#5059/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 4/29 19:28 (189)
そばにいるだけで 47−1 寺嶋公香
★内容
最初は照れや違和感を覚えた制服姿も、今こうしてみていると、我ながら似
合っているんじゃない?と思えてきた。いや、無理にでもそう思おうとしてい
たとするのが正しいだろう。
(おはよう、新しい私。いよいよ迎えた高校生活第一日目、しっかりやるんだ
ぞ。春休み中に髪型は結局変えなかったけれど、でも、気分一新するには充分
な時間だったよね? 想いを閉じ込めて、何でもない顔をして、今日からがん
ばるのよ。大変かもしれないけれど、ファイト!)
鏡に映った自分にしつこいぐらいに言い聞かせると、純子は両手でガッツポ
ーズを作った。深緑色のブレザーにかすかにしわが寄る。
「ようし」
気合いを入れて、それから笑顔をなす。
そこへ、母親の急き立てるような、呆れたような声がした。いつまでおめか
ししているの、急に色気付く必要もないでしょうに!
「今、行きまーす」
洗面台の前を離れ、台所へ。いつの間にか父が起きてきて、新聞を見ながら
朝食を摂っていた。
「おはようございます、お父さんっ」その正面に座る純子。
「おはよう。今朝はえらく早いお目覚めだな」
父が言った。新聞を閉じて、食卓の角に放る。
「高校初日で、目が冴えてしまったか?」
「ん、まあ、そんなとこ」
これで今朝二度目の返答だ。目が覚めて降りてきたとき、母からも同じよう
に聞かれた。
食事が並べられる。つやつやしたご飯から、香りとともに湯気がふうわりと
立ち昇る。嗅ごうとして、自然と目を閉じてしまった。
「いただきます」
「今日は早く帰って来るんでしょう?」
「うん、多分」
箸が止まる。食べ始めた途端に話し掛けないでほしい。
(アメリカでは、初日から授業するんだっけ。始業式もなしって書いてあった
けど、本当なのかしら)
留学について、純子自身も色々調べてみていた。無論、J音楽院がらみだ。
連想で、心のスクリーンに相羽の姿形が投影される。
(できるだけ、会わないようにしないといけない。なるべく、親しくしないよ
うに)
改めて決心する。早起きしたのは、通学時間をずらすため。相羽と顔を合わ
さないようにするため。
(新しい恋をすれば、普通に戻れるかな)
おぼろげに、そんなことを思う。
(新しい恋ができるかどうか、分からないけれど)
自分に苦笑いをして、ため息をついた。
「あー、不安なのは分かるが、じきに慣れるさ。中学の友達も、何人かいるん
だろう? 困ったことが起きても、相談に乗ってくれるはずだよ」
父が、どうやら勘違いをしている。純子はすぐに笑顔に戻った。敬礼しなが
ら、張りのある声で返事する。
「うん! 元気よく、がんばってきまっす」
それから、スカートの横ポケットにそっと手を当てた。中には、あのお守り
が入っている。布袋に包まれた、琥珀のお守りが。
* *
「――お、出て来た。おーい」
本当は待ち構えていたにも関わらず、唐沢はたまたま出くわした風を装い、
町田の背中に声を掛けた。
「おはよーさん」
最初が肝心とばかり、にこやかな笑顔で接近し、隣に並ぶ。
「おはよ。どうかしたの、薄気味の悪い。今日から、あんたと私は別々の学校
であることをお忘れなく」
「どうせ同じ道なんだ。駅まで一緒に行こうじゃないか」
「……そりゃ、ま、かまわないけど」
前に向き直る町田は、歩くスピードを若干落とした。唐沢は合わせながら、
本題を早々に切り出す。ひとまず、遠回しに。
「あーあ、それにしても期待外れだった」
「何がよ」
「てっきり、春休み中にみんなで集まって、遊びに行くもんだとばかり思って
たのにな。おまえ達、何にも言ってこないからつまらん。肩透かしを食らった
気分だぜ。こんなことなら、女の子達とデートの約束をもっと取り付けておく
んだったなぁ」
学生鞄を両手に持ち、その両手を頭の後ろにやって、空を見上げる。雲のな
い青空が、どこまでも広がっている。
「それとも」
町田が何も言い返してこないので、唐沢は仕方なく続けた。
「相羽一人誘って、みんなでどっか行ったとか? だとしたら、俺、すねるぞ」
「何を子供ぶってるんだか」
冷ややかな視線とともに嘆息した町田。肩も落とし気味。唐沢は両手を下ろ
して、町田の横顔を見つめた。
「どうも様子が変だな。遊びに行かなかったのか? 相羽は別としても、おま
え達女子だけで何やかやと集まって、騒いだんじゃないのかよ」
「そうしたかったんですけどね」
またもため息。
「何だよ、おい。学校が別になると、やっぱり縁遠くなったとか?」
「違うわ。学校は関係ない」
学校が無関係となると、いよいよただごとではない。気になってたまらなく
なった唐沢だが、ここは町田の次の言葉を待つ。
「……あんたには知らせておいた方がいいのかな?」
「知らせろ。何だか知らないけど、知らせろって」
「何て言うか……ちょっとした食い違い、すれ違いで、今、少し気まずいのよ、
私達」
「その私達ってのは、いつもの四人だな?」
「そうよ。気まずいのは、郁と久仁の二人と純の仲だけれど」
「……具体的に、聞かせてくれないのか」
「そりゃあ、私からすればあんたって、いまいち信用できないのよね」
「はは。えらくきっぱり言ってくれるなあ」
「フォローしといてあげるわ。人間的には信用してる。ただ、軽い感じがする
から、重要な話は積極的にはしたくない、そんなところかな」
あっけらかんと言い放った町田に対し、唐沢は無言のまま、眉間にしわを寄
せた。が、ものの五秒で立ち直る。
「結局、教えてくれないのね、芙美ちゃん」
「その呼び方、やめるなら教えてもいいわよ。何たって、あんたは純や相羽君
と同じ学校なんだから、ある意味で、しょうがない」
「やめるやめる。町田さん、教えてください」
顔の前で手の平を合わせ、からくり人形みたいにかくかくとした動きで頭を
下げた唐沢。町田は黙ってうなずき、承諾の意を表す。
「絶対に、他言無用だからね」
念押しの後、話し始める。
「私もその場に居合わせたわけじゃなくて、あとから聞いただけだから、正確
じゃないかもしれないけれど、おおよそは間違ってないはずよ」
「ふんふん」
「それで、まず……相羽君が純を好きなのは、あんたも分かってるわよね?」
「ああ」
「問題は純の方の気持ちなんだけれど、私が見るところ、あれだけ近しい付き
合いがあれば、純が相羽君に好感を持って当然だと思う」
「……だな」
素直に認めたくはない。だから、極力短い返事をした唐沢。
「純たら、郁とか久仁に気を遣ってるのか知らないけれど、どうも遠慮してる
節があったのよ。ま、だからこそ波風立たずに来れたのかもしれない……」
「おい? 待てよ。て言うことは、波風立ったのか?」
「そうよ。卒業式の日、郁と久仁が二人して、純に聞いたらしいわ。相羽君の
ことどう思ってるかってね。それだけなら何ごともなかった可能性が高いのに、
間の悪いことに、白沼さんが加わって。詳しい状況は分からない。でも、とに
かく、純が泣いてしまったって」
「な……何だよ、それ」
大きな身震いを一つした唐沢。何故だか、勝手に震えたのだ。
町田は努めて冷静な口調で続ける。ただ、唐沢と視線を合わそうとはしない。
「純、泣きながら立ち去ったそうよ。その日から、ずっと気まずい関係。春休
みの間、純とは一度も会ってない。と言うか、会えなかった。電話もしづらか
ったわ。ああ、もちろん郁と久仁も会ってないって」
唐沢は知らず、顎に片手を当て、歯ぎしりをした。
(そんなことが起きていたのかよ。教えろよ!)
怒鳴り散らしたい衝動を抑えていると、ふと、卒業式当日のあることが思い
出された。
(あのときの相羽、変だったよな。関係あるのか? いや、芙美の話の中に、
相羽は出て来なかったんだし、やっぱ、無関係か……)
* *
そわそわ > どきどき。
入試のときとはまた違った緊張感を抱きつつ、純子は門をくぐった。全校規
模でも早い登校らしく、他の生徒をまだ見かけない。ただ、運動部の練習らし
き掛け声が、グラウンドの方角から聞こえてくる。
(部活、どうしよう?)
ふと考えた。天文や化石を扱うクラブがあれば、そこに入ろうか。反面、運
動部に惹かれる部分もある。元来、身体を動かすのが好きなくせして、中学は
調理部に所属していたから、高校では運動部に入りたい気もする。バレー、バ
スケ、体操も好きだ。
(でも、ブランク結構あるもんねぇ……ダンスのレッスンをしてもらっていた
から、持久力は付いたかもしれないけれど。そう言えば、モデルやるってこと
は、前みたいに怪我をしないように注意しなくちゃならないから、運動部は難
しいのかな? ううん、それよりも、モデルとかタレントとかやってたら、部
活をしてる時間をもらえないかな? モデルだけならともかく、久住淳として
本格的に活動を始めたら、鷲宇さんの影響力って大きいから、凄いことになり
そうな予感がする……)
建物の中に入り、思考は中断された。別の議題が上がる。
クラスが分からない。早く来すぎたのか、クラス分けの発表もまだ行われて
いないようだ。掲示板か何かないかと、視線を巡らせるが見当たらない。代わ
りに、校舎の見取り図を見つけたので、職員室に向かった。
まだ何にも知らない段階で、職員室に入るのは勇気がいりそう……と思って
いたら、ちょうど出て来る人がいた。急いで声を掛ける。
「あのっ、よろしいでしょうか?」
「はいはい?」
足をぴたりと止め、その男の先生――多分、先生だろう――は振り返った。
比較的年若く、日焼けした肌の持ち主で、背の高さと相まってハンサムに見え
た。ネクタイを握りしめているのは、入学式に備えてのことだろうか。
純子は距離を詰め、右手を左手に重ねてお辞儀をしてから、本題を切り出す。
「すみません。新入生のクラス分けは、どこに行けば分かるのでしょうか」
「ええ? 君、新入生か。はっやいなあ」
「す、すみません」
今度はお詫びのお辞儀をする純子に、先生の低い笑い声が被さる。
「いや、かまわないんだ。こっちもばたばたしてるから、掲示を出すのが遅れ
ててね、悪いね。もうしばらく待ってて。あ、それか――君、名前は?」
「はい、涼原純子です。『すず』は『涼しい』の『涼』で」
漢字の説明を始めた純子を、先生の手の平が遮る。見上げれば、先生は人差
し指で自らのこめかみをこつこつやっている。ネクタイの端っこが揺れる。
やがて、微笑とともにうなずいた。
「よし、三組だ」
「え、あの……」
「自分のクラスだけなら、名前を一通り覚えたつもりだからね。涼原という名
字は珍しいし、間違ってないはずだ」
「と言うことは、先生、私の担任になる先生なんですね?」
偶然に、呆気に取られつつ聞き返した純子に、先生はまた大きくうなずいた。
「僕は神村(かみむら)というんだ。えっと、こういうとき、どう挨拶すれば
いいのか分からないが、まあ、よろしく」
「あ、よろしくお願いします」
戸惑うと同時に、感じのよい優しそうな先生で安心もする。
「ところで、僕の記憶に間違いなければ、涼原さんは確かモデルか何かをやっ
ているんだったっけ?」
「はい、そうです」
――つづく