#5084/5495 長編
★タイトル (CWM ) 00/ 6/22 13:24 (175)
天空のワルキューレ(前編)C つきかげ
★内容
焼けこげた大地は、無数の天使たちの残骸で埋め尽くされた。漆黒のマントで身を
包んだロキは、その真白き残骸の中をゆっくりと歩いてゆく。天使たちの折れた翼や
切断された手足は時折青白い火花を放ち、蠢いていた。
フレヤは天使たちの残骸が築いた山の中心に立っている。遠い昔。神話の時代。そ
の時おそらくこの巨人は、今のような姿で神へ挑んだのであろう。今のような姿で、
神を嘲弄する眼差しを放ったのであろう。
そして、フレヤの背後には円筒状の城が聳えていた。フレヤは天使の残骸で築かれ
た山から降りる。その後を追うように、天使の残骸から切断された頭が転がり墜ちて
ゆく。宗教画の中に存在するはずの完璧な美しさを保った天使の顔は、むしろ無惨さ
を際だたせた。フレヤは足下に転がってきた天使の頭を踏みつける。それは、微細な
稲光に包まれて粉砕された。
フレヤは凶悪な獣の笑みを浮かべている。ただ、その顔は美しかった。彼女の足下
に切断され放置されたどの天使たちよりも遙かに美しく輝いている。
「ようやくついたか、ロキよ」
フレヤの言葉に無言で頷くと、ロキは城の壁に手をあてる。壁の一部が消失し、城
の内部へと続く通路が現れた。ロキはその昏い通路の中へと入り込んでゆく。あたか
も闇と同化し、その一部と化してゆくように。
純白の鎧に身を包んだフレヤが、闇を切り裂くようにその通路の中へ入り込んでっ
た。通路は微かに傾斜し、上へ向かっている。
唐突に通路はとぎれ、ロキとフレヤは光の中にでた。そこは、円筒形の巨大な螺旋
である。二人はその螺旋の中心に立っていた。
二人の立っているのは円形のステージのような場所である。その足下に空いていた
黒い穴が二人の歩いてきた通路の出口であったが、その穴は自然に光に吸い込まれる
ように消え去っていた。
二人の立っているステージから螺旋状に階段が延びている。その階段は、円形の城
壁の内側へと続く。そして城壁にそって階段は螺旋状に上昇していった。
上方は光に満ちており、あまりの眩しさによく見ることができない。螺旋階段は無
限の高みへ向かって延びているように見えた。そこは、白い光に満ちた空間である。
ロキはその神々しい世界に墜ちた小さな影に見えた。
上方へと延びてゆく螺旋階段には天使たちが並んでいる。それはあたかも彫像のよ
うに見えた。礼拝堂に描かれる天使の像そのままの、戦闘機械たちは美しい翼をたた
み微動だにしない。
しかし、天使たちは生きている。その瞳の奥底には、氷原を渡る凍てついた風のよ
うな怒りが潜んでいた。その怒りはあからさまにフレヤへ向けられている。
フレヤは嘲るような笑みを口元に浮かべ、天使たちを見渡した。フレヤが外で葬っ
たのは百体にも満たない天使たちだ。しかし、ここに並ぶ純白の殺戮機械は、千体を
遙かに越す。その天使の攻撃が始まれば、フレヤとて無事で済むとは思われない。し
かし、フレヤは挑むように天使たちを見つめる。口元に笑みを浮かべたまま。
フレヤは記憶を失っている。しかし、彼女は本能的に知っていた。ここにいる天使
たちより遙かに凶悪で大量の戦闘機械を自分が葬ってきたことを。
フレヤは剣を抜く。真冬の日差しの光を宿した剣が、高く掲げられた。
「いつでもいいぞ、天使たち」
フレヤは頭上に向かって叫ぶ。
「おまえたちが欲しいのは、私のこの命だろう。神の摂理に逆らって生きるこの命。
欲しければ奪うがいい。おまえたちにそれができるのならばな」
天使たちはフレヤの叫びに答えるように、囁きあった。人間の可聴域を遙かに超え
たその声。その囁きは次第に高まってゆき、城の空気を超振動で満たしてゆく。
城の内部は天使たちの聞き取ることができない声によって、凄まじい波動に満たさ
れた。もしもその場に生身の人間がいたとしたら、全身から血を吹き出して倒れたで
あろう。フレヤはただ、その瞳にやどる凶暴な光を強めただけであった。ロキは物言
わぬ影と化して、フレヤの傍らに佇んでいる。
天使たちの声が叫びに変わり、全てを粉砕する破滅の歌へ高まってゆこうとした時、
人間の叫び声が城を貫いた。
「やめろ、そのものたちは私の客人だ」
一瞬にして城の内部を満たしていた波動が、消失する。一体の巨大な天使が頭上の
眩い光の中から降りてきた。そのフレヤより頭一つ背の高い、強靱な肉体を持った天
使の肩には一人の少年が座っている。
天使はその大きさを感じさせない優雅な動きで舞い降りた。白き羽を大きくひろげ、
フレヤたちの立つステージに降り立つ。天使が羽を畳むのと同時に、その少年はフレ
ヤの足下へと降りた。
その銀色の髪を持つ少年は、白い僧衣を身につけている。その少年の青い瞳は年を
経た古き者のみがもつであろう、退廃した落ち着きがあった。そして、その少年が纏
う美しさは、邪悪で多くの血を見てきた者のみが持つ、背徳の輝きがある。
ある意味でその少年は、中原でもっとも古き王国の王子、エリウスと似ていた。し
かし、その瞳の奥に潜む荒廃は、エリウスから最もかけ離れたものでもある。
ロキは、少年に跪いて礼をとった。神の造った自動人形にとっては異例のことであ
る。
「お招きにより参上した、魔導師マグナス殿」
マグナスと呼ばれた少年は、鷹揚に頷く。
「わざわざ来てくれてありがとう、ロキ殿、そして、フレヤ殿」
ロキは立ち上がり、マグナスを見つめる。マグナスはロキの無言の問いに微笑で答
えた。
「なぜあなた方を招いたのかを説明します。私と一緒に来て下さい」
ロキとフレヤがマグナスにつれてこられたのは、城の最上階であった。そこから見
る空は青さを通り越し、銀灰色のような輝きを放っている。その透明な光を放つ空の
下には、極彩色の花々に彩られた庭園が開けていた。
そこは、エルフの住む城である妖精城を思わせる。そこは華やかで精緻な造りの庭
園であるが、古き者が造ったものに特有の時間が凍りついているような感覚があった。
マグナスたちは螺旋状に中心へと向かう小道を辿り、庭園の中央へ向かう。庭園の
中央には円形の小さな広場があり、円形の石でてきたベンチが配置されていた。その
中心には頑丈そうな木で造られた棺桶が置かれている。マグナスは、ベンチに腰を降
ろすと口を開いた。
「かつて、王国の全ての機能をこの天空城へ移設する計画が立てられていたそうです
ね」
ロキはいつもの無表情で頷く。
「このエルディスは、星船をコントロールするための場所であり、同時に黄金の林檎
のエネルギーをコントロールするための場所でもある。最終的には王国はこの城に移
され、地上から撤退するはずだった。今は混乱とともに忘れ去られているが。そんな
ことより」
ロキは視線を棺桶にむける。その漆黒に塗られた箱は、陰鬱な威圧感をあたりに放
っていた。マグナスは苦笑する。
「不死人たるあなたが、人間である私よりせっかちである必要は無いでしょう。あな
たは、何番目のロキでしたっけ」
「四番目だ。私は不死ではない。魔神と契約を交わしたあなたより遙かに短い寿命の
ものだ」
マグナスは、美しい顔に少し憂鬱そうな笑みを見せる。
「私は、生きてるのか死んでいるのかよく判らない存在ですからね。しかし、あなた
の本体は永遠でしょう。現に三番目のロキが持っていた記憶は、全てあなたもお持ち
だ。まあ、無駄口はこれくらいにしましょう。あなたより先に、フレヤ殿の逆鱗にふ
れそうだから」
ロキの後ろに佇んでいたフレヤが苦笑を浮かべる。
「さて、そこの棺桶には魔族の前王であるガルン殿が眠っています」
ロキは無言のままだが、その瞳はマグナスの言葉に反応して鋭い光を放つ。
「そう、かつて三番目のロキを殺し、エリウスV世に殺されたあのガルンだ。王国を
今の混乱に陥れた張本人です」
「それで」
ロキは感情を感じさせない、重い声でいった。
「私に何を望むのだ」
「ガルンを復活させたのは私の不肖の弟子であるラフレールです。あのものが私にガ
ルンを託しました。どう思います?」
ロキは首をふった。
「そんなことができるはずがない。死んだ魔族を甦らせるというのも不可能であれば、
ウロボロスの輪の彼方にいったラフレールがそれを為すなどと」
「いや」
ロキの言葉を否定したのは、意外にもフレヤであった。
「やつは、黄金の林檎を手にしている。その力を持ってすれば不可能ではあるまい」
「たとえそうであったとしても、だ」
ロキはフレヤを振り返ると、冷たく言い放つ。
「そんな行為になんの意味もない」
「それを言うのであれば、神々が人間に黄金の林檎を委ねた行為にしても、意味など
ないだろう」
フレヤはせせら笑った。ロキは憮然として答える。
「つまり、これはラフレールの賭けだというのか」
「そうだと思います」
マグナスはどこか物憂げに笑うと言った。
「ラフレールは死せる女神の娘といってもいいあなた、フレヤ殿にこだわっていまし
た。ラフレールは黄金の林檎を封印するだけでは満足しないでしょう。神話の時代を
終結させるならフレヤ殿、あなたも一緒に封印しなければならない。ロキ殿、あなた
は逆にフレヤ殿と共にいれば必ず黄金の林檎へ導かれると知っている。これはラフレ
ールがあなたたちに仕掛けた賭けです」
フレヤは野獣の気配を漂わせる笑みを見せた。
「面白い」
フレヤの蒼く煌めく瞳が、漆黒の棺桶を見据える。
「では、狂王ガルンに挨拶をさせてもらうぞ」
フレヤはロキが制止するのを無視すると、棺桶の前に立つ。強引にその蓋を開いた。
棺桶の中は深紅のビロードが敷き詰められている。そこに入っていたのは、漆黒の液
体であった。
「これは」
フレヤは呻く。彼女が期待した魔族の姿はどこにも無く、ただあるのは波打つ漆黒
の液体であった。それはあたかも闇そのものが蠢き、息づいているように見える。
「急ぐ必要はありません、不死の巨人」
マグナスが、フレヤの後ろから声をかける。
「いくらラフレールが優れた魔導師で黄金の林檎を手にしていたとしても、死滅した
肉体まで甦らせることはできません。いいですか、そこにあるのは魂の入れ物です」
ロキが呟くように言った。
「メタルギミックスライムか」
マグナスは喉の奥で、陰鬱に笑う。
「その通りです」
美しい少年の顔に老人の笑みを張り付けたマグナスは、棺桶のそばに立つ。
「あらゆるものに形態を変化させ擬態する流体金属の生命体、メタルギミックスライ
ムがここにいます。この自身の姿を持たぬ生命体はガルンの憑坐となったわけです」
そう言い終えると、その昏く沈んだ瞳を漆黒の液体に落とし、歌うように言った。
「魔族の魂はその肉体が滅んだ後に、アイオーン界の奥深くへと沈んでゆく。人間た
ちの魂はその肉体が滅んだ後に、シーオウルへ還ってゆく。人間は再びシーオウルか
ら戻ることもあるが、アイオーン界の深淵に沈んだ魔族の魂は戻らない。ラフレール
はガルンが死ぬ時になんらかの印しをその魂に付与したのでしょう。だから、再び私
の元へ召還できた。そしてこのメタルギミックスライムに憑依した」
フレヤはうんざりしたように言った。
「ガルンの魂は今はここから彷徨いでているというのか」
「そうです」
マグナスは申し訳なさそうに言う。
「何しろ久しぶりに地上へ戻ってきたのだから、あちこち出歩きたいのでしょう、彼
も。例えば故郷である魔族の王国アルケミアだとかね。あなた方がここに来るころに
は、戻っている予定でしたが」
フレヤは苦笑する。
「我々が早くきすぎたといいたいのか」
「いえいえ」
マグナスは肩を竦める。
「もう少し待って下さい。待つのは苦手ですか?」
「いや」
フレヤは嗤う。
「古きものとつき合うには、待つことが大事らしいからな。待たせてもらうよ」