#5164/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 8/31 2:10 (200)
そばにいるだけで 51−3 寺嶋公香
★内容 06/08/28 19:02 修正 第2版
「……久住君は、全然偉ぶらないんだね」
つぶやくように言った星崎に、純子は目を何度もしばたたかせた。意味が分
からなかった。星崎はまた笑った。今度は、にこにこしている。
「大人気を博す歌手だと知っていたから、もっと偉そうな態度の人かと、予想
してたんだけどね。そうじゃなければ、芸術家肌の人。どちらも違った」
「映画で演技するのに、歌のことは関係ありません。歌だって、元を正せば、
鷲宇憲親さんのおかげですしね」
「それはそうかもしれないけど。ところで、久住君はいくつ?」
「すみません、年齢不詳で通してますから……」
「ああ、そうだったっけ。ごめん。でも、僕より年下のは、間違いないよね」
「はい」
「よかった。あまりに丁寧な言葉遣いが続くから、段々心配になってきてたん
だ。もしこれで、僕の方が年下だなんてことだったら、格好がつかない。いや、
先輩後輩のことは別にしてだよ」
快活に、そして愉快そうに話す星崎。
純子は相づちを打ちつつ、心中では小さなショックを受けていた。
(私って、そんなに老けて見えるの? 星崎さんて、確か四つ年上だよね。い
くら何でも、二十歳はひどいと思うけどな)
ショックを受けたが、気分がほぐれてきたのも事実だった。
「――あぁ、加倉井君が来た」
星崎の視線が動いた先に、純子も焦点を合わせた。加倉井はスタッフ達に、
挨拶をしている。にこやかな笑顔を振りまき、すれ違う一人一人に声を掛けて
いた。それがすんで、純子達のいる方へ足を向ける。
純子は、目が合う瞬間に、こうべを垂れた。そして接近してきた加倉井が立
ち止まると、再び、今度は深くお辞儀する。
「初めまして、久住淳と申します。よろしくお願いします、加倉井さん」
加倉井のきつい性格を知っているせいで、純子の口上も、星崎にしたものよ
りは若干丁寧さが増す。その分、固さも多い。
面を起こした純子は、眼鏡の位置を直すふりをして、表情を隠しつつ、加倉
井の反応を伺った。
「こちらこそ」
にこやかさは変わらず、言葉を返した加倉井。
「久住さんの曲、二つともよく聴かせてもらっています。優しさと強さが、自
然に一緒になった雰囲気があって、とても素敵だわ」
「あ、ありがとう……」
加倉井から賛辞をもらうとは、予想だにしていなかった。純子は意表を突か
れた思いで、短く返礼するのが精一杯。
(ど、どうやらばれなかったみたいだから、とりあえずはいいんだけれど)
「私、気に入って、何度も聴いています。後日、サインをいただけますかしら。
お近づきの記しに。うふふ」
「え、ええ。僕のでよかったら、喜んで」
「――久住さんて、どう呼べばいいのかな」
反応を楽しむかのように、加倉井が軽やかな口調で尋ねた。
「『さん』付け? それとも『くん』?」
「どちらでも、かまいませんよ。僕の方こそ、『加倉井さん』なんて、馴れ馴
れしかったでしょうか」
不安の色を目に浮かべる。加倉井は、すぐさま首を横に振った。
「『さん』付けでいいわ。何なら、舞美でもいいし」
「そんな。そこまでは」
「その代わりに、久住君と呼ばしてもらうから。いい?」
「……分かりました」
純子は不承不承うなずきながら、いつの間にか入り込んでくる加倉井を、さ
すがだなあと感心して見つめた。
横合いでは、星崎が拳を口元にあてがって、くすくす笑いをこらえている。
「彼って、親しみ易くて、いい感じだね」
星崎の言に、加倉井も「ええ」と同意した。そして付け足す。
「これで、演技が素晴らしかったら、私、完全に好きになっちゃいそうよ」
「……頑張ります」
純子は、釘を刺された思いがした。
「さあ、あとは綸の後輩だけだが」
星崎が、少し背伸びをしてスタジオ入口に目を向けるが、それらしき女の子
はまだ来ていない様子。
「道が混雑していて、遅れるとは言っていたけれど……。まさか、加倉井君が、
いびり出したのではないよね」
「面白くない冗談だわ」
と言いつつ、顔は笑っている加倉井。表面上は穏やかに見えるが、もしかす
ると内心では、いまだ姿を見せぬ若手俳優をどう叱りつけてやろうか、手ぐす
ね引いて待っているのかも。
純子がそんなことまで考えた矢先、噂の当人が現れた。
香村と同じく、藤沢をマネージャーとして伴ってきた。名を、新部綾穂(に
いべあやほ)という。今年十五になると言うから、中学三年生。
中三にしては目鼻立ちのはっきりした、派手で、華のあるタイプの美人だ。
背はそんなになく、平均を下回るだろう。スタイルは出るところが出て、引っ
込むところが引っ込んでいる、というやつ。一般的な感覚では多分――もう少
し成長してからならともかく、今の段階では俳優よりも、アイドルタレントに
向くのではないか――となろう。
監督に挨拶する新部の声が、耳に届いた。鼻に掛かった甘えた声で、語尾も
はっきりしない。
「どうして、殊宝監督ともあろう人が、あんな子を」
早速、加倉井が非難を口にした。喋り一つで断じるのは早計かもしれないが、
それにしても、新部の声はシリアスなドラマに向いているとは思えなかった。
「児童劇団にいたという話だよ。だから、見た目以上に、キャリアがあるんじ
ゃないかな」
星崎が言い添えた。そんな彼も、値踏みするかのような視線を新部にやって
いる。唇を尖らせ、首を傾げる。判断つきかねているといった風情だ。
そうこうする内に、新部が藤沢を従える形でやって来た。頬をほころばせ、
両手を膝上に当てると、幾分ぎこちないが、しっかりした動作で頭を下げる。
「おはようございます。初めまして、新部綾穂です。渋滞に巻き込まれて、入
りが遅くなりました。すみません。これからは気を付けます」
あらかじめ決めておいた台詞なのか、丁寧な中にもどこか棒読みの臭いがあ
った。ただ、思ったほど、嫌な響きの声音ではない。かわい子ぶった感じは残
っているが、滑舌が明瞭になった。最前のは撮影スタッフ向けの声で、共演者
向けの声はまた別にあったようだ。
とは言え、加倉井の機嫌を害したマイナスは、取り返せなかったようで……。
星崎と純子が、それぞれ自己紹介をしたのに比べると、加倉井は自ら名乗る
ことはせず、単に、「撮影、頑張ってちょうだい」とだけ言った。
冷めた空気を察して、藤沢が取りなす。
「綾穂は、まだまだ経験が足りませんから、どうか皆さんの力で、盛り立てて
やってください。お願いしますよ」
「承知しました。でも、最後は本人の力次第ですからね」
加倉井の藤沢への返事を、純子も肝に銘じて受け止めた。
(それにしても、私とこの新部さんとが主役……不安が大きくなるー。たとえ
ば、相手役が加倉井さんだったら、だいぶ助けてもらえそうなんだけどなあ)
弱気が頭を覗かせる前に、走り出さねば。
* *
ブランクの重さを、ひしひしと感じる。
ほぼ一年ぶりの乱取りで、相羽は望月に完封された。以前は、寝技で互角の
応酬まで持って行けたのに、今は、いいところなく押さえ込まれる。攻めても
攻めても、切り返された。
練習に一区切り付け、壁際に座り込んでいると、望月が近付いてきた。隣に
腰を下ろす。
「よう。久しぶりにやってみて、どうだった、おい」
「言わなくても、分かるんじゃないか」
「本人の口から聞きたい」
にやりと口の端を上に曲げる望月。相羽が黙っていると、肩をもみ始めた。
「言いたくないのは分かるが、ぜひ言いなさい」
「しばらく会わない内に、意地が悪くなったんじゃないか」
「元からだよ」
「……折角、追い付いたと思ってたのに、またかなわなくなってて、がっかり
した。休んだらだめだなぁ。こんなところでいいか?」
「えらく謙虚だな」
「そんなつもりは毛頭――」
相羽は、世辞を言われているのだと思い、振り返った。が、意外そうに口を
すぼめる望月を見て、文句を言うのはやめた。
望月は肩もみをやめ、
「動きはいまいちだったかもしれねえけど、息が乱れてないじゃないか」
「ああ、ロードワークは続けていたから」
「技だって、あれだろ? ピアノのことを考えて、手をかばってたんじゃない
のか。力も入れにくいよな」
その意識がゼロだったとは、言い切れない。いや、間違いなく、ほどほどの
ところでセーブしようとしていた。
「相羽、おまえが全力出していたら、俺にとって情けない結果になってたかも
しれないな」
「まさか。望月の方こそ、全力出せない俺を憐れんで、手を抜いてしまったん
じゃないのか」
「さあな」
後頭部に両手をあてがい、上目遣いに天井を見やる望月。かと思うと、不意
に相羽へ向き直り、自らの顔の横で両手を広げた。
「ま、どんな事情があろうと、勝ったもんが偉いのだ。へへん、悔しいだろ〜」
舌を覗かせ、からかい口調になる。
「悔しいのは事実だからな」
相羽は片手で頭をかいた。
「夏休みの間だけでも、道場に来て練習すっかな」
「おう、そうしろ、そうしろ。ピアノの練習なんかほっぽり出せ」
「それができないから、困ってるんだが」
相羽が横目でじろりと睨むと、望月は恐縮した風に首をすくめた。
「すまん、調子に乗って、ひどいこと言っちまった。悪気はないんだ」
「いいよ」
「そうか。でもよぉ、何で、こうも両極端なものを好きになるかねえ」
胸を大げさになで下ろす仕種をしつつ、擬音を呈する望月。
「ピアノと武道つったら、好対照もいいところだぜ。水と油っていうか、両雄
並び立たずっていうか」
「そうでもないだろ」
「あん?」
「昔のテレビドラマでは、柔道とピアノを両立していたのがあったみたいだ」
「テレビの話をするな! 現実問題として聞け」
呆れて大声を出す望月に、相羽は微笑を返した。冗談で言っているのだ。
「どちらか選べと言われたら、やっぱり、ピアノを取るのか」
「そうする。実際、そうしたもんな」
一年前のことが、ぼんやりと思い起こされる。あれだけ迷っていた進路だが、
結局J音楽院を蹴って、今の高校を選んだ。純子を選んだ、と言うべきかもし
れないが。これで、エリオット先生の厚意がなかったら、どうしていただろう。
(ピアノも好きだから、あきらめてはいないだろうな。自分て、結構、欲が多
いよな。全然、武道家らしくないぞ)
そんなことを考え、自嘲気味に苦笑いをした。
「惜しいぜ、まったく。そんだけ素質あって、片手間にやられちゃあ、師範だ
って残念がってる。それに、あの津野嶋が、今でもおまえとやりたがっている
っていうのによ」
「――本当?」
驚きのあまり、やけに素直な口ぶりになってしまった。
望月は吹き出したあと、真顔になって大きくうなずいた。
「津野嶋はプロ目指してるらしい。今度、アマチュアの関東選手権大会に出る」
「ああ、高校生になったら、出られるんだっけ」
「優勝なら無条件で、そうでなくても内容次第で、全国大会に進める。そこで
優勝すれば、プロデビューも可能」
「今でもいいところ行けそうだよな、あの人は強いよ」
「最年少デビューもあり得るかもしれない。その津野嶋がだ、おまえと決着を
つけたいと」
「何だ、冗談か」
起き上がって、ストレッチを始める相羽。その道着の裾を、望月が下から引
っ張った。
「違うっての! ほんとにほんとだ」
「はいはい」
「信じてないな」
望月が握ったままでいるので、仕方なく座り直す。
「あのさあ、俺は津野嶋選手と二度やって、二度とも負けてるんだぜ。そんな
奴と決着って、おかしいよ」
「内容に納得が行ってないそうだぜ。向こうの道場の師範代が、ここに来たと
き、柳葉先生と話してるのを聞いた。つい最近だ」
「……手合わせしてもらえるなら、そりゃ、願ったり叶ったりだけど」
ちょっと、色気が出た。今に始まったことじゃない。心の奥底では、津野嶋
となら何度でも試合をしたい、と思ってきた。
「じゃ、やればいい?」
「今の状態だと、かえって失礼だよな、きっと。やるからには、こっちも万全
にしたい。する義務がある」
「そういう見方もできるか、うん」
――つづく