは水筒を開けてサンドウィッチを食べるのです。


          [1974年(昭和49年)7月10日 記す]

  勤め終えて 春陽の街を 犬と行く

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    第四部 終編

   32 「ストップ」

 ベルタが6歳の誕生日を過ぎて間もない日のことでした。前日から軽い下痢
があったので、獣医の和田先生には夕方うちへ往診してもらうことになってい
ました。相変わらず痩せてはいても、この3ケ月ほどベルタは特に何処といっ
て病状も悪くなく、毎日学校に通っていました。
 月曜日のその朝も、7時15分に家を出て、冷気の中を早足で歩き、いつも
の列車に滑り込み…、大曽根駅で市バスに乗り換えて学校に着きました。
 昼少し前には丹念にブラシを掛け、授業後3時半にはハウスの新聞紙も敷き
換えてやりました。列車の時間に合わせるつもりで、暫く雑談してから、4時
半近くになったので家へ帰ることにし、足下でじっとしているベルタに声を掛
けました。
「ベルタ UP」
 しかし二度、三度と繰り返しても立ち上がらないので、ふと心配になって揺
り起こしてみました。と、ベルタは寝そべったままそっと鼻先を私の手に寄せ
ただけで、動こうとしません。ギョッとして、大声で呼びながら首輪を引っ張
ったその時、脚がピクピクと痙攣し始め、それがだんだん強くなってくるでは
ありませんか!
 和田先生に電話を掛けて往診を待つ間も、痙攣はますます激しくなり、つい
には息づかいも荒く、涎を流して、七転八倒の苦しみとなりました。もうただ
事ではありません。
 20分ほどで和田先生が到着された頃には、胃液を戻し叫声を発して転げ回
っていました。けれども、その発作はすぐに止んで、先生が注射の準備をして
おられる間に、もう昏睡状態に入りました。
 学校の職員大勢に手伝ってもらって、ベルタをそっと台の上に乗せ、座布団
を当てて、ストーブ2台で温めました。注射と点滴をし、熱湯で何十回もタオ
ルを搾ってマッサージしました。
 7時半頃まで様子を見て、やや安定したところで、和田先生の車に乗せても
らって家に帰りました。四畳半の部屋に布団を敷いてベルタを寝かせ、和田先
生が注射をしてから、
「手だては尽くしたので、もし危なくなったらいつでも電話をするように」
 と言いおいて、ひとまず先生は帰られました。
 11時頃までスヤスヤ眠っていたでしょうか? また苦しそうにあえぎ出し、
それから、ベルタは横たわったまま手足を交互に動かして歩くような運動を始
めました。痙攣とは違って、まさしく早足で歩くときと同じ交互運動なのです。
きっと夢うつつで必死に歩いているのでしょう。そのベルタの横に私が一緒に
着いて歩いていたのかどうか、それだけは是非ベルタに訊いて確かめてみたい
気がします。でも、あまり動くと息が弾んで苦しそうなので、脚を押さえて停
めてやりますと、今度は首を反らしてなおいっそう力を入れて歩こうとします。
私はベルタの耳元に口を寄せて
「STOP!」
 と命令しました。すると瞬間、明らかに脚の動きが停まったのを見ました。
 この歩行動作が2〜3分続いては休み、何度も繰り返されましたが、それ以
外の随意運動は見られませんでした。次第に呼吸が激しくなり、続けざまに胃
液のような物を戻し、ONEを排泄しましたが、下痢便もなく、食物も吐かず、
本当にベルタは清潔でした。
 いよいよ息づかいは荒く大きくなり、間違いなく危篤状態と分かりましたが、
和田先生を呼ぶのは諦めました。真夜中でもあり、自宅が遠いので1時間以上
かかる筈です。
 喉に異物が詰まるような感じで、呼吸が途切れがちになりました。一息つい
てから、何秒も間が空きます。しかし、心臓はまだ十分打っています。ベルタ
は苦しくて、首を左右に振りながら息を吸い込み、すぐうなるように吐き出し
ます。私は胸と腹を代わる代わる押さえて、人工呼吸のようにしてみました。
そうすると気のせいか、幾分楽そうに見えます。でも、それが体にとって悪い
のではないかと、ふと迷って手を停めた途端、息が長く途絶えて窒息しそうに
なったので、あわててまた人工呼吸を続けました。
 けれども、その後2、3回呼吸をしたでしょうか? やがて大きく息を吐き
出したまま……、永久に吸い込むことが無くなりました。眼がうつろに開き、
持ち上げていた首がガックリ倒れるのを見て、妻が泣きながらベルタを呼び呼
び揺り起こそうとしました。私はなおも人工呼吸を続けましたが、心臓がどん
どん速くなり、そして急速に弱くなって、ついに…ついに、停まってしまいま
した。1974年11月26日、夜中の0時20分頃だったと思います。
 ベルタを綺麗に拭いて、またそっと布団に寝かせると、もう本当に静かでし
た。形ばかりの祭壇を設け、妻が線香をたきました。



   33 「ベルタ カム」

 翌朝、子ども達は目を覚ますが早いかベルタの所へ飛んできました。変わり
果てた姿を見、いつまでも泣き止まないので、追い立てるように学校へやりま
した。
 後には、げっそり痩せこけたベルタが固く冷たく横たわっています。もっと
治療の手だてがあったのではないか? 死ぬ間際まで働き続け、病がそんなに
も重いとは気づかせなかったベルタ、そしてほとんど手を煩わすことなく一人
苦しみに耐えて死んでいったのです。私どもは胸を締め付けられるような苦痛
にさいなまれ、どうしても諦めきれませんでした。
 近所の人が香典やお供え物をくださいました。前に愛犬クラータを亡くした
吉野さんが駆けつけて、
「思い出に浸るしか方法は無い」
 と言って慰めてくれました。
 葬儀屋さんが昼頃来て、ベルタを丁寧に箱に納め、布をかぶせて、車に積ん
でいきました。私は位牌と遺髪を仏壇に上げて手を合わせました。ベルタの使
っていたチェーンカラーを手に取ってみても、もうベルタの亡骸さえそこには
無いのです。
 翌日もその翌日も、悲しみが胸の底から突き上げてきて暫くむせび泣いては、
ふいに平静に戻ったりします。私は、死後の世界や魂の存在を信じることがで
きません。それゆえよけいにつらいのです。いくらベルタに詫びても、いくら
ベルタを呼んでも、死んでしまったベルタには届く術が無い、いくら供養塔を
建て、お寺でお経を上げてもらっても、それは後の祭りです。盲導犬協会に申
請すれば、2頭目の犬が優先的に貸与されて、私や家族の気持ちは慰められる
かもしれない、けれどベルタをいたわることにはならないのです。私は、生前
ベルタの世話をよくしてやったとは思っています。しかし、それはベルタの為
というよりも、周囲の人たちに迷惑にならないようにとか、屋内が汚れないた
めにという気持ちが多分にあったのではないか? 本当にベルタを喜ばせるつ
もりなら、ブラシを掛けたり風呂に入れたり耳掃除をしたり爪を切ったり……、
そんなことをする時間だけ、ベルタのそばに座ってゆっくり遊んでやった方が
良かったのではないかとさえ思います。それに、もっと丁重な埋葬の仕方もあ
った筈…。ただただ済まない・名残惜しいと思うばかりです。
「ベルタはよく働いてくれた。いろんな意味で先駆者だったし功績も大きい。
この上は、ご苦労さんと言って送ってやるべきではなかろうか」
 と言ってくれた先輩もあり、なるほど、いわれてみればまことにその通りで
す。社会の方々の多くの愛情に対し、私は今までただ感謝することのみ考えて
いましたが、それもこれも皆ベルタあってこそであり、ベルタが善意を受ける
にふさわしい盲導犬だったからではないでしょうか。4年間無事故で主人の私
を誘導し、あんなに軽快に歩いて、かすり傷一つ負わせなかったというだけで
も立派な働きといわねばなりません。対外的には、北海道第1号の盲導犬とし
て札幌の市バスや地下鉄に初乗車、日本航空と東亜国内航空では初飛行、名古
屋市におけるラッシュアワーの乗車許可、そして、盲学校に毎日通勤した実績
等々。国鉄の各駅を、ベルタほどよく利用した盲導犬も少ないでしょう。私は
自分の犬だっただけに、ベルタの偉大さを忘れていましたが、今やはばかるこ
となくベルタを誇り、むしろベルタの功績を広く公にし、今後の足がかりとし
ていただくことこそ、何よりも大切だと確信しました。
 けれども、そんなことが亡きベルタにとって何の慰めになるでしょうか?
私を喜ばせることがベルタの最大の喜びであるならば、ベルタの死はただ私を
悲しませるだけだ。もし主人と一緒に居ることがベルタの最高の幸せであるな
らば、もうそれは永遠に帰らない。
 誰も居ない夜更けに、ベルタと通った線路沿いの道を歩きながら、私は声を
上げ足踏みして泣きました。ベルタの名を呼べば呼ぶほど悲しみは増します。
どうしてこの手にハーネスが無いのか? 手を伸ばしてみても、何故そこにベ
ルタの柔らかな毛並みを触れられないのか? 玄関の扉を開けても、バタバタ
と尻尾を振る音がしない。職員室にも居ない。この歩道橋の階段を、いつも停
まって教えてくれたベルタ。ああ ベルタ  ベルタ  ベルタ  ベルタ おい
で… もう一度だけ帰っておいで  ベルタ……。
「ベルタ! カム!」


         [1974年(昭和49年)11月29日 記す]

  冬枯れに 亡き犬の名を 呼びにけり
  愛犬と 通いし駅に みぞれ降る
  雪の道 踏み迷いつつ 犬思う

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                            完




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