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★タイトル (QKD ) 00/ 7/31 18:11 (113)
花うつろひ/幹夫の冬(1) 改訂版 《マスカット》
★内容
図面の上の消し屑を奇麗にはらってチェックをしながら、幹夫は大きく
伸びをした。真夜中3時だった。 何時ものようにホットミルクを作り、
就寝の準備をすますと、ベッドの脇の棚の引き出しから聖書を出すと、
自己流ではあるが、その日の懺悔と明日への誓いをたてた。
幹夫には生まれた時から父親がいなかった。母が幹夫を身ごもった時、父は
小躍りして喜んだそうだ。母があと1ヶ月ほどで出産というある日・・・父
は交通事故で亡くなった。母はそのショックで早産したが、幹夫には生命力
があったのか、同年の子供の中でも身体の成長も学校の成績も心の成長も
何をとっても劣る事はなく、母を喜ばせた。
「父さんが生きてみえたら、どんなに喜ぶか・・・」時々だが母は幹夫の手を
取って涙ぐみながらそう言った。 そんな母も一昨年幹夫が高校2年の時、
病気で亡くなった。
これからうんと母には楽をさせてあげれると思っていたのに・・・幹夫は、
神も仏もないなと悲嘆にくれた。 幸い、叔父と叔母はとてもいい人で、
幹夫が退学して自立したいと言った時にも高校だけは出ておきなさい、大学
は働きながらでも行けるし、折角あと一年なんだからと言ってくれた。
幹夫は叔父と叔母に感謝しながら学業を続け、優秀な成績で卒業した。
叔父は大学に行けと薦めてくれたが、幹夫はそこまで甘えるつもりもなか
ったし、自分の将来の希望もあって、アルバイトをしながら専門学校に
進む事にした。幾つもかけもちでアルバイトはたまに辛かったが、色々と、
世間を知る生の勉強ができて幹夫はこれでいいと頑張り続けた。
今日子と出会ったのはそんなアルバイトでの仕事が縁だった。
幹夫にとって忘れられない人である。
そんな事を思い出しながらミルクを飲み終えると幹夫はベッドに入った。
子引き出しから手紙の束を出し、それをいとおしむように丁寧に触れてから、
昨日貰った麗子からの手紙を読みかえしていた.
何時ものように麗子は彼女の生徒の事や家庭での話や友達の話やら生き生き
と書いてくれていた。
今日子の話題はもはや二人にとって欠かせないものだったが、それは優しい、
淡いパステルカラーで彩られたような、そんな思い出話が多かった。
麗子は幹夫に今日子の暗い想いではなく、優しくて繊細で愛情深かった
そんな心の映像を、文章に託して贈ってくれているような気が何時もした。
「優しい人だ・・・麗子さんは」いつしか麗子のあの美しい笑顔を目に浮かべ
ながら幹夫は眠りの中にとけていった。
麗子と文通をしている幹夫にとって一つだけ自分がしなければいけない事なの
に、決心がつきがたくしていない事があった。 それは今日子の元の夫への
謝罪であった。
幹夫の友達はそんな必要はないぞ、と言うが、幹夫は男としてけじめはつけな
ければならないと考えていた。 自分がかつて愛した人は確かに人の奥さん
だった。モラルとか世間の風評とかの問題ではなく、やはり男として愛した
人への想いも含めて身勝手ではあるが、彼女の名誉の為にもけじめをつけた
かった。
今日子の元夫はちょうどこの冬帰国していた。春には再婚するらしい。
もはや、今日子の話など聞きたくもないとつっぱねられるのがおちだと思いな
がら、幹夫は一雄を訪ねた。 今日子が丹精こめて作ったガーデンは荒れ
果てていた。
再婚の準備か・・・庭の一部は整地され、新しく増築する準備がされていた。
一雄は無表情で幹夫を迎えると、玄関先の土間を指差した。幹夫は最初、
彼が何をさしているのか解らずいた。 ゆがんだ笑みを浮かべながら、一雄
は再度土間を指差した。
そうか・・・僕に土下座をしろという事だな・・・幹夫はその行為の屈辱
からではなく、こういう人と何年も今日子が暮らしていたという事実に
涙ぐみながら土間に頭をすりつけた。
一雄はふんっと鼻をならすと、幹夫を足で蹴り上げ玄関から外へ蹴り出した。
ドアが鈍い音をたてて閉まった。
「終わったな・・・」幹夫は唇の端ににじんだ血をハンカチでぬぐうと、
もう一度、その家と庭を見回した。 幹夫の目に残っているのは・・・
今日子が出迎えたあの日の奇麗な庭とこぎれいにした家と運命のあの玄関
の土間だけだった。
妙齢の女の人に優しく消毒して貰い楽しく会話をしたあの最初の出来事
・・・今日子さん、さようなら。
幹夫は今日子にはこの荒れ果てた庭は見せたくないなと思ったが、すぐに
笑って思いかえした。
ははは、彼女はもう自分の素敵な庭で奇麗な花を咲かせているさ。
僕らをその花の向こうから見ているさ・・・と。
### 【花うつろひ】幹夫の冬(2) に続く・・・ ###
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《マスカット》QKD99314