AWC お題>行列のできる店(上)       青木無常


        
#5213/5495 長編
★タイトル (EJM     )  00/10/30   8:32  (126)
お題>行列のできる店(上)       青木無常
★内容
 三時間近くをつぶしたあげく、おれが手にしたのは小さな石くれたった一握。支
払い金額とのあまりのアンバランスに、しばしあんぐりと口をひらくしかなかった
が、黒ずくめの男が眼前でいやみったらしい笑みをうかべているのに気づき、姿勢
を改める。
「なあ、あんた。暴利って日本語を知っているか?」
「出血大サービスという言葉なら、日々実践してるよ」
 奇妙な店の胡乱な主人は、皮肉じみたセリフで応酬する。どう返そうかと思案す
る一瞬のすきをつき、さらにつづけた。
「もっとも、あんたがここにやってきた理由は、ほかのお客さんとは大幅に異なっ
ているからねえ。料金に見合う満足感が得られないのも、むりはないかもしれない」
「で、これをどうすればいい?」
 あっさり引き下がったのは、どうせこの石くれの代金も必要経費で落とすつもり
だったからだ。
 男はやはり得体の知れぬ微笑をうかべたまま、口にする。
「別になにも。気がむいたときにでも、とりだしてながめればいいさ。そうすれば、
あんたが捜しているひとがどこへ消えたかわかるよ」
「外国だとかじゃねえだろうな。ま、金さえもらえりゃどこまででもいくことはい
くが」
 なかばはひとりごとだ。
 男はまさかと笑う。
「まあそれでも、ある意味じゃ外国よりも遠いところかもしれないね」
 どういう意味だ、と問い返したが、答えは得られなかった。
「さ、あとにも山ほどお客さんがひかえているんだ。そろそろお引き取り願えない
かな」
 したり顔でいわれちまった。長居する理由はない。おれは素直に席を立つ。
 このくだらない石にどういう意味があるかはわからない。どうあれ、おれが捜す
べき人物の消息に関する情報を求めて、得られたのがこれなのだからしかたがない。
「なあ」と石をためつすがめつしながら立ちあがりつつ、もう一度男に問いかけた。
「で結局、この石はいったい何なんだ」
無視して男は、おれのわきから待合室への扉をひらき
「つぎのかた、どうぞ」
 愛想たっぷりにいい放つ。
 なんでえ、おれに対しては皮肉じみたいやらしい笑いかたしか見せやがらなかっ
たくせに、ふつうの客相手ならちゃんと商売人のツラさらしやがって。むらっとき
かけたが、用向きを考えれば無理はないと思い直して苦笑をおきざり、雑居ビルの
古びた廊下に歩をふみだした。土台、探偵など邪険にあつかわれることをいちいち
気にしていたらつとまりゃしない。
 階段二階下の踊り場にまであふれだしている行列を横目に、世の不景気もきわま
ったもんだと嘆きつつ店をあとにする。なにしろ行列には、こういった占いの店に
はふさわしい女のガキどもと同じくらいの割合で、いい年こいたおっさんが混ざり
こんでいるのだ。
 さびれた通りをいく道すがら、石くれを放り投げては受けとめながら、さてどう
報告書を作成するかとしばし首をかしげた。
 仕事は蒸発した中年男の捜索だ。消える以前に、挙動に不審なところは確認され
ていない。少なくとも、十年来つれそった妻はそう主張している。いたずらざかり
のひとり息子は、父の変調になどもとより興味もなさそうだった。
 唯一、父がある晩、有名な占い師の店でいいものを手に入れてきたと自慢げに語
りながら見せた石くれだけが、ふたりが共通して口にした手がかりだ。なんでも、
自分が真に望んでいる世界をその石はのぞかせてくれるのだとかいう与太話を、子
どものように笑いながらきかせたのだという。それ以後、父は変化した。
 表情がとぼしくなったのだ。口数も少なくなった。といっても、家族とのあいだ
にはすでに目ぼしいコミュニケーションが成立していなかったという話なので、妻
も息子もそのことにはあまり気づかなかったようだ。会社の同僚や上司にきいてみ
たかぎりでは、仕事上のミスも多くなっていたらしい。いつも心ここにあらずとい
った感じで、おりにふれてはみすぼらしい石ころを取り出してあかずながめやって
いたという。
 それがこの石なのだろう。つじつまはあっている。普段なら見向きもしない与太
話だが、なにしろだれも男が消える姿を見ていない。いつもどおり妻が就寝するま
ぎわに仕事から帰ってきて、自分の寝室に夢遊病者のような足どりで消え、そのま
ま行方をくらましたのだという。
 霧のように消失してしまったとは考えられないし、妻と息子が寝入った夜半にで
もそっと家をぬけだし蒸発、という線が常識的なところだが、奇妙なのは夫のもち
ものが何ひとつなくなっていないとの妻の主張だ。
 衣服や鞄などの身のまわり品なら、妻の把握していないものの五品や六品、あっ
ても不思議はないとおれは思うのだが、金銭はもとよりカードなど一切合切の入っ
た財布まで机上におきっぱなしになっていたのは確かに解せない。なくなったもの
といえば、就寝時に身にまとっていたと思われるパジャマくらいのものだという。
 寝室すら別々になってしまった会話のない夫婦間で、お互いの所有物に関してど
れだけ正確に把握しているのか疑わしい部分もあることはあるが、捜索を依頼して
きた夫人は確かに物品の管理には細かくてうるさそうな中年のばばあだ。ひとまず
パジャマ姿で街をでた男を捜索してもみたのだが、めぼしい成果はあがっていない。
 だから、くだんの占い店をたずねてみたのだ。もちろん、たいした成果があがる
とは思わなかった。写真を提示してこういう男がたずねてこなかったか、きたとし
たらどういった内容の相談を受けたか、その程度が確認できれば御の字だと考えて
の来訪だ。だから、年齢不詳の胡乱な占い師が客の顔などいちいち覚えてはいない
と笑ったときも、まあそんなものだろうと思っただけだった。まさかそのつぎに
「だが行き先の心あたりならあるよ」というセリフが飛びだしてこようとは考えて
もいなかったのだ。
 もちろん、占い師のいうセリフだ。とうぜんのごとく金銭を要求してきたし、ま
ゆつばもののたわごとである可能性は大きい。必要経費として要求する算段がなけ
れば、こんなところで散財など論外だ。案の定、そのひとが真に望んでいる世界を
のぞかせてくれる聖石なる文句の、そこらの河原ででたらめにひろってきたとしか
思えない石ころひとつが手わたされただけだった。占い師のセリフによれば、消え
た男は真に望む世界に旅立っていったのだということになる。よくある話なのだ、
と。確かによくある話かもしれない。ばかばかしい与太話だ。
 深いため息をつきながら、おれは路駐しておいた車のシートに背をあずける。
 石を、眼前にかざしてみた。特に意図があってのことじゃない。何となくだ。た
まに舞いこんできた仕事で足を棒にしてあちこち歩きまわったあげく、手に入れる
ことができたのは石くれひとつ。もとより成果のあがらないことのほうが多い職業
ではあるが、こんなときにはつくづく自分が情けなくなってくる。
 もう一度息をつきつつ目を閉じて――見ひらいた。
 うらさびれた通りが平々凡々と広がっているだけ。改めて目を閉じてみたのだが、
まぶたに閉ざされた暗黒はごく通常のものだ。
 となれば、さっき、瞑目した一瞬に見えた奇妙な荒野の光景は、単なる錯覚にち
がいあるまい。
 だが――見わたす限り暗鬱な曇天のもとに広がる、草木ひとつ見あたらない殺風
景な荒野のあちこちに、オブジェのようにうずくまっているいくつもの影のひとつ
が、くたびれたパジャマを身にまとっていたのはどういうわけか。
 疲労のあげくの幻覚なら、柄まできいたとおりの容貌であろうと別に意外でも何
でもなかろうが――何かがひっかかった。
 去りぎわに垣間見た占い師の、営業用と思われる信頼感にあふれた笑い顔が、ち
らりと脳裏をかすめすぎる。くそ。ひとをばかにしやがって。
 改めて石ころを見やり、それがひとを馬鹿にしたような薄ら笑いをうかべておれ
を見た占い師からの挑戦状のように思えていよいよ腹が立ってきた。
 受けて立ってやる。
 何の根拠もなくそう考えたのは、やはり勘がはたらいたからだとしかいいようが
ない――といえばきこえもよかろう。実際は、万策つき果てたあげくの苦しまぎれ
の選択に過ぎなかった。
 それからおれは調査をうち切り、自宅兼用の事務所に戻るやくたびれた長椅子に
身を横たえて――石くれをながめて過ごした。ばかばかしくならなかったといえば
大嘘になる。ほかにすることはないし、石くれがなかったとしたらテレビでもなが
めていただけのこと。
 だからやはり、いつのまにか眠りこんでしまった夢のなかで、あの裏通りで見た
のとまったく同じ荒野にたたずむ自分に気づくことができたのもやはり偶然のたま
ものに過ぎなかったのはまちがいない。
 ハッとしておれはきょときょとと四囲を見まわす。うずくまっている影はあちこ
ちに見受けられた。くたびれたスーツ姿のサラリーマンらしき背中が多いが、なか
には若々しい香気を発する年ごろの娘のそれもちらほら混じっている。もっとも、
ひざに顔をうずめた姿勢なのでご面相のよしあしまでは判断のつけようがない。
 歩をふみだしてみる。夢の内部のたよりなさは感じなかった。少なくとも自分で
は、現実世界での体験であるという感覚がありありと感じられる。夢を見ていると
しても、何か特殊なものにちがいない。となれば、あの石くれは何らかのトリップ
感覚を誘発する特殊な物質なのだとも考えられる。まあ値段から考えて、まずあり
得ない仮定ではあるが。
 などとくだらない欲得勘定をしかけて我に返り、おれはあわてて周囲を見まわし
た。




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