#5148/5495 長編
★タイトル (VBN ) 00/ 8/ 7 23:24 (191)
お題>タイムマシン>「時間は終わる」(5) 時 貴斗
★内容
騒乱
奥田はスーツケースから縄を取り出した。
「やっぱり、縛らせてもらいますよ」
教授の腕を後ろに回し、両手首を縛る。
「ここにすわってて下さい」前へ歩き、椅子にすわり、振り返る。「外に
出ようなんて考えないで下さいね。自殺行為ですから。良い子にしてる
んですよ」
床にあぐらをかいた教授が鬼のような形相でにらみつけた。
「出発しますよ」景徳がスイッチを押すと計器のあちこちが光り始めた。
キャビン内が轟音で満たされ始めた。キーボードを打つ彼に、教授が
声をかける。
「なぜマイクを使わない」
奥田と景徳の間にある大きめのマイクに興味を持ったようだ。
「人類は完全ではないかもしれませんが、コンピュータはもっと不完全
です。ゲームやワープロに音声入力を使うのはいいのですが、こういう
ことに使用するのは気がひけますね。私はあまり使いません。二〇〇〇
年と言ったつもりなのに一〇〇〇年に飛ばされたらたまりませんから」
言い終わると、景徳はレバーを引いた。鼓膜を破りそうな激しい音が
室内を包む。
トンネルが奥に向かってのび、そして収縮した。中心の一点から広が
った風景は、銀色の筒だった。内面が河のようにうねっている。
「さあて、やっと仕事が終わる。短い付き合いでしたな、教授」奥田は
嘲笑うような口調で言った。
「短いかな? 私達はこれから二世紀近くいっしょにいるのに」
「ほんの、五分ですよ」
奥田の目にたくさんの曼荼羅が映り始めた。向こうから回転しながら
飛んできて、流れ去る。曼荼羅が幻覚なのか、銀色の円筒形の河が幻覚
なのか、彼には分からなかった。
「ちょ、ちょっと。ここには、トイレはないのかね」
教授の言葉が聞こえると同時に、仏様の大宇宙を表す紋様はふっと消
えた。
「辛抱して下さいよ。少しの我慢です」
「え? 何だって」
奥田はいらいらした。
「我慢して下さい。あんた、その格好のまま用をたすんですか」
床をふむ音が聞こえた。振り向くと、塔多教授が立ち上がっていた。
「よく聞こえないんだが」
操縦席に向かって歩いてくる。
「すわってて下さい。揺れますよ」
奥田の言葉を無視して、教授は二人のすぐ後ろに来た。
「ほほう、ぜいたくな設備だな。逃亡者狩りって、もうかるんだな」
おじぎをするように頭を下げる。と、突然マイクの前の赤いボタンを
鼻で押した。
「未来へ行け! 一万年でも、百万年でも、いくらでも進め!」
「何をしやがる」奥田は立ち上がり、教授を突き飛ばした。
「人間が完全な理性と完璧な知性を獲得した時代へ!」
「今のを取り消す!」彼はマイクに向かって叫んだ。「二千百……」
頭部に激痛が走った。どうやら教授に頭突きをくらわされたらしい。
なんという石頭だ!
奥田はうめき、床に転がった。倒れた椅子が彼の足を打った。頭をふ
り身を起こすと、かすむ視野の中で塔多教授が景徳を蹴り飛ばしていた。
景徳は壁に頭をぶつけた。
「やめろ……」奥田はふらつきながら立ち上がった。
ディスプレイに背を向けたまま、顔だけ後ろにねじむけて縛られた手
で器用にキーボードを打っている。指がものすごいスピードで動く。デ
ィスプレイの表示が次々とスクロールしていく。
奥田は両手を組んで教授の頭を思いきりなぐった。
「うっ」
倒れそうになる塔多教授の腕をつかむ。
「もっと強くやっても良かったんだが、生け捕りが原則なんでね」
「だめです。入力を受けつけません」景徳が叫んだ。
「おい、早く元に戻せよ」奥田は教授の胸ぐらをつかんだ。
「無理だね。でたらめに打ちこんでやった。見たまえ」
ボートは時間の河を疾走していた。河の表面が様々な色に光り、波が
後方にものすごい速度で去っていく。
「もう西暦一万年を越えました」景徳が泣きそうな声で言った。
「君は、時間には終端があると思うかね。宇宙の始まりと同時に時間が
始まった。私は長い研究の末、時間にも終わりがあることを見つけた。
どうだ、三人で時間の終わりを見に行こうじゃないか」
「貴様」
奥田は足を蹴られた。椅子で痛めた方の足だ。彼はうめいた。
「てめえ、今すぐ死刑だ。来い!」
奥田はドアを開け、教授を放りだし、すぐさま閉めた。ため息をつき、
景徳の方へ歩いていくと、彼は幽霊でも見たような顔をして船の後方を
指差していた。
船尾に立つ塔多教授が、ガラスごしに見えた。髪がうしろになびいて
いる。
「なぜそんなにタイムマシンを眼のかたきにするんだ」奥田は怒鳴った。
「科学は、とんでもないモンスターを作ってしまった。こいつは時間を
破壊する化け物だ」教授は大声で言っているらしいが、ガラスにさえぎ
られて小さく聞こえる。
「あんたは、科学の発展を否定するんですか。科学の敗北だとでも言う
んですか」
「科学を手放しに礼賛すべきではない。個人の思想の方が大事だ。科学
的大発明も、それが間違いだったら、誰かが止めなければならない」
時間は終わる
「重要なのは科学ではない。哲学だ」と塔多教授は言った。「光の速度が
どの系においても不変であることから導かれる未来への時間移動理論に
しろ、宇宙ひもを使って過去へ行く理論にしろ、それは科学者の哲学で
しかない。時間旅行者にとっては、タイム・ボートに乗れば過去や未来
に行けるという事実のみが重要なのだ。だが、人間は時間を自由にあや
つるべきではない。それは神のすることだ」
教授の体が奇妙な感じに見え始め、奥田は眉をひそめた。どうしたの
だ。まるで凍ったかのようだ。
「ボートから一歩でも外に出るとどうなるか、よく見るがいい。人間は
硬く、硬くなっていくのだ」
質感が変わっていく。色のついた陶製の人形に変化していく教授を、
奥田は苦いものでも食ったような気持ちで見つめた。
「我々は連続する時間の流れの中で生活しているが、時空間を時間軸に
直交するように切った断面を見れば、その一瞬は時間が止まっている。
むろん、すべての原子も動きを止めている。つまりこれは絶対零度の状
態だ。我々には体温があるが、一瞬、一瞬には凍りついているのだ。時
間流の中ではそれが如実に現れる。温度こそ変わらないものの、原子は
動くことを止め、石のように硬くなってしまう」
「あんたの言ってることは滅茶苦茶だ」奥田は怒鳴った。
「理論は重要ではない。大事なのは哲学だ! 滅茶苦茶、おおいに結構。
では君は目の前で起こっている現象をどう説明するのだ。人類が一生賢
明発展させてきた科学も、様々な事象を説明するために考え出されたこ
じつけにすぎないのかもしれんよ? 地球人よりも高度な知能を持った
宇宙人から見たら、滅茶苦茶かもしれんよ。そんなものより個人個人の
哲学が重要だ」
教授は完全に陶器のようになってしまった。
「この時間流には終端がないと思うかね。そうではない。時間は終わる
のだ。ボートはスピードを落とさない。端にぶつかれば、粉々になって
しまうよ」
教授の体にひびが入ってきた。
「終わりだ。誰も引き返すことはできない」
陶製人間はこちらに向かって一歩踏み出した。奥田は金縛りにかかっ
たかのように動けなかった。
「時の終わりに近づいている。そこから先に、時間はない」
教授の体から、まるでたまねぎをむくように、薄く皮がはがれては後
方に飛びさっていく。彼は徐々に壊れていく。
ボートは時間の河をものすごい勢いで進んでいく。流れは虹色に光り、
踊り狂っている。もう奥田が住んでいた時代から、何兆年、いや、十の
何十乗年、何百乗年離れてしまったのか分からない。塔多教授が言う通
り、戻ることは不可能だろう。地球や、太陽系は消滅してしまっただろ
うか。まだ宇宙は残っているだろうか。
「窓をぶち破ってやる。私に触れれば君達がどうなるか、試してやろう」
教授が近寄ってくる。キャビンに入られてしまう。
「ちくしょう!」
景徳は叫ぶと、扉を開けた。
「景徳、やめろ!」
彼は出ていった。そして彼に起こった現象は、教授のそれとは違って
いた。塔多教授の論理は間違っていたのだ。
「バカな、そんな」奥田は信じられない気持ちを口から出した。
景徳は一気に老けたように見えた。一歩教授に近寄るたびに、年をと
っていく。
「奥田さん……どうやら……さよならです……」
振り返った景徳の顔は百歳の老人だった。さらに年老いていき、しわ
くちゃになり、肉がぼろぼろにくずれて飛び去り、骸骨は頭の方から砂
のようになってさらさらと流れていった。
「形あるものはすべて壊れる」陶製の男の両腕がとれた。「時間とともに
はぐくまれてきたもの、宇宙が、そしてその中で生まれた人類が、はる
かな時を経て滅び、宇宙もまた縮小して原初の火の玉に戻っていく。す
べてが消えた後、時間だけが残ったが、それもまた永遠ではないのだ。
分かるか」
そこまで言った時、教授の頭がもげた。胸が割れ、破片が飛んでいく。
腹が、腰が、太ももが、そしてついにすべて消え去った。奥田とボート
だけが何もなくなった時空間に取り残された。船の行く手を見ると、虹
色の光が渦を巻いていた。邪悪な色をしたガスが、その中心に落ちこん
でいく。あれが時間の終端だろうか。船は嵐にのみこまれたかのように
激しくゆれ始め、急加速した。おそらくあの渦が吸い寄せているのだ。
色とりどりの光が怒り狂ったように踊っている。それは、猛烈な勢いで
ボートに迫ってきた。奥田は絶叫した。
室内が激しくきしみ、割れた。船がこなごなになる様を見ながら、彼
は吹き飛ばされた。まるで、今まで横向きだった時間流が、縦になった
かのようだった。猛スピードで、落ちていく。過去へ戻されていく。虹
色の光の映像と重なって、巨大な球体が見えた。彼は宇宙を外側からな
がめたことなどないのに、はっきりとそれが宇宙だと分かった。急速に
風船がしぼむかのように縮んでいく。と、今度はいくつもの銀河が視野
いっぱいに広がった。それらは回転しながら半径を縮小し、明るさを増
すに従って煙を噴出し、ガスの塊になってしまった。
奥田は広げた両腕を動かそうとしたが、できなかった。塔多教授のよ
うに、体が硬くなってしまったのだろうか。
縮小しつつある一つの銀河が迫ってきた。彼はその中に突入した。時
間流の映像は半透明になり、少しずつ消えていく。大きな恒星と、周り
を巡る星達が見えてきた。太陽系だ、と彼は直感した。星々は彼が学校
で習ったのとは反対の向きに――つまり時計回りに、恐ろしい速度で公
転している。内側から三番目の惑星が視野に広がってきた。
大気圏に突入する! そう思った時、ほとんど消えた七色の光が突然
爆発し、彼は前後左右から真っ白な光に包まれた。彼の頭の中に様々な
歴史上のイメージがいっきに流れ込んできた。
地球人の建物でほとんど覆われてしまった月面、空中を走る車、そう
いったものが、次々にスライドを切りかえるように目に飛び込んでくる。
東西ドイツを隔てる壁が壊される風景、原発の事故。ふいに、海上に
小型艇が見えた。蟻くらいにしか見えないのに、彼は二人の人間がそこ
から彼を見上げているのを感じた。だがすぐに別の風景に変わった。
第二次世界大戦。民衆を前にわめくヒトラー。どこかの城をひどく昔
の服を着た兵士が砲撃するシーン。エジプトのピラミッドが建設される
様子。
その時爆発の光が勢いを増した。
獣を狩る全裸に近い人間達、その姿は、次第に背が曲がり、顔が突き
出し、猿に近くなっていった。
地面が見えてきた。ぶつかる!
「やあああーっ」
奥田は雄叫びをあげた。