#5065/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 4/29 19:36 (188)
そばにいるだけで 47−7 寺嶋公香
★内容
「一人だろ。誰か一緒なら、俺か芙美の奴に話すだろうから」
「どうして町田さん一人の名前が挙がるんだか」
「だから、俺と涼原さんと芙美は、たまに一緒に下校してるんだ」
「……町田さんと一緒に帰ってる?」
学校が異なるのに。意外に感じ、相羽は多少声量を上げた。
「ああ、そうだよ。電車は同じなんだから、別に不思議でも何でもない……あ
れ? おまえ、いなかったけ?」
「いた覚えはない」
憮然としそうになるところを、辛うじてこらえる。唐沢が純子と一緒に帰っ
ているという事実の方が、段々と気になり始めた。
(僕の方も、涼原さんと顔を合わせづらくて、学校を出る時間、故意にずらし
ているんだもんな。一緒に帰れなくて、不平を言える筋合いじゃない)
自分自身を説得し、丸め込む。
「涼原さんの様子、どうなんだろう」
「やっと本音を吐いたな」
ふふんと鼻で笑う感じの唐沢。相羽は顔が赤らむのを意識しつつ、相手から
目を逸らさずに応じた。
「何だよ。僕は純子ちゃんが仕事で忙しくなるのに、そんな早朝から登校して
て大丈夫なのか、心配なだけだ」
「うまいこと言うね。ま、安心するこった。元気いっぱいだぜ」
「それなら……いい」
本心では、もっと詳しく聞きたいのだが……。
無意識の内に深い息をついた相羽に、唐沢がからかうような調子で告げた。
「おまえさあ、そんなに気になるんだったら、三組の教室まで来ればいいじゃ
ねえの。休み時間とか放課後すぐとか、いくらでも暇はあるだろ」
「そんなこと」
(したくても、できないんだよ! 正直言って、会いたい気持ちと会わない方
がいい気持ちとがぶつかっていて、自分でも分からない)
さすがに今度は視線を外し、うつむき気味になる。その後頭部へ、唐沢の声
が降り注がれた。
「まさか、白沼さんにまとわりつかれて、教室を出ることもままならんのかい
な」
「冗談。話はよくするけどな」
「……友達、できてないのか、白沼さんは?」
「いや。男子に人気あるみたいだ」
かみ合っているようで、かみ合っていない。そのことに相羽も気付いたが、
言い直さないでおく。
「それでもおまえにまとわりつくってことは、やっぱり――」
「まとわりつかれてるわけじゃないって言ってるだろ。それに白沼さん、他の
男子とも話してる」
「ところで、部活はどうするんだ?」
急激な話題の変化に、相羽は目をむいた。歩きながら、唐沢の方を向き、早
口で答える。
「入らないかもしれない」
「何でまた?」
「……学校の外で、ピアノを習うかもしれないんだ。その都合がどうなるか、
まだ分からなくて、他のことも決めかねてるわけ」
「そうか。なら、安心だな。俺はまた、同じ部になりたい相手か、あるいは同
じ部になりたくない相手がいるのかと思ってた」
「どういう意味だよ」
「珍しく勘が悪いな」
にやりと笑って、口笛を短く吹いた唐沢。学生鞄に補助バッグを持っていな
ければ、ポケットに両手を突っ込むところだろう。
「教えてやりたいんだが、学校に着いちまう。ややこしくないから、自分で考
えろよな」
そう言うと、唐沢は小走りで行ってしまった。鬼ごっこでもしているみたく、
後ろを気にしながら。
「何なんだよ、まったく」
相羽はむくれ気味につぶやき、遅ればせながら走り出した。
相羽は普段、まずは手に取らないであろうその雑誌に、何故か惹かれた。
初めて立ち寄った書店のドアを通る際、何かが視界の片隅で捉えられ、相羽
に訴えてきたのかもしれない。
ドアの脇にあるマガジンラックに足を向け、前に立って、幾種類もの雑誌に
しばらく目を走らせる。漫画週刊誌は年齢層も傾向も色とりどりで、中には扇
情的な物もあった。その隣には、美術を取り上げた真面目そうな週刊誌があっ
て、アンバランスな印象を発している。
(ここの本屋って、あまり商売熱心じゃないのかな。種類分けが適当にされて
いるような――あ)
何かを見つけた。自分の意識を振り向かせた文字の踊る雑誌、それは写真週
刊誌だった。
「『香村綸に恋人がいた!?』」
表紙のコピーをそのまま読み上げる。大きなサイズの文字を使ってあるが、
記事の中身は不明だ。相羽は唇を湿してから、ゆっくりとページを繰った。
次の刹那、彼の目はページに釘付けにされた。顔を寄せ、ピントの合ってい
ない白黒写真を凝視し、見極めようとする。
「……」
しばらく声も出ない。写真には、やや雲のある青空の下、木々や植え込みや
ベンチが写っている。並木道の端か公園内といった風情だ。そして構図のほぼ
中央に、人影が二つ、重なるようにして立っていた。こちらに顔を向けている
のは香村だ。間違いない。そして、もう一人の女の子は……。
「これは」
言いかけたまま、腕で口を押さえる相羽。周囲の目が気になった。聞かれて
いる様子はないが、用心して、唇をきつく閉ざす。
(この姿は純子ちゃんだ)
ほとんど後ろ姿しか写っておらず、しかもどうにか見える横顔は人目を避け
たいかのように、サングラスと黒髪で隠されている。
だが、それでも相羽には感じるものがある。理屈では言い表しがたい感覚。
相羽は腕を口元から遠ざけ、息をついた。かけっこでもしてきたばかりのよ
うに、何度も小刻みに呼吸をする。その息が整わぬまま、写真下にある本文に
意識を移す。三十秒ほどで一気に読み通し、次いで、時間をかけて再読、三読
した。そして――少し安心。
(『涼原純子』の字が出て来るどころか、イニシャルさえない。風谷美羽の名
前もない。場所も記されてない)
もしこのとき、相羽の横顔を隣から伺っていたとしたら、彼の表情がかすか
に和らぐのが分かっただろう。
でも、一瞬の内にまた険しくなる。唇を尖らせ、目を細めた。前髪を軽くか
き上げると、週刊誌がバランスを崩して傾き、ぐにっという音がした。
「そういうことか」
つぶやいた。淡々と、寂しげに。
* *
純子は言われるまで知らなかった。
言われたあとも、数週間遅れのエイプリルフールかと思ったくらいだ。
「嘘でしょ?」
「本当です。さっき、電話があってね」
話す母の手は、空気を握りしめていた。
「載ったそうなの。私もまだ見てなくて、よく分からないんだけれど、相当に
大きな記事だというのは、先方の喋り方で」
先方とは、ルークのことである。純子は首を横に振った。
「嘘よ。載せないって、香村君のところの事務所……ガイアプロが出版社に話
を着けたって言ってたわ」
純子の言う約束は、当然、母も心得ている。大げさなまでに嘆息し、純子の
肩に両手を添えた。
「それが破られたらしいのよ」
「ええ? どうして? 約束を守ってくれないなんて」
学校帰りの純子は、律儀に持ち続けていた学生鞄をとうとう放り出した。母
の前に機敏に歩み寄り、目で訴える。
「詳しい話は後日ですって。こっちとしてはすぐにでも話を聞きたいところだ
けど、とにかく今は、事態を調べているところだそうだから」
「……その雑誌、見てみるの? 私、買いに行こうか?」
「必要ないわ。純子の名前は出ていないそうだし、顔もはっきり写ってるわけ
じゃないって。第一、売り上げに貢献する義理がありますか」
冗談めかして言った母だが、その表情は硬かった。不安でないはずがない。
「じゃあ、やっぱり、私、出掛けてくる」
「どこへ行くの、純子?」
「ルークに行けば、その雑誌があるはずでしょ。見られる」
「ばたばたしてて、慌ただしい空気だったわよ」
「雑誌を見るだけだってば」
「それなら、立ち読みですませなさい」
「あ……そっか」
純子自身も、冷静さを著しく欠いていたようだ。憤懣として高ぶっていた気
合いが、ゆっくりとしぼむ。
「――本屋さんに行って来ようっと。お母さんも行く?」
恥ずかしさを隠すために、笑みを浮かべながら尋ねると、しばらくの間を置
いて、母からはイエスの返事があった。
「見ないと気になって、何も手に着かなくなりそう」
母も同じ気持ちだと分かり、どこかしらほっとする。
その後、母は自嘲気味に付け足した。
「知ったら知ったで、頭に来ちゃうかもしれないわね」
その夜、香村から電話が入った。遅い時間に電話を掛けた非礼を詫びる言葉
のあと、当然のように写真週刊誌のことを持ち出す。
「ごめんな」
いつになく真剣な口調の香村に、純子は戸惑って、思わず送受器を握る手に
力を込める。
「香村君のせいじゃないよ」
「いや。やっぱり、あのとき、僕が周りを注意していれば防げたかもしれない
しさ。それに、イヤリングを着けてあげたのだって、僕が気取った真似をした
から、ああいう誤解を受けやすい構図になってしまった」
「気にしなくていいってば。幸い、私の名前は全然出てなかったし。香村君の
方こそ、大騒ぎなんでしょう?」
「どうってことない。アイドルやってれば、いつかは出るもんさ。だから騒ぎ
にはなってるけれど、何とも思っちゃいないよ。でも君は違うだろ。はっきり
言って、芸能人になりきってないところがあるから」
「ええ……まあね」
「名前はもちろん、姿だってあんな風に出てほしくなかった、だろ?」
「うん。だけど、出てしまったものは、仕方ない……」
純子のおずおずとした物腰を、香村の声が覆い隠す。
「それじゃあ、僕の気が済まないよ。うちのプロダクションが、もっとしっか
り、向こうの出版社なり編集部なりに、約束させていれば、こんなことにはな
らなかったに決まってる」
「そうかもしれなくても、香村君が責任を感じなくたって……」
「何かあったときは、僕が全部被るから」
「え?」
「あの写真や記事のせいで、涼原さんが悪く言われるようなことになったら、
すぐ、僕に言ってくれ。いいね。何とかするから」
「……ありがとう」
香村の気遣いを感じて、嬉しくなる。こんな時間に急いで電話を掛けてきた
のも、その現れなのだろう。ほころんだ表情で、純子は送受器に両手を添えた。
「礼は全部けりが着いたあとにしよう。これからのことは、僕らに任せて。君
は何にも心配する必要ない」
香村の口調がどんどん熱を帯びる。
(私よりも、香村君こそ、ずっとずっと大変なはずなのに……)
礼はあとでと言われたばかりだけれど、純子はもう一度、ありがとうと言わ
ずにいられなかった。
「僕が望むのは、たった一つだよ」
真剣に響く香村の囁き声。
「あの記事が出たからって、涼原さん、芸能界をやめるなんて言わないでくれ」
「うん。それは大丈夫」
元気よく答えた。香村を早く安心させたいと思う。
「たとえ名前がばれちゃっても、絶対にやめない」
「よかった。それが聞きたかったんだ」
香村はようやく安堵できたらしかった。深い息をつく音がした。
(うん、いい機会だ。仕事に打ち込んでみよう)
――つづく