#5097/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 6/29 11:23 (200)
そばにいるだけで 49−5 寺嶋公香
★内容
「あ、芙美も今帰り?」
「そうよ。話がしたくて、あんたを掴まえようと思ってたら、ちょうど乗り合
わせたんで、びっくりってところ」
身ぶりを交えて気安い調子で喋る割に、町田の表情は硬かった。特に瞳が真
面目な光を宿している。
「純、時間ある? 今日、モデルは?」
「え、ううん。その代わり、宿題が多くて忙しいかも」
「じゃ、だめか」
ため息をついた町田を見て、純子はかなり重要な話らしいと当たりをつけた。
「いいよ。着いたら、どこかお店に入ろ」
家に最寄りの駅で降りると、純子達は小さな喫茶店に立ち寄った。ここもク
ーラーが入っていた。客は他にいなくて、そのせいか、早春に戻ったかのよう
に冷えている。
注文を手っ取り早く済ませ、純子は店内を見回しながら町田に言った。
「私達だけ――子供だけでこういうとこ来るの、初めてだよね」
「そう言えば。みんなで遊んだあと、通りかかる度に、入ってみたいなと思っ
たもんだわ」
「今考えたら、中学のときって、結構制限されてたんだなあ」
「うん。しかし、私服通学OKなのはよかった。今は逆に厳しいからなあ。緑
星高校はどうなの?」
制服姿の純子に尋ねた町田。
「私服通学してもいい日が決められてる。でも、持ってる私服なんて数が限ら
れてるし、コーディネイトするにしても限界があるから、制服着てくる子の方
が多いみたい」
「お金掛かるもんねえ。あとは、貸し借りするしかないか」
注文したジュース二つが届く。一旦話題が途切れた。次に口を開いたのは、
町田だった。
「ところで――あれから、どうなった?」
「……芙美、それって」
思い当たる節は一つだけ。純子はうつむき、首を横に振った。
「まだ、だめみたい。ごめんね。努力してるつもりなんだけれど、全然足りて
ないのかな……」
「あのさ。実は私、少し前に、郁江達から電話をもらった」
顔を一気に起こす純子。町田は、すぐに喋るのを躊躇するかのように、スト
ローで半透明グリーンのジュースをすすっていた。
「いつ、電話があったの?」
咳き込むように尋ね返した。
町田はストローから口を離した。そのストローで液体をかき混ぜつつ、上目
遣いに天井を見やる。氷がからから音を立てた。
「――うーんと。ゴールデンウィーク明けだったかな」
「それで、どんな、話?」
「あの子達……駅まで見に行ったんだってさ」
「駅? 見に行ったって、何を」
拳を作った両手をテーブルに置き、身を乗り出し加減の純子に対し、町田は
片肘を突いて、また大きなため息をした。
「相羽君達の通学、じゃなかった、下校の様子を見たいと、前々から思ってた
らしいの」
「え、それじゃあ……ひょっとして、私も一緒に」
自分を指差した純子は、町田が無言でうなずくと、力なく手を下ろした。
「相羽君と一緒に帰ってるところを、郁江や久仁香が見てたのね」
「そうらしいよ。言いたくないけど……郁ったら、『純ちゃんに私の気持ちが
分かるはずない』って」
「……」
再びうつむいていた純子の目が、見開かれる。いつの間にか膝に添えていた
両手を握りしめ、スカートにしわが寄った。
(――喉、痛くなってきちゃった)
泣きそうなところを、辛うじてこらえる。唇を噛みしめて面を起こし、かす
れ気味の声で、どうにか応えた。
「たまらなかっただろうな、二人とも……」
「私が推測することじゃないかもしれないけれど、あの子らの話を聞いた印象
では、緑星の制服着て笑ってるのを見て、疎外感を感じてたみたいだったわ」
「そっか。そうよね」
椅子の背にもたれかかり、今度は見上げる純子。目を閉じ、富井や井口の気
持ちを想像するだけで、傷みを覚えた。
(やっぱり、会っちゃだめだったんだわ。相羽君とずっと離れ離れでいるべき
だったのに……もう手遅れ)
「私ね」
「うん?」
町田が相づちを打つと同時に、溶け始めた氷がグラスの中で涼やかな音をさ
せた。
純子は水滴の浮いたグラスの高い脚を持って引き寄せ、初めて口を付けた。
これで少しは喉の痛みも抑えられよう。
「私、相羽君をこれ以上好きにならなければ、許されるんじゃないかなと思っ
てた。想いをとどめておけば、郁江や久仁香を裏切らない、傷付けることもな
いと思ってしまってた」
区切って、深呼吸。
「だけど、現実はそんな簡単なものじゃなかった」
そのとき、町田の表情が変化した。一瞬、驚いたように目を丸くし、次に少
し微笑み、空っぽのグラスを取り上げて振る。
「ど、どうしたの、芙美?」
「やっと言ってくれたんだね」
「え?」
「あなたの相羽君に対する気持ち。純の口から聞けて、嬉しいよ」
「あ――」
大きく開けた口を手の平で覆ったが、もはや無意味だ。急激に赤面した純子
は、両手で顔を隠すと、目を瞑った。
「恥ずかしがるこっちゃないでしょ」
「でも、だって」
「好きなもんは好き。しょうがないじゃない。いつまでも秘密にしとけるわけ
ないんだしさ」
いつもの砕けた口ぶりに戻って、町田は純子に語り掛けた。それから不意に
謝った。
「ごめんね、純。知ってるのに、知らないふりをしてて」
「い、いいよ、もう」
「ただ、私、待ってたんだ。あなたが自分から言ってくれるのを。よかった。
今日がその日だとは、思ってもみなかったけれど」
「芙美……」
純子はそばまで来ていた町田の手を取り、強く握った。間にテーブルがなけ
れば、立ち上がって、相手を抱きしめていたことだろう。
「二人からの電話のことを話すのも迷っていたんだけれども、結果的には、よ
かったと言えるかな?」
「うん、多分。色々、分かってなかったことが見えてきた感じがする」
言って、唇を固く結び、大きくうなずいた純子。それを見た町田が、手を引
いて、純子を指差した。
「ちょっと純。まさか、また妙な決意をしたんじゃないでしょうね」
「はい? 妙な決意って、何よ」
「つまり、相羽君とはもう話さないでおこうとか」
言葉に詰まる純子。図星に近かった。
町田は氷を口に含んで、噛み砕いた。それからおもむろに喋り出す。
「あんたねえ、いい加減、そういう風に自分を殺すのはやめなって」
「だけど。結果的に嘘ついてたのは私の方――」
「違う、問題が違う。譲るとか手を引くとかじゃあ、絶対に仲直りなんてでき
っこないって!」
「それは、やってみないとどうなるか――」
純子が全部を言い終わらない内に、町田はしきりに言い返してくる。
「純、あんた自身の気持ちはどうなるのよ。譲ってでも仲直りできれば、それ
でいいの?」
「……分かんない。ただ、今の私には、二人の方が大事なだけ」
「相羽君よりも?」
「……」
「応えにくいなら、言い換えようか。古臭い言い回しになるけれどさ、恋と友
情、どっちを取るのかってこと」
「――だからっ、今は郁江と久仁香の方が大事なの。遠くに行ってしまわない
内に仲直りしないと、二度と戻らなくなりそうで、こわい」
絞り出すような声で告げた純子に、町田の弁舌も止まった。しばらく考える
様子が見られたが、何も出て来ない。二人の座る席は静寂に包まれた。
その代わりのように、喫茶店には徐々にお客が入り、席をぽつぽつと埋めつ
つあった。にぎやかな話し声が、そこかしこで聞かれ始める。
何組目かの客が来たのをきっかけに、町田が意を決した風に口を開いた。
「結局、あなたに任せるしかないか」
「芙美」
「大丈夫かなと思って、つい口出ししちゃって……謝るわ。私ったら、信じて
るって言ったのにさ」
「そんなこと、ない。芙美が言ってくれて、嬉しかった。何て言うか……支え
られた気分」
「信じてるのは本当だから。何とかがんばって仲直りして。そしてまたみんな
で遊ぼうよ」
「うん……がんばる」
純子はゆっくりとだが、強く首肯した。自信はまだ充分ではないけれど、勇
気は復活の兆しが見えたかも。
火曜日、帰宅した純子は泥跳ねなどで汚れた制服を、もう一つの方と交換し
ようと思った。そして、ポケットの中の物を取り出し、移し替える作業をして
いたときである。
その事実に気が付いた瞬間、純子の顔から血の気が引いた。大げさでなく、
青ざめて見える。
(ない?)
お守りにしていたあの琥珀が――。
息を飲み、動悸が激しくなる。
スカートのポケットの奥深くまで手を入れ、再度、確かめる。空間をかき混
ぜるようにして探したが、指先に掛かる物はなし。
同じポケットに入れておいたハンカチやちり紙と一緒に、知らない内に外に
出したのではないかと、そちらの方も即座に確かめた。だが、琥珀を入れた小
さな巾着袋は見当たらない。
もしかして、他のポケットに入れたのを、忘れているのかも。そんな淡い期
待を残し、今度は上着に手を当てた。あたかも埃をはたくみたいに、何度もさ
すった。でも、感触はただの布地に過ぎなかった。
純子は立ったまま一点を凝視した。焦点は合っているが、意識は像を捉えて
いない。
ひょっとして、ポケットから出して、どこかに置いたのではないか。ポケッ
トから出すとしたら、どんな理由があるか。そう言えば、この間の私服登校日
に、移し替えたじゃないの。あのあと、戻し忘れたんじゃ……ううん、ちゃん
と戻したわ。体育の授業のときは、いつも貴重品として預けていたから、紛失
しようがないし、まさか、間違えて洗濯物に――。
純子は部屋を飛び出すと、階段を駆け下りた。一階に着かない内から、大き
な声で母に尋ねる。琥珀を入れた袋を知らないかと。
返事はノーだった。念のため、父にも聞いてみたが、同じだった。
それでも純子は脱衣所に入り、床に這いつくばる格好までして、目を凝らし
た。心の中で「出て来て、琥珀」と唱えながら、隅々まで探した。にもかかわ
らず、大事な琥珀は姿を現さない。
跪いた姿勢で、顔の下半分を手で覆い隠し、必死に考える。帰宅してからの
自分の行動、今日一日の行動、ひいてはこの一週間の行動を思い出そうと、記
憶を懸命にたぐり寄せる。
しかし、全く見当が付かない。
「……どうして?」
途方に暮れた心が、口をついて外に出た。溢れた疑問符が、白く濃い霧とな
って、純子の周りを覆い尽くす。おかげで、記憶がますます不鮮明になってし
まった。純子は激しくかぶりを振った。留めていない髪が大きく広がり、棚を
かすめると、乾いた音がかすかにした。
もう一度、じっくり考える。過去へ遡ろうとするから、途中であやふやにな
ってしまったんだ。一週間前なら一週間前の時点から、順を追って辿れば、必
ず思い出せるに違いない。そう信じた。
冷静に推測すると、土曜日以前のことを思い出す必要はないと悟った。何故
なら、学校で体育の授業があって、その着替えの際に琥珀の存在を絶対に確か
めているから。
なくした時期は、土曜から今日までの四日間に絞れた。
「――あっ。ひょっとして、あのとき?」
純子が思い浮かべたのは、日曜の出来事。
古典の辞書を返すため、相羽のマンションを訪ねた帰りしな、角で見知らぬ
男性とぶつかった。その拍子にしりもちを着きそうになった。
(落とすとしたら、あの瞬間じゃないかしら。結構強い力でぶつかったから、
勢いあまってポケットから飛び出した……)
確証なんてもちろんないけれど、他に思い当たる節がない。純子は、脱衣所
を出て、時計を見た。
急がなくては。暗くなってからでは探せないし、父や母を心配させてしまう。
「ちょっと出かけてくる!」
両親の承諾を待たず、純子は私服のまま、玄関に向かった。空模様を見て傘
を掴むと、急ぎ足で飛び出した。
――つづく