AWC 【花うつろひ】今日子の冬 《マスカット》


        
#5116/5495 長編
★タイトル (QKD     )  00/ 7/24   5:34  (190)
【花うつろひ】今日子の冬                      《マスカット》
★内容

庭の落ち葉の掃除をしているとはく息が白くなっていた。
もう冬ねぇ・・・。今日子は深いため息を一つつくと自分のはかなさに
驚愕した。私は・・・一体何をしているんだろ?


幹夫が家に初めて宅配便を届けに来てくれたのは10月の始めだった。
健康そうに日焼けした感じの良い青年だとその時思った。


「こんにちは!山下さんのお宅ですよね?お届け物です。
判子をいただけますか?」
明るいはきはきした声で幹夫は言った。

「お庭の紅葉が色づいてきてますねぇ。いいですね、奇麗に整えたお庭のある
お家にお住まいで」若い子には珍しいと、今日子は感心していた。
「ご苦労様ね、はい、判子、ここでいいのかしら?」


その時だった・・・ 何かが玄関の開いたドアを通って飛んできたのである。
「あ、危ない!」 幹夫は今日子をかばうように、その飛来物を受けた。
近所の子供の野球のボールだった。


「大丈夫でした??」 今日子は心配そうにたずねた。
幹夫は笑って「平気ですよ!」と言った。
「僕より奥さん何ともなかったですか?」 幹夫の膝がちょっと擦り剥けて
血がにじんでいた。今日子をかばった時に玄関の敷石に打ち付けたようだ。


「あら、大変! 血が出てるわ、消毒しないと!」
今日子は初対面の人間を家にあげる事など、決してできないほうだったが、
幹夫に対しては何故なのか? そういう心配をしなかった。

幹夫はしきりに唾をつけながら・・・
「こんなん、唾付けたら平気ですから、大丈夫ですから」と言った。
可愛い人だわ・・・今日子は幹夫を玄関脇の応接間のソファに導きながら、
こっそりと笑みを浮かべていた。


「あっちぃ〜」 
「あら、ごめんなさいね、痛かった?」
「いやぁ、どうも、ちょっとしみただけです、すみませんね、子供みたいで」
「はい、もういいわ、消毒しといたから大丈夫よ」
幹夫は照れた笑顔が可愛かった。

「どうも、ありがとうございます。じゃぁ、僕、次の配達があるんで・・・」

「ご苦労様、ありがとう」 

今日子は思いがけないちょっとしたこの事件を、心から喜んでいる自分に
驚いた。が、幹夫の爽やかな笑顔を見れば・・・誰でもそう思うでしょう?
と自分に弁解じみた納得をさせようと努力していた。



「変ねぇ、私・・・」


一週間後・・・幹夫がまた配達に来た。今日子が通販で求めた花の種の配達だ
った。

「こんにちは! 宅急便です!」元気な幹夫の声だ。
「あら、ご苦労様。あれからもう痛まなかった?本当にごめんなさいね」

「いやぁ、全然平気だったですから」 幹夫は照れ笑いをして言った。

「あ、今日はこれですよ、あれ、これって花の種なんですね?」
「ええ、そうよ、楽しみに待っていたのよ、これ」今日子は自分がいつに
なく明るい笑顔でいる事に気づいた。この人には自然に話せるわ・・・。

「そうなんですか、奥さん、お花が本当に好きなんですねぇ」
「そうね・・・花は私を裏切らないもの・・・大事に育てたら・・・
とっても奇麗に咲いて慰めてくれますもんね」
 幹夫はちょっと戸惑った顔をしたが、すぐに笑顔でこう言った。

「僕もね、好きなんですよ、花が。よく休みにはいろんな所に行っては
花の写真を撮るのが楽しみなんです」

「いいわね、とても素敵なご趣味ね、私も一度行ってみたいわ・・・」
思いがけずに出た言葉だった。
「じゃぁ、僕と一緒に行きませんか?」
「えっ・・・」 今日子は耳を疑った・・・
「行きましょうよ、奥さん!」幹夫は屈託の無い笑顔で言った。
「あっ、でもご主人に叱られちゃうかなぁ?」

今日子は幹夫の顔を見つめて言った・・・。
「今度のお休みは何時? ご一緒したいわ、いいかしら?」
「わぁおっ、嬉しいな、じゃぁ、今度の土曜日休みなんだけど予定、
大丈夫ですか? ちゃんとご主人の承諾貰ってくださいよ、僕・・・
叱られちゃうの嫌ですから、アハハハハ」 

「大丈夫よ!」弾んだ声で笑って答える自分が不思議だったが、晴れやか
な気分だった。



「いいお天気ねぇ!」今日子の声は弾んでいた。
「小春日和ってな感じの日ですね、良かったな!晴れて・・・」
幹夫も弾んだ声で言った。

「こっち、こっち、遅咲きのコスモスが咲いてますよ〜」
「あら、ほんと!もうすっかり終わったと思ってたのに」

「奥さんの御庭でも奇麗に咲いてたんでしょうね?奥さんて本当に素敵な人だ」
「あら、いやだ・・・それと奥さんって呼ぶのは止めない?今日子でいいのよ」
「今日子さん・・・そうだった。今日子さんとじゃぁ呼びましょう!」
「貴方の事はどう呼べばいいのかしら?」
「あっ、ごめんなさい、 まだ自己紹介もしてなかったんだっけ・・・」

「中山 幹夫 19歳 宅急便の配達の仕事してます、宜しく!」
幹夫は白い歯を見せて今日子に握手を求めた。
「山下今日子よ、宜しくね」 
今日子は照れ笑いを浮かべながら・・・幹夫の暖かい握手を受けた。
夫以外の男性の手に触れたのは・・・今日子の胸は密かに高鳴っていた。


公園のベンチでお昼を食べていた時だった・・・。

「嬉しいなぁ、御弁当作ってきてくれたんですね。美味しいなぁ!」
幹夫は美味しそうにおにぎりをほうばって言った。
こんなに喜んで誰かが私の作ったものを食べてくれるなんて・・・
今日子は突然、目頭が熱くなった。

「あれ? 今日子さん、どうしたんですか? 美味しいですよー。
今日子さんも食べないと・・・今日子さん!どこか具合が悪いんですか?」

幹夫は手についたご飯粒をぬぐいながら今日子の額に手を置いた。
「熱はないみたい・・・大丈夫? 気分悪いですか?」
今日子は我に返って慌てた。「ご、ごめんなさいね、何でもないのよ」
幹夫の優しさに触れて熱いものがやはりこみ上げた。涙が一筋流れた。

「今日子さん・・・」 幹夫は今日子の手を握って優しく言った。
「何でも言いましょう。僕、これでもなかなか相談には乗れる男ですよ」
今日子の中でこらえていた感情が一気に吹き出した・・・


「私・・・寂しくて、悲しくて、生きている自分が死んでいるような気が
するの」

「貴方は生きてますよ! とても素敵な人です!僕は貴方のような人に
出会ったのは初めてです。今日子さん、死んでるなんて言わないで・・・」
幹夫はその奇麗な目にうっすらと涙を浮かべて言った。

「帰りたくないわ・・・」
幹夫は何も言わず今日子を引き寄せると優しく抱いた。

理由も言い訳も言葉も全ては何の意味もないように今日子は思えた・・・。


「僕は今日子さんが好きです。でも貴方を傷つけてたらごめんなさい」
幹夫はうつむき加減で静かに言った。
「いいの、私も幹夫が大好き! 貴方といると生きてる気がする!」
「今日子さん・・・」



冷たい北風が今日子の頬を打った。私はなんて酷い女かしら?
今日子は幹夫の変わらぬ優しさを思うと・・・涙が止まらないのだった。

もう冬だわ・・・もう冬・・・


幹夫の暖かい胸で死ねたら・・・自分の気持ちに凍りついた今日子は
しばらく動けずにいた。

夫は私の死に無関心でいられるだろう・・・あの人にとって私は世間体が
良く、なおかつ可愛い御人形みたいなものだった。私は一度も彼に心を
許した事などなかったわ・・・結婚前も後もそれでも懸命に愛する努力を
しようとした今日子にとって・・・死は夫への唯一の復讐なのかもしれない。


けれど・・・幹夫は・・・今日子は胸にうずまく死への願望に驚愕しながら
勝てない自分を知っていた・・・ごめんなさいね、幹夫さん!


幹夫と初めて出かけた公園で見たコスモス・・・庭のコスモスはあとかた
もない・・・私はもうコスモスを見る事はないわ。


今日子はそれが寂しいと思うのだった。




    ###  【花うつろひ】順子の夏   に続く・・・   ###

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                                     《マスカット》QKD99314




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