#5056/5495 長編
★タイトル (EJM ) 00/ 4/28 5:37 (193)
お題>サイコロ(上) 青木無常
★内容
「だれ?」
とわだかまる闇へティアが問いただしたのは、気配を感じたからだ。問題は、こ
れほど接近されるまでまったく気づかずにいたことだが、とりあえず棚あげにして
おく。
「驚きましたね」
言葉とは裏腹に、きわめて涼しげな男の声が返ってきた。瞬時、少女は身を硬く
する。
すぐに、緊張を解いた。警戒が薄らいだからではない。いつでも攻撃態勢に移れ
るように、力みをぬいたのだ。
ほぼ同時に、ろうそくの薄灯りにゆらめき照らされる巨大な神像の後ろからゆっ
くりと人陰があらわれる。
身長はティアよりやや高い程度、さほどの長身とはいえないが、それをおぎなっ
てあまりある美貌であった。ただし口もとにうかべた涼しげな微笑は、太陽の下で
ならさわやかにも見えようが、真夜中近い神殿の堂奥とくればきわめて怪しげ、と
しかいいようがない。
「私は完全な暗闇のなかに溶けこんでいたはずなんですが、夜目でもきくのですか?
伝説のターリシュトラのように」
「どちらさま?」
相手の質問にはこたえず、ティアは逆にききかえした。口もとにうかべた微笑に
も、ひたと見すえた視線にも、たっぷりの警戒と揶揄をこめて。
「失礼。私は戦神(いくさがみ)の眷属です。あなたの奉納をお断りするためにあら
われた次第で」
「まあ、驚きだわ」大仰なしぐさで少女は両手をひろげた。「どちらかというと、
あたしには真夜中の神殿にひそむ不審人物としか見えないのだけれど」
「それは残念。あなたのような美しいお嬢さんには、ぜひとも好意を抱いていただ
きたかったのですがね」
うかべた微笑みには、いささかの陰りも見えない。
ティアは鼻で笑った。
「それにしてももっと驚いたのは、祈願の内容も奉納の品すらさだめないうちに、
それを断るだなんていいぐさね。きいてもいいかしら? いったい、なぜ?」
「それはもう、いったとおり神の眷属なのでね。あなたの祈願の内容は先刻お見通
し、とでもお考えいただければ」
「あら、なにかしら?」
「戦勝祈願です、もちろん」
「もちろんそうね」おかしげに笑いながらティアは大げさにうなずく。「戦神の神
殿なんだもの、それはだれにでも想像がつくことだわ」
「その点はおっしゃるとおりですね。では、あなたがこれから戦おうという相手に
関して。その相手こそ、あなたが長年さがし求めてきた仇敵だ、というあたりを指
摘すればいかがです?」
言葉はださず、ティアはそれで? と視線で先をうながした。青年はつづける。
「今日の昼間、驚いたことに当の仇敵のほうからあなたの前にあらわれ、決着を申
し出た。ちがいますか?」
「概要はあっているけど。昼間の悶着はけっこう見物人も多かったわ。そのなかに
あなたがいなかったとも、いいきれないわね」
「そのようにおっしゃられてしまっては、返す言葉もありませんね。では、あなた
の奉納の品についてですが」
「わかるのかしら」
「もちろん。サイコロではありませんか?」
今度は、軽妙な返答を発する余裕はなかった。顔色を変えずにいられただけで、
奇跡のようなものだったかもしれない。
かわりに仮面の無表情を顔面にはりつけ、ふところからたった今看破された品を
とりだす。
無言のまま差しだした。
青年は受けとらず、白い手のひらの上の小さな六面体をじっと見つめる。
「すばらしい品です」ながい間をおいて、ため息とともに口にした「クナッフェル
の心骨から彫りだした逸品ですね? まさか生きているうちに、このような幻の品
にお目にかかれるとは思わなかった」
いい終えてなお、魅せられたごとく視線を小さな六面体に固定させたまま離せず
にいる。
その姿を見てティアは、いまのセリフは神の眷属が口にするものではない、との
揶揄の言葉をのみこんだ。眼前の男に奇妙な親近感を覚えたからだ。
かわりに、断固とした決意を口にする。
「どうあっても受けとっていただくわ。五年かけて、ようやく巡りあえた相手だも
の」
「受けとれない理由を、おききになりたくはないのですか?」
ティアはふたたび笑みをうかべる。
「予想はつくわ。あたしには勝つことができない、とか」
「そのとおりです」
「みもふたもないわね」
苦笑するしかない。
「事実をまげることはできません。なにしろ――」
「神の眷属だから?」
言葉に、青年は薄く笑っただけだった。
返した笑いを、すぐに真顔の下におしこめ、ティアはいう。
「それでもかまわない。仇をうつことができないのなら、逆に討たれることをも厭
わないから」
真摯に見つめる視線を前に、青年はつ、と目をそらした。その口もとから、邂逅
以来初めて、笑みが消える。
「どうしても、とおっしゃるのですか?」
ティアは無言でうなずきかえす。
青年はしばしだまりこんだあげく――少女の手のひらの上に乗ったサイコロをつ
いと取り上げた。
「受け取るわけではありませんよ」
予想外のセリフに、ティアはひらきかけた愁眉をよせる。
「あなたの決心がきわめて硬いことは理解できました。ですが、私としてはぜひに
もあなたに翻心していただかなくてはなりません。ということで――これで決着を
つける、という解決法はいかがでしょう」
いいながら青年は、つまんだ六面体をふたりの中間にさしだした。
瞬時、相手の真意をはかりかねてティアはだまりこんだが、すぐに微笑した。
「おもしろいわね」
挑むような笑みに、青年は先刻の涼しげな微笑をとり戻してうなずく。
「ではごく単純にいきましょう。数当てで。おたがいにひとつの数字をいいあう。
当たるまでくり返す。いかがです?」
「いいわ。ふるのはどっち?」
「あなたでかまいませんよ」
「あら、たいした自信ね」
「もちろんです。なにしろ神の眷属ですから」
「どうかしら」いいながらティアは笑った。獰猛に。「神属でなくとも、勝負を自
由にできる人種はいるわよ。たとえばイカサマ師。たとえば――幻術使」
「ほう」瞬時、青年の笑みに微妙な変化が見られた、ような気が、ティアにはした。
「だとしたら、あなたには何かよい予防手段でもあるのですか?」
「もちろん。本格的なものではないけれど、あたしにも多少なら幻術の心得がある
のよ。だから、あなたが幻術がらみでよからぬ手段を使ったとしたら、即座に判断
できるわ」
「気をつけましょう」
表情はあいかわらず。嘲弄のそれ、ととることもできるが拘泥せず、ティアはか
まえた。
「いいわ。あなたからどうぞ」
「それでは、四」
青年の言葉に瞬時、ティアは表情をくもらせた。
が、のぼりかけた言葉はあえてのみこみ、
「あたしは一。じゃ、勝負」
口にしざま、青年の手からついとサイコロをとるや思いきりよくふる。
神に供物を捧げるための聖卓上で、正六面体はつつましくころがり――
にっこりと、ティアは笑った。
「あたしの勝ちね」
「驚きました」
今度ばかりは青年も、言葉どおりの表情を見せている。
卓上でサイコロは、まがうかたなくひとつのへこみを刻んだ面を上にして、静止
していた。
「受けとっていただけるかしら?」
気取った口調で告げるティアを、青年はしばし無言でながめやっていたが、やが
ていった。
「そうせざるを得ないようです」
「では、あたしは明日、晴れて本懐をとげることができるというわけね」
「それはむりでしょう」断言した。くってかかろうとする機先を制するように、つ
づける。「この神殿が請け負うことができるのは、あくまでも戦勝祈願ですから」
どういう意味? と問いただす間も与えず、青年はくるりと背を向けた。
羽織っていた白いケープがあざやかにひるがえる。見せられた背中に、静かだが
堅牢きわまる拒絶を見いだし、ティアは詰問を断念した。かわりに、
「……戦神の眷属には、似合わないいでたちだわ」
憎まれ口をたたいた。
青年はちらとふりかえって――かすかに笑った。先刻までの微笑とはちがう、心
底からわきあがったような、開けっぴろげな笑顔だった。
「そうでしょうね」
言葉をおきざりに、青年の姿は闇に溶けるように消失した。
残された戦神の像が、永劫変わらぬ峻厳な表情で、声もなく少女を見おろす。
ティアは微苦笑をうかべ、改めて神妙な顔つきで神像の前にひざをついた。
はいて捨てるほどの野次馬が、ことの始まりを待ち受けていた。
街の中心に位置する広場の一角。夕暮れどきということもあって、行き交うひと
びとの姿はかなり多い。あからさまに通行の邪魔になっている――というよりは、
進むも退くもならぬ大渋滞を招来してしまっているのだが、あちこちからあがる罵
声や恫喝にも、多量の見物人たちは動ずるようすさえ見せず、好奇にかがやく視線
を投げかけている。
ティアは、腰かけ用におかれたと思われる丸石に尻をおろし、瞑目したまま対手
の到着を待ち受けていた。
むろん、耳には口さがない野次馬どもの、論評めかした放言が絶え間なくとびこ
んでくる。大部分がティアの美貌と若さをたたえ、それがあえなく散ることを嘆い
ていた。きこえよがしに逃亡を示唆する言葉も、幾度となくくりかえされる。
とりあう気など、もちろんない。
もっともふだんから少女がこうも無愛想、というわけでもなかった。むしろ群衆
を前にしての、愛想のよさは鍛えられているといっていい。
三年間、大道芸人で糧を得てきたからだ。演目は、主に剣を使った軽業である。
天涯孤独になる前から、手先は器用だった。剣の修行のあいまに、長短二本の剣
を使ったお手玉の腕を磨くのに余念なく、それを家の使用人に披露して喝采を受け
るのを何よりの楽しみにしていた部分がある。
いまはなき両親は、ひとり娘が剣の修行に明け暮れるのと同様、使用人たちに対
して友だちのように気安く接することにも、あまりいい顔はしなかった。いずれ婿
をとって一帯を支配する旧家を継ぐ身であるからには、それ相応の気品なり威厳な
りを身につけるべきだと考えていたようだ。
が、人心掌握も重要な才能である、とはあくまでいいわけで、ひとり娘のかわい
さゆえの甘やかしが、少女をのびやかに育てあげた。
剣の修行も、最初は子ども時代のさまざまなおけいこごとのひとつでしかなかっ
たが、ティア自身が強く望んでの継続となった。七年を数える。そこらの剣士など、
足もとにも及ばない腕を得るに至った。
もちろん、軽業のほうもそれに迫る冴えを見せた。
ひとの道や忍耐、根気と達成感などは剣の師匠のほかに、使用人や出入りの商人
などからも自然に学んでいた。そのままいけば、よい領主の妻となったことはまち
がいない。
運命が領主から旅芸人へとかえられたのは、寒い厳しい季節が明けたばかりの―
―そう、いまと同じ、夕暮れどき。
いつものように剣の修行へとでていたティアが館に戻ったとき、燃え盛る炎が敷
地を覆いつくしていた。異変にひとびとが気づくのが遅れたのは、屋敷が街の中心
からはやや離れた、閑静な郊外に建てられていたからだ。
財産も、家族も、すべてを一挙に喪失した少女は血の涙を流しながらことの顛末
を領民に問いただす。はっきりと目撃したものはだれもいなかったが、手がかりは
充分すぎるほどあった。
ちまたで噂になっていた盗賊団が数日前から一帯をうろついていたらしいという
話は、ティア自身も警告とともに耳にしていた。しばらくのあいだは剣の師匠たる
引退騎士のもとへ通うのも自粛するよう、まわりのひとびとから勧告されていたも
のだ。皮肉にも、それを無視したがゆえに奇禍をまぬかれることができたというこ
とになる。
半狂乱でティアは、領民たちがとめるのもきかずに仇を討ちにでた。が、一帯を
たばねる豪族の館を根こそぎ略奪した戦果に満足したためか、盗賊団は風のように
姿を消していた。噂だけをたよりに、ティアはそのまま仇敵を求めて旅の途につい
た。
戦神に奉納したサイコロは、旅にでるときに剣の師匠から、もうひとつの対の品
とともに受けとったものだ。クナッフェルは伝説の神獣、誇り高く猛く靱く、敗れ
るときは死をもってほかにないといわれる。ティアの本懐をとげさせるにふさわし
いお守りであろう。
そうしてティアは、旅のさきざきで盗賊団の噂を追いながら大道芸を披露して糧
を得、ここまでたどりついたのだった。